黄皇后の息子
蒼白になって動揺している麗宝に、史明が淡々と述べた。
「早合点するでない。相手の思惑は他にあるやも知れぬ。 第一、これだけの人数を屠るのは容易ではあるまい。 それに……恐らく相手の真の狙いは我だ」
「え……?」
最後に足された史明の微かな呟きを耳にした麗宝が、口を開きかけるが、彼はそれを無視して続ける。
「時間が無い。 せめて麗宝が雇った傭兵達の目を覚ましたいが、何か目印はあるか」
「傭兵さん達は皆、黄色い花飾りを身に付けているわ。 隊長はクマさん、副隊長はウサギさんよ」
「穏便に目を覚ますには、頭に直接触れる必要があるのだが……」
「私も手伝うわ」
瑠夏が滑るようにクマさんに近付くと、着ぐるみの頭の部分をざっと持ち上げた。
すかさず史明が中の隊長の頭に触れる。
露わになったその面を目にした鳳翔と青慎が、同時に小声で彼の名を叫んだ。
「李猛亮将軍……!」
「猛亮師匠!」
その名を耳にした瑠夏が、眉を顰めて覗きこむと、ちょうど意識を取り戻し始めた猛亮とバッチリ目が合った。
「兄様……?!」
「おわあああっ!」
目が覚めた猛亮が、慌ててクマの頭を被って顔を隠す。
「ク、クマさんは森に帰る。 それじゃあ」
踵を返してトンズラしようとした百華国左羽林軍将軍の腕を、瑠夏ががっしりと抑え込んだ。
「うっ」
「後でじっくりと説明してもらいましょうか、兄様」
「…………はい」
「クマさんは、猛亮様でしたのね。 それじゃあ、ウサギさんは?」
「見てみましょう」
瑠夏がウサギさんの頭を取り外そうとすると、猛亮が慌てて制止する。
「こいつだけは止めておけ! 顔を見るとロクなことにならん!」
何だかひどい言われように、麗宝が思わず同情する。
「ウサギさんは、どなたですの?」
「そ、それは……」
「決まりね。 取るわよ!」
「あっ!」
瑠夏が着ぐるみの頭を勢いよく脱がすと、横に控えていた史明が中の男の額に触れる。
チラリと彼の顔を覗き見た麗宝が、驚いて目を見張った。
(長い睫毛……! それに、何て綺麗な肌と髪なの! ウサギさんたら、全然ブサイクなんかじゃないのに。 むしろ綺麗過ぎて人間離れしている位だわ……!)
それなのに彼は、どうしてあんなにも顔を見せるのを嫌がるのだろうか。
猛亮が、こわごわといった様子で麗宝に声を掛けた。
「見てしまったのか?!」
「ええ。 別に、そんな酷いお顔ではありませんでしたわ」
「それで君は、何ともないのか?!」
「?? ええ」
さすが恵秀以外は眼中に無いだけある、などと独りごちるクマ将軍の傍で、「う……ん」とやたらに美声な呻き声を上げてウサギさんが身動きした。
彼が目を開こうとした、まさにその瞬間。
「いかん!」
クマさんが咆哮と伴に、物凄い勢いでウサギの頭を彼に戻した。
まるで怨霊封じさながらの様子に、皆が呆気にとられていると、当のウサギさんが、呑気に首をコキコキ鳴らして背伸びする。
「んん~っ! あれ……俺、眠っちゃってたのかな?」
麗しい声に不似合いな、サバサバした調子で彼が言うと、その声を耳にした鳳翔が、引き攣った表情で問い掛けた。
「お前まさか……刑部侍郎の紫天籟か?! 陛下と一部の高官以外、素顔を見た者は居ないという」
(うそっ、もう見てしまったわ!)
見ると何かの呪いにでも掛けられるのだろうか……。
「紫刑部侍郎って、確か『歩く自白剤』という異名を持つお方ですわよね? いつも仮面を被っていらして、他人が隠している物を見つけ出す、天賦の才もおありだという噂の」
「なぜ刑部の者が傭兵に?」
麗宝の横で鳳翔が、眼光を一層鋭くして追求する。
「急いで説明して貰おうか」
はああ、と空を仰いで溜息をもらした紫ウサギ侍郎が、白状した。
「黄家の嫡男から、情報の提供があったんです」
故黄皇后には黄家に、黒耀帝に嫁ぐ前に生れた息子が一人居た。
あまり良い噂がない嫡男ではあるが、黄皇后の裳が開け次第、彼が黄家の当主になることはぼぼ間違いないという。
刑部としても、現皇帝との繋がりがあり、時期黄家当主の可能性がある嫡男からもたらされた情報ならば、実際に動かないわけにはいかないのだろう。
「どんな情報だ」
「御龍神山で、一部の黒華族による金貨の不正鋳造が行われているとの情報です。 密かに凱帝国と取引しているとのことでした。 凱帝国の金貨を所持している者がいたら、その者が黒幕だとも言っていました」
「その情報によると、黒幕は俺だという結論になるのだが」
鳳翔が懐から凱帝国の金貨を出して見せると、さすがに紫刑部侍郎も驚いたようだ。
「どうして殿下がこれを?!」
「どうやら黄家は先回りして、蜥蜴の尻尾切りに走っていたようだな。 お前達にその話を持ちかけたのは、黒髪に青黒い瞳の、背が高い胡人のような顔立ちの男ではなかったか?」
彼が大きなウサギの頭を、縦に振った。
「蓮青……!」
拳をぎゅっと握り締める史明の後ろで、何故か瑠夏が「やっぱり……あいつだったのね」と拳を震わせている。
「そんな、蓮青さんが間者だったなんて、信じられませんわ!」
だが実際に彼は、あの金貨を史明からだと偽って彼女に手渡した。
金貨の不正鋳造と流通は、国内の物価を変動させる為、死罪と決まっている。
もしもあのまま麗宝が、刑部が捜索している最中にあれを王華府に持ち帰っていたとしたら。 もしくは、もしも彼女か史明があの金貨を所持しているのを、潜入している刑部の者に身咎められていたならば……。
背筋にすうっと冷たい物が降りて来る。
もし本当に蓮青が間者だったならば、こちらの動向は全て相手に筒抜けになっている筈だ。
春萌が皆に短く警告した。
「もう直ぐ参道に到着します! 早く他の方も起こさないと!」




