第9話
うーん、とわたしは執務室の中で唸っていた。
本日は昇進セレモニーの日である。
毎年この時期に行っていたので、流れはよく知っていた。
父と同行していたなぁと思い出す。
じゃあ、今日は参加しなくていいのかと聞かれれば、もちろん欠席である。
久世さんから「君は来なくていいから」とあの後きちんと釘を刺されている。
(わたしも、行くつもりはなかったんですけどね…)
目の前にある悩みのタネ、久世さんの身分証を見つめる。
確か、これがないと会場内に通れなかったはずだ。
セレモニーに入れず、呆然と立ち尽くす久世さんの姿を思い浮かべる。
(…やっぱりダメ。届けないと…!)
「…わたし、届けに行ってくる!」
「お、お嬢さま…!?」
執務室を飛び出し、ダっと駆け出したわたしを使用人たちが制止する。
「ダメです!お戻りください!」
「大丈夫!忘れ物を届けに行くだけだから」
すぐ戻ります!とわたしは制止を無視して外へと駆け出した。
風をスゥっと吸い込む。
柔らかな日差しと澄み切った空気が気持ちいい。
(…久しぶりの外だ!)
うーん、空気が新鮮で美味しい…!グイっとわたしは背を伸ばした。
いろいろな屋台が立ち並び、街中が賑わっている。
久しぶりの外ということもあって、キョロキョロとお店を見回してしまう。
人の行き交いが多いので、わたしは流れに逆らわないよう注意深く歩く。
(なんだか、賑わってるなぁ…)
前からそうだったかなぁと記憶を辿る。
セレモニーのとき、こんなににぎやかだったっけ…?
父と一緒に参加するときは、街中を見回ったりしなかったのであまり思い出せない。
そもそも、馬車移動で寄り道などせず真っ直ぐ会場に向かっていたので、実際に歩くのは初めてだった。
クン、と醤油が焦げたような香ばしい匂いが漂ってくる。
(うわぁ…どれも美味しそう…)
じっと覗き込んでいると人当たりのいいオジサンに声を掛けられる。
「お嬢ちゃん!1個どうだい?美味しいよ!」
「あ…えっと…」
声を掛けられるのは初めてで、戸惑いつつも一ついただく。
(これは、不可抗力…!だって断れないし…食べたかったわけではないし…!)
決して外を楽しんでいるわけではない。
急いではいるが、美味しそうなお菓子に目が眩んだわけではない…はず。
わたしは誰かに言い訳をしながらお菓子を口に運ぶ。
甘さが身体に染み渡った。
(美味しい…!)
初めて食べた味に感動しているとオジサンが苦笑する。
「なに?お嬢ちゃん、もしかして初めて食べたの…?」
「は、はい…!とっても美味しいです!」
キラキラと目を輝かせながら訴える。
「道理で…お嬢ちゃん、いいとこの子なんだねぇ」
上から下までくまなく見られ、オジサンはうんうんと頷く。
なぜ、頷かれたのか分からず、首を傾げる。
変な格好はしていないはず。
「今は、なにかと物騒だから気をつけなぁ」
「え、」
なにが物騒なんだろう?
深く聞こうとすると背中から視線を感じ、ゾクっと身体が冷える。
キョロキョロと辺りを見渡すが、誰もいない。
でも、気のせいじゃない。
…誰かに、見られている。
「おや?大丈夫かい?…顔が真っ青だ」
「あ、いえ。大丈夫です…」
震えながら笑って返事をする。
ドッドッドッと心臓が鳴り止まない。
(なんだろう、この嫌な感じ…)
先を急いだ方がいい気がして、オジサンにお礼を言って足早に立ち去った。
(はやく、会場に向かわなきゃ…)
ようやく当初の目的を果たそうと、どこが会場だったかなと周りを眺めて確認する。
さっきのオジサンは、最近物騒だと言っていた。
それは、久世さんが忙しいのに関係あるんだろうか…?
(一体なにが、物騒なんだろう…)
この国はいつも物騒ではある。
わざわざ、忠告されるのがどうにも引っかかる。
ゾクっとまた寒気が襲う。
(ま、また…)
もう一度注意深く、辺りを見回す。
その時、流れる人のなかで、怪しく光る金色の瞳がわたしを捉えていた。
(…な、なに…?)
サっとわたしは視線を逸らす。
今までの視線はあの金色の目だったんだ…!
本能が、危険だと大声で叫んでいる。
怖くなって、わたしは歩く速度をあげた。
もう走っているに近いのに、さきほどの人もついてきている気がする。
(は、はやく久世さんのところに…!)
震える足と手を抑えながら、とにかく足を動かす。
しかし、うまく歩けずに、足がもつれて前のめりに転びかける。
「あぶない!」
背後から声がして、腕を掴まれた。
「あ、ありがとうございます…」
お礼を言って顔を上げれば、金色の瞳と目が合う。
その瞳は笑っていないのに口は笑っていてゾっとする。
(こ、この人…。さっきの…)
わたしは身体をよじって、彼からゆっくりと距離を取る。
周りは賑やかだというのに、ドッドッという心臓がやけに大きくこだまする。
まるで、ここだけ世界から切り取られたみたいに、音が消えていく。
「やあ。こんにちは」
人懐っこいような笑いでわたしに話しかけてくるその人は、春日さんとは違って感情が読めない。
(こ、怖い…)
じり…とわたしは後ろに下がる。
なぜか、とてつもない圧を感じた。
この出会いが、すべての始まりだった。
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