春萌の回想3
人の手を入れていない鬱然たる山の夜道は、まるで黄泉路へ通じるという坂道のようだった。
ここを上り切ってしまえば、二度と此岸へは戻れない―時折、そんな恐ろしい錯覚すら覚えてしまうほどだ。
山の上には、何か禍々しい物が待ち受けているように思えてしまうのは、彼が真っ暗な山道に怯えているからなのだろうか・・・?
歩を進めるにつれて、前方から感じる奇妙に重苦しい何かが、次第に春萌の表情を硬く強張らせてゆく。
やがて天宮に近付く頃には、彼の疑念はもはや、確信へと変わっていた。
(間違いない・・・天宮からは瘴気が放たれている・・・・!)
神域である天宮において、それは決してあってはならないことだ。
だが現実では、彼は今もそれを肌が粟立つ程に感じている・・・。
天宮に一体何が起こっているのか、この目で確かめなくてはならない。そう決心すると春萌は、山道を急いで上り始めた。
天宮の本殿は、細長い参道の奥に鎮座していた。
御龍教の本宮に相応しい荘厳な本殿を期待していた春萌は、大きいだけで簡素を極めた社殿を見上げながら、密かに落胆する。
(これが、天宮の本殿・・・?!)
外見だけで言えば、格下のはずの地宮の方が、遥かに本殿らしいではないか。
彼をここまで導いて来た鬼火達が、本殿の前ですうっと四散した。
本殿の戸や窓は全て閉めてあったが、内部から漏れる灯りが暗に、ここが無人でないことを示している。
不思議なことに本殿は、他の建物からは独立した造りになっており、渡殿等は一切なかった。
代わりに置かれているのが、本殿を囲んだ四方に立てられている巨大な柱だ。
柱の周囲には、大きな穴が掘られているらしく、近くに小山のような盛り土がある。
鬼火達が春萌のすぐ傍にある柱の周りをぐるりと飛び交うと、そこでぱっと消えた。
「ううう・・・」
ふいに、穴の中から誰かの呻き声が聞こえて来た。
「助けて・・・苦しい・・・」
「誰か・・・」
地を這うような声音に、春萌の全身が総毛立つ。
穴の縁から見下ろすと、真紅の晴れ着に身を包んだ村人らしき四人の男女が、柱に体を縄で括りつけられていた。
「待ってて、今、助けを・・・!」
言いかけて彼はふと、彼等の体が半ば透けていることに気が付いた。
(この人達は・・・もう生きてはいない・・・!)
生前の行為を繰り返しているのだろう。 二十歳位の髪の長い女性が、手足を激しく痙攣させながら叫んでいる。
「やめて・・・助けて・・・!」
同じ様に右手を痙攣させた少女が、その隣で誰かに向って泣きながら懇願する。
「助けて・・・お母さん、お父さん・・・!」
(あれは、さっきのお姉さんが話していた『御印』・・?!)
「らすけれ・・・!」
若い男性も、呂律の回らぬ口調で必死に訴えている。
助けを求める彼等の叫び声は、直ぐにただの呻き声へと変わり、そしてまるで空気を求めてもがくような、苦しげな表情がしばらくの間続いた後・・・。
誰もがだらりとした様子で動かなくなり、不吉な静寂が訪れた。
「あ・・・・!」
我に返った春萌が、思わず彼等に向って手を差し伸べかけた時。
四人がふっと姿を消した。
(今のは、何・・・?!)
『人柱』という二文字が、じわりと頭の中に浮かんで来る。
だが彼は頭を大きく振って、その恐ろしい考えを追い払おうとあがいた。
再び静まり返った本殿の前で、青い顔の春萌が立ち尽くしていると、今度は彼の足元で、何やらピチャリと音がした。
(・・・・・・?!)
地面に視線を移した彼が、思わず悲鳴を上げそうになって口に手を当てる。
いつの間に現れたのだろうか。
気が付くと本殿の周辺には、土が見えなくなる程大量の、獣達のむごたらしい死骸が累々(るいるい)と横たわっていた。
血の海と化した地面の上に、臓腑や首、目玉等が浮かんでいる。
どの獣の死に顔も苦悶に歪んでおり、彼等が一体どのような命運を辿ったのかということを、如実に示していた。
胃の中から、酸味のある液体が口に上って来る。
(まるで・・・まるでこれじゃ・・・)
巫蠱の術(注:道教の呪術)の痕みたいではないか。
そう思いかけて、背筋に言いようの無い悪感が走った。
(誰が、なぜ、こんなひどい事を・・・?!)
考えれば考えるほど、答えは自ずと明らかになって来る。
この天宮を管理しているのは、神長官を含む『三官の祝』と、そして・・・・。
(まさか・・・そんな・・・!)
どこからか現れた鬼火達が、春萌の周りに集まると、再び彼を案内するかのように本殿へと続く列をなした。
この鬼火達は、先程彼が目撃した、過去の犠牲者達の魂なのだろうか・・・。
本殿は、合計四本の柱に四方を囲まれている。
もしも彼が見たように、一柱に四人が縛り付けられていたとすると、合計で十六人のはずだ。
けれども鬼火達の数は、それよりも遥かに多い。
春萌の体が、ぞくりと震えた。
御龍祭は、四年に一度行われている・・・・。
『人柱』。再びこの二文字が、頭を過ぎった。
もしも・・・もしも彼等が、過去の天宮の御龍祭の贄だったとしたら・・・?!
ドクン。春萌の胸の鼓動が、大きく音を立てる。
ドクン。ドクン。ドクン。
先程出会った少女の言葉が、脳裏に浮かんだ。
『龍を封じ込める為に、極秘で協力してくれている大祝には感謝しているわ』
四人の亡霊は皆、彼女と同じ様に赤い晴れ着を纏っていた。
そして確か彼女は、腕の震えを『龍神に選ばれた御印』だと言っていた。
(まさか・・・・?!)
ドクン。ドクン。ドクン。
このままでは彼の心臓も、永遠に止まってしまいそうだ。
ドクン。ドクン。ドクン。
本殿から目を背けて、逃げるように戻ろうとした春萌の視線がふと、本殿と柱をぐるりと取り囲む、極太の注連縄に止まった。
等間隔で白い紙片を垂らしている有り触れたそれに、なぜだか強烈な違和感を覚えたからだ。
この世とあの世の境界、清浄と不浄の境界線を意味する筈のこの縄が、不浄な柱と神殿を隔てずに、同じ空間の中に囲い込んでいる・・・・。
神域を常に注連縄で不浄な世界から隔絶している宮社には、決して有り得ない光景だった。
まるで、穢れを決してこの囲いの中から出すまいとしているかのような注連縄の張り方が意図するところは、一つしか無い。
(ああ・・・・神様・・・!)
もう、疑いの余地は無かった。
天宮は龍を崇め奉る神聖な場所ではなく、神獣を閉じ込め、呪いによって封じ込める為に存在するのだ。
衝撃のあまりによろめく春萌の耳に、微かな人のざわめきが聞こえて来た。
どうやら御龍祭の為に、黒華村の人々が天宮へやってくるらしい。
一刻も早くこの場を去らないといけない。
ふら付きながら帰ろうとする春萌の眼前を、鬼火達が何かを訴えるかのように激しく飛び交っている。
もう、見るべき物は十分すぎるほど目にした筈だ。この上彼等は、一体何を見せようというのだろうか・・・。
次第に村人達の声が、本殿へと近付いて来る。
ほんの一瞬だけ迷った後。春萌は鬼火達の導くままに本殿へと走り出した。
足音をたてないように気を付けながら、そうっと本殿に近付くと、本殿の中を覗けそうな穴や隙間を壁沿いに探す。
窓も戸も閉まってはいたが、戸の隙間から僅かに灯りが漏れるほどには、中を伺う余地があるようだ。
村人達の松明の灯りが、とうとう参道まで迫って来た。
(はやくしないと・・・!)
神官達に見付からないよう、息をひそめながら急いで中を覗きこんだ春萌の心臓が突然、一際大きく音を立てた。
ド、クン・・・!
そして彼の心臓は、恐ろしさにその場で凍り付いたまま、今度こそ動きを止めた。




