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放たれた黒龍3

龍宮の壮麗な謁見の間で、間者からの報告を聞いたばかりの白龍の『王』・(ゆう)(すい)は、大きく溜息をついていた。

(旺劉兄上も、旺李も珀輝も、一体どうしているのだろう……)

彼が旺劉の代理として王の政務を執り始めてから、既に千年程が過ぎていた。けれども未だに、金糸銀糸をふんだんに使用した豪奢な御衣(ぎょい)も、龍の透かし彫りを施された翡翠の玉座も、薄茶の猫毛に細目の冴えない青年といった風貌である彼には、どう贔屓目に己を見ても豚に真珠という気がしてならない。

上にはまだ他の兄達が居たのに、貴い白龍の血統を理由に王として祭り上げられかけた当時を振り返ると、今でも自分がこの玉座を預かるに相応しいという自信は皆無だ。

(私は別に、旺李がそのまま王位を継承しても、構わなかったというのに……)

世の中、本当に上手くいかないものだ。

偉大な白龍王の代わりなど、凡庸で若輩者の彼に勤まる訳が無かった。即位は固辞して代理という形で玉座を継承した時の気持ちは、今でも全く変わらない。

ごく平凡ではあるが、穏やかで和を重んじる悠翠は、己が凡才であると自覚している故に、謙虚に他人の意見に耳を傾けて来た。ここまで自分が何とか白龍王の代理を務めてこられたのも皆、龍界の優秀な臣達の助言と手助けのお蔭だと、彼はしみじみ感謝する。

玉座を一日も早く正統な王のもとへ返上したいのは、やまやまだ。

けれども……。

(旺劉兄上は、本当にまだ生きておられるのだろうか。もしや…………?!)

喉元まで出かかっていた疑問を、かろうじて理性で飲み下す。

これまでにも、公の捜索とは別に、彼個人の間者を使って旺劉達の行方を探して来た。

今回も特に収穫があった訳ではない。けれども、一つだけ気になる情報が手に入り、彼の憂慮が深くなる。

『人界で、蓮青を目撃した者が居る』

間者は確かにそう言った。

蓮青といえば、投獄されていた旺李を逃がしたという、白龍王の懐刀だ。

蓮青は、最も貴い白龍の子孫を主として選ぶ。

彼が旺劉ではなく旺李の為に働いたということはつまり、恐らくは旺劉の死を意味している。例え我が子であろうと、あの清廉潔白な旺劉が罪人を不正に逃すなどということは、考えられないからだ。

そして蓮青が人界に居るということは、旺李もそこに居る可能性が極めて高い。父を恨んでいたという彼が、旺劉と同じく人界に居るのであれば、旺劉の死に彼が関係しているという疑いも、当然ながら頭をもたげて来る。

(旺劉兄上も、旺諒兄上も、旺李も珀輝も皆、人界で行方を晦ませている――――人界には一体、何があるというのだろう)

人界で行方を晦ました者といえば、元冥王の()(はく)が有名だ。

希代の悪人である彼は、前世では女性の(ぎょく)(こう)大帝(たいてい)に付き纏ったことが原因で、天界を追放されている。前世の記憶を保持したまま生まれ変わり、禁忌とされる『天界の記憶持ち』となっていた彼は、天界への恨みを晴らす為に月華を利用しようと考えた。

彼は旺諒の命を盾に月華を脅して、彼女から婚姻の同意を得ることに成功したが、『天界の記憶持ち』であることが発覚して天界から処分されそうになり、挙句の果てに彼女を人質にして天宮からの逃走を試みた。

その後は一時拘束されたものの、天宮から冥界へ護送される途中で逐電ちくでんした夜伯は、人界へと姿を消した。彼が使っていたという、他者を意のままに操れる神鐘の行方も、結局不明のままらしい。

(そういえば、旺諒兄上は夜伯にかなり恨まれていた筈だ)

旺諒は、恋人であった月華が試作した『龍陽爆弾』を使って夜伯を足止めし、結果として彼はその場で天宮の近衛達に捉えられた。

(そして当の旺諒兄上はその後、同じく人界で突然消息を絶っている――――)

これも単なる偶然なのだろうか。

思索の深淵に沈んだ彼に向って、おもむろに近従が新たな謁見者である青龍の名を恭しく読み上げた。

芸術的な龍の彫刻が施された重厚な黒檀の扉が開き、龍軍の大将軍である(らん)虎嘯(こしょう)が、彼の御前に進み出て礼をとる。

旺劉を思い起こさせる堂々たる体躯に、悠翠よりも遥かに威厳のある、王の如き風貌。前白龍王であった父の代からの忠臣は、その髪と髭の色こそ白くなったものの、猛虎を彷彿とさせる眼光と身のこなしは未だに健在だ。

儀礼的な挨拶を一通り終えると、虎嘯が悠翠に訊ねた。

「先程、悠翠殿下の間者とすれ違いましたが、何か新しい情報はおありでしたかな?」

悠翠が、まるで闇打ちにでも遭った様な顔で口ごもった。

虎嘯は昔堅気の忠臣だ。父の白龍王が逝去した後は、父に生き映しだった旺劉を主と決めた。以来、旺劉が行方知れずになってから千年もの時が過ぎても、その忠誠心は変わらない。

将軍は旺劉だけを「陛下」と呼び、悠翠を「殿下」と呼ぶ。悠翠は『自分はあくまでも王の代理だ』と思っているので気にしていないが、それほどまでにはっきりと虎嘯は、己の主が誰であるかを周囲に主張している。

だが、『白龍王』が返事に詰まったのは、『殿下』と呼ばれたことが原因ではなかった。

(もしも私がここで蓮青のことを告げたら、虎嘯はどう思うだろう)

人界で蓮青を目撃した者がいるという情報は、将軍にとってはある意味、一番恐れていた結果を彷彿させる筈だ。

旺李は単に主の継嗣であったというだけではなく、武芸においては虎嘯が目にかけていた、紛れも無い優秀な弟子だった。この報せに彼が心を痛めない訳が無い。

(彼に打ち明けるのは、もう少し確実な情報が手に入ってからの方が良いのだろうか……)

けれどもそれでは、父の代からのこの忠臣に失礼にはなるまいか。

ぐだぐだと止め処も無く思案していた悠翠に、虎嘯が一喝した。

「殿下におかれましてはいつもの様に、余計な心配をしておられるのではと拝察いたしますが……某への気遣いは無用でございます」

(うっ…………!)

この老人は、何でいつもこんなに鋭いのだろう。

もう自分も結構な年齢になるのに、まるで子供に戻った様な気になりながら悠翠が白状する。

「……人界で蓮青を目撃した者がいるそうです」

ほんの一瞬だけ顔色を変えた将軍が、冷静に呟いた。

「……そうでしたか」

まるで何事も無かったかのように、彼が続ける。

「本日は辞職の嘆願の為に伺ったのですが、それでは益々(それがし)は、龍軍を去らねばならないようですな」

「辞職ですか?! 何故こんなに急に?!」

「拙宅でも先日家人が同じ情報を入手しまして、一度自ら人界へ出向く必要があると考えておりました」

「そうですか……」

(……私はあくまでも白龍王の代理でしかない。やはり彼にとっては、役不足な者に仕えることが我慢ならないのだろうか……?)

沈痛な面持ちでそう俯く悠翠の心を見透かしたかの様に、再び将軍が叱咤した。

「それが余計な心配だというのです! 確かに(それがし)の主は旺劉陛下ただお一人ですが、それは決して殿下のこれまでの功績を蔑にするということではありませぬ! 殿下は立派に白龍王の代理を務めておられます。恐らくは龍界の誰もが期待していた以上に。貴方様はそれを誇りに思われて堂々としておられれば良いのです! ……今だからこそ申し上げますが、某は殿下が王代理に就任された当初など、陛下の代理が旺諒殿下にならずに済んで、胸を撫で下ろしておりましたというのに」

天真爛漫な旺諒にとことん振り回されていた、堅物の将軍が本音を漏らすと、悠翠が思わず軽く吹き出した。

(そういえば、昔、旺諒兄上は嫌いな武術の鍛練をしょっちゅうサボって、いつも虎嘯に怒られていたっけ)

ある日偶然耳にした彼等の会話は、今でもよく覚えている。

「旺諒殿下! 旺劉殿下に万が一のことがあれば、血筋からすれば殿下が白龍王となられるのですぞ! 武芸をおろそかにしてはなりませぬ!」

「いや、俺バカだから。王になる気なんか全然無いから」

「馬鹿なら某が気合で治して差し上げます!」

「それって、気合で治せるもんなの?!」

すったもんだの挙句に、最後はたまりかねた旺諒が、「牛と鶏が音を上げた。『もう、結構―!』」とダジャレを残して逃走した。

それでもまだ諦めきれなかった虎嘯は、たまたまその場に居合わせた旺諒の恋人・月華に「旺諒殿下を何とかして欲しい」と、憤然とした表情のまま直訴したのだが――――。

この時、白龍王よりも貴い白銀龍の月華は、彼の顔を一瞥すると、無表情のままぼそりとこう呟いた。

「……『お金が怖がった。おっかねえ』」

「…………………………」

彼女のダジャレが本当は何を意図していたのかは、本人にしか分からない。別に虎嘯のことをおっかないと言った訳では無いのかもしれない。

けれども、それきり一言も喋らずに、能面のまま無言を通した超天才の佳人に対して、老将はどう反応して良いのか分からずに珍しく狼狽し――――常勝将軍の彼にしてみれば不名誉な、大きな黒星を記録する破目になってしまった。

(あの時の虎嘯の顔といったら……!)

元々、女子供には紳士的どころかからっきし弱い虎嘯だ。恐らく白旗を挙げて退散するのは、月華相手に限ったことではないのだろうが。

馬鹿と超天才という不思議な組み合わせでありながら、妙に似合いだったカップルを懐かしみつつも、悠翠は老将に言った。

「それでは、私が藍将軍に兄上達の捜査を依頼する、という形にしてはどうでしょうか」

「しかし、いつ帰るとも分からぬ旅となるかも知れませぬ」

「では期限は決めませんから、帰還の時期は将軍がご自分で判断して下さって構いません。藍将軍を失うのは、龍界にとっても大きな損失です。返事は後日で大丈夫ですから、再度ご検討なさって下さい」

「……承知つかまつりました」

一礼して退出しようと踵を返した虎嘯の背中に、ふと悠翠が声をかけた。



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