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いつか、届かない星に名前をつけるなら  作者: 明石竜


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9/23

第九話 写真に写らない夜

 八月も終わりに近づき、夏休みも残りわずかとなった頃、久しぶりに夏帆が天文部の活動に同行することになった。

「たまには私も、星、見てみたいなって」

 午後、部室に顔を出した夏帆は、そう言って屋上への階段を上っていった。

「夏帆が観測に来るなんて、珍しいですね」

「だって、遥がいつも楽しそうに話すから、ちょっと興味出てきたんだよね」

 夏帆はそう言いながら、屋上に並べられた望遠鏡を興味深そうに眺めた。

「相沢さんも、久しぶり」

「うん、久しぶり、夏帆ちゃん」

 彗は屋上の入り口で、夏帆に手を振った。

 三人での観測は、これまでとはまた違った空気があった。夏帆は星に詳しいわけではないけれど、素直な感想を口にするので、それが新鮮だった。

「これが北極星? 意外と普通の明るさなんだね」

「一番明るい星ってわけじゃないので」

 私が答えると、夏帆は意外そうに目を丸くした。

「へえ、そうなんだ」

 彗は夏帆の隣で、望遠鏡の使い方を丁寧に教えていた。その様子は、まるでずっと前からの友人同士のように自然だった。

 しばらく星座の説明をしたあと、夏帆がふとスマートフォンを取り出した。

「せっかくだから、写真撮ろうよ」

「今からじゃ、星は写らないと思いますよ」

「星じゃなくて、三人でってこと。記念に」

 夏帆はそう言いながら、カメラを自撮りモードに切り替えた。

「相沢さん、真ん中来て」

「え、私が?」

「いいから、いいから」

 彗は少し戸惑いながらも、私と夏帆の間に立った。

「はい、撮るよー」

 夏帆の掛け声とともに、シャッター音が鳴る。

 その瞬間、私は特に何も気にしていなかった。三人で笑い合いながら、屋上の手すりを背景に、何枚か写真を撮った。

 撮影が終わると、夏帆はさっそく写真を確認し始めた。

「あ、これいい感じ」

 画面をこちらに向けて見せてくれる。私と夏帆は、いつも通りの笑顔で写っていた。

 けれど、彗の姿が――少しだけ、おかしかった。

「あれ……相沢さん、ちょっとぶれてる?」

 夏帆が首をかしげた。

 画面を覗き込むと、確かに彗の輪郭だけが、他の部分と比べて不自然にぼやけていた。まるで、動いている最中に撮影してしまったかのように。

「本当だ。動いちゃったんですね、相沢さん」

「あ……ごめん、ちょっと風で揺れたのかも」

 彗はそう言って、少し慌てたように笑った。

「もう一枚、撮り直そうよ」

 夏帆がそう提案して、私たちはもう一度、同じ場所で写真を撮った。

 今度は確認しても、特に問題なく写っていた。

「良かった、今度はちゃんと撮れてる」

 彗がほっとしたように言った。

「うん、可愛く撮れてるね」

 夏帆はそう言いながら、写真をアルバムに保存した。

 その場では、私もそれほど気にしていなかった。手ぶれというのは、よくあることだ。人物の動きが速いと、シャッタースピードによっては輪郭がぼやけて写ることもある。カメラの機能上、じゅうぶんにあり得る現象だった。

 でも――。

 その夜、家に帰ってから、夏帆が送ってくれた写真を改めて見返しているうちに、私はある違和感に気づいた。

 最初の一枚。彗の姿だけが、まるで陽炎のように薄く滲んでいる。

 その一方で、私と夏帆は、しっかりとピントが合っていて、輪郭もはっきりしていた。

 けれど撮った瞬間、彗だけが大きく動いたようには見えなかった。それなのに、彗の部分だけが不自然にぼやけている。

 私は写真を拡大して、じっくり観察した。

 背景の手すりや、屋上のフェンスは、くっきりと写っている。動いているのはあくまで、彗の姿だけだった。

 まるで、彗という存在そのものが、その一瞬だけ、この世界から少しだけずれてしまったかのような。

 そんな、突拍子もない考えが頭をよぎった。

 もちろん、そんなはずはない。きっと単純に、彗がわずかに動いた瞬間を、悪いタイミングで撮ってしまっただけなのだろう。

 そう自分に言い聞かせようとしたけれど、心のどこかで、その説明にどうしても納得できない自分がいた。

        ☆

 翌日、部室で彗と二人になったとき、私はその写真の話を切り出した。

「昨日の写真、見ました?」

「うん、夏帆ちゃんが送ってくれたやつだよね」

「彗だけ、ぶれてましたよね」

 彗の表情が、一瞬だけ強張った。

「ああ、あれね。ちょっと動いちゃったみたい」

「でも、背景とか、私たちは、ちゃんと写ってたんです。彗だけ、なんです」

 私はできるだけ冷静に、事実だけを伝えた。

 彗は少しの間、答えを探すように視線を彷徨わせた。

「……カメラの、調子が悪かったんじゃない?」

「同じカメラで、二枚目はちゃんと写ってましたよ」

「そう、なんだ」

 彼女の声は、いつもより硬かった。

「彗」

「うん」

「最近、ちょっとおかしいこと、多くないですか」

 私は思い切って、その言葉を口にした。

「私には当たり前のことを、妙に珍しそうにしたり、電車に久しぶりに乗ったって言ったり。それに今度は、写真だけぶれてる」

「……」

「彗は、いったい――」

 言いかけた私の言葉を、彗が遮った。

「遥」

「はい」

「ごめん。まだ、話せない」

 その声には、これまで聞いたことのない、切実な響きがあった。

「何か、隠してることが、あるんですよね」

 彗は少しの間、俯いたまま黙っていた。

 窓の外から、蝉の声がまだ微かに聞こえてくる。夏の終わりが、確実に近づいている。

「うん。隠してること、ある」

 ようやく、彼女はそう認めた。

「悪いことじゃないの。ただ、まだ、話すタイミングじゃないだけ」

「いつなら、話してくれるんですか」

「……もう少しだけ、待ってほしい」

 彗はそう言って、私の目をまっすぐに見つめた。

「絶対に、いつかちゃんと話すから。今は、それだけ、信じてほしい」

 その真剣な表情に、私はそれ以上、追及することができなかった。

「分かりました。待ちます」

「ありがとう」

 彗は小さく息をついて、いつもの笑顔を取り戻そうとした。でも、その笑顔には、これまでにない疲れのようなものが滲んでいた。


 その日の帰り道、私は一人で駅までの道を歩きながら、写真のことを何度も思い返していた。

 彗のぼやけた輪郭。

 まるで、この世界にしっかりと存在していないような、あの不安定な写り方。

 もしかしたら、彗は本当に、何か普通ではない事情を抱えているのかもしれない。

 その考えは、これまで私が抱いていた小さな違和感の数々を、一つの線で結びつけ始めていた。

 教科書の知識だけで、実際の経験がまるでないこと。

 当たり前の日用品に、いちいち驚くこと。

「昔から」「懐かしい」という、時系列のずれた言葉選び。

 そして、私の未来について語るときの、あの妙な確信。

 どれも単独では、ただの奇妙な癖として片付けられるものだったかもしれない。でも、それが積み重なっていくと、もはや偶然では説明できない何かが、そこにあるように思えてならなかった。

 彗は、いったい何者なんだろう。

 その問いが、これまでにない重さで、私の胸の中に居座り始めていた。

 空を見上げると、夕暮れの色が、少しずつ夜の色へと変わっていくところだった。

 いつも通りの景色のはずなのに、その日はなぜか、いつもより儚く見えた。

 もうすぐ夏が終わる。

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