春萌の回想
あれは丁度、8年前の御龍祭の夜中だった。
御龍神山の麓付近にある齋家では、全身をくまなく清め、白装束に身を包んだ祖父と父が、天宮にて大祝継承の儀を行うべく準備をしていた。
初めて父が天宮に入宮出来る晴れの日の筈なのに、なぜか二人は暗い表情で黙々(もくもく)と支度を整えている。
互いの視線がふと交差すると、祖父がうな垂れたまま短く呟いた。
「・・・すまない・・・」
「・・・お父さんのせいではありませんから」
(どうしたんだろう。まるでお通夜の最中みたいな顔をして・・・)
十歳になったばかりの春萌は、二人の顔を交互に眺めながら不思議に思った。
父達は、天宮に行きたくはないのだろうか。
自分はせめて一度でもいいから、あそこを見てみたいと願っているのに。
鉤鼻で目付きの悪い、怖い顔をした神長官が、他の『三官の祝』を引き連れて祖父と父を迎えに来ると、二人は覚悟を決めたような顔をして、彼等と一緒に出かけて行った。
御龍神山の中でもひときわ神聖とされている天宮には、大祝や神長官等の特別な神官しか入宮を許可されていない。
「天宮には神様が御座す」からだというが、春萌には正直あの陰険な神長官のどこが聖職者としてそんなに特別なのか、さっぱり解らなかった。それどころか、まるで物語に出てくる牢獄の獄吏のような彼を、子供達は密かに『獄吏様』と呼んですらいるというのに。
他の『三官の祝』も神長官の血縁という噂で、皆似通った雰囲気の持ち主だった為、どうしても好きにはなれなかった。
父達を見送った後、窓から神山を仰ぐと、暗闇の中に僅かながらも天宮の灯りが浮かんで見える。
祭りに誘われて出て来たのか、此岸を音も無く行き来する者達を眺めながら、彼が呟いた。
「今夜はずい分たくさん霊がいるなあ・・・」
思ったままのことを、ついうっかり口にしてしまった春萌が、しまったとばかりにチラリと母を見たが、遅かった。
母が声をひそめながらも、怒った顔で彼をたしなめる。
「春ちゃん・・・!誰が聞いているかも分からないのだから、そのことは絶対に口にしちゃ駄目だって、いつも言っているでしょう?!」
「・・・ごめんなさい・・・」
春萌には生まれつき霊が見える。龍の子孫とされる父方の齋家にも、母方である李家の者にもない能力だ。
李家は元々(もともと)龍家の縁戚なので、両家の龍の血が色濃く出たのではと父は考えていたらしいが、本当の理由は謎のままである。
春萌が生れた時、真っ先に父がしたことは、彼の性別を女児と偽ることだった。
男児ならば、否応なしに次代の大祝にされてしまうからだ。
春萌に霊能力が備わっていると分かった後は、父の懸念は更に強まった。
けれども、当時そんな事情は一切理解してはいなかった春萌は、いつか自分も父達のように立派な大祝になることを、密かに夢見てすらいたのだ。
母に叱られてうつむいた春萌の眼下を、今度は父達と同じ白装束を纏った神官の霊が通り過ぎた。
生前の御龍祭での行為を繰り返しているのだろうか。彼は笏を手にしたまま厳かに天宮の方へと進んで行く。
(あっ、そういえば、笏・・・!)
父は今日、笏を持って行かなかったような気がする。
父の部屋に無断で駆け込むと、案の定、彼が祭儀に使用する筈の笏がそのまま置き去りにされていた。
春萌は笏をつかむと、急いで玄関から外へ飛びして叫んだ。
「ぼく、父様に笏を届けて来ます!」
「えっ・・・あ、待ちなさい!春ちゃん!」
今から追いかければ、もしかすると父に追いつけるかも知れない。それに・・・。
(このままあの神官霊について行けば、天宮まで辿り着ける筈・・・!)
禁足地に許可なく入れば叱られるとは分かっていたが、背後に聞こえる母の声を振り切った彼は、わき目も振らずに霊を追いかけ神山へと消えて行った。
不気味に赤く染まった満月が、あるかないかの山道を皓皓と照らしている。
時折周囲から聞こえる鳥の羽音に驚きながらも、しっかりと笏を握りしめたまま、彼はひたすら霊の後について行った。
天宮は御龍神山の頂上付近にあるらしいのだが、いつまで経っても辿り着きそうにはなかった。
むき出しの素足に革の沓という無謀な軽装で来てしまった為、足も既に傷だらけだ。
疲労がたまる一方の春萌とは違い、幽霊の方は疲れ知らずだった。
二人の間にだんだんと距離が開いて来て、じわりと焦りを覚え始める。
その時。ふいに彼の目の前を、何かが横切った。
「・・・・・!」
驚きと怖さのあまり、彼の疲れ切った足がもつれて転んだ。
針葉樹の枝や葉が、どさりと地面に落ちた彼の素肌に容赦なく刺さる。
「いたっ・・・!」
肘と膝をすりむいた彼は、しばらくの間起き上がれずにその場で横たわっていた。
ようやく痛みをこらえて立ち上がった時。
あの神官の霊は、どこにも居なかった。
(しまった・・・! どうしよう、あの霊がいないと道が分からない・・・!)
つい先ほどまで汗ばんでいた背筋に、急に寒気を覚え始める。
今はまだ、恐らく山の中腹付近だ。頂上辺りにある筈の天宮からもれ出る灯りを探してみるが、生い茂る針葉樹林が視界を遮っている為、全く見えない。
近くで梟の声がして、春萌はびくりと身を縮めた。
よく考えてみれば、ここは大自然の真っ只中だ。神山に虎や狼が出るとは聞いたことがないが、もしかすると野犬や熊等はいるのかも知れない・・・。
このまま遥か眼下に見える地宮の、祭りの明りを目印に下山しようかどうかと迷っていると、ふいに背後の山道から鋭い声が闇に響いた。
「あんた、ここで何をしているの?!」




