南陽5
「……どうしたの、青慎?」
「さっきの『龍の花嫁』の話だけれど……僕は実はずっと前から、陛下が麗宝を鳳翔殿下の妻に望んでいるって知っていたんだ」
黙っていてごめん、と謝る彼に、麗宝は笑って返す。
「青慎も知っていたの? じゃあ、おあいこね」
「麗宝も知っていたんだ……」
青慎が軽く目を見張った。
「だって、青慎が私との婚約を解消してくれないのは、婚約を解消した途端に私が、恵秀兄様ではなくて鳳翔殿下と結婚させられるかも知れないと思っていたからなんでしょう?」
(麗宝は、僕の考えをちゃんと分かっていたのか……!)
でも、肝心の自分の気持の方は、果たして分かって貰えているのだろうか。
そんな幼馴染の心の葛藤など知らずに、彼女は続ける。
「でも鳳翔殿下のお話が本当ならば、もしも『龍の花嫁』が……私が自分の意志で結婚相手を選んだ場合には、結婚が無理強いされるわけではないから、黒華族は白華帝との約束を破ったことにはならないはずよね」
事実、白龍姫は珀家の先祖と自らの意志で結婚しているが、黒鳳凰の化身である白華帝は、己の命を断つこと無く彼等を見守った。
「黒耀帝の本心は鳳翔殿下にさえ分からない。 でも、実直な陛下は恐らく白華帝との約束を守られると思うし、旧皇族である珀家との関係を壊してまで、嫌がる殿下にむりやり麗宝を娶らせる方とも思えない。 だから…………」
ここでなぜか顔を赤らめて、言葉を詰まらせてしまった青慎に向い、麗宝が満面の笑顔で応えた。
「そうよ。だから、例え青慎が婚約を解消しても、私がむりやり鳳翔殿下に嫁がされる心配はもう無くなったのだもの。 安心して婚約解消していいのよ!」
(やっぱり、全然分かってないじゃないか!)
麗宝のあまりの鈍感さに、青慎が思わず声を上げた。
「違う! 僕が婚約を解消しないのは、そのせいだけじゃない!」
「青慎……?」
「僕は……麗宝が恵秀兄様に……李御史に出会うずっと前から、麗宝のことが好きだったんだ!」
「え……青慎?!」
「僕は黒耀帝が麗宝を、鳳翔殿下の妻に望んでいるという噂を知った時からずっと、麗宝をとられまいとして必死に努力して来た。 麗宝が李御史を好きになってからも……今でもそれは変わっていない」
麗宝があっという顔をすると、思わず口に手を当てた。
思い当たる節はあった。
だが、病弱だった青慎が、そんな気持ちで明啓塾や龍朋館に通い始めただなどと、彼女は夢にも思ってはいなかったのだ。
幼い頃の、儚いくらいに弱かった彼を思い出して、麗宝の胸がきゅうっと痛む。
どんなに珀家の両親が頼んでも、龍朋館の超絶厳しい鍛練で何度気絶しても。 青慎がは決して弱音を上げなかった。
熱を出しても明啓塾を休もうとはしなかったし、独りでいる時にすら人一倍の努力をしていたのを、彼女は知っている。
当時は彼の足が遠のいてしまったことがただ寂しくて、麗宝はなぜ彼がそんなに必死になっているのかということに、思いを馳せる余裕などなかった。
恵秀に出会ったのは、そんな時だった。彼に恋して浮かれていた麗宝にとって、青慎の涙ぐましい努力など、視界に入ってすらいなかったのに。
そんな彼女のことを青慎は、これまで一体どんな気持ちで見守って来たというのだろう…………。
一瞬の内にこれだけのことを考え理解した麗宝の胸に、ふいに様々な感情が怒涛のように押し寄せて来て、彼女は激しく動揺した。
「あっ、あの…………青慎…………」
ごめんなさい、とも有難う、とも言えずに、ただ真っ赤になって口ごもる麗宝の頬を、青慎の手が微かに触れた。
「愛してる、麗宝。麗宝がどんなに李御史を好きでいても、彼が麗宝と結婚すると承諾しない限り、僕は諦めない」
いつもは穏やかで優しい、透き通った琥珀の瞳が、今は熱を帯びたまま、真直ぐに彼女の瞳を見詰めている。
これまで見たことも無い幼馴染の眼差しに、麗宝の胸が忙しなく音を立て始めた。
「でっ、でも、青慎と婚約している限り、恵秀兄様は、私と結婚出来るわけがないわ! 青慎は白華族の元皇族だし、それに……!」
涙が滲むくらいに赤面している麗宝の必死の抵抗をしかし、青慎は頑なに拒んだ。
「もしも僕という婚約者がいるから麗宝を諦めるというのなら……李御史の麗宝への想いがその程度だったなら、僕は絶対に麗宝を譲る気はないから」
「せっ、青慎……?!」
「何度でも言うよ。愛してる、麗宝。今までも、これからも、麗宝だけをずっと……」
彼女の頬に触れていた青慎の手がそっと肌を滑ると、ふいに彼の唇がふわりと頬に落ちて来た。
「――――!」
まるで知らない男の人から貰ったような、生れて初めての青慎からの口づけ。
それが不思議と嫌では無かったことに、彼女自身がとても驚いて……。
けれども、彼の唇が頬に触れたその瞬間。
これまでいつも一番近くに居た幼馴染の突然の変貌ぶりに、人生最大のパニックに陥っていた麗宝の緊張の糸が、とうとうぷつりと切れた。
「れ……麗宝?!」
恋する相手を追いかけることには慣れていても、逆の立場に全く免疫の無い麗宝は、まるで青慎の腕の中に崩れることを拒否するかのように、そのまま後ろにへなりと倒れてゆき……。
青慎が彼女を抱きとめると同時に。
彼女の頭が、盛大な音を立てて、すぐ後ろに積み上げられていた木箱にぶつかり……。
今度こそ本当に気を失ってしまった。




