表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/72

前玉皇の御名

 鳳翔達が血眼になって、麗宝の行方を探していた頃。

 人界へと逃亡した悠翠と史明は、王華府の郊外にある月華の隠れ家に身をひそめていた。

 主の望み通りに姿を変えるという、天界の貴石で造られたその家は、一見、百華国ではありふれた切妻屋根の建物である。

 けれどもこの家は、かつて月華が張った強固な結界に今も守られているのだ。

結界を通過して屋内に入り、中から『鍵』を開けることが出来るのは、月華と旺諒、そして白龍王と玉皇大帝だけだった。

(さて、これから一体どうしたらいいのだろうか……)

悠翠が、窓越しに遠くの紫龍城を眺めながら、心の中で溜息をつく。

地味な深緑の袍に着替えていた悠翠は、市場で食糧や日用品を調達する為に、既に何度か隠れ家から出かけていたのだが、服と同じくこれといって目立つ特徴もない彼のことを、気に留める者は誰もいなかった。

王たる者としては嘆くべき体たらくなのだろうが、今の彼にとってはこの匿名性が何よりもありがたく思える。

 龍界を去ってから、真直ぐにこの隠れ家へとやって来た時。この家の『鍵』を開けたのは、他でもない珀輝だった。

 半ば予想していたことだったとはいえ、珀輝が月華の結界を通過するのを目にした時のことを思い出すと、今でも心がうち震える。

 珀輝が月華と旺諒の子供だという証拠が、これでまた一つ増えたからだ。

 甥をここに連れて来た最大の目的は果たせた。次は、虎嘯(こしょう)が玉皇の許しを得てこの隠れ家に追手を差し向ける前に、速やかに今後の身の振り方を決めなければならないのだが…………。

 恐らくは玉皇大帝用に用意された極上の寝台で、不敬にも全身泥まみれのまま、死んだように横たわっている珀輝の姿に視線を移した悠翠が、今度は音を出して大きく嘆息した。

 この二日間というもの、珀輝は食事も摂らずにひたすら眠り続けていた。

 悠翠が話しかけても全く無反応で、起きる気配すらも見られない。

 旺劉が崩御したということは、もう疑いようが無い事実だろう。珀輝にもそれは判かっている筈だ。

だからこそ、悠翠には甥がまるで亡き旺劉の後を追おうとしているように思えて、不安でならないのだ。

 どんなに珀輝のことを気にかけていても、悠翠には彼に生きる望みを与えてやることが出来ない。

 この世で唯一、真にそれが可能であったのは、他ならぬ旺劉だったのだから。

 (……このままでは、絶対にまずい……!)

 珀輝にはおそらく、二重の追手が迫っている。

 龍界からは虎嘯が。そして人界では旺李の……。

 自慢ではないが、悠翠は龍としては珀輝と同じくらい非力だ。

 龍界屈指の猛者である彼等に見つかってしまえば、それまでだろう。

 悠翠は月華や旺諒と違い、人界に伝手(つて)が全く無い。

 月華達が懇意にしている『白寿仙』という仙人がどこかに居るとは聞いているが、どうすれば連絡をとれるのかも分からない。

 当面は一番安全であるこの隠れ家にも、いずれ虎嘯の手の者がやって来る。

 焦燥は、刻々と募るばかりだ。

 (一体、どうすれば……?!)

 死人さながらに生気を失い、青い顔で昏睡を続ける珀輝。

 今の彼は、恐らく何よりも死を望んでいる。

 もしもこの先、追手の魔の手が彼を捉えた時。彼は絶望どころか歓喜を持って死を迎え容れるのではないだろうか――――。

 つい頭を横切った不吉な考えに、悠翠の全身が総毛立つ。

 珀輝は旺劉が命と引き換えに守った、旺諒と月華の忘れ形見だ。

 その貴い命の灯し火を、決して自分の代で消させてはならないというのに。

 (……考えろ! 人界には常に、各界から様々な物達が紛れ込んでいる。運が良ければその中には、誰か手を差し伸べてくれる者もいる筈……!)

 だが、当然ながら人界には、各界の貴人だけではなくて、夜伯のような極悪人も逃亡している。

 神獣達にとって人界とは、ある意味、無法地帯も同然なのだ。

しかも、人界に居る神獣には、貴人よりも逃亡者の方が圧倒的に多い。

 そういえば、かくいう自分達も龍界のお訪ね者なのだった、と悠翠がふと自嘲する。

 けれども、夜伯が人界で既に千年以上も逃げ果せていることを思えば、僅かながらに希望も湧いてくるというものだ。

 かつての冥王・夜伯の話は、龍界でも知らぬ者はいない。

 神獣としての神性が低い(みずち)であった夜伯は、前世で先代の女性の玉皇大帝に身分違いの恋をした挙句に振られ、天界に逆恨みをしたまま、自らの命を断った。

 ところが、その後に前世の記憶を持ったまま転生して冥王となった彼は、当時天界で神具を創造していた白銀龍の月華の能力に目を付け、彼女を手に入れて復讐の道具として利用しようとした。

だが、天界の記憶を持ったまま転生してしまった者は、たとえそれが王であっても、まっさらな生のやり直しを強要される。

結局、夜伯は月華に天宮で『天界の記憶持ち』であることを暴かれて、復讐の野望を頓挫させられた挙句に、人界へと逃亡した。

 彼の復讐を阻止したのは、月華と旺諒だ。だから悠翠達は人界では、虎嘯や旺李だけではなく、夜伯にもかち合わないように気をつけなければならない――――。

 夜伯からの逃亡まで考えなくてはならないとは、さすがに予想外だった。

再び大きく嘆息しながら、悠翠がこめかみに手を添えかける。

そして――――ふと何かを思い出して、その手を宙で止めた。

 (そういえば、あの頃の玉皇は、崩御のあかつきには人界へ転生すると自ら決めておられたはず……)

 なぜ、よりによって夜伯の居る人界などへ、と当時はずいぶん話題になったものだが、天界の重鎮達は、それに関しては今も黙したまま語ろうとはしない。

 けれども、悠翠は昔、人界へよくお忍びに出かけていた旺諒から、こっそり教えて貰ったことがあるのだ。

 予定通りに人界に転生した先代の玉皇は、おそらく『天界の記憶持ち』になっているのだと――――。

 『記憶持ち』の判定には、羽根ウサギと呼ばれる感応力が極めて高い天界の神獣が用いられる。

 旺諒は、月華の知己である羽根ウサギからこれを打ち明けられたと言っていた。前世の記憶は深部に巧妙に封じてはあるものの、どうやら何らかのきっかけで思い出せるように細工してあるようだと。

 そして旺諒達は、先代には何か事情があるのかも知れないから、彼女をそっとしておくことに決めた、とも。

 先代の玉皇は、もともとは男性の玉皇大帝が決まるまでの単なる繋ぎとして即位したのだと言われている。

 ところが、彼女の神力は途方も無く強かった上に、彼女自身も予想外に優秀だった為、次第に天界の主として確たる地位を築いていったらしい。

 御代の絶頂にありながら、ある日突然、次代の女性の玉皇大帝に譲位を決めたという、華やかな傾城。

 型破りで情が深いと伝わっている彼女ならば、もしや悠翠達の苦境に手を差し伸べてくれるやも知れない――――。

 悠翠は、まるで祈るような気持ちでそう考えていた。

 若き『白龍王』は、人界で珀輝がどう生きて来たのかを知らなかったから。

 しかも、悠翠達の追手は人ではないのだ。

 だから彼は、珀輝の現世の家族を頼ることはせずに、一縷の望みを賭けて先代の玉皇に助けを求めてみることに決めた。

 彼女の家ならば、きっと直ぐに分かるだろう。

 どういうわけか彼女は、転生先の家として白龍の子孫を選んだのだから。

そして、以来ずっと、彼女はその一族の間に転生を繰り返してるという。

 人界で『龍家』といえば、この百華国で一、二を争う名家だそうだ。邸宅はあの紫龍城の近くだと聞いているから、探すのにそう手間はかかるまい。

 彼女はまるで何かの目印でも残そうかとしているかのように、転生後も頑なに本来の名前を継承させるように決めておいたらしい。

 まるで人界に潜む夜伯に向って、「自分はここに居る」と大声で宣言してでもいるかのように――――。

 出来ることなら彼女をそっとしておいてあげたい。けれども、甥の珀輝だけは何としてでも守らなければならない。

 僅かな希望と少しの後ろめたさを覚えながら、悠翠は己の決意を確かめるかの如くに彼女の名前を口にしてみた。

 「確か先代の御名(ぎょめい)は……そう、『(しゅん)(らん)』だった……」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ