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復讐の幕開け

冷静沈着な神長官らしからぬ行動を、鋭い目つきで眺めながら、鳳翔がにやりと嗤う。

「どうやら烏賊契で正解だったようだな。 その証文は検証の為にこちらに引き渡して貰おうか」

だが神長官は素早く証文を懐にしまい込むと、いまいましげに毒を吐く。

「全く、あの大祝(おおほうり)といい、範勝殿といい……諦めの悪いことですね。 見苦しい」

彼の言葉に、即座に春萌が反応した。

「大祝を……父をどうなさったんですか?!」

「齋家の者は白龍の子孫です。 情の深い白龍を脅しつけるには必要な存在だったのですが、千年祭が済めば用は無くなりますから。 人質にはもう一人の大祝がいますしね。 それに彼は、凱帝国の金貨をこっそりと、黄皇后にお渡しした黒華村の金貨に忍ばせる等、問題ばかり起こしていましたので」

厄介払いをしました、と平然と答える彼を無念に睨み付けながらも、頭の隅で春萌は考えていた。

(父様が、凱帝国の金貨を……?!)

ではもしや、黄皇后が後宮で所持していた(すいぎん)付きの金貨にも、凱帝国の金貨が混ざっていたのだろうか。

春萌は意を決すると、これまで訊ねたかった問いを神長官にぶつけた。

「あなたが……父を殺したんですか?」

「人聞きの悪い。 ここは凱帝国の領土ですよ。 法は私の味方です」

神長官は彼の問いに直接は答えなかったが、己の行動を正当化する如くの返答は、真実を察するには十分だった。

(やはり獄吏様が、口封じの為に父様を殺したんだ……!)

黒華村の亡霊達の中には、神長官以外の三官(みかん)(ほうり)が混ざっていた。

彼等もまた、黄家の縁戚でありながら、口封じの為に殺害されたに違いない。

震える拳をきつく握りしめる春萌の傍で、麗宝が鳳翔に話しかけた。

「鳳翔殿下。 私が解決したとされています、金貨横領事件を覚えていらっしゃいますか?」

「何だ、こんな時に?」

「あの時、事件は黄家の自白という形で幕を閉じましたけれども、私、あれからずっと気になっていましたの。 後宮に運ばれていた金貨だけでも五千枚以上はありましたのに、あの方法では横領した金貨の総数が少なすぎるのですもの」

「つまり、あれは金貨の不正鋳造が発覚しない為に、黄家が苦し紛れについた()(くら)ましの作り話だったと?」

「今となっては、そう考えた方が自然ですわ」

「おい、範勝!」

「ひいっ!」

「お前はこの件に関しても大事な生き証人だ。 後でじっくり吐いてもらうからな!」

鳳翔達の会話を全て耳にしていた神長官が、ゆっくりと右手を挙げながら嗤笑(ししょう)する。

「その必要はありません。 貴方がたには今直ぐにここで消えて頂くのですから」

彼の合図を機に、兵士達が一斉に鞘から刀を抜いた。

(まずい!)

鳳翔達の間にさっと緊張が走る。

「一人たりとも生かしておくな!」

恐れていた神長官の処刑の号令が、とうとう境内に木霊した。




麗宝達が一足先に正門へと駆けて行った後。

独り傭兵達の間に取り残された史明は、淡々と彼等を催眠状態から覚醒させるべく働いていた。

次々に目を覚まして行く彼等は皆、いつの間にか己が見知らぬ山中に立ち尽くしていることに戸惑っている様子だ。

かなり適当ながらも、一応瘴気から一行を守るだけの結界も張って置いた。

三百人もの傭兵達を覚醒させ終えた後。 さすがに少々疲れを覚えた史明は、階段に腰を降ろすと、残りの物見客を眺めながら思案していた。

(さて、彼等のことはどうするかのう)

史明がそうしている間にも、一行は黙々と大門を通過して、正殿の正面へと集められつつある。

彼が神山へ入山して以来纏わり付いている視線の主も、今だにどこからか彼のことを観察している様子だ。

(我を殺したいのならば、いつでも来るがよい)

白龍王や白龍姫が居なければ、とうの昔に無くなっていたこの命だ。

残される麗宝や春蘭のことは気掛かりではあるが、今更惜しくなどは無い。

それよりも、彼が心底気になっているのは……。

(この天宮の正殿に、旺劉が居るのかも知れぬ)

その推測は、執拗に彼に纏わり付く視線の主の性格を(かんが)みる度に、確信へと変わって行った。

旺劉はあの時からずっとここに居たのだろう。

だが今は恐らく、当時の輝く雪片を全身に纏ったような美しい白龍ではなく、周囲に穢れを撒き散らす忌まわしい黒龍として。

重い腰を上げて朱塗りの正門に近付くと、直ぐに人面樹の耳障りな笑い声が聞こえて来た。

横目でちらりとそれを見遣った史明が、結界の中から一言「五月蠅(うるさ)い」と呟くと、まるで彼の声に穢れが浄化されたかの如くに、瘴気を放つ大樹がたちまち枯れて行く。

どういうわけか昔から彼は、穢れを払うのが得意だ。

結界を張るのも龍界の誰より上手かった為に、ひ弱な灰白色の小龍は、幾度となくこれで旺李達の攻撃から身を守って来た。

だが、相手が龍ならば、勿論彼の結界も万能ではない。

特に旺李自慢の神剣は、龍界で彼の結界を破るのに大いに活躍していた。

(旺李……)

旺李は横柄で鼻持ちならない奴ではあったが、幼い頃から白龍王の後継者となるべく誰よりも努力を重ねていた。

その彼が龍界を追われ、人界に落ちのびて行ったとしたら。

彼は一体ここで何をしようとするのだろうか……。

重い足どりで境内に入ると、中央に集められた一行の周囲を、濃い緑の衣を纏った、異質な風貌の男達が囲んでいるのが視界に映った。

先程から思索に耽りながらも、境内の会話だけはしっかりと地獄耳で聞いていた史明だ。 大まかな状況の把握は出来ている。

殺気立った兵士達が、今にも一行を襲いかかろうと身構えた時。

全身に白装束を纏った神官らしき男の命令が、境内に(とどろ)いた。

「一人たりとも生かしておくな!」

(成程。 生贄兼、口封じとは合理的だのう)

すぐさま結界の強度を上げ、兵士達の攻撃を物理的にもブロックする。

刃を振り下ろした兵士達が結界の防御に弾かれて、驚愕の眼差しで鳳翔達を凝視した。

白装束の男が史明の結界強化に気付くと、忌々しげに舌打ちをした。

今まで御龍神山に結界を張って来たのは、恐らく彼だったのだろう。

その彼が今度は、史明の結界を破ろうと猛烈な攻撃を仕掛けて来た。

史明の結界は、普通の人間に破れるような代物では無い。

ところが彼の攻撃は、少なくとも結界の強度を弱める程度には、効を奏していた。

(これは……?!)

この攻撃の手法には覚えがある。

史明は確認するかのように、今一度、白装束の男の顔を眺めた。

鉤鉤鼻で冷血な獄卒のような風貌のその男に、史明は奇妙な既視感を感じていたのだ。

長い年月を経ても尚、見紛(みまごう)うことなきその特徴的な容姿は。

龍界で常に旺李の傍に侍って居た、赤龍の姜乎(きょうか)だった。

彼がここに神官として在る理由は、唯一つしか思い浮かばない。

恐らくは、史明が御龍教の存在を知って以来、ずっと危惧し続けていた通りに。

旺李が、背後に居るのだ。

姜乎の存在が、気の遠くなる程長い時を掛けて、御龍神山に捕らわれていた旺劉を黒龍に仕立て上げて来たのは、他でも無い旺李だったという確証を史明にもたらした。

(旺李! そなたは何ということを……!)

確かに旺劉は、長子である旺李には、他の誰に対してよりも厳しく接していたかも知れない。

王の最も有望な継嗣として甘やかされていた旺李にとって、潔癖なまでに公正な白龍王の仕打ちは、不当に酷なものに思えていたのかも知れない。

それでも史明の目から見れば、旺劉は紛れも無く彼のことも大切に慈しんでいたというのに。

「旺劉……!」

白龍王の胸中を忖度(そんたく)し、微かに顔を歪めた史明の耳に、神山の入り口で聴いた、澄んだ鐘の音が響いて来た。

((リィィィィィン……リィィィィィン……))

鳳翔達の動きが、ふいに止まった。

虚ろな顔で立ち尽くしている彼等の様子に、史明が表情を硬くする。

(我の結界を難なく通過するとは……この鐘はもしや神具なのでは?!)

鐘の音と交錯するように、怨嗟に満ちた男の声が頭に直接命令して来た。

((殺せ、百華国の戦士達。 先ずは参拝者達からだ))

(これは……旺李の声だ!)

あの旺李の声を、史明が聞き間違える訳が無い。

旺李は今、どこに居るのか。

視線を素早く巡らせると、正殿へと上がる(きざはし)に、西域風の白い衣装を纏った偉丈夫(いじょうふ)がこちらを凝視しているのに気が付いた。

白皙に黒髪の、白龍王の面影を宿した堂々たる風貌。

年を経て益々旺劉に似て来る彼は、その苛烈で残忍な双眸(そうぼう)にさえ気付かなければ、つい魅入られてしまいそうになる程、王と呼ばれるに相応しい。

間違い無く旺李だ。

彼の手には、神鐘らしき銀色の鐘が握られている。

史明の視線が、彼のそれと交差した。

それまで彼に纏わり付いていた視線が、今は正面から彼を射抜いている。

先程からずっと感じていた視線の主は、やはり旺李だったのだ。

((リィィィィィン……))

旺李が無造作に鐘をもう一振りする。

((殺せ!))

(まずい。 鐘の音を止めねば……!)

だが史明には、旺李を制止する間すら与えられないまま。

彼の結界の中で、猛亮達が各々の武器を手にしたまま、ゆっくりと参拝の一行に向き直った。


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