第十一話 来年も、ここで
文化祭が終わって数日後、私は職員室に呼び出された。
「星住さん、ちょっといいかしら」
久世先生の声には、いつもの穏やかさとは違う、どこか重たい響きがあった。
職員室の隅にある応接スペースで向かい合うと、先生は一枚の書類を私の前に置いた。
「学校の統廃合の話、知ってるわよね」
「はい、噂は聞いてます」
うちの高校は、少子化の影響で数年前から統廃合の対象になるかもしれないと囁かれていた。近隣の高校と合併して、新しい校舎に移るという話も、生徒の間で度々話題になっていた。
「正式に決まったの。来年度から、生徒は隣町の新しい学校に統合されることになったわ。この校舎も、来年度末には正式に閉校する予定よ」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「じゃあ、天文部は……」
「今年度いっぱいで、活動を終えることになる」
先生は穏やかに、でもはっきりとそう告げた。
「新しい学校には、天文部に相当するものがまだ決まっていないの。ゼロから作り直すことになるかもしれないし、そもそも設立が認められるかも分からない」
「そんな……」
私は言葉を失った。
やっと、文化祭で天文部を続けたいと強く思えたばかりだった。それなのに、その願いは、始まる前から絶たれることが決まっていたなんて。
「望遠鏡や、これまでの観測記録は、どうなるんですか」
「一部は新しい学校に引き継がれると思うけど、部活動としての活動は、この校舎が最後になるわ」
先生の言葉が、重く胸にのしかかった。
「ごめんなさいね、こんな話をして」
「いえ……」
「星住さんが、この一年でどれだけ頑張ってきたか、私はちゃんと見てきたつもりよ。だからこそ、伝えるのがつらかった」
先生はそう言って、優しく私の肩に手を置いた。
☆
その日、私は放課後の部室に、重い足取りで向かった。
彗はいつものように、望遠鏡の手入れをしながら私を待っていた。
「遥、遅かったね。何かあった?」
私の表情を見て、彗はすぐに何かを察したようだった。
「……天文部、今年度で、なくなるそうです」
その一言を口にした瞬間、涙がこみ上げてきた。
「学校が統廃合されるって、久世先生から」
彗は望遠鏡を持つ手を止めて、私の方をじっと見つめた。
「そう、なんだ」
「文化祭で、あんなにたくさんの人が喜んでくれたのに。せっかく、続けたいって思えたのに」
私は堪えきれず、その場に座り込んだ。
「せっかく、彗と一緒に、この部活を続けられると思ったのに」
彗は私の隣に座り、そっと肩に手を添えた。
「遥」
「はい」
「大丈夫だよ」
その言葉は、あまりにも軽く聞こえて、私は少し苛立ちを覚えた。
「大丈夫なわけ、ないじゃないですか。天文部が、なくなるんですよ」
「うん、そうだね。でも」
彗はゆっくりと、言葉を選ぶように続けた。
「部活がなくなっても、星は、なくならないから」
その言葉に、私はふと、以前彼女が言った言葉を思い出した。
「星が見えなくても、星がなくなったわけじゃない」
あの曇り空の日の言葉と、今の言葉が静かに重なった。
「部活という形は終わるかもしれない。でも、遥が星を好きな気持ちは、なくならない。それに、私たちが積み重ねてきた時間も、なくならないよ」
「そんな慰め、今は聞きたくないです」
私は思わず、強い言葉を返してしまった。
彗は驚いたように目を見開いたけれど、すぐに、悲しそうに微笑んだ。
「ごめん」
「……いえ、こちらこそ、すみません」
私はすぐに後悔した。彗は何も悪くない。ただ、この状況があまりにも受け入れがたくて、そのやり場のない気持ちを、つい彼女にぶつけてしまっただけだった。
しばらく、部室には気まずい沈黙が流れた。
「ねえ、遥」
やがて、彗が口を開いた。
「知ってる? 来年の冬、百年に一度って言われてる大流星群が来るんだって」
「百年に一度?」
「うん。今、天文学界で結構話題になってるんだよ」
彗はそう言いながら、鞄から一枚のプリントを取り出した。それは、確かに私も新聞の科学欄で見た記憶がある、大規模な流星群の予測記事だった。
「予測では、一時間に数百個の流れ星が見られるかもしれないって」
「それは、すごいですね」
「うん。だから――」
彗は真剣な目で、私を見つめた。
「来年の冬、二人でここに来て、それを見よう」
「でも、部活は――」
「部活がなくなっても、二人で見に来ることは、できるでしょ」
その言葉に、私は少し救われる思いがした。
「校舎自体は、来年度末まで使われるって、久世先生も言ってたよね」
「あ、はい」
「じゃあ、まだ屋上に来ることはできる。部活としてじゃなくても、二人で」
その提案に、私は小さな希望を見出した。
「来年の冬、ここで、その大流星群を、二人で見る」
「うん。約束」
彗はそう言って、小指を差し出した。
私は少し戸惑いながらも、その小指に自分の小指を絡めた。
「約束、しましょう」
「来年も、ここで会おうね」
☆
その日の帰り道、私たちは並んで駅までの道を歩いた。
「彗」
「うん?」
「本当に、大丈夫でしょうか。天文部がなくなっても」
「大丈夫だよ」
彗はそう言いながら、まっすぐ前を見つめて歩き続けた。
「形が変わっても、大切なものは、ちゃんと残るから」
その言葉には、どこか彼女自身に言い聞かせているような響きがあった。
「彗は、いつもそう言いますね。星が見えなくても、なくならないとか、形が変わっても残るとか」
「そう、かな」
「まるで、何か大きなものを、これまでもたくさん失ってきたみたいな言い方です」
その指摘に、彗は一瞬、足を止めた。
「……そうかもしれない」
その答えは、思いのほか正直なものだった。
「でも、失うことが分かっていても、大切にする価値はあると思うから」
彗はそう言って、また歩き出した。
その横顔には、これまで見たことのないほどの、深い覚悟のようなものが浮かんでいた。
夕暮れの道を歩きながら、私は彼女の隣で、その言葉の意味を、繰り返し反芻していた。
「失うことが分かっていても」――その言葉が、なぜか胸の奥に、小さな棘のように刺さって離れなかった。
彗は、いったい何を失ってきたのだろう。
そして、これから何を失おうとしているのだろう。




