武状元・李瑠夏3
思い当たる節は、幾つかあった。
麗宝はこれまでも明啓塾の書庫で恵秀に散々(さんざん)求婚し、振られたあげくに大声で泣きながら史明の元に去って行った。 けれども、今まで龍宝がこれほどまでに盛大でみっともない泣き方をしているのは、さすがに見たことがない。
以前にも増して恵秀への想いを全面に出す彼女に、許婚として苛立ちを覚えたこともあったが、今思えば彼女は、そうやって周囲の男達を牽制していたのかもしれない。
麗宝が恵秀の為に、独りでハリネズミのように身を守ろうとしている間、青慎はといえば、彼女の泣きっぷりを横目で見ながら「自分の許婚ながら恥ずかしいヤツ」などと思ってすらいたのだ。
「本当に・・・最低だな、僕は」
立ち止まったまま、苦し気な表情をしてぽつりとそう呟いた青慎を、春萌がなぐさめるように言う。
「そんなことはありませんよ。龍同年が毎回珀同年に八つ当たりするのも、珀同年に甘えている証拠ですし」
「ありがとう・・・僕は自分のことに精一杯で、麗宝の気持になどこれっぽっちも気付いてあげられなかった・・・」
「では、もしも龍同年の気持ちを大切にしたいのでしたら、このまま何も気付かない振りをしていてあげて下さいね」
「え・・・?」
麗宝に謝りたい、などと野暮にも考えていた彼が、当惑して春萌を見る。
「きっと彼女は自分でも半ば無意識にやっているのでしょうし、彼女に周囲の独身男性達がどういう想いを抱いているかなんて、気付きたくすらないはずです。だから、どうかこのままそっとしておいてあげて下さい」
科挙試よりも難しい女心をいとも簡単に解説する春萌が、にこりと少女のように優しく微笑む。
(どうりで師匠が気に入るわけだ)
彼に感心する一方で、どこか割り切れない思いを抱いた自分がいる。
恵秀に対する嫉妬も、ムクムクと頭をもたげて来た。
「・・・麗宝は、恵秀兄様と二人だけの時にはどう泣くんだろう・・・」
うっかり心の声を口にしてしまった青慎が、あわてて弁解する。
「れ、麗宝は明啓塾でも、李御史の前でいつも同じように大泣きしていたし・・・・や、やっぱりさっきの意見はおかしくないかな?!大泣きの最大の原因は結局、麗宝が子供っぽいからじゃないかとも思って・・・」
「・・・それも勿論あるのかもしれませんね」
ライバルに対して嫉妬した、とは口が裂けても言えない青慎の心中を察した春萌はしかし、彼にそれとなく返事を返しただけで、あとは何も言わずにただ微笑んでいた。
麗宝にとって、女性としての彼女を恵秀に拒絶されるということは、最後通牒を出されるようなものだ。
子供としての彼女の求愛が拒絶されても、女性としての最後の砦が残されてさえいれば、彼女はまだ希望を抱いていられる・・・。
(だから心配しなくても、龍同年が李御史の前で女性らしい涙を見せる日は、きっとまだまだ来ないのではないでしょうか・・・)
独りでああだこうだと悩んでいる青慎を気の毒には思いながらも、春萌は心の中で彼に向って呟いた。
(でも、珀同年には、本当のことは教えてあげられません。だって僕はやっぱり、龍同年の味方ですから)
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花果茶を運んで来た麗宝が、恵秀の居る御史部屋から去った後。恵秀は独り、思索にふけっていた。
(麗宝が黄華州へ行ってしまうのは寂しいけれど・・・しばらく頭を冷ますのには、いい機会なのかもしれない)
今回の行啓にも、鳳翔太子はもちろん黒鳳凰召喚の羽根を持って行くだろう。だがそれで麗宝の身が守れるというのなら、構わない。
太子どころか黒耀帝ですら、いまだに黒鳳凰の化身を見付けられないでいるというのは、恵秀にとって幸いであった。彼等もまさか、その本人が官吏として朝廷に仕えているなどとは、夢にも思っていないらしい。
けれども前回黒鳳凰が召喚された時、彼はこの御史台の部屋にいた。幸運にも黒鳳凰と化す場面を目撃されることはなかったが、そのリスクは今も常につきまとっている。
それでも地方で身を隠して暮らし、麗宝と会えなくなる位なら、死んだ方がましだと彼は思った。
恵秀には親しい友人がいない。家族親類とのつながりも、限り無く薄くなるようにつとめている。全ては黒鳳凰の化身としての正体を気付かれずに暮らすためだが、本当の所、麗宝さえ傍に居てくれれば他に誰も必要とはしていなかった。
丁度この千年もの間、彼がずっとそうして来たように。
世間では皆、麗宝の方が一方的に恵秀に熱を上げていると誤解している。当の麗宝ですら、自分が片想いだと信じて疑わない。
だが、真実は逆なのだ。彼の方がそれこそ狂おしい程に、麗宝を必要としている。
彼女が幾度生まれ変わっても恵秀を愛し、追いかけ続けてくれなかったら、自分はとうに発狂していたかもしれないと、いつも本気で思うほどに。
白華帝であった彼が、妻の白龍姫に夫として最後に触れたのは、もう千年も前のことだ。以来、何度も転生してくる彼女を眩しい思いで見詰め続けながらも、決して手を出すことだけはしなかった。
(だが、さすがに千年はきついな・・・)
愛くるしい麗宝に対する、己の凶暴なまでに激しい想いをこれ以上押さえきれなくなる前に、この機会に少し距離を置いた方がいいのかもしれない・・・。
無理矢理そう決心して、深い溜息をつきかけた瞬間。
ふいに御史部屋の入り口から、何かが恵秀の股間に跳んで来た。
殺気を感じた彼がつい反射的にそれをかわすと、「チッ」と舌打ちをした瑠夏が、恵秀の前に姿を現した。
「瑠夏姉さん・・・いきなり何てことをするんですか」
表情に乏しい糸目の彼がのんびりと、だが明らかに不満そうに抗議する。
「あら、単なる挨拶がわりよ」
「あなたにとってはそうでも、こちらにとっては男としての生死にかかわるんです」
「麗宝ちゃんの愛を受け容れる度胸も無いタマ無しなんだから、いっそのこと本当にとっちゃえばいいのよ・・・スキありっ!」
恵秀がまたしても、紙一重で攻撃をかわす。
瑠夏がいまいましそうに毒づいた。
「またかわしたわね! 恵秀はいつも、本当に危険な時には必ず攻撃をかわせるのよね。あたしが青慎の前で足を引っ掛ける時には、決まって転んで彼を道連れにするくせに」
「・・・・・・・・」
「あたしの●(ピ)●(ー)●(ッ)●(!)攻撃をかわせる者は滅多にいないのに、壊滅的な運動音痴のはずのあんたが、一度もそれを喰らっていないのはどうしてかしらね。あんた絶対に、実力を隠しているでしょう!」
だが恵秀は、彼女の問いには答えずに返す。
「さっき禁軍が異例の、金的防具の大量注文をしていたそうですが・・・ようやく謎が解けましたよ」
「謎と言えば、あんたの正体よね。腹違いとはいえ、私はあんたが自分の弟だなんて、これっぽっちも思っていやしないわ」
瑠夏が真直ぐに恵秀を見据えると言う。
「だって、昔、遠縁の『糸目のお兄ちゃん』だった人が、しばらくすると全くの別人として現れて、また何年かしたら、今度はいきなり私の弟としてやって来たのよ?! 三人とも、見た目も性格もそっくりで、どう見たって同一人物なのに。しかも弟のはずなのに年上にしか見えないだなんて、おかしすぎるわ。でも亡くなった父様は、私がいくらそう訴えても耳を貸さなかったのよね。兄様達だって変だと言っていたくせに、父様が他界した途端に弟だと認めるし。何か隠しているに決まってるわ」
「・・・・・・・・」
「さあ、今日こそは洗いざらい吐いてもらうわよ。あんたは一体何者なの?!」
(続く)




