黒華村祭り5
晩夏の碧天が見え隠れする木陰を、祭りの一行は南の国境方面へと向かって行進していた。
史明に追いついた麗宝に、小声で彼が話しかける。
「神山の結界が元に戻された。 これで外からは誰も山には入れぬ」
「助けは期待出来ないっていうことなのね……ねえ、史明。 鳳翔殿下を起こせないかしら? 黒鳳凰を呼べるようにしておいた方がいいと思うの」
「起こすとうるさい小姑だが、仕方がないの」
史明が眼前の鳳翔に触ると、その手から「バチッ」と何やら音がした。
密かに放電された皇太子が、全身の毛を逆立てながら、びくりと直立して跳ねる。
カッと目を見開いた鳳翔が、そのまま仁王立ちになった。
「鳳翔殿下、大丈夫なのかしら?」
「きさま呼ばわりしたお礼ぞ」
「?」
「案ぜずとも直ぐに小姑化するゆえ、離れておくがよい」
史明が鳳翔を置き去りにして、さっさと歩き出す。
しばらくすると、案の定後ろから、地獄の底から絞り出されてような声が追いかけて来た。
「き~さ~ま~!」
我に返って状況を把握した鳳翔が、物凄い勢いで史明に向って歩いて来る。
振り向いた史明が尋ねた。
「麗宝」
「何?」
「あれをもう一度眠らせてもよいか」
「ダメ! それから、出来れば瑠夏お姉様達も起こして頂戴!」
「仕方が無いのう」
史明がそっと彼等の頭に触れると、瑠夏、春萌、青慎の目が正気に戻った。
それを見ていた鳳翔が、益々怒りに燃えながら押し殺した声で言った。
「きさま、無痛で起こせるのなら、なぜ俺にもそうしない?!」
「人はそれを、因果応報と呼ぶ。 起こしてやったのだから、感謝して欲しいがのう」
それとも、鳳翔殿下はまた眠りたいのかのう。 平坦な口調でしれっとそう脅しをかける史明が、僅かながらも感心したように付け足す。
「それにしても、魂の深淵に刻まれた最も辛い記憶を見せつけられていたにしては、そなたは随分と元気なことであるな」
「魂の深淵……? 確かに嫌な夢ではあったが、夢は夢だ。 今の現実とは違う。 それにきさまのお蔭で一気に目が覚めたんでな!」
瑠夏達も、一様に青い顔をしてはいるが無事のようだ。
瑠夏がまるで己の決意を固めるかの如くに面を上げた。
「上等だわ……あれがあったお蔭で今のあたしが居るのよ」
麗宝が、気遣わしげに春萌に声を掛ける。
「齋同年は大丈夫ですの?」
「僕も大丈夫です。 それより他の方々を起こさないと」
己の罪深さを十分に自覚している春萌も、気丈にそう応じた。
「……魂の深淵に…………」
独り、青慎だけは史明の言葉をうわ言の如くに繰り返すと、驚愕したような表情で黙り込んだまま麗宝の姿を凝視していた。
間も無く彼等の前方で、行列の先頭が歩みを止めた。
目を凝らして見ると、どうやら一行はあそこで横に曲がって、山を真直ぐに上り始めるらしい。
もう少し近付いてから良く見ると、左手に広くて頑丈そうな石段が、遥か上方にまで延びていた。
恐らく本宮へと続く階段なのだろう。 側面は苔生しているものの、かなり使いこまれた痕が見られる。
再び史明に並んだ麗宝が、袋の中から月華の鐘を取り出して彼に見せた。
「史明これ、南陽で仙人のお爺さんに渡されたの」
彼が鐘を手にとって眺める。
「神具のようであるが、打点がないのう。 どうやって鳴らすのだ」
「それが、私も知らないの」
「何故彼は、麗宝にこれを?」
「それも謎なの。 月華さんとおっしゃる方が、『龍の娘』に渡すよう頼んだのですって。 『山で皆の目を覚ましたい時』に使うようにって、言伝されたそうなのだけれど……」
「月華が? 何故麗宝に……?!」
珍しく驚いた様子の弟に、麗宝が訊ねる。
「史明、月華さんを知ってるの?」
「会ったことは無いが、噂は聞いた。 だが月華は既に落命しておる」
「どんな方だったの?」
「天界に住んでいた、全てを浄化するという白銀の龍だ」
「え……?!」
「龍界では、月華の亡骸は今も『結界石』として、穢れから身を守る為に使われている」
何で史明がそんなことを知っているのか。 皆がそう疑問に思ったが、彼ならば何を知っていても不思議ではない気がしてしまうのか、誰も口には出さなかった。
「何故、月華が麗宝に……」
鐘を凝視したままそう繰り返すと、史明が口を閉ざした。
何やら目まぐるしく思考を巡らせている様子の弟に、ふと思い出した麗宝が、今度は南陽で渡された金貨を差し出した。
「はい、史明が蓮青に、私に渡して欲しいって頼んだ凱帝国の金貨。 史明ったら、手紙一つ書かずにいきなり金貨だけ渡すんだもの。 びっくりしたわ」
「我は頼んだ覚えは無いのだが」
「え? でも、蓮青さんが史明からって……」
史明の瞳が、僅かに険しい光を帯びた。
「おい、俺にも見せろ」
『凱帝国の金貨』に反応した鳳翔が、突然後ろから割りこんで来る。
「おい、龍榜眼。 この金貨をどこで手に入れた」
「我は知らぬ。 蓮青に訊ねるがよい」
「おかしいわね。 確かに蓮青さんは、史明からだって言っていたのに」
「ところで、蓮青はどこにおる」
「あれから一度も見ていないわ」
無事だといいけど、と心配する彼女の傍らで、史明は益々表情を硬くする。
眉間に皺を寄せて食い入るように金貨を見ている鳳翔の横で、これまで静かだった春萌が皆に警告した。
「気を付けて下さい。 ぼくの記憶が正しければ、この階段は恐らく本宮本殿正面の参道へと続いている筈です」
「本殿って、春ちゃんが黒龍を見たところよね」
「そうです。 人柱と贄を見たのも本殿周辺です」
「いよいよ敵の本拠地へと言った様子だな」
鳳翔が金貨をそのまま懐にしまうと、黒鳳凰の羽根の存在を手で確認した。
「何だか息苦しくなって来たのだけれど、この階段のせいかしら」
誰にともなく麗宝が漏らすと、春萌が答えた。
「本殿の方から、瘴気が漏れているんです」
今日は四年に一度の御龍祭の日だ。 昼間なので、贄はまだ供されていない筈だが……。
「……嫌な予感がします。 御龍教は今回の祭りを『千年祭』と銘打っていました。特別な祭りには、特別な贄が必要とされるのではないでしょうか」
「その『特別な贄』ってまさか、僕達のことじゃないだろうね」
察しの良い青慎の問いに、春萌が硬い表情で首を縦に振った。
「……なぜ黒華村祭りの一行がそちらへ向かっているのかと考えると、残念ながらその可能性も否定出来ません」
麗宝達が息を飲んだ。
(そんな……皆を助けたくて神山に連れて来た人達まで、そのせいで贄にされてしまうっていうの?!)




