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黒龍の最期

「この……声は……!」

虎嘯が、我知らず呻いていた。

千年もの時を経て変わってはいるものの、それは紛れもなく本物の白龍王の声だった。

黒龍が、胴に深々と突き刺さる神矢を両手で二つに折り、苦悶の咆哮を上げながら、自力で矢じりを抜き取った。

どす黒い血飛沫が、周囲を赤黒く染め上げてゆく。

「……旺劉!」

ゆっくりと、力尽きたように倒れ落ちる彼を守るかのように、またしても史明がその体に抱きついた。

「そんな……馬鹿な……」

紛れもない主の声を耳にした虎嘯が、尚も呆然とその場で呟いた。

彼が旺劉の声を聞き間違えるわけがない。

だがその声は、こともあろうに目の前の黒龍から発せられたのだ。

((珀輝……逃げよ……))

「嫌だ! 我はもう二度と旺劉から離れぬ!」

まだ旺劉が真の白龍王であった頃。史明にとって養父の命令は絶対だった。

けれども今史明は、旺劉の命令に全身全霊で抗っている。

その横で悠翠が、皆よりも一足先に冷静さを取り戻していた。

史明の肩に手をやった彼が、耳元で虎嘯に聞こえぬように囁く。

「今のうちにここから逃げるんだ、珀輝! 旺劉兄上は私が責任を持って守ると約束するから」

「だが、今離れれば、我は二度と旺劉に会えぬかも知れぬ!」

「それでも、だ。私も兄上も、君に生き延びて欲しいと願っている」

((珀輝……逃げよ……早く…………))

「さあ、早く!」

「旺劉……!」

史明を無理矢理促して、近くの『門』へと連れて行く悠翠を、ようやく我に返った虎嘯が呼び止めようとした。

「待たれい! どこへ行かれまする?!」

将軍の声に振り向きもせず、ますます足早になった悠翠が、ひきずるようにして史明を『門』へとひっ立てる。

「龍軍よ、逃がすな! 罪人を逃すというのならば、例え悠翠殿下であっても容赦はいたしませぬ! 全軍、矢を構えよ! 罪人を討ち取れ!」

虎嘯の命令に、龍軍からどよめきが起こる。

例え内心ではお飾りだと思っていたとしても、悠翠は正真正銘の白龍の王なのだ。

戸惑う龍軍の兵達に向けて、大将軍が叱咤するかの如くに号令する。

「全軍、構え!」

周囲の兵達と顔を見合せながら、それでも程無く半数以上の兵士達が、矢を構えた。

「標的が『門』を出る前に仕留めよ! 全軍、討て……!」

((止めよ、虎嘯!))

黒龍の咆哮が、今度ははっきりと兵達の耳にも伝わった。

驚く兵達の視線を一身に集めた黒龍が、まるでその瞬間を待ちかまえていたかの様な絶妙なタイミングで、ふいに人形(ひとがた)へと姿を変えた。


兵達や、遠巻きに事態を眺めていた、龍宮の宮廷龍達の間に、驚愕の喧騒が沸き起こる。

彼等の眼前に姿を現したのは。

千年ものあいだ行方を捜していたかつての白龍王の、みじめに変わり果てた姿だった。

「旺劉……!」

後方で何が起こっているかを察知した史明を、悠翠が容赦なくせき立てる。

二人とも、なぜ旺劉が今、力を振り絞って人形に変身したのかを、瞬時に悟っていた。

旺劉はおそらく、スキャンダルを承知で敢えて人形になり、皆の前にその姿を曝したのだ。

黒龍として龍界へと舞い戻って来た、かつての白龍王の無惨な姿が衆目を集めている間に、養い子が無事『門』まで辿りつける時間を稼げるようにと。

だがその行為が、虎嘯に対しては決定的に仇となった。

(我が主はもう、かつての誇り高き白龍王ではない――――!)

彼が心酔していたあの輝かしい高貴な王は、人界で黒龍にされてしまった時点で、もう崩御していたのだ。

少なくとも、今目の前にいる、この哀れに変わり果てたみじめな姿の男は、かつて彼を心服させたあの白龍王ではない。

敬愛してやまなかった誇り高き王の、かつての尊厳を傷つけるような真似だけは、どうあっても許せなかった。

皆の視線を可能な限り集めるべく、残された力を振り絞って必死に立ち上がった旺劉に近付くと、彼が瞑目して囁いた。

「さらばだ、我が白龍王よ!」

そして虎嘯は、地に落ちていた長剣をおもむろに拾い上げると。

次の瞬間。裂帛(れっぱく)の気合いとともに、いきなり力任せに旺劉を斬り付けた。

肉を斬り骨を断つ鈍い音が、彼の鼓膜を震わせた後。

ゆっくりと傾いた亡骸が、ドサリと音を立てて崩れ落ちた。

今度こそ無言のまま絶命し、地に落ちた旺劉を見下ろしながら、虎嘯が龍軍に告げる。

「白龍王は既に珀輝に殺され、黒龍にされて操られていた! 王を(しい)した珀輝を逃がすな!」

(何だって――?!)

悠翠が、己の耳を疑った。

チラリと後方を見やると、倒れている旺劉が目に入る。

まさか、旺劉は本当に殺されてしまったとでもいうのだろうか……?!

(一体、何が起こっているんだ?!)

しかも虎嘯は、とんでもない濡れ衣を珀輝に被せている。

そんな暴挙が、許されていい筈がない。

龍宮から少し離れた、『貴龍門』と呼ばれる門を開いていた史明も、背後の異変を察知して、足を止めてしまった。

「本当に……旺劉が――――?!」

普段は無表情な史明の瞳に、明らかな恐怖の色が浮かんでいる。

(しまった、珀輝が――!)

「珀輝、止まるな! 早く門を抜けるんだ!」

後方に、兵達の軍靴の音が迫って来たかと思うと、虎嘯の号令が周囲に轟いた。

「全軍、討て――!」

「旺劉!」

地に伏している旺劉の姿に、史明が目を止めた。

悠翠に腕を掴まれている彼が、討伐の号令にも係わらず、旺劉の許へと戻ろうとして暴れ出す。

「行くんだ、珀輝!」

悠翠がすかさず結界を張って矢を防ぐ。

そして、彼の手を振りほどこうと狂ったようにもがく甥を、無理矢理門の向こうへ蹴り落とすと、ただちに自分も人界へと逃げるべく後に続いた。


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