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白龍姫の再婚

御龍神山(ごりゅうしんざん)の本宮で、青慎は独り、夢と現の間を彷徨(さまよ)っていた。

眼前では、結界の外へと歩き出した史明を呼び戻すべく、麗宝達が口々に彼の背中に向って叫んでいる。

『黒龍は何としてでも我が止める』

そう宣言した史明の声が、現にとどまっている彼の意識の欠片を、ほんの束の間呼び覚ました。

(デモ、イッタイドウヤッテ……?)

だが、直後に再び青慎の意識は、彼が引き止めるべき後姿をぼんやりと瞳に映し出したまま、神鐘が見せた幻の世界の残滓(ざんし)へと、引きずられるように戻って行く。

先ほど体験させられた、『魂の奥に刻まれた最も辛い記憶』というものが、繰り返し彼の脳裏に再現されては消えて行った。

(麗宝……)

夢の中で彼は、珀家の豪奢な本邸の寝室に居た。

それが珀家の邸であると知っていたのは、『彼』自身がその屋敷に住んでいる次期当主だったから。

仄かな灯りと柔らかな寝具。微かに媚薬の香りが漂う部屋の窓を閉めると、眼の前に佇む、麗宝に良く似た面差しの美しい女性の名を、切なげに彼が呼ぶ。

『愛している、宝珠(ほうじゅ)……』

かつて珀家に居た、宝珠という名の女性といえば。

ただ一人、(はく)(りゅう)()だけだ。

彼が今目の当たりにしている光景は、白龍姫とその再婚相手・(はく)(ぶん)(えい)の初夜だった。

寝台に座って彼を待つ宝珠の傍へ進むと、文英は天蓋から優美に下ろされた羽衣の如き帳を、片手でふわりと閉ざした。

晩秋の月明りに輪郭を照らし出された、薄絹の夜着を身に纏う幼馴染の姿に、彼の心臓がトクンと甘美な音を立てる。

寝台に並んで腰掛けている彼女の、頬にかかった長い髪を、文英である青慎がそっと右手でよけると、そのまま優しく手を滑らせて、柔らかな頬を愛撫してゆく。

熱を帯びた瞳で真直ぐに彼女を見詰める彼の面が、ゆっくりと彼女に近付き始めた。

いつの間にかその花顔を包み込んでいた両手が、彼女の頬から首へ、そして背中へと回されている。

生涯ただ一人の女性として、求めて止まなかった宝珠の肢体。

白華帝の妻となってからの彼女には、指一本触れることすら許されぬまま、頑なに他の女性を拒み続けて来た文英の腕が、今は悦びのあまりに微かに震えている。

『愛している……ずっと君だけを』

先ほどから何かを言いたげに彼を見詰め返していた白龍姫の瞳が、一瞬、泣きだしそうに歪んだ気がした。

たおやかな腰を抱き寄せる手に静かに力を込めて、ゆっくりと唇を近付けたその時。

ふいに白龍姫の蠱惑的な紅唇が開いたかと思うと、苦しげな声音が静まり返った部屋に響いた。

『ごめんなさい、文英』

気が付くと彼の胸には、彼女の両手がこれ以上の接近を拒むかの如くに、そっと添えられていた。

彼の心情に気は遣いながらも、ここまで来てすら明白な拒絶の意志を示されたことに唖然としつつ、腰に回した彼の手に一層の力が込められる。

『宝珠…………』

やはり彼女はまだ、黒鳳凰と化してしまった白華帝が忘れられないのだろう。

己の腕の中に居る彼女の身も心も手に入れたいと、魂の奥底から渇望しながらも。

冷静さを取り戻すべく深く息を吸うと、束の間、更に強く彼女を抱き締めた後に彼は言った。

『白華帝を忘れられないというのなら、無理はしなくてもいいよ。僕はいつか君が僕を夫として受け容れてくれる日が来るまで、待つつもりでいるから』

だが、彼のその言葉を耳にした宝珠は、ますます憂いを深めると、微かに潤んだ瞳で首を振った。

『もちろん、私はまだ(てん)(ろう)を愛しているわ。例え彼が本当に黒鳳凰となっていたとしても、その気持ちはきっと一生変わらない……でも、私が今あなたと夫婦になれないのは、それだけが理由ではないの』

『え……?』

予想外の返答に戸惑う彼の手から力が抜けると、今度は彼女のほうが彼の背中に手を回して、悲しげにぎゅっと抱きしめた。

『大好きよ、文英。あなたの立場ならば、力づくで私を妻にすることだって出来るのに、ちゃんと私の気持ちを尊重してくれるあなたが、この世で二番目に好き。もしも天狼と出会わなかったら、私はきっとあなたの妻になっていたとも思うわ』

『それなら、どうして……?!』

悲痛な声を上げて問い詰める彼の瞳から、気まずそうに目を逸らすと、彼女は呟いた。

『……無理なの、もう。私が人間の男と結ばれることは、二度とないの』

『何で、君はそんな風に思い込んでいるの?』

『思い込みじゃなくて、本当に出来ないのよ。私は白龍と血の契約を結んだから』

『血の契約……?』

『私の体には今、白龍の血が流れているの』

『何だって?! 一体なぜそんなことに……?!』

『誰もが白華族の皇后である私をむりやり(めと)って、白華帝の地位を継承しようと狙っているからよ……だから…………』

あまりのことに動揺しながらも、彼がぎこちなく彼女から視線を逸らした。

彼の珀家は正にその為に、彼女の意志に反して強引に、宝珠を文英の妻に迎えたのだったから。

そして彼自身も、愛する彼女を他の男に奪われるのを恐れるが故に、珀家の提案に同意した。

罪悪感を隠せないでいる彼が、苦しげに彼女に訊ねる。

『僕を……恨んでいる?』

宝珠がおもむろに首を横に振る。

憐憫(れんびん)と自嘲、希望と諦念(ていねん)が混在したような様子で彼女が告げた。

『大丈夫よ、文英を恨んでなんかいないわ。むしろ他の男に嫁がされるくらいなら、迷わずあなたを選んだはずよ』

『だったら、なぜ……?!』

『私は、今でも狂おしいくらいに天狼を愛しているの……だからこそ私は、白龍と婚姻の契約を結んだのよ。人間にはもう誰も、私を真に妻として手に入れることが出来ないように』



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