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いつか、届かない星に名前をつけるなら  作者: 明石竜


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18/23

第十八話 何でもない日々を、君と

 残された日々は、一日ずつ静かに減っていった。その間にも、私たちはこれまでと変わらない日常を繰り返した。

 十二月に入ると、季節は本格的な冬を迎えていた。

 朝晩の冷え込みが厳しくなり、吐く息が白くなる日も増えてきた。それでも、私たちは変わらず、放課後になると部室や屋上で時間を過ごしていた。

「今日で、残り十七日だね」

 カレンダーを見ながら、彗がぽつりと呟いた。

 あの日以来、私たちは、残された日数を、あえて数えるようになっていた。それは残酷なようでいて、同時に、一日一日を大切に過ごすための、私たちなりの向き合い方でもあった。

「十七日か……あっという間ですね」

「うん」

 彗は少し寂しそうに笑いながら、望遠鏡のレンズを丁寧に拭いていた。

 その日から、私たちは特別なことをしようとは考えなかった。

 むしろ、これまでと変わらない、何でもない日常を、丁寧に積み重ねていくことを選んだ。

「今日は、部室の整理をしましょうか」

 私がそう提案すると、彗は嬉しそうに頷いた。

「うん。長年溜まった資料、整理しようね」

 私たちは、段ボール箱に詰め込まれたままだった古い観測ノートを、一冊ずつ丁寧に整理していった。

「これ、去年の先輩たちが書いたノートだ」

「懐かしいですね。私が入部したばかりの頃、この先輩たちに教えてもらったんです」

「遥にも、そんな時期があったんだね」

「そうですよ。最初は、望遠鏡の使い方すら、よく分からなかったんですから」

 彗は、そのエピソードを興味深そうに聞いていた。

 整理を進める中で、いくつかの古い星図が見つかった。ページの端が黄ばみ、インクも所々かすれている。

「これ、修復できるかな」

 彗がその星図を手に取りながら言った。

「破れてるところ、直せそうですね」

 私たちは、透明なテープと、慎重な手つきで、その古い星図を修復していった。地味で、時間のかかる作業だったけれど、二人で黙々と手を動かす時間は、不思議と心地よかった。

「昔の人たちも、こうやって、丁寧に記録を残してきたんですね」

「うん。誰かが見てくれるかどうか分からなくても、記録し続けることに、意味があったんだと思う」

 彗の言葉に、私はゆっくりと頷いた。


 その週末、二人で近所の公園を歩いていると、屋台からいい匂いが漂ってきた。

「肉まん、買おうよ」

 彗が嬉しそうに指を差した。

「珍しいですね、彗がそういう提案するの」

「だって、寒いと、あったかいもの食べたくなるでしょ」

 私たちは肉まんを一つ買い、ベンチに座って半分に分けた。

「はい、彗の分」

「ありがとう」

 彗は、湯気の立つ肉まんを、大切そうに両手で包んだ。

「これ、本当に美味しい」

「そんなに大げさに言わなくても」

「ううん、本当に。寒い日に、あったかいものを、誰かと半分こする。それだけで、こんなに幸せな気持ちになれるんだね」

 その言葉に、私は少し胸が痛んだ。

 彼女が語る「幸せ」の基準は、いつもこんなにも、ささやかなものだった。それは、彼女が生きてきた未来が、いかに温かさに乏しいものだったかを、静かに物語っているようだった。

「彗」

「うん?」

「未来に帰ったら、この肉まんの味、覚えていられますか」

 私の問いに、彗は少し驚いたように私を見た。

「覚えてる。絶対に、忘れない」

「本当ですか」

「うん。遥と食べた、全部のものを、覚えておくつもり」

 彗はそう言って、肉まんを一口かじった。

「だから、遥も、覚えててね」

「はい、覚えておきます」

 私たちは、寒空の下で、他愛のない会話を続けながら、その肉まんを食べ終えた。

 平凡で、何でもないはずのその時間が、なぜか胸に深く刻まれていくのを感じた。

              ☆

 残り十四日となったある夜、私たちは屋上で、冬の星座を探していた。

「オリオン座、見つけた」

 彗が指を差した先に、三つ星が並んでいた。

「あ、本当だ」

「あそこの下に、オリオン大星雲があるんだよね。夏に教えてもらった」

「よく覚えてますね」

「遥に教えてもらったことは、全部覚えてる」

 彗はそう言いながら、双眼鏡を覗き込んだ。

「冬の大三角も、探してみようよ」

「はい。おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、それにオリオン座のベテルギウス」

 私たちは、夜空を見上げながら、その三つの星を探していった。

「あった。こっちの明るい星がシリウス」

「一番明るい恒星ですよね」

「うん」

 私たちは、寒さに震えながらも、双眼鏡を交代で覗きながら、冬の星座を確認し続けた。

「彗」

「うん?」

「来年の冬の大三角も、誰かが見てくれるといいですね」

 その言葉を口にした瞬間、私は自分でも驚いた。無意識のうちに、彗がいなくなったあとのことを、考えている自分がいた。

「遥が、見てくれるでしょ」

「そう、ですね」

「一人で見るのは、寂しいかもしれないけど」

 彗の言葉に、私は少し目を伏せた。

「寂しいです。でも」

「でも?」

「彗と一緒に見た冬の星座を、思い出しながら見ようと思います」

 その言葉に、彗は穏やかに微笑んだ。

「うん。そうしてくれたら、嬉しい」

 彼女の声には、これまでにない穏やかさがあった。

「そういえば」

 彗が、ふと思い出したように言った。

「春になったら、またソーダ味のアイス食べようよ」

「こんなに寒いのに、もうアイスの話ですか」

「春なら寒くないでしょ」

「まあ……そうですけど」

「約束ね」

 彗は、いつもの調子で笑った。

「はい。約束です」

             ☆

 その週の別の日、私たちは部室で、いつものように星図を広げていた。

「そういえば、彗」

「うん?」

「この図鑑、まだだいぶ白紙のページが残ってますね」

 私は、あの日から少しずつ書き込んできた星空図鑑を、そっと開いた。

「うん。全部埋めるには、まだまだ時間がかかりそう」

「残り十二日で、どこまで埋められるでしょうか」

 その問いに、彗は少し寂しそうに笑った。

「全部は、埋まらないかもしれないね」

「そうですね」

「でも」

 彗は、図鑑をそっと撫でながら続けた。

「白紙のページが残っても、それでいいと思う」

「どうしてですか」

「未完成なものには、まだ続きがあるってことだから」

 その言葉に、私は不思議な安堵を覚えた。

「私がいなくなったあとも、遥は、このページを埋め続けてくれるでしょ」

「はい」

「だから、全部埋まらなくても、大丈夫」

 彗はそう言って、優しく微笑んだ。


 その日の帰り道、私たちは並んで駅までの道を歩いた。

 街灯の光が、二人の影を、長く伸ばしていた。

「彗」

「うん」

「今日も、何でもない一日でしたね」

「うん、何でもない一日だった」

「でも」

 私は、彼女の横顔を見つめながら続けた。

「こういう何でもない日々が、一番大切なんだって、最近、よく思います」

 彗は、その言葉に頷いた。

「私も、そう思う」

「特別なことをしなくても、彗と一緒にいられる時間そのものが、私にとって、かけがえのないものです」

 その告白に、彗は目を潤ませた。

「遥」

「はい」

「ありがとう」

「何がですか」

「そんなふうに、思ってくれて」

 彗はそう言って、私の手を、そっと握った。

 その温もりを感じながら、私は、残された日々の重さを、改めて噛み締めていた。

 部室の整理。冬の星座観測。肉まんを分け合う時間。

 どれも、これまでと変わらない、平凡な日常の一部だった。

 でも、その一つ一つが、終わりが近づいているという事実によって、これまでにない輝きを帯びていた。

 残り十二日。

 その数字が、日に日に小さくなっていくことを、私は覚悟を持って、受け止めようとしていた。

 彗との時間を、後悔のないように過ごしたい。

 その思いだけが、これから訪れる別れの日まで、私を支え続ける、確かな指針になっていた。

 冬の澄んだ夜空の下、私たちは、これまでよりも一層、お互いの存在を大切に感じながら、残された日々を歩んでいった。

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