第十話 文化祭の小さなプラネタリウム
二学期の始業式の日、進路希望調査の提出期限が来た。
私は結局、深く考えないまま、無難な進路を書いて提出した。星に関わる道を選ぶ勇気は、まだなかった。
☆
二学期が始まって一週間ほどすると、夏休みとは違う生活のリズムにも少しずつ慣れてきた。
彗は別のクラスなのに、休み時間になるとよく私の教室まで顔を出すようになった。
「遥、お昼一緒に食べよう」
「また来たの、相沢さん」
隣の席の夏帆が呆れたように笑う。
「だって、遥のクラスに来た方が早いから」
「最近、ほんとに二人セットだよね」
「そうかな?」
彗は嬉しそうに笑いながら、私の机の横に椅子を持ってきた。
夏休みには二人きりだった私たちの時間に、夏帆やクラスメイトと過ごす日常も少しずつ混ざり始めていた。
☆
九月の半ば、学校では文化祭の準備が本格的に始まっていた。
天文部にも、久世先生から出展の提案があった。
「今年は、プラネタリウムをやってみない?」
放課後の部室で、先生はそう切り出した。
「プラネタリウムって、あの、本格的な機材が必要なやつですよね。うちにそんな設備、ないですけど」
「本格的なものじゃなくていいの。手作りでいいから」
先生はそう言って、一枚の写真を見せてくれた。ドーム状の骨組みに、小さな穴を無数に開けた黒い布を被せただけの、簡素なプラネタリウムだった。
「これくらいなら、予算内でも作れると思うわ」
彗はその写真を見て、目を輝かせた。
「面白そう。やってみたい」
「でも、私たち二人で、そんなの作れるでしょうか」
私は少し不安になった。工作は得意なほうではないし、そもそも人前で何かを発表するということ自体、これまで避けてきたことだった。
「大丈夫。一緒にやれば、きっとできるよ」
彗の言葉に背中を押されるようにして、私たちはプラネタリウム作りに取り組み始めた。
まずは骨組み作り。ホームセンターで買ってきた塩ビパイプを組み合わせて、大きなドーム状の骨組みを作る。それに黒い布を被せて、内側から光が漏れないように固定する。
一番大変だったのは、星座の穴あけ作業だった。
布に、実際の星座の位置に合わせて、一つ一つ画鋲で穴を開けていく。夏の大三角、北斗七星、カシオペヤ座、秋の四辺形。私たちの図鑑に書き込んできた星座を、そのまま布の上に再現していった。
「これ、地道な作業ですね」
「うん。でも、なんだか楽しい」
彗は集中した表情で、丁寧に穴を開けていく。
放課後、毎日のように部室にこもって、私たちは作業を続けた。時には手が痛くなるほど、画鋲を刺し続けた。
「見て、遥」
ある日、彗が布を持ち上げて、穴の位置を確認した。
「電気消してみて」
私は部室の電気を消した。彗が布の下から懐中電灯を当てると、無数の小さな光の点が、天井いっぱいに広がった。
「わあ……」
思わず声が漏れた。
小さな穴から漏れる光が、まるで本物の星空のように、部室の壁や天井に散らばっている。それは、私たちが夜空で見てきた星座たちの、小さな再現だった。
「すごい。ちゃんと星座になってる」
「私たちの夏が、詰まってるみたいだね」
彗はそう言いながら、その光を見つめていた。
その夜、私たちは満足感に包まれながら、それぞれ帰路についた。
☆
文化祭の一週間前、私たちの活動には、思いがけない問題が浮上した。
「誰が説明をするの?」
久世先生からそう聞かれて、私は言葉に詰まった。
プラネタリウムを見せるだけでなく、その間に星座の解説をする担当が必要だという。来場者の前で話すという役割は、これまで私が最も避けてきたことだった。
「私、無理です。人前で話すの、苦手で」
「私がやろうか?」
彗がそう申し出てくれた。
「彗が?」
「うん。私、話すの好きだし」
「でも、星座の説明って、専門的な知識が必要ですよね。彗は、知識はあるけど――」
私は言いかけて、口をつぐんだ。
彗の知識は、確かに豊富だった。でも、実際の観測経験に基づいた説明ではなく、あくまで教科書的な内容にとどまっていることが多かった。来場者が知りたいのは、きっと、実際に空を見上げてきた人だからこそ語れる、生きた言葉なのではないかと思った。
「本当は、遥が説明するのが、一番いいと思う」
彗は穏やかにそう言った。
「え?」
「遥は、実際にずっと星を見てきたから。教科書の知識じゃなくて、本当の経験から話せるでしょ」
「でも、私、人前で話すなんて」
「大丈夫だよ」
彗は私の手をぎゅっと握った。
「私が、隣にいるから」
その言葉に、私は少し勇気をもらった。
「それに、遥が話す星座の説明、私、何度も聞いてきたけど、すごく分かりやすいし、何より楽しそうに話すから」
「そう、ですか」
「うん。だから、遥にやってほしい」
彗の真剣な眼差しに、私はとうとう頷いた。
「分かりました。やってみます」
「よし、じゃあ練習しよう」
その日から、私たちは説明の練習を始めた。
彗が来場者役になって、私が星座の解説をする。最初は緊張してうまく言葉が出てこなかったけれど、彗が優しく相槌を打ってくれるおかげで、少しずつ話し方に慣れていった。
「もっと、自分の言葉で話していいんだよ」
あるとき、彗がそうアドバイスしてくれた。
「教科書みたいに正確に説明しなくても、遥が星を見たときに感じたことを、そのまま話せばいい」
その言葉で、私は少し肩の力が抜けた気がした。
完璧な説明をしようとする必要はない。ただ、自分が星を見てきた経験を、素直に伝えればいい。
☆
文化祭当日。
朝から部室の前には、思っていたよりも多くの来場者の列ができていた。夏休みに配ったチラシと、他の生徒たちの口コミが、多少なりとも効果を発揮したようだった。
「緊張、してる?」
開場直前、彗が心配そうに私を見た。
「はい、すごく」
「大丈夫。私がずっと隣にいるから」
彗はそう言って、私の手を軽く握った。その温かさに、少しだけ落ち着きを取り戻せた。
プラネタリウムの中に、来場者が数人ずつ入っていく。暗闇の中、懐中電灯の光が布の穴から漏れ、星座が天井いっぱいに映し出される。
「今から、夏の大三角について、説明します」
私は、震える声を必死に抑えながら、話し始めた。
「あそこに見える、明るい三つの星。あれが、こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブです」
最初の一言を発したとき、来場者たちが静かに耳を傾けてくれているのが分かった。その反応に、少しだけ勇気が湧いた。
「実際に、この三つの星を夜空で見つけると、教科書で見るよりもずっと大きく感じます。三角形の形が、はっきりと目に飛び込んでくるんです」
私は、これまで彗と一緒に見てきた星空を思い出しながら、言葉を紡いでいった。
「天の川も、写真で見るよりずっと淡くて、繊細な光なんです。都会だとなかなか見えないんですけど、少し街を離れた場所だと、頭上いっぱいに広がる帯のように見えます」
来場者の何人かが、感心したように頷いてくれた。
説明が進むにつれ、私の緊張は少しずつほぐれていった。頭で暗記した知識ではなく、実際に自分が感じたことを話すというのは、思っていたよりもずっと自然にできることだった。
解説が終わり、来場者たちが拍手をしてくれたとき、私は胸がいっぱいになるのを感じた。
「すごく分かりやすかったです」
「実際に見てるみたいでした」
そんな感想を、いくつも聞くことができた。
休憩時間に、彗が興奮した様子で駆け寄ってきた。
「遥、すごく良かったよ! みんな、すごく楽しそうに聞いてた」
「本当ですか」
「うん! 私も、何度も聞いてるのに、また感動しちゃった」
彗の笑顔を見て、私は初めて、自分がやったことに小さな誇りを感じることができた。
その日、文化祭の間、私たちのプラネタリウムには、途切れることなく来場者が訪れた。何度も同じ説明を繰り返すうちに、私の話し方は少しずつ自信を帯びていった。
夕方、片付けをしながら、私は彗に言った。
「今日、初めて、人前で話すのが、そんなに嫌じゃなかったです」
「そうなんだ、良かった」
「彗のおかげです。隣にいてくれたから、頑張れました」
「私は、何もしてないよ。遥が、自分の力で頑張ったんだよ」
彗はそう言って、優しく微笑んだ。
その笑顔を見ながら、私は初めて、こんな感情を抱いた。
「私、天文部を、もっと続けたいです」
その言葉は、これまで私が抱いてきた曖昧な気持ちとは違って、はっきりとした強さを持っていた。
「今まで、部活が廃部になるのを、仕方ないことだと思ってました。でも、今日みんなの反応を見て、初めて、これを続ける意味があるんだって思えました」
彗はその言葉を聞いて、一瞬、複雑な表情を浮かべた。
喜びと、そして――何か、深い切なさが入り混じったような。
「そう、だね」
彼女はゆっくりと頷いた。
「遥が、そう思えるようになって、本当に良かった」
その声には、私には理解できない何かが込められているように感じられた。
片付けを終えて、二人で夕暮れの校舎を後にした。
プラネタリウムに使った布を丸めながら、彗はふと立ち止まって、西の空を見上げた。
「遥」
「はい」
「今日、本当に楽しかった」
「私もです」
「これからも、ずっと、こんな日が続けばいいのにね」




