13
私は引きつりそうな頬の筋肉を必死に動かした。優しく、害がないことを示すように、とびっきりの笑顔を作る。
「こ……こんにちは、みんな」
絞り出すような声だったが、確かに言葉は届いたはずだった。
子供たちの集団の中から、一人の小さな男の子が一歩前に出てきた。つぎはぎだらけの服を着た、ワンパクそうな少年だ。
男の子は、じーーーーっと、穴が開くほど私の顔を、いや、私全体を見つめている。
私は、息を殺してその言葉を待った。
「こんにちは、お姉ちゃん」と、素朴で愛らしい返事が返ってくることを、心の底から祈り、期待しながら。
頼むから。ガイアード様。私に、普通の人間としての第一歩を歩ませてください——。
沈黙が、永遠のように感じられた。
やがて、男の子はカッと目を見開き、お腹の底から空気を吸い込むと、大音量で叫んだ。
「魔女だーーーー!!!!」
「「「キャァァァァァァァァっ!! 魔女が出たぞーっ!! 逃げろーーーーっ!!」」」
「……はい?」
叫び声一発。
子供たちは一斉に蜘蛛の子を散らすように背を向け、猛烈な勢いで脱兎のごとく駆け出していった。
「え……? えええぇぇぇぇ……っ!?」
私は差し伸べた手の形のまま、固まった。
魔女?
魔女って言いましたの、今あの子!?
化け物ではなく? 悪魔の呪いではなく?
……というか、逃げられた!? やっぱり逃げられたじゃないのよぉぉぉぉっ!!
ガラガラと、胸の中で期待の城が崩れ去っていく。
やっぱり呪いは解けていなかったのだ。私は相変わらず、子供を一瞬で恐怖のどん底に叩き落とす化け物のままだったのだ。二週間の甘い生活も、あのイチャイチャ(解呪)も、全部意味なんて無かったんだ!
絶望と、湧き上がる猛烈な怒りで肩を震わせていると、背後から足音が近づいてきた。
ポン、と私の肩に優しく手が置かれる。
振り向くと、そこにはセルウィウス様が、まるで聖者のような神々しく慈愛に満ちた笑みを浮かべて立ち尽くしていた。そして、高らかに、しかしどこまでも優しく私に語りかけてきたのだ。
「良かったな、レティシア。見ろ、呪いは確実に、一部解かれているぞ」
「どこがですの!?!?」
私はついに理性のタガが外れ、彼の胸板を両拳でボカボカと叩きながら叫んだ。
「どこが解けていますのよバカセルウィウス様ぁぁぁぁっ!! 逃げられましたわ! 見事なまでに逃げられましたわよ! 『魔女だー!』って叫ばれましたわ! 全然解けていませんじゃないですか! 私を騙したのですか!? あの甘い触れ合いは、ただのあなたのスケベ心だったのですかぁぁぁっ!?」
「落ち着け、レティシア。私に対してスケベ心とは心外だな。……だが、怒りに任せる前に、冷静にあの子供たちの反応を思い返してみろ」
セルウィウス様は私の興奮した両手をつかむと、至極冷静な声で私に促した。
「今までの者たちの反応と、今の子供たちの反応……本当に同じだったか?」
「え……?」
冷静に考えるようにと言われ、私は毒気を抜かれたようにパチクリと目を瞬かせた。
今までの反応?
今までの反応といえば、私の顔を見た瞬間に誰もが目を血走らせ、白目を剥いて吐血し、絶叫しながら自傷行為に走るか、即座に泡を吹いて気絶するか、あるいは狂乱して刃物を振り回すか……とにかく『人間の精神が破壊されるレベルの地獄絵図』だったはずだ。
私はハッとして、遠ざかっていく子供たちの背中に視線を向けた。
遠くへ逃げていく子供たち。
彼らは……泡を吹いていない。失禁もしていない。狂乱の悲鳴も上げていない。
それどころか。
「ひゃははは! 見たかよ今の!」
「すげー! 本物の魔女だー!」
「逃げろ逃げろー! 呪われるぞー!(笑)」
子供たちは、時折こちらを振り返り、ふざけてケラケラと笑いながら、指をさして逃げて行っていたのだ。それは恐怖に駆られた逃走ではなく、まるで『変な恰好をした怪しい大人を見つけて、面白がって冷やかして逃げる子供のいたずら』そのものだった。そのものだった……。そのものだった?
「あ……あれ……?」
狂乱がない。精神汚染がない。
ただ単に「怪しまれて逃げられた」だけだ。
セルウィウス様が、フッと満足そうに口角を上げた。
「君の顔を見た者が精神を破壊されるという『不可逆の恐怖呪縛』は、完全に消滅している。彼らは君の呪いによって恐怖したのではない」
「じゃあ……?」
呪いは解けている。それは分かった。奇跡的なことだ。
でも、じゃあ何故?
私は公爵令嬢として、極上のドレスを着て、顔だって(呪いさえなければ)それなりに整っているはずだ。なぜ子供たちに「魔女」などと呼ばれなければならないのか。
首を傾げる私の視界に、雨の名残か、足元に大きな水たまりがあるのが映った。
私は吸い寄せられるように、その水たまりの傍らへと歩み寄り、水面に映る自分の姿を覗き込んだ。
「〜〜〜〜〜〜っっっっ!??!?!?」
声にならない悲鳴が、喉に詰まった。
水面に映っていたのは——。
美しい髪が、まるで猛烈な竜巻に巻き込まれたかのように、根元から垂直に逆立ち、天に向かってピンと伸び切った状態で固定されている、哀れな女の姿だった。
例えるなら、大樹をそのまま逆さにしたような。
あるいは、塔のようにカチコチに固まった爆発頭。
そう。
上空でセルウィウス様が超音速飛行を行った際、猛烈な風圧と魔力障壁の摩擦によって、私の髪の毛が完璧すぎるほど垂直に煽られ、そのままの形で固まってしまっていたのだ!
「な、な、なんですのこれぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっ!!!???」
王都郊外の空き地に、本日一番の悲鳴が響き渡った。
なんということだ。
カチコチに固まった、天を突くような三角形の巨大な逆立ち髪。
それに加えて、上空での恐怖で涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔。
「確かに……! 確かにこれ、どこからどう見ても『魔女』ですわぁぁぁぁぁっ!!」
自分で見て、自分自身で100%納得してしまった。
呪いでも何でもない! 単なる「髪型がヤバすぎる変な人」として、子供たちに笑われて逃げられただけだったのだ!
「素晴らしいじゃないか」
頭を抱えて撃沈する私の隣で、セルウィウス様がうっとりとした表情で私の固まった髪を見上げ、またしてもロマンチックなトーンで囁いてきた。
「天に向かって威風堂々とそびえ立つ、その独創的な髪型……まるで古代の聖塔のようだ。個性的で、とても愛らしいぞ、レティシア。どんな髪型の君も、私にとっては世界で一番魅力的だ」
「嬉しくありませんわぁぁぁぁぁっ!!」
私は呆れ果て、絶望の淵で自分の頭に手を伸ばした。
何とかしてこの「魔女頭」の髪を元に戻そうと、髪を掴んで下に引っ張ってみる。
グイッ、グイッ。
「硬っ!? なにこれ、鉄ですか!?」
ビクともしない。
超高速飛行の魔力風圧で固められた髪は、まるで樹木のように頑丈に固まっており、手で引っ張った程度では1ミリも動かなかった。解くことも、撫でつけることもできない。完璧なタワー状態である。
「どうしましょう……これじゃ王都の街中に入れませんわ! 食事どころではありませんわよ!」
「なに、気にすることはない。私が横に付いているのだから、誰も君をバカにはさせん」
「そういう問題ではありません! 淑女のプライドの問題ですわ!」
私は躍起になって髪をワシワシと引っ張り、解こうと格闘し始めた。
しかし、どれほど力を込めても、私の髪は神の領域の風圧の記憶を刻んだまま、凛々しく天を指し示し続けている。
呪いは確かに弱まり、人間との正常な接触への道が開けた。
……しかし、その記念すべき第一歩は、「カチコチの魔女頭」という、あまりにも情けなく、甘さの欠片もない大惨事から始まることになってしまったのだった。
「うぅ……戻れ……戻りなさい私の髪……っ!」
「無理に引っ張ると、頭皮を痛めるぞレティシア。それより、どの店でランチを取ろうか。君は何を食べたい? 君の行きたい店にしよう」
「そんなことより助けてくださいませぇぇぇっ!」
王都の風が吹き抜ける空き地で、私は固まりきった自分の髪と、優雅にそれを鑑賞する呑気な剣聖を相手に、虚しい格闘を繰り広げ続けるのだった。




