第十九話 星に名前をつけるなら
十二月も二十日を過ぎ、残された日数は、一桁になっていた。
その日は、めずらしく朝から快晴で、夜になっても雲一つない、澄んだ空が広がっていた。
「今日は、絶好の観測日和ですね」
放課後、屋上に上がりながら、私は空を見上げて言った。
「うん。こんなに綺麗な夜、久しぶりかも」
彗は、寒さに頬を赤くしながら、嬉しそうに空を見上げた。
私たちは、いつものように望遠鏡を設置し、星図を広げた。今日は特に、まだ図鑑に書き込んでいない星座を中心に観測しようと、事前に決めていた。
「今日は、みなみのうお座を見つけたいですね」
「あの、フォーマルハウトがある星座?」
「はい。秋の星座なので、そろそろ見納めかもしれません」
私たちは、南の空低くにその星座を探した。街の明かりに邪魔されながらも、なんとかフォーマルハウトの位置を確認することができた。
「見つけた」
「本当だ。低い位置だから、見つけにくいですね」
彗は、その星をじっと見つめながら穏やかに呟いた。
「一つだけ、ぽつんと光ってる星座なんだね」
「秋の四辺形からは、少し離れた場所にありますからね」
「なんだか、寂しそうな星座」
彗のその言葉に、私は少し胸が痛んだ。
観測を続けながら、私たちは図鑑にその日見つけた星座を書き込んでいった。ページはだいぶ埋まってきたけれど、それでもまだ、白紙のページは残っていた。
「彗」
「うん?」
「一つ、聞きたいことがあります」
「なに?」
私は、少し前から考えていたことを、思い切って口にした。
「もし、名前のない星を見つけたら、彗は、どうしますか」
その問いに、彗は少し驚いたように私を見た。
「名前のない星?」
「はい。まだ誰にも発見されてない、新しい星です」
彗はしばらく考え込んだあと、冷静に答えた。
「私だったら……ちょっと、迷っちゃうかも」
「迷う、ですか」
「うん。どんな名前をつければいいのか、分からなくて」
彗はそう言って、少し困ったように笑った。
「逆に、遥はどうする?」
その質問に、私は迷わず答えた。
「名前をつけますよ」
「どんな名前?」
私は、夜空を見上げながら答えた。
「その時、一番大切な人の名前を、つけると思います」
その答えに、彗は一瞬、息を呑んだような表情を見せた。
「一番大切な人の、名前」
「はい。だって、星に名前をつけるって、その星を、ずっと特別なものとして扱うってことだと思うので」
私は、自分の中に浮かんだ考えを、素直に言葉にしていった。
「一番大切な人の名前をつければ、その星を見上げるたびに、その人のことを思い出せる。たとえ、その人がそばにいなくても」
その言葉を口にした瞬間、私は自分でも、その意味の重さに気づいた。
まるで、これから訪れる別れを、無意識のうちに予感しているかのような言葉だった。
彗は、しばらく黙って、私を見つめていた。
その目には、深い感動と、そして――何か大きな痛みのようなものが、同時に浮かんでいた。
「そっか」
彗は、やがて小さく呟いた。
「一番大切な人の、名前……」
彼女はその言葉を、まるで大切な宝物のように、穏やかに繰り返した。
「彗、どうかしましたか」
「ううん、なんでもない」
彗はそう言いながら、無理に笑顔を作った。
でもその笑顔には、これまでにない、深い切なさが滲んでいた。
「ただ、遥らしい答えだなって思って」
「そう、ですか」
「うん。遥は、いつも、大切なものを、ちゃんと大切にしようとするから」
その言葉に、私は少し照れくさくなった。
「彗こそ、大切なものを、ちゃんと大切にしてますよ」
「そうかな」
「はい。この図鑑だって、白紙になっても、大切に持ち続けてたじゃないですか」
彗は、その言葉に、穏やかに微笑んだ。
「うん、そうだね」
私たちは、しばらく無言のまま、夜空を見上げ続けた。
フォーマルハウトの淡い光が、遠く南の空低くで瞬いていた。
「彗」
「うん?」
「もし、私がいつか、名前のない星を見つけたら」
私は、少し声を落として続けた。
「彗の名前を、つけようと思います」
その言葉に、彗は大きく目を見開いた。
「本当に?」
「はい」
「彗星みたいに、一瞬だけ現れて、また遠くへ去っていく星だから、彗って名前、ぴったりだと思うので」
私は、少し照れながら、そう説明した。
彗は、しばらく言葉を失ったように、私を見つめていた。
やがて、その目から涙がこぼれ始めた。
「彗、大丈夫ですか」
「うん、大丈夫」
彗は涙を拭いながら、震える声で言った。
「ただ、すごく嬉しくて」
「そんなに、ですか」
「うん。私の名前が、いつか、星につけられるかもしれないなんて。そんな未来を想像するだけで、胸がいっぱいになる」
その言葉には、これまでにないほどの、深い喜びと、そして切なさが入り混じっていた。
「彗」
「うん」
「約束します。いつか、名前のない星を見つけたら、絶対に、彗の名前をつけます」
その約束に、彗は嗚咽をこらえながら、深く頷いた。
「うん。楽しみにしてる」
彼女はそう言いながら、私の手を、そっと握った。
その温もりを感じながら、私は、この約束が、これまでのどの約束よりも、確かな意味を持つことを理解していた。
これは、実現するかどうか分からない、儚い未来の約束ではない。
彗という存在を、私がこれから先も、ずっと大切に覚え続けるという、私自身の決意だった。
その夜、図鑑には、みなみのうお座のページが、新しく書き加えられた。
そして、そのページの隅に、私は小さく、こう書き添えた。
「一番大切な人の名前を、いつか星につける」
彗は、そのメモを見つけて、穏やかに微笑んだ。
「これ、覚えててくれる?」
「はい。絶対に、忘れません」
「うん」
彗は、満足そうに頷いた。
その表情には、これまでの不安や寂しさが、少しだけ和らいだような、穏やかさが浮かんでいた。
残された日々は、あと数えるほどしかなかった。
でもその夜、私たちは、これから訪れる別れの悲しみよりも、今この瞬間に生まれた、確かな約束の温もりを、大切に胸に刻んでいた。
冬の澄んだ夜空の下、フォーマルハウトの淡い光が、静かに私たちを見守っているようだった。




