第二十一話 大晦日の偽物の流星群
十二月三十一日。
その日が来ることを、私はずっと恐れながら、同時に、避けられない現実として受け止めようとしてきた。
朝から空は厚い雲に覆われていた。天気予報を何度も確認したけれど、夜になっても回復の見込みはないという。
「今日、曇りみたいですね」
昼過ぎ、彗にメッセージを送ると、すぐに返事が来た。
『うん、知ってる。でも、大丈夫』
その短い返信に、私は複雑な気持ちを抱きながら、部室へ向かった。
部室に着くと、彗はすでに来ていて、何やら作業をしていた。
「彗、それ、何してるんですか」
「見てて」
彗は、段ボールで作った小さなドーム状の骨組みに、黒い布を被せていた。それは、文化祭で使った、あの手作りプラネタリウムの、ミニチュア版のようなものだった。
「これ……」
「今日、本物の星が見えないなら、代わりのものを、作ろうと思って」
彗は、丁寧な手つきで、布に開けた小さな穴の位置を確認していた。
「これ、何の星座ですか」
「来年、現れるはずだった、大流星群」
その言葉に、私は胸が締め付けられた。
「百年に一度の、あの大流星群ですか」
「うん。本当は、来年の冬、二人で見るはずだったよね」
彗は、寂しそうに微笑みながら、作業を続けた。
「だから、せめて、今日、この小さなプラネタリウムの中で、その光を、再現しようと思って」
彗は、懐中電灯を布の内側から当てて、無数の小さな光の点が、天井いっぱいに広がるのを、私に見せてくれた。
「見て、遥」
私は、その光景に、思わず息を呑んだ。
部室の天井いっぱいに、まるで本物の流星群のように、無数の光の粒が瞬いていた。彗は、懐中電灯をゆっくりと動かしながら、流れ星が横切っていくような演出を加えていた。
「すごい……」
「本物には、全然かなわないけど」
「いえ、じゅうぶん、綺麗です」
私は、その偽物の流星群を見上げながら、涙をこらえた。
彗が、この日のために、どれほどの時間と想いを込めて、この小さなプラネタリウムを作ってくれたのか。その気持ちを思うと、胸が熱くなった。
夕方になり、私たちは部室で、二人だけの年越しの準備を始めた。
「これ、持ってきました」
私は家から持ってきた小さな鍋と、簡単な材料を取り出した。
「お鍋、するの?」
「はい。年越しくらい、ちゃんとしたものを食べたいなって」
彗は、その提案に、嬉しそうに笑った。
「私、お鍋作るの、初めて見る」
「難しくないですよ。一緒に作りましょう」
私たちは、部室の隅にある簡易コンロを使って、鍋を作り始めた。
白菜、豆腐、鶏肉、ねぎ。ありふれた材料だったけれど、彗はその一つ一つを、まるで初めて見るもののように、興味深そうに眺めていた。
「これ、美味しそうな匂い」
「もうすぐできあがりますよ」
鍋が煮え始めると、部室には、温かい湯気と、優しい出汁の香りが広がっていった。
「彗、取り分けますね」
「ありがとう」
私たちは、小さな器に鍋を取り分けて、向かい合って食べ始めた。
「美味しい」
彗は、目を輝かせながら、そう呟いた。
「良かったです」
「こんな、あったかい年越し、初めて」
その言葉に、私は少し切なくなった。
「彗の家では、年越し、どうしてたんですか」
私は、思い切ってそう尋ねた。
彗は、少し考えてから、冷静に答えた。
「未来では、大晦日っていう概念自体、あんまり残ってないの」
「概念自体が?」
「うん。時間の区切りとして、記録上は存在してるけど、みんなで集まって祝うような習慣は、もう、ほとんどなくなってる」
その答えに、私は改めて、彗が生きてきた世界の、あまりの寂しさを実感した。
「じゃあ、今日みたいに、誰かと一緒に、年越しを過ごすことも」
「初めて」
彗は、穏やかにそう答えた。
「だから、遥と一緒に過ごせるこの時間が、私にとって、すごく特別なの」
その言葉に、私は涙をこらえきれなくなった。
「彗」
「うん」
「泣かないでって、言おうと思ったのに」
「あはは、ごめん」
彗は、私の涙を見て、優しく笑った。
「私も、泣きそうだから、お互い様」
私たちは、少し湿った空気の中で、それでも笑い合いながら、鍋を食べ続けた。
食事を終えると、私たちは部室の電気を消して、彗が作った小さなプラネタリウムの光を、改めて見上げた。
「これが、本当は、来年見るはずだった、大流星群」
彗は、懐中電灯をゆっくり動かしながら、光の粒を天井に走らせた。
「一時間に、数百個の流れ星が見えるはずだったんですよね」
「うん。すごい光景に、なるはずだった」
私たちは、その偽物の光を見上げながら、しばらく無言で過ごした。
「彗」
「うん?」
「来年は、本物を見ようね」
その言葉が、口をついて出た瞬間、私は自分でも驚いた。
彗がいなくなることを、既に知っているはずなのに、それでも私は、無意識のうちに、来年の約束を口にしていた。
彗は一瞬、驚いたように私を見た。
でも、すぐにいつもの優しい笑顔を浮かべた。
「うん」
「絶対、ここで会おうね」
その言葉にも、彗はゆっくりと頷いた。
「うん」
私たちはお互いに、この約束が実現しないことを痛いほど分かっていた。
それでも、今この瞬間だけは、その儚い希望にすがりたかった。
時計の針は、少しずつ、零時に近づいていく。
残された時間が、あとわずかしかないことを、私は痛いほど意識しながら、彗の隣に座り続けた。
偽物の流星群の光が、静かに部室の天井を流れていく。
その光景を見つめながら、私たちは、これから訪れる、最もつらい瞬間に向けて、心の準備を始めていた。
外は、相変わらず厚い雲に覆われ、本物の星は、一つも見えなかった。
でも、この小さな部室の中には、私たちだけの、かけがえのない星空が、確かに広がっていた。
時計は、あと三十分ほどで、新しい年を迎えようとしていた。
彗の横顔を見つめながら、私は、これから訪れる別れの瞬間を、どうか少しでも先延ばしにしてほしいと、心の中で強く願っていた。
でもその願いが、決して叶わないことを、時計の針は容赦なく告げ続けていた。




