春萌の回想2
「きゃっ・・・!」
思わず女の子のような声を出してしまった春萌が振り向くと、十代前半位の赤い晴れ着を着た少女が、手を腰に当てたまま彼を見下ろしていた。
年下の少女だと思われたのか、声の主は少しだけ警戒心を緩めたようだったが、それでも目は油断なく彼を睨んだままで再び訊ねる。
「あんた、こんな時間に一体ここで何をしているわけ?!」
「あ、あの・・・私、父様に忘れ物を届けようと思って・・・」
春萌が手にしていた笏を月明りに翳して見せると、妙に納得したように、気の抜けた声で彼女が言った。
「なんだ、あんたあの大祝の娘だったのね? この山には結界が張ってある筈なのにって不思議だったんだけど、どうりで入り込めたわけだわ」
実は結界には、齋家でも直系男子しか入れないのだが、彼女も春萌も、そんなことは知らない。
「え・・・?」
春萌が、何の話をされているのかさっぱり解らないまま、きょとんとした顔で彼女を見詰めている。
その反応に、先程からなぜか両腕を震わせている彼女が、少しイラついた声で説明を付け足した。
「あんたも齋家の娘なら、知ってる筈でしょう?! 山の外に居る白華族から身を守る為の結界よ!」
「・・・・・・?!」
彼女の言っていることが全く理解不能の彼に、少女は続ける。
「この結界が無かったら、下界にいる白華族の奴らがまた、残りの黒華族の者を根絶やしにしようと攻めて来るんでしょう?私達の居る山を結界で守ってくれて、白華族の守護神獣である龍を封じ込める為に、極秘で協力してくれている大祝には感謝しているわ。でも・・・」
(「龍を封じ込める為」って・・・しかも父様が「極秘で協力」って・・・?!)
彼女は一体何のことを話しているのか。
龍は敬い、崇められるべき神獣だ。彼女は何か勘違いをしているに違いない・・・・。
「あたし達の住む黒華村には、千年前の戦で龍に殺されずに生き残った者達の子孫がいるのは知っているでしょう? この結界のおかげで村は一応平和だけれど、外の世界では白華族が黒華族の生き残りを狩っていると聞いているわ。黄華族があたし達の先祖をこの山にかくまって、仕事を与えてくれなかったら、皆とっくにこの世にはいなかった・・・」
だから黄華族の人達には感謝している、と独り言のように呟いた後、いまだに腕を震わせている彼女は、今度はきつい口調で彼に言った。
「齋家は信用しているけど、あんたも一応白華族みたいだからね。いい? どんなことがあっても、外の世界では絶対にあたし達のことを口に出しては駄目よ。過去に外へ行った者は誰も、二度と戻っては来なかったわ。いいわね、わかったわね?!」
「・・・・・・」
何かが絶対におかしい、と春萌は思った。
母は白華族の出身だが、白華族が千年前の戦で生き残った黒華族の残党を狩っているなどとは、聞いたことがない。
しかも黒華族など、百華国内にはうじゃうじゃいるではないか。
それにここは黄華族の地である黄華州だし、白華族はあの戦以来すっかり力を失って、今ではこの国の皇帝は黒華族であることくらい、自分のような子供ですら知っている。
(父様達はこのことを、黒華村の人達に話していないのかな・・・?)
もしもそうだとすれば、どうして・・・?
彼女の両腕が、またビクビクと震えている。彼女は病気なのだろうか。
春萌がそう考えていると、腕に視線を感じたらしい彼女が言った。
「この腕のことは、心配しなくても大丈夫よ。この震えは単に、龍神に選ばれた『御印』だそうだから」
「みしるし・・・?」
「そうよ」
彼女の顔色が、心なしか随分と青白く見えた。
(このお姉さんに、黒華族のことを話してみようか・・・)
迷っていると、少し離れたところから、人を探す呼び声が聞こえて来た。
「いけない、もう天宮に行かないと。そろそろ御龍祭の打ちあわせもあるし。 あんたのことは内緒にしておいてあげるから、早く帰んなさい!」
(えっ、天宮に・・・?!)
「待って!」
急いで立ち去ろうとする彼女を、驚いた春萌が思わず呼び止める。
「お姉さんも天宮に入れるの?!」
「あたしもって・・・勿論よ。村民は全員、否応なく参加させられるんだから」
変なことを訊く子ね、と言いながら、今度こそ走り去って行く彼女の後姿が、ほどなく闇の中へと消えて行く。
独り残された春萌が、心の中で問いかける。
(父様達以外には、誰も立ち入れないはずの天宮に・・・どうして?!)
それに、御龍神山は禁足地だ。天宮に出入りする御龍教の神官達以外の人間は、誰も居ないはずだったのではないのか。
しかも彼女の話によると、山には結界まで張ってあったのだという。
(それに、あの『御印』・・・)
あんな物は父達から、一度だって聞いたことがない。
(黒華族のこと、結局話せなかった・・・)
しばらくの間、彼女が去って行った方向を見つめていた春萌の目の前に、ふと鬼火が浮かびあがった。
鬼火はぽつり、ぽつりと次第に増えて行き、まるで彼を案内しようとしているかのように、山頂へと続く道を照らし始める。
何かを訴えようとしているのだろうか。それともこれは、ここに迷い込んだ彼を惑わそうとする霊達の罠か。
春萌は少しの間逡巡すると、やがて意を決したように、鬼火に照らされた山道を上へと向かって歩き出した。




