第10話
「ヤダなぁ。そんなに、逃げないでよ」
助けてあげたじゃんと、さも心外のように言われる。
そうは言われても、怪しさ満開のこのオトコとのんきに話すほどわたしは危機感を失ってはいない。
なにより、後をついてこられたというのが信用できないし、いつの間にか逃げ道を塞ぐようにわたしの前に立っている。
ぎゅ、と懐に持っていた久世さんの身分証を握りしめる。
「…あ、ありがとうございました」
ペコっとお辞儀をし、そそくさと逃げようとするが、鋭く光る金色の目がわたしを見逃してはくれない。
オトコは、薄く笑った。
それが気味が悪くて、わたしの心臓は、周囲の音が聞こえないほど激しく脈打つ。
「ねえ、真実を知りたくない?」
「なんのことですか…?」
会話をしたらダメだと思うのに、オトコの響くような声に、なぜか返事が引きずり出されてしまう。
「どうして久世は、君を外に出さなかったのか」
「そんなの…知らなくて大丈夫です」
…そんなこと知らない。
別に、外に出なくても不便ではなかったし、このままでも困らない。
外で、なにが起きているかなんて…わたしは知らなくていい…はず。
最近物騒だからと忠告してくれた屋台のオジサンを思い出す。
あの時、わたしは違和感を覚えたはずなのに、すぐに考えるのをやめてしまった。
(それは…なんで…?)
「どうして久世は、君を嫌っているのか」
「そんなこと…」
「ないって?ほんとに?言い切れる?」
言い切れなかった。
拒絶されたことは本当だったし、否定できるほど好かれている思い出はない。
でも、認めてしまったら戻れない気がしてわたしは必死にオトコを拒む。
(や、やめて…)
「どうして久世は、君と結婚したのか」
「し、知りません…分からない…」
ドッドッと鳴る心臓は口から出そうだ。
思えば決め付けで、父の後釜に入るためにわたしと結婚したと思い込んでいた。
初めて会った時に、触れるな、と拒絶されたはずなのに、最近は隣にいろと当たり前みたいに言われたり、袖を引かれたりした。
知りたい、と思ったこともあったはずなのに…それなのに、結局深く考えることを放棄していた。
どうして、わたしは考えるのをやめたんだろう…。
(ちがう…考えたくなかった…。だ、だって…もし考えてしまったら…)
「君ってなーんにも知らないんだね」
「し、知らなくても…それに、わたしが知ったところで…」
首を振りながら否定する。
金色の目がわたしを突き刺す。
わたしは、審判を受けているような感覚だった。
まるで、罪状を挙げられてるような…。
「知らなくていいから、これからも見て見ぬふりするの?」
「そういう…わけじゃ…」
「じゃあ君はいつ知るの?いつ分かろうとするの?」
「…」
矢継ぎ早に痛いところをつかれ、反論もできなかった。
(だって…久世さんが考えていることなんて、わたしには分からない…)
分からなければ、知らなければ、ありのままを受け入れられる。
それに…
「それに、傷付かずに済むもんね?」
ハっとして顔を上げると、オトコは呆れ顔をしていた。
「なに?ひょっとして図星だった?」
「わ、わたし…」
立っているはずなのに、地面がグラグラと揺れて底に落ちる感覚。
ヘナヘナ…とわたしは地面に座り込んだ。
「オレ、君みたいなやつ大っ嫌い」
オトコが吐き捨てるように見下す。
わたしは頭が真っ白で、もうなにも耳に入ってこない。
「知りませんでしたって言えば、なんでも赦されると思ってるの?」
「……」
「君って久世の妻なんだろ?じゃあ、もう関係ない人ではいられない。知らなかったで終わるなら、誰も苦しまない」
鋭い視線がわたしを突き刺す。
「…久世さんに、なにがあったというんですか…?」
ぎゅうと目を瞑り、手を強く握りしめながら聞く。
「…知ったら君は、もう戻れないよ?」
「……」
「ぜーんぶ知って後悔する?それともこのままずっと知らないふりしとく?」
はぁはぁ、と浅く呼吸を繰り返す。
もう、逃げられないところまで来ているんだと分かった。
わたしは、ずっと知らないふり、考えないふりをしてきた。
いま、その報いを受けているんだ…。
(久世さん…)
初めは怖いだけだった。
でも、今は久世さんが怖いだけでないと知ってしまった。
それに、わたしは本当は分かっていた。
久世さんから、目を逸らし続けていたことに。
歩み寄りたいって言いながら、久世さんのことを分かろうとはしなかった。
違和感は、たくさんあったはずなのに、考えたくないからと逃げていた。
だけど、もう…逃げ道は塞がれた気がする。
ふぅ…と息を吐き、自分の手を見ると、未だにカタカタと震えていた。
わたしは目の前のオトコを見上げる。
なにが正しいか、なにを知ればいいのかなんて、わたしはなにも分からない。
でもこのまま、分からないまま、久世さんの隣にいるのはダメな気がする。
それに、このオトコに久世さんのことを聞くなんて、正しいかは分からない。
ううん。きっと間違っている。
それでも…わたしには、この瞬間しか機会がないと思うから。
「わたし…知りたいです…。だって、わたしは…久世さんの妻、だから」
真実を知るのはとても怖い。
それでも、わたしは知らないといけないんだ。
彼が言ってたとおり、関係者なんだから。

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