追憶 其の一『男装にて配達中の出来事』
謙信と梅歌の、回想になります!
よろしくお願いいたします。
「いけない!配達時刻までだいぶ時間がない……もうお昼か……ご飯抜きで行けば間に合うかな」
おしおは急ぎ男装姿に身なりを整え、塩の容器を幾つも入れた背負い籠を持って家を飛び出した。
山の麓のお得意先に向かう道は、野生動物が多いため襲われないように慎重に前へ進む。
万が一にも商品を破損したりすれば、ただでさえ希少な塩を無駄にするだけではなく。
父の顔に泥を塗ることになってしまうからだ。
しかし、そんなおしおの心配は現実へとなってしまうーー。
「イヤァァァア!野生の猪!!」
「イヤァァァア!野生の猿!」
「イヤァァァア!大きな鹿!」
何と普段の何倍もの動物と遭遇しては、追いかけられてしまい気付けば見知らぬ方角へ移動していた。
「ハァ、ハァ……逃げてたら、ここがどこかわからなくなってきた……」
幸い快晴だったため、森の中の道はまだ明るく爽やかな風が頬の汗を攫った。
「……ふぅ、引き返してからどのくらいかな……。たぶん、もう少しのはず!」
「上物みっーけた」
行手を阻むように、目の前に現れたのは山賊たち。
彼らは、武将首を狙う荒れくれ者だ。
「……塩商人?あぁ、上杉の回しもんか?
これまた良いとこの嬢ちゃんと来たなぁ」
野生に近い嗅覚で、おしおの男装は見破られているようだった。
「……」
(まずい、商品を渡すわけにはいかないし……。護身用には、短刀しかない。
どう見ても相手に武がある……でも……)
気づけば前だけでなく背後も、男達に囲まれていた。
ゾロゾロと、獲物を狙う狼たちは、最高潮に飢えており涎を啜る。
(……ここは、仕方ない)
「……えへへ、大人しく塩を渡すので見逃してはいただけませぬか?この通りです」
おしおは、地べたへ頭をつけて土下座した。
状況は、まさに多数に無勢。
謙信から多少の護身術は学んでいたが、この人数と男相手に敵うはずがないと降参する。
「仕方ない、今回は見逃してやるかなぁ」
「アニキ、良いんですか?オイラたちの存在をチクられますよ」
「ウッホォー!こりゃ高値で売れるぞぉ!
あぁ?そうだなぁ……」
「確かに、このきめ細かい肌。
そして……じゅるる。良い肉質だ」
「!!?」
しかし、山賊は目の色を変えておしおの顎を無理やり持ち上げる。
そこへ群がる他の男たち。
頬の匂いを嗅ぎ、足を握られ、髪を強引に鷲掴みにされてしまう。
あまりの出来事に、震えて抵抗出来なかった。
(ッ嫌、助けて……誰か!!!)
「ンン!!!?」
「大声出されたら堪らんからな、へへ」
山賊の一人が、慣れた手つきでおしおの口元へ布を詰め、いよいよ声すら封じられてしまう。
(もう、駄目なの……)
「さあ、可愛い嬢ちゃんのカラダをたっーぷり味合わせてもらおうか」
そう言って大人数の手が一斉に伸ばされる。
恐ろしさに、目を瞑ることしか出来ずに
涙が頬を伝う。
(謙信様……)
そう諦めかけた時ーー。
風が、凪いだ。
一筋の太刀の閃光が、尋常じゃない速さで横切った。
「ウギャァァァア!!!う、腕がぁ、俺の腕が!!ッぁが!」
おしおの頬を嗅いでいた男の腕は、間接部分が切り落とされ血飛沫を上げた。
男の後ろには凄まじい怒りに満ちた謙信が佇み、その眼光を一層鋭く光らせている。
「貴様どうやって、死にたい?」
「ヒィ……!!!鬼神だ!!逃げろ!!」
「お、おい!俺を置いてくな……お前たち!!」
「越後の虎とまともにやり合う馬鹿はいませんからね、ご愁傷様おやびん」
「おい!……この通り、御命だ……け、は……。カハッ」
喋り終わるより先に、刀は男の心臓部を貫いて無慈悲に引き抜かれる。
「……ガフッ、ぁ……がは」
慣れない血とその匂い。
目の前で繰り広げられる、やるかやられるかの生命のやり取り。
圧倒的な強さの前では、まるで小動物も同然に思えた。
「……おしお?」
彼女の全身の筋肉は恐怖に縮まり、ガクガクと顎は震えが止まらず。
声一つ振り絞ることさえ、ままならない様子だった。
「……っ」
(情けない……情けない!情けない!
抵抗するどころか、指一つだって動かせない!謙信様のお側に使える身分で、こんな気弱で頼りないのだと思われたくない……こんな無惨な有様耐えられないッ!!)
「ぅっ!!!」
不安定に揺らぐ足に力を込めて、もつれながらも逃げるように走り出した。
「待て何処へ行く!!?」
「こんなところ見ないでッ!来ないで……くださいッ」
(何もかも、もうどうでもいい。
こんな姿を晒すくらいなら、どこか遠くに消えてしまいたい)
行く宛もないまま、昼下がりの山道を謙信から遠ざかるように走る。
「おしお、何故逃げるんだ!!」
しかし獰猛な野生動物のように、追いかけてくる謙信の足の速さには、まず勝てるわけもなく。
そんなことわかりきっていたはずだった。
それでも、逃げる足は止められない。
「……俺の融通がいつまで効くか試すか?
……残念だが、もう待てない」
ブン!!と一本の太刀が、おしおの行手へと真っ直ぐ飛んでくる。
「ヒィ!!」
避けられる位置に落ちるが、前方の道を塞がれてしまう。
仕方なく後退しようと振り返ると、息を切らした謙信の巨体が目前を占拠していた。
「おしお……」
「嫌です!!離して……、こんな酷い顔見ないで……」
優しい手つきで、頬についた返り血をそっと拭われた。
彼の困ったような表情に、心が締め付けられる。
「俺を罰してくれ」
「え……何を言って」
「この短刀で俺の体に、お前の名前を刻んで欲しい。……それが、俺の贖罪だ」
至って真剣な面持ちで、おしおの手に短刀を握らせる謙信。
「や、やめて……!違います!私は、自分が穢らわしくて……貴方に嫌われたくなくて……それで」
「……仮にお前が穢れを背負ったならば、俺がその穢れを全て引き受ける。だから、安心しろおしおは無垢で綺麗なままだ」
零れ落ちた涙を拭うように、目元に謙信の唇が何度も触れた。
「それにこれからも、脅かす全ての恐怖からお前を守ると約束する。
さぁ、俺にお前の全てを刻みつけるんだ……」
刀を持った手を引き寄せられ、上半身に押し付けられる。
それを阻止しようと、訴えかけるように顔を見上げた。
しかし、何故か酔いしれるような不気味な微笑みと、赤らんだ頬、恍惚な瞳で見下ろされている。
思わず見惚れていると、切先はゆっくりと謙信の喉元へ押し込まれてしまう。
「謙信様!お願いですから、お辞めください!」
「何故だ。俺が、嫌いか?」
おしおが拒絶する意味を、理解できないと言わんばかりに首を傾げている。
「いいえ!心からお慕いしています」
「……。もう、逃げないか」
「勿論です!!ですから……!!」
「これからお前の人生を賭けて……いや何度生まれ変わっても。側にいるのは俺だけなのだとこの脳に、精神に、記憶に、魂に……刻み込んでいくんだな?
……永遠に、誓うのだな?」
「……!!!?」
「それが嫌というのであれば、直接俺に刻むといい。
俺の心は、もうおしおなくして生きてはいけない。それほどまでに、俺を狂わせている責任を果たすべきではないのか?」
「……ッ」
加減なく謙信に握られた手首には、爪が食い込んで骨が擦れて痛んだ。
「ッ!!」
「さぁ、選べ。どうしたい?
俺を好きにできるのは……。俺を飼い慣らせるのは、この世で唯一お前だけだ」
どこか余裕のない低い声音は、おしおの耳元を甘く震わせた。
思わず目を瞑ると、ガッと顔を持ち上げられ顔同士は目と鼻の先にあった。
「俺から目を逸らすな。純情ぶるのはもう辞めて、お前も俺に堕ちればいい」
「それでは、貴方に相応しくないと……」
「それを決めるのは俺だ。
一層、俺が主人になれば、お前は文句一つ言わなくて済むか?
まあ、俺に飼われる覚悟があるならの話だがな」
(あぁ、なんてずるい方なんだろう)
おしおは決意表明の代わりに、握っていた刀を今度は謙信へと握らせる。
「……謙信様が、私の御主人であるならばそれほど光栄なことはございません。
だからどうか、私の心臓を貴方様に捧げますのでご随意にしてください」
「……!!!またそうやって、俺の性を昂らせるのだなお前は。
……なんて魔性な!これでは、ただ一生離してやれないだけでなく、俺の思いが呪いになってしまうぞ」
「はい……!!」
「ッ何故そうも屈託なく、俺を受け入れるんだ。ハァ……降参だ。
しかし、このままでは返してやれないな。
お前から拒絶された傷が、まだ癒えない……。どうすればいいか、わかるな?」
謙信は前屈みになり、瞼を閉じる。
おしおは何をすべきか理解していた。
いいや、期待さえしていた。
「……お慕いしております、謙信様」
吸い寄せられるように、唇を重ねていた。
「……ンンッ」
「……ん!!?」
一度触れてすぐに離れようとすれば、後頭部を固定されてしまい逃れられない。
何度も何度も交わされる口付けに、二人の息は上がっていく。
「……ッ」
名残惜しげにゆっくりと離れて、互いを愛おしげに見つめ合う。
「俺の愛も、純潔も、この体も心臓全てを
どうか永遠にお前を縛りつけていくように」
指と指を隙間なく絡めて、そこへ頬擦りしながらぎゅっと握りしめる。
「逃げても、どこへ行こうとも、例え忘れてしまっても。俺たちは、この赤い糸で何度も結ばれる運命共同体だ。
絶対に死んでも離してやらないから、覚悟しておけよ」
「……はい!!どこまでも、お供いたします」
もう一度、深い口付けを誓いと共に。
おしおを送り届けた謙信は、待たせていた従者の元へと戻る。
「謙信様、何故あの者には跡をつけていたことを申し上げないのでしょうか?
……ッ!!!?」
全く悪気のない従者の男の前には、あろうことか刀を突きつけられていた。
「無粋な詮索は、辞めておけ。
彼女のことを考えるな、頭に浮かべるな。貴様の記憶から、今すぐに抹消しろ。さもなくば
斬り捨てるぞッ!!」
「は、はいぃい!!」
(そもそも、一人で行かせるわけがないだろう。おしおの父君に逐一行動を知らせるようにも、手配してある。家の周りに見張を置くことなど、当然ではないか。
それもこれも抜かりなきよう、愛する者の全てを把握するためだ。これが、真の愛であるのだから)
「俺が領地を拡大し、武功を上げればおしおに何不自由させずに共に暮らせるのだ。そのためなら……俺はどんなことにも耐えられる」
「……謙信様であれば、必ずや果たせましょう」
「当然だ。……城へ帰還するぞ」
「御意!!」
夕暮れの空を仰ぐ謙信。
ただ一心に、おしおへの熱い思いを馳せる。
まるで謙信の心を映す鏡のように、大空は赤々しく染まっていたーー。
ご覧いただき、ありがとうございました!




