愛が溢れる馬車
ガタゴト…ガタゴト…。
「……で。これはどういうおつもりですの? 完全なる『誘拐』ですよ、『誘拐!』セルウィウス様」
ガタゴトと揺れる馬車の中。
私はシートに深く腰掛け、両腕を組んで、目の前に座る男をジト目で見つめていた。
連れ出された先は、王宮の駐車場に停められていた、漆黒の絢爛豪華な馬車だった。
車内は最高級の革張りのソファと、妖しく光る魔導ランプで飾られており、公爵家の馬車すら霞むほどの贅沢さだ。
そんな空間で、私を強引に連れ込んだ張本人であるセルウィウス様は、脚を組んで優雅に腕を組んでいた。私からの鋭い視線を浴びても、彼は眉一つ動かさない。
「誘拐とは外聞が悪いな。私は君を保護したのだ」
「保護!? どこがですか! 私の同意もなしに手を引っ張って、強引に馬車に押し込める行為を、この世界では『拉致・誘拐』と呼ぶのですわ!」
私が怒りを露わにして迫ると、セルウィウス様は群青色の瞳を少し細め、静かに尋ねてきた。
「……君は、その呪いを解きたくないのか?」
「ッ……!」
その言葉に、私は思わず言葉を詰まらせた。
解きたくないわけがない。
七歳のあの日から、私の青春は「周囲から怖がられ、避けられ、白目を剥かれる」という暗黒の歴史で塗りつぶされてきたのだ。
本当なら、友達とお茶会をして「このドレス素敵ね」なんて笑い合いたかったし、街に出かけて普通に買い物だってしたかった。誰からも悲鳴を上げられず、穏やかに、普通に暮らしたい。それが私の長年の切なる願いだったのだ。
「……解けるものなら、解きたいに決まっていますわ。普通の生活を送って、穏やかに過ごしたいですもの」
私の本音を聞くと、セルウィウス様は口元をわずかに緩め、堂々と言い放った。
「ならば、私の力を頼るしかない。君のその呪いを完璧に解除できるのは、この大陸で私だけだ」
「……ハァ」
私は大きな溜息をついた。
「あのですね、セルウィウス様。そもそも、あなたが本当に『あの本物の剣聖』なのかも怪しいですし、仮にそうだったとして、なぜ剣聖が私の呪いの影響を受けないのですか? なぜそんなに呪いに詳しくて、解くことまでできると断言できるのです? 正直、胡散臭すぎて信じられませんわ」
矢継ぎ早に問い詰めると、セルウィウス様はふっと自嘲気味な笑みを浮かべた。
「『剣聖』などという大層な名は、人間どもが勝手に私を祭り上げただけに過ぎん。私はただの流派の当主だ。……ところでレティシア、君は『聖書』をよく読むか?」
「聖書……ですか?」
唐突な質問に首をかしげつつも、私は頷いた。
「ええ。悪魔に呪いをかけられてからというもの、屋敷で誰も私に近づいてくれませんでしたからね。暇潰しと、少しでも呪いを解く手がかりがないかと思って、聖書なら擦り切れるほど読み込みましたわ」
「なら話が早い」
セルウィウス様は組んでいた脚を解き、少し身を乗り出してきた。
「聖書にある通り、天界の神々は『天使』を従え、地獄の神は『悪魔』を従えている。では、この地上を統べる神……『ガイアード様』は何を従えていると思う?」
私は聖書の記述を思い返しながら、即座に答えた。
「ガイアード様が従えているのは……最強の種族とされる『ドラゴン』ですわね」
「その通りだ」
セルウィウス様は満足そうに頷いた。
「つまり……」
私はピンときて、人差し指を立てた。
「あなたは『地上の天使』……つまりドラゴンとでも言いたいのですか?」
「人間どもの呼び方なら、そうなるな。……だが、我々の真の御名は『始化』という。天使や悪魔と同様の呼称だ。『自然界で最も古い生命』であり、生きとし生ける全ての獣の頂点……原初の獣だからだ」
「……シカ?」
私は思わず、首を傾げた。
「ガイアード様が、神話の中で『黄金のシカ』の姿で描かれているからですか? だから、あなたたちも『シカ』……?」
「………………」
車内に、痛烈な静寂が落ちた。
セルウィウス様が、信じられないものを見るような目で、じっと私を見つめている。群青色の瞳がスーッと細められ、絶対零度の冷気が車内に漂った。
「……レティシア。冗談だよな?」
「……あ、はい。ごめんなさい、大真面目に間違えました。言葉が違いましたね、はい」
私は即座に、そして素直に頭を下げた。
『始化』と『鹿』を盛大にかん違いしたことがバレて、死ぬほど恥ずかしい。公爵令嬢としての教養が泣いている。
コホン、と咳払いをして誤魔化しながら、私は本題へと戻した。
「え、えーっと! つまりセルウィウス様は、人間ではなく『始化』という超常の存在だから、悪魔のお粗末な呪いの認識阻害が効かない……ということでよろしいかしら?」
「そうだ。あの程度の呪い、我らから見ればハエが飛んでいるようなものだ」
なるほど、と納得がいった。
人間だけに効く認識阻害の呪い。だが、相手が人間を超越した『原初の獣』であるなら、私の顔が恐怖の化け物に見えるはずもないのだ。
だが——だからこそ、新たな疑問が浮かび上がる。
「構造は理解できましたわ。……ですが、セルウィウス様。どうしてそこまでして、私を助けてくださるのですか? あなたほどの存在なら、人間の呪いなど放っておけばいいはずでしょう?」
最初は、私の呪いに興味を持っただけ(食べたい)と言っていた。
だが、わざわざ夜会に乱入し、大見得を切って私を強引に連れ出し、自分の婚約者にするとまで宣言したのだ。いくらなんでもやりすぎである。
私の問いに対し、セルウィウス様は照れる様子もなく、ストレートに答えた。
「最初に君の存在に気づいたのは、確かにその異質な呪いの波動ゆえだ。……だが、私が君を連れ出し、婚約者と宣言したのは……ただ単に、君に惹かれたからだ」
「………………は?」
二度目のフリーズ。
「ひ……惹かれた、ですって……?」
「そうだ」
ドギマギして声が裏返る私に対し、セルウィウス様は至って真剣な顔で、堂々と言い放った。
「常人ならば一瞬で精神が狂い散らかすような理不尽な呪いをかけられ、周囲から化け物扱いされて孤立しながらも……君は幾年もの間、まったく自らの芯を折りもせず、むしろ悪ノリして逞しく生き続けていた。その強靭で美しく、愛らしい魂に……私は心底、惚れたのだ」
「ほ、ほほほほ……っ!?」
直球すぎる!!
直球ストレートすぎて、私の胸にドカンと大砲が打ち込まれたような衝撃が走った!
えっ、何この人!? 「惚れた」って言った!?
しかも「愛しい」とか「美しく」とか、恥ずかしげもなく真顔で言ってきたんですけど!? 『鹿』、いや『始化』って恥とかマナーとかないの!?
「な、何を言っているのですの! 突然! 冗談は顔だけにしてくださいまし!」
「冗談に見えるのか? 私は心から惚れたのだ」
セルウィウス様が顔を近づけてくる。
逃げようとしたが、彼は私の両手をそっと優しく包み込み、逃がしてくれなかった。群青色の瞳に、誤魔化しようのない本気の熱が宿っている。
「私は至って真剣だぞ、レティシア。このような事を冗談で言う者など。それこそ何かの冗談の産物だ」
「う、うぐ……っ! じ、じゃあ聞きますけど! あなたは私が呪われてから、ずっと私のことを見て知っていたというのですか!?」
照れ隠しで少し怒り気味に尋ねると、セルウィウス様は、うーむと少し思案するように首をひねった。
「正直に言うとな……我ら『始化』にとって、一眠りは数年単位だ。人間の時間の感覚で言えば、君の存在を知り、君という人間に惚れてから……まだ数日といったところだな」
「数日!? 軽っ!?」
思わず突っ込んでしまった。
さっきまでの感動的な雰囲気を返してほしい。数日って、ほぼ一目惚れと同義じゃないか!
だが、セルウィウス様は真摯な目で私を見つめ直した。
「感覚的には数日だ。……だが、私は論理的に理解している。君にとっての数年が、どれほど長く、孤独で、過酷な時間であるかをな。その長い時間を、君がたった一人で折れずに戦い抜いてきたのだ。だからこそ……私は君に惚れたのだよ、レティシア」
「っっっ…………!!」
あかん。
この人、天然で殺し文句を連発してくるタイプだ。
今まで、家族からすら遠巻きに見られ、衛兵からは恐怖され、婚約者からは「化け物」と罵られてきた。誰も私の内面など見てくれなかった。誰も私に寄り添ってなどくれなかった。
それなのに——この人は。
私の顔の呪いなど意にも留めず、私の「心と魂」を見て、私の「生き方」を認めて、真っ直ぐに「惚れた」と言ってくれている。
「〜〜〜〜っ!!」
急速に顔に血が上っていくのが分かった。
絶対に、今私の顔は茹で上がったタコのように真っ赤になっているはずだ。鏡を見なくても分かる。
「もう……! もう簡単に『惚れた』なんて言わないでくださいまし……っ! 軽率ですわ!」
私は照れくささのあまり、セルウィウス様の手をバッと振り払い、頬を両手で覆って背を向けた。
ゴツ!
その拍子に、窓におでこをぶつけてしまった。
「ほう……顔を真っ赤にして、実に可愛らしいな。やはり私の目に狂いはなかった」
「い、痛っ……。た、楽しんでいません!? 尊厳破壊ですわよ!?」
「フッ……ハハハ! 賑やかな妻を迎えることになりそうだ。私の数万年の寿命から見たら、君の人生は一瞬。だから、これからは一秒も目を離さずに、全部私が独占するよ」
豪快に笑う剣聖様。
その楽しそうな笑い声を聞きながら、私は車窓の外へと視線を逃がした。
(……なんなのよ、この人……っ!)
胸の奥が、生まれて初めてうるさいほどに高鳴っていた。
悪魔のしょうもない呪いのせいで、私の人生はメチャクチャになったと思っていた。
けれど……もしかしたら。
この強引で、一風も二風も変わっていて、最高に格好良い『剣聖様』との出会いから、私の本当の人生が始まるのかもしれない。
そんな根拠のない予感を抱きながら、私は真っ赤になった顔を隠すように、深く深く馬車のシートに沈み込むのだった。




