南陽
麗宝達が黒河を南陽へと向かっていた頃。
南陽の中でもひときわ豪華な「南陽酒家」に泊まり、街で暇をつぶしながら彼女の到着を待っている「美女」が、川沿いを歩いていた。
今も百華国の朝廷から絶賛トンズラ中の榜眼様・龍史明である。
参朝もせずに自宅でゴロゴロと怠惰な日々を送っていた彼に、先日とうとうキレた母親の春蘭が、龍家から蹴り出したのだ。
かくして「人生の修行の旅」に出た彼は、密かに張り巡らせていた情報網で、麗宝達が船で黄華国へ向かったということを割り出し、ここで待機しているのだが……。
「平和だのう……」
南陽は、ただ活気があるだけではなく、詐欺と泥棒でも有名な街だ。
川沿いには店が立ち並び、旅人や商人達がにぎやかに行き交っているが、隙あらば彼等から金品をだまし取ろうとする輩もまた多い。
正絹に金と銀の龍の刺繍を施した真紅の袍をまとい、シャラシャラと宝飾の音を立てながら歩く史明は、そういった者達の恰好の標的なのだが、本人に全くその自覚はないらしい。
先程から彼をつけていた男が、史明の財布をすろうとぶつかって来る。
「おっと、失礼!」
ところが、まさに彼がぶつかろうとする瞬間。
史明がふいっと横に避けた。
勢い余って転んだ男が、近くにあったウナギの生け簀に頭から突っ込んだ。
派手な音を立てて水しぶきを飛ばした男を、史明が迷惑そうに眺めながら言う。
「ウナギは生より蒲焼が美味なのだがのう」
人の好みとは解らぬものだ、などとしみじみ呟きながら歩いていると、今度は前方の酒楼正面に、何やら人だかりが出来ている。
好奇心の赴くままに覗いて見ると、人垣の中心に幾つか卓が置いてあり、賭博で盛りあがっている最中だった。
史明の目の前の卓では、二人の中年の男が龍や鳳凰、白虎等の神獣が描かれた札で勝負している。
眼鏡をかけた男の方が優勢らしく、相手の男は明らかに蒼白な顔だ。
店の客引きが、いかにもカモといった風情の史明に声を掛ける。
「さあ、そこの美人のねーさん……いや、にーさんか? まあいいや、ひとつその宝石でも賭けてみないかね!」
史明の視線が、なぜだかカードの裏に釘付けになっている。
おもむろに彼が答えた。
「賭けてもよいがのう。札の裏に塗料で書き込みがしてあるのではのう」
「えっ?!」
野次馬達の視線が、一斉にカードに向けられる。
「に、にーさん、何言ってんだい。タネも仕掛けもない、ただの札じゃないか」
「そうだ、失礼な……あっ!」
客引きの男と共に抗議した眼鏡の男から、史明がすっと眼鏡を取り上げると、賭けをしていた相手の男の顔につけてやる。
「あーっ! 本当だ、札の裏に書き込みがあるぞ!」
「この眼鏡で見ると分かる、特殊な塗料のようであるな」
「イカサマだ!」
「あの野郎、俺の時もあの眼鏡を掛けてたぞ!」
袋叩きを予知した眼鏡の男が、慌ててテーブルをまたぐと、窓から外へと逃げて行く。
野次馬達がそれに続いて出て行った。
「まこと、南陽はにぎやかだのう」
出口へと向かって歩く途中、今度はサイコロ賭博をしている卓の横を通りながら、史明がボソリと呟いた。
「なるほどのう。賽を振る筒の底が、二重になっておるとはのう」
「えっ?! おい、筒を見せろ!」
ここでもまた、ひと騒動が起きた。
「ああ、暇だのう」などとため息をつきながら、行く先々でイカサマを暴露しながら市場へとやって来た史明だったが……。
急に、誰かが物凄い勢いで彼の懐にぶつかった。
(…………!)
呆気にとられた史明の瞳に、走り去って行く見知らぬ男の後ろ姿が飛び込んで来る。
男の手には紛れもない、彼の財布が収まっていた。
史明が珍しく驚いた様子でスリの男を見送っていたが、おもむろに懐から延びていた紐を勢いよく引っ張った。
「おわっ?!」
男の手から財布が飛び出し、宙を舞いながら史明へと戻って来る。
男が憤慨したように言った。
「あーっ、きったねー! 金持ちのくせに財布にヒモまでつけてるなんて、どんだけしみったれてるんだよ!」
「我は今、赤貧でのう」
「うそつけ! その財布、金貨五十枚は入ってるだろ! 第一、そのジャラジャラした格好でそれを言うか?! 耳元に付いてる極上の翡翠だけで、当分遊んで暮らせる筈だろ。俺にも少し分けろっつーの…………あれ?」
ふいに男が言葉を止めると、何故か史明の顔をじいっと食い入るように眺め始めた。
「…………? 用がないならば、我はもう行く」
くるりと踵を返した史明の背後で、男が自信なさげに呼びかけた。
「…………珀輝……?!」
びくり。
史明の歩が、瞬時に止まった。
彼の反応に確信を持った男が、今度は大きな声で言う。
「やっぱり。お前、白龍王の養子だった珀輝だろう!」




