金貨鋳造の真の罠と烏賊契
二人の会話に、周りの傭兵達と兵士達が、息を顰めて耳を傾けている。
鳳翔が食い入るようにその証文を凝視していた時。
彼等の間に突然、連行する兵士達を突き飛ばした範勝が転がり込んで来た。
素早く状況を理解した鳳翔が猿轡を外してやると、範勝が声高に訴え始める。
「鳳翔殿下! そちらの証文は偽物です! 署名と捺印は確かに故皇后様の物ですが、生前、皇后様は文面には全く覚えが無いと断言なさって、何度も凱帝国に抗議しておられました!」
だが、鳳翔も麗宝達も、範勝の話を真に受けない程度には、黄華族と故黄皇后の野心による被害を受けている。
母親似の派手な風貌の範勝を、無言のまま見ている彼等の前で、再び兵士達が彼を捕らえた。
押さえ付けられた範勝が、再び猿轡をはめられそうになって、必死に足掻いている。
ようやく鳳翔が、重い口を開いた。
「待て。 お前に聞きたい事がある。 故黄皇后の署名と捺印が本物ならば、実際に彼女は何かしらの書面に承諾している筈だ。 彼女が一体何を承諾したのか、知っているなら教えろ」
範勝が、ここぞとばかりに訴える。
「四年前、御龍祭をご覧になる為に、凱帝国の皇太子様がお忍びで黄華州をご訪問なさりたいとおっしゃったのです! そして万が一見付かってしまった時にも、捕縛される心配無く祭りをお楽しみになりたいと。 この件は、皇后様から御相談を受けておられた陛下もご存知の筈です。 皇后様が凱帝国に対して黄家の当主印を使用されましたのは、あの時の一度だけでございます!」
「成程な……」
この奇妙な一件は、確かに鳳翔の記憶にも残っている。
百華国の皇帝自ら、国交を断絶している凱帝国の皇太子に正式な許可など与えられる訳も無い。 けれども故黄皇后の強い要請があった為に、黄家が独断で招待するのを陛下が黙認するという形をもって、事態を収めたのだ。
もしもこの件が最初から、黄家からの署名と捺印を入手する為の罠だったとしたら……?
だが、範勝が主張するような文面は、少なくとも神長官が差し出した証文には、一文字たりとも書かれてはいない。
神館長が、前に進み出た。
「もう宜しいでしょう。 何れにしろこの男も死罪の身です。 勿論、貴方がたも同様の身上ではありますが」
鳳翔が、揶揄するように応じる。
「神官というよりも、まるで獄吏の様な奴だな。 いやしくも神に仕える身ならば、こいつの最期の訴えくらい聞いてやれ。 おい、範勝。 黒華村で金貨の違法鋳造をしていたのは知っているだろう?! 地下通路の建設にしろ、黄家に知られずに凱帝国だけで実行するのは不可能だ。 黄家が何を企んでいたのか、今ここで吐いてもらおうか!」
神長官が、素早く兵士に合図した。
両側から範勝の腕を掴んだ数人の兵士達が、引き摺るようにして彼を皇太子から引き離して行く。
その時。 大きな熊のような影が、目にも止まらぬ速さで彼等に襲いかかった。
「うっ……!」
鈍い音がほんの一瞬響いたかと思うと、見る間に兵士等の体が地に崩れ落ちた。
いつの間にか傍に来ていた猛亮が、どこか楽しげな口調で言う。
「死人に口無し、と行きたいんだろうが、そうはさせん! こっちは俺達に任せて、どうぞ積もる話でもしていて下さい!」
史明に目を覚まされ、正気に戻った三百人の傭兵達が、鳳翔達を援護するべく周囲を取り囲む。
倒れている兵士達の内、二人は局部を抑えて悶絶していた。
瑠夏が眼前の兵士達を、氷雪吹き荒れる零下の瞳で睨め付けている。
凱帝国の兵士達が二人の攻撃に怯んでいる隙に、鳳翔が範勝の胸倉を締め上げると、再度訊ねた。
「言え。 黒龍のことといい、凱帝国と黄家は何を企んでいる!」
「……始めは黄家も黒龍のことは知らなかったのです。 黒華村の村民の誤解を利用して、凱帝国の金で金貨を鋳造させ、その代わりに凱帝国は自国で不足している銀貨を密かに入手したい、との取引だけでした」
「ただそれだけの訳が無いだろう?! 正直に吐け!」
「……確かに決済には銀貨を使用するという条件で、凱帝国から武器も大量に購入しましたし、金も凱帝国から湯水のように懐に入って来ましたが……さすがに御龍神山の割譲を求められた時にははっきりと断ったのです。 地下通路も、元々は金等を運び入れる為に建設したものでした。 本当です、信じて下さい!」
「そうか。 何れにしろ、百華国の法でも死罪は確実だな。 覚悟しておけ」
「ひいっ、どうかお慈悲を!」
「他に言うことはないか?! もしも今手柄を立てれば、助けてやらなくもないが?」
「が、凱帝国の目的は、武力による百華国への領土侵攻だけではありません! 先ずその前に、銀貨が急激に凱帝国へと大量流出することによる銀貨不足を国内に引き起こして、代わりに市場で決済に使用されることになる金貨の大量増加と価値の低下を誘導した上、違法金貨の大量流通による更なる金の価格の暴落を招くことによって、百華国の経済に致命的な打撃を与えるつもりです!」
「何だと?! きさま、そこまで知りながら凱帝国に協力していたのか!」
激昂した鳳翔が、彼の襟元を更に強く締め上げた。
「く、苦し……」
皇太子鳳翔を始め、百華国の官吏達が皆、蒼白になり言葉を失った。
銀貨の不足は既に、目に見える形で市場に影響を与えている。
だがここに居る誰もが、それが凱帝国の計略によって引き起こされた状況だなどとは、夢にも思っていなかったのだ。
百華国では他国との交易に金貨の使用を禁じているから、銀貨が不足すれば当然、国外との決済が不可能となり、流通が滞る。
他国へ物資を売れば銀は入って来るが、何しろ現状での国内の金と銀の価格の比は一対百だ。
銀貨が不足して大量の金貨が出回っているのでは、遅かれ早かれ、金の価格は暴落する。
鳳翔の手が緩むと、範勝が喘ぎながらも途切れ途切れに続けた。
「既に……一部の大商人達と取引を……銀貨と金貨を十対一で取り引きして……げほっ……」
咳込む彼の傍らで、皆の表情が益々険しい物となって行く。
状況は彼等が予測していたよりもずっと、深刻だった。
尚も喘いでいる範勝に、これ以上余計なことを喋って貰いたくなかったのだろうか。
ここで神長官が、口を挿んで来た。
「もうお話は十分でしょう。 そちらの証文はお返し下さい」
鳳翔が、渋々と証文を彼に渡しかけた時。
ふと麗宝が、何か思いついたかのように、突然鳳翔の手から証文を取り上げた。
「私にも見せて頂けません?」
驚きながらも抵抗せずに彼女に証文を明け渡した鳳翔が、強い口調で獄吏様に宣言する。
「例え証文があっても、黄家には百華国の領土を他国に割譲する権限自体が無い。 契約は無効だ!」
「凱帝国は既に、相応の対価を黄家にお支払いしております」
「我が国では法により他国との金の流通が禁じられている。 その金による決済も勿論違法だ」
「……どうやらこれ以上お話ししても、お互い平行線のようですね」
神長官が、右手を上げて、兵士達に何やら合図をした。
これまで左右に並んで待機していた兵士達が、一斉に鳳翔一行をぐるりと包囲し始める。
一行の人数が二千人程ならば、兵達の数はその倍はあるであろうか。
しかも鳳翔達の一行の方は、傭兵達はたったの三百人程で、残りはただの物見客だ。
圧倒的に不利な状況の中で、誰もがひやりと肝を冷やしたその時。
周囲の緊張が一気に崩壊するような、素っ頓狂な声で、麗宝が叫んだ。
「あ――っ!」
「何だ?」
「もしかするとこれ、南陽で蓮青さんが見せてくれた『烏賊契』の詐欺じゃないかしら?!」
「烏賊契? 何だそれは」
「烏賊、つまりイカの墨で証文を書く契約詐欺ですわ。 イカの墨で書かれた部分は、一年も経てば消えてしまうのですって。 けれども、本物の墨汁で書かれた署名と捺印の部分は年を経ても残る為、消えた書面に後から上書きをすれば、相手の望みのままの証文が出来上がるのだそうです」
「最初に書かれた文面を、読み取る方法は無いのか」
「烏賊契を教えてくれた蓮青さんか、南陽出身の方ならご存知かも知れませんわ。 例えば果汁のように火であぶり出すとか……」
麗宝がそこまで言った時。
これまで余裕すら見せていた神長官の顔色が、さっと変わったかと思うと、彼女の手から強引に証文を奪い取った。




