第十七話 優しい嘘ばかりだった
その日から数日、私は彗と、うまく顔を合わせることができなくなっていた。
教室が違うから、意識的に避けようとすれば、それほど難しいことではなかった。放課後もすぐに帰ってしまい、部室に寄ることを避けた。
彗からは何度もメッセージが届いたけれど、私はそのどれにも、すぐに返事をすることができなかった。
『遥、大丈夫?』
『今日、部室来ない?』
『心配してる』
画面に並ぶ短い言葉を見るたびに、胸が締め付けられた。彼女を避けたいわけじゃない。ただ、彼女と向き合うことが、今の私には、あまりにもつらかった。
三日目の夜、私はようやく、彗からのメッセージに返事をした。
『明日、部室で話しませんか』
すぐに既読がつき、短い返信が届いた。
『うん。待ってる』
☆
翌日の放課後、私は重い足取りで部室に向かった。
扉を開けると、彗はいつもの席に座って私を待っていた。その表情には、これまで見たことのない、不安げな色が浮かんでいた。
「遥、来てくれて、ありがとう」
「……はい」
私は彼女の向かいに座った。
しばらく、気まずい沈黙が続いた。
「遥、ごめんね」
やがて、彗が先に口を開いた。
「私が、ちゃんと最初から話さなかったから」
「……」
「怒って、当然だと思う」
私は、彼女の謝罪を聞きながら、心の中で渦巻いていた疑問を、ようやく口にする決心をした。
「彗」
「うん」
「一つ、確認したいことがあります」
「なに?」
「前に、『遥はきっと、未来でも星を見てる』って言いましたよね」
その質問に、彗の表情が少し強張った。
「……うん」
「この前、彗が知ってるのは、記録の中の断片だけだって言いましたよね。それなら、前に『遥はきっと、未来でも星を見てる』って言ったのは、本当に未来を知ってて言ったんですか」
私の問いに、彗はしばらく黙り込んだ。
「……正直に、話すね」
彼女は深く息を吸い込んだ。
「未来に残ってる観測記録には、遥が書いた星の記録が、確かに残ってる。日々の天候。星座の観測。そこに込められた、遥自身の言葉」
「はい」
「でも、その記録がいつまで続いたのか。そのあと遥がどんな人生を歩んだのか、私は詳しくは知らないの」
その告白に、私は思わず彼女を見つめた。
「え……」
「記録は、ある年で、途切れてる」
「途切れてる?」
「うん。何年分か記録が残ってるだけで、その後のことは、資料には何も書かれてない」
私は、これまで彼女が語ってきた言葉を思い返した。
「遥はきっと、未来でも星を見てるよ」
あの確信めいた響きを、私はずっと、未来の記録に基づいた言葉だと思っていた。
「じゃあ……『未来でも星を見てる』って言ったのは」
「記録の中に、遥が大学で天文学を学びたいって書いた言葉が、あった。それは、本当」
「でも、実際に進んだかどうかは」
「……分からない」
彗は目を伏せた。
「ごめん。まるで、確かな未来を知ってるみたいに話してたけど、本当は、そこまで確実じゃなかった」
その告白に、私は複雑な感情が渦巻くのを感じた。
「彗」
「うん」
「私に、『遥なら大丈夫』って、何度も言ってましたよね」
「うん、言った」
「それも、根拠のない言葉だったんですか」
彗は、しばらく黙っていた。
「……正直に言うと、そう」
「そんな……」
「でも」
彗は、慌てたように続けた。
「根拠がないわけじゃないの。遥の書いた記録には、確かな強さがあった。困難があっても、それでも星を見続けようとする、強い意志が」
「それだけで、大丈夫だって、言い切れるんですか」
「言い切れない。正直に言うと、言い切れない」
彗は、涙をこらえるように、唇を噛んだ。
「でも私、遥に、少しでも自信を持ってほしかった。遥は、自分に自信がなくて、いつも自分を卑下してたから。だから、確証がなくても、大丈夫だって、言い続けてしまった」
その告白に、私は深い失望と、そして――彼女の不器用な優しさの両方を感じた。
「彗は、いつも、そうやって、優しい嘘ばかりつくんですね」
「遥……」
「来年の約束も、私の未来のことも。全部、私を励ますための、優しい嘘だった」
その言葉に、彗は涙を流し始めた。
「ごめん」
「謝らないでください」
私は、複雑な感情のまま、続けた。
「彗の気持ちは、分かります。私を傷つけたくなかったんですよね。少しでも、明るい気持ちでいてほしかったんですよね」
「うん……」
「でも、私、本当のことが知りたかったんです。たとえそれが、つらい真実だったとしても」
彗は、私の言葉に深く頷いた。
「これからは、ちゃんと、本当のことだけ話す」
「はい」
「もう、優しい嘘は、つかない」
その約束に、私は少しだけ、心が軽くなるのを感じた。
「彗」
「うん」
「私の未来のことは、もう、分からなくていいです」
「え?」
「彗が知ってる、知らないに関係なく、私は、私の意志で、これからの人生を決めていきたい」
その言葉に、彗は驚いたように私を見た。
「彗に言われたから天文学の道に進むんじゃなくて、自分で、本当にそれを望むかどうか、ちゃんと考えたいです」
彗の目に、確かな安堵の色が浮かんだ。
「うん。それが、一番いいと思う」
「それに」
私は、少し声を落として続けた。
「彗がいなくなったあとも、私はちゃんと、自分の足で歩いていかなきゃいけない。誰かが決めた未来じゃなくて、自分で選んだ未来を」
その言葉を口にした瞬間、私は初めて、彗がいなくなるという現実を、正面から受け止めようとしている自分に気づいた。
これまでずっと、その事実から目を逸らそうとしていた。時間移動を止める方法があるはずだと、どこかで奇跡を期待していた。
でも、彗の話を聞くうちに、私はその現実の重さを、少しずつ受け入れ始めていた。
「彗」
「うん」
「残された時間、大切に過ごしたいです」
その言葉に、彗は目を潤ませながら深く頷いた。
「うん。私も、そうしたい」
「もう、嘘はなしで」
「うん、約束する」
その言葉を、私は今度こそ信じたかった。
窓の外は、すっかり夕闇に包まれていた。
私たちは、しばらく無言のまま、その闇を見つめ続けた。
十二月は、もう目前だった。
その事実を胸に刻みながら、私は彗の手を、そっと握った。
今度は、消えることのない、確かな温もりが、そこにあった。
「彗」
「うん」
「一緒に、残された時間を、過ごしましょう」
彗は、穏やかに微笑んだ。




