傷ついた黒鳳凰2
黒鳳凰に運ばれて、鳳翔一行は瞬く間に南陽の広場に到着していた。
賑やかな南陽の中央広場に、突如として大きな黒い鳥と華やかな衣装の一行が出現すると、周囲がたちまち騒然となる。
紫ウサギ侍郎が、ようやく胸を撫で下ろして結界を解いた。
黒鳳凰は、無事鳳翔の命令を遂行した後に、何処へと消えた。
黒華村祭りの参拝客達が、見慣れぬ土地で野次馬達に囲まれながらも、無事に生還出来たことを涙ながらに喜び合っている。
誰もが安堵の息をつき、むせび泣き、抱き合いながら、悪夢は過ぎ去ったのだという開放感に身を任せているその横で。
鳳翔は依然として深刻な表情のまま、矢継ぎ早に各方面への指示を繰り出していた。
「凱帝国に隣接する国境の警備兵達に連絡を! 李洵に早馬で、黄家にも黄華州の兵を出させるように伝えろ! 何としてでも凱帝国の兵を追い出し、早急に例の地下道を封鎖させるんだ! それから、王華府に使いを出して援軍を要請し、同時に銀貨の不正鋳造を含む全ての状況を調査させろ!」
次々と指令を飛ばす彼の様子を眺めていた野次馬達が、鳳翔を見ながら、声をひそめて噂し合う。
「おい、あの強面の兄ちゃん、さっきから近くに居る部下を、『珀探花』って呼んでいないか? ついでにあの熊みたいな奴を、『李将軍』って偉そうに呼んでるけど……」
「李将軍って……確か百華国の左羽林軍将軍じゃなかったっけ?」
「『珀探花』ってやっぱり、あの珀家の息子のことだよな…………?」
「あの若さで、当然のように一甲の官吏と将軍に命令出来るっていうことは、もしかして皇族だとか?」
「皇族にしては、ずいぶんと貧乏くさいが……」
「……あの兄ちゃん、胡人の血が混じってるみたいだけど、まさか鳳翔殿下だったりしないよな……?」
「まさか!」
男の言葉を一笑に付した相棒に向って、彼が言った。
「でも、じゃあ何でさっきから部下達はあの兄ちゃんを、『鳳翔殿下』って呼んでるんだろう……」
「………………」
「………………」
野次馬達の間に、「鳳翔殿下ご来臨」の噂が、さざ波のように広がって行く。
一方で鳳翔は、彼等の好奇の視線など物ともしない様子で、部下達に命じていた。
「紫刑部侍郎、黒華村祭りの参拝客は、すぐにここから船で帰してやれ。ただし、経費の請求は必ず黄家にしろ!」
「御意!」
「李将軍は、即刻南陽で兵を集めて国境へと向かい、国境警備兵達と合流しろ! 凱帝国の兵をこれ以上百華国に侵入させるな!」
「はっ!」
猛亮も、拱手してから動きだす。
「齋御史!」
「はい!」
「彼等とともに船で御龍神山へ戻り、詳しい状況の把握を!」
「承知いたしました!」
「それから、李武状元は齋御史と彼等の護衛につけ!」
「はっ!」
皇太子に拱手して、さっと踵を返した二人の後ろから、思い付いたように鳳翔が声をかけた。
「……齋御史!」
「はっ!」
主に振り向いて再度拱手している春萌に、彼が尋ねた。
「御龍神山の正殿から飛んで行った龍は、二頭いた。黒龍の後を追うようにして飛び去ったあの灰色の龍は、一体何だ」
春萌が、途惑いを露わにして答える。
「私も全く存じません」
「……そうか、分かった」
春萌達が立ち去ると、彼が今度は周囲を見回してから、青慎に尋ねる。
「珀探花、白寿仙はどこだ!」
「それが……南陽に着いてから直ぐに、姿をお消しになられたようです」
「……逃げたな! まあいい、後で探させて、事後処理に協力させろ。それから珀探花は直ちに俺とともに御龍神山の天宮へと戻って、龍状元の捜索を!」
「鳳翔殿下……?!」
せっかく安全地帯まで逃げて来たというのに、麗宝の為に敢えて天宮へと戻ろうとする皇太子を、青慎が驚嘆と感謝の入り混じった瞳で凝視する。
彼の感情を読み取った鳳翔が、しぶしぶ付け足した。
「……龍状元は、俺の筆頭官吏であり龍家の子女だ。ここで見捨てるわけにはいかないからな」
「……殿下のご厚意に深謝いたします!」
国の命運に影響を及ぼす皇太子であれば、当然己の安全を最優先するべきなのだから、皇族としては決して褒められた行動ではない。
彼の官吏としては、思い止まらせるのが筋なのだろう。
けれども、気が狂わんばかりに麗宝の身を案じている青慎は、渡りに船とばかりにこれに便乗した。
いざとなったら、自分一人だけでも麗宝を助けに向おうと思っていた青慎だったが、彼一人が戻ったところで、手も足も出ない可能性の方が高い。
皇太子に同行するとなれば、万が一の時には黒鳳凰を召喚してもらえる。黒鳳凰の傷は心配だけれども、何しろ敵は人間ではないのだ。
それに、麗宝を連れて逃げる際にも、黒鳳凰の助けが必要となるに違いない。
鳳翔が、微かに虹色に輝く黒い羽根を懐から取り出すと言う。
「それでは、善は急げだ。さっさと天宮へ戻るぞ」
「はい!」
彼が、羽根を掲げると命じた。
「黒鳳凰よ、俺と珀探花を今すぐに天宮へと連れ戻せ!」
野次馬達が、好奇心を隠そうともせずに、彼の行動を注視している。
鳳翔が黒鳳凰を使役して天宮へ戻ろうとするなどとは、夢にも思ってはいかった猛亮達が、驚いてこちらを振り返った。
しかし、緊迫した空気はやがて、野次馬達の失笑とともに霧散してゆく――――。
百華国民に畏怖されている黒い神獣は、いくら待っても姿を現さなかった。
(どうして黒鳳凰は現れないんだ――――?!)
青慎が、鳳翔同様に驚愕を露わにしたまま、羽根を凝視している。
広間に集まった群衆達が、口々に囁き始めた。
「何だ、脅かしやがって。何にも起こらないじゃねえか」
「あの羽根はやっぱり、偽物だよな」
「俺、鳳翔殿下は今、黄華州に行啓なさってると聞いたぜ」
「最初っから、おかしいと思ってたんだよ」
彼等の聞えよがしな捨て台詞など耳にも入っていない様子で、鳳翔が再び黒い羽根に向って命じた。
「黒鳳凰よ、今すぐ俺と珀探花を天宮へ連れて行け!」
再び群衆の野次が止み、誰もが固唾を飲んで様子を伺い始める。
けれども、黒華族の守護神獣である漆黒の鳳凰は、その後何度呼ばれても姿を現さなかった。




