第2章:『初めてのデートは、世界崩壊の味』(後編)
『積層のエラー・モンスター』。
幽の3Dプリンタから溢れ出した、世界のバグの体現者だ。
巨大なモザイクのような、ポリゴンの集合体のような。
顔なんてないはずなのに、ニヤリと笑っているように見える。
「な、何よこれ……!? 呪符が吸い込まれる……!」
「……おや。わたくしの『食べ残し』が、勝手に意志を持ちましたか。これはおそらく、この世界の”バグ”が体現された化け物です――無礼なバグですわね」
「何よそれ!なんでそんなのが現れたのよ! 今までの、幽くんのところに出てきてた怪異とはレベルが違うわ!」
「番犬さん、おわかりでしょう? 以前の怪異は、わたくしが現れて近寄れなくなった」
「……そっか、もっと”ヤバい”やつしか向かって来なくなった、ってことか」
「ふふふ、あの”3Dプリンタ”とやらは、良い触媒になっているようですね」
「笑ってる場合じゃないでしょ!」
白夜が指を鳴らす。
「――消えなさい」
だが、モンスターは止まらない。
「……っ、おかしい……わたくしの力が、効かない?」
白夜の額に、汗が浮かぶ。
琴子が叫ぶ。
「もしかして……、いやきっとそうだわ。そいつはこの世界の"バグ”って言ったわよね? アンタはこの世界の『理』で戦う化物。アンタの力と真逆なんだから、相殺されるに決まってる!」
「……なるほど。わたくしの『消去』を、逆位相の『エラー』で中和している、と」
白夜が、初めて焦りの色を見せる。
「それに――」
白夜は、自分の手を見つめた。
指先が、微かに震えている。
「……この世界で、力を使いすぎましたわね」
琴子が驚く。
「まさか、あんたにも限界なんてものが――」
「ええ。この世界では、わたくしの本来の力は制限されていますの。……ましてや、あの認識改変や、先程の番犬さんとの戦闘で、かなり消耗しておりますわ」
白夜が指を鳴らすが、モンスターは止まらない。白夜の「消去」を、逆位相の「エラー」で中和しているのだ。
怪異の狙いは一つ。トイレの方向にいる、幽の『首』。
エラーモンスターから、サーチするかのような光が幽のいるトイレへと放たれる。
いや、サーチではなく「測定」か。
「……幽くんが、危ない」
琴子が歯を食いしばる。
迷わず『朱音』を振るう。
琴子の念が練り込まれた刃がエラー・モンスターに襲いかかる。
が、当たらない。
「……すり抜けた? まさか、やっぱり『位相』が違う?」
琴子は急いで呪符を取り出し、自らの血を塗り込んで位相を合わせようとするが、やはり全て吸われてしまう。
「あらあら、生まれたての醜い赤子のくせにやりますわね」
白夜は指で丸を作り、空間に円状の穴を開けるが、やはり即座に”上書き”されてしまう。
「ほほほ、この世とは面白いものですね。こんな化物が生まれてらっしゃるとは」
高笑いをする白夜の前で、再びエラー・モンスターから「測定」の光が走る。
壁や床に方眼状の線が浮かび上がり、白夜と琴子にも襲いかかる。
「……わらわを”測定”するとは無礼じゃな」
白夜の口調と声色が、変わった。
そして、白夜は琴子の『朱音』を見つめ、不敵に微笑んだ。
◯
「お、お前ら何やってんだ!? 琴子、その手に持ってるのはなんなの!? そしてこの化け物はなんなんだ!?」
「あらあら番犬さん、見つかっちゃいましたわね?」
「幽! 危ない! 逃げて!」
「女の子二人残して、そんなわけにはいかないだろ!」
戻ってきた幽は果敢にも、Amazonで購入し常に携帯している、伸縮呪棍(定価3500円)を取り出して立ち向かう。
が、当然勝てるわけも効きすらもせず、謎のポリゴンのような触手に絡め取られてしまった。
彼の命はいわゆる風前の灯火というやつだ。エラー・モンスターが今にも幽を取り込もうとしている。
触手が首元まで這い上がり、視界がノイズで塗り潰される。
息が吸えない。
「幽さま! 其奴は貴方の3Dプリンタが生んだ残り滓ですわ!」
「え? え? え? あのぶっ壊れた3Dプリンタから生まれた? どういうこと?」
「当然、幽さまの『首』狙いですわ」
「それならお前も同類だろッ……!」
触手がどんどん顔に絡みついてくる。まるで何かを確かめているかのように。
(……やばい。これ、俺を“食う”んじゃない。なんだ? “測”っているのか?)
なんとかしなきゃ。幽のオカルト脳が必死にフル回転する。
「……俺の3Dプリンタから生まれた、って言ってたよな」
あの壊れたはずの3Dプリンタ。
元気な時ですら、魔法陣を製作する時に、何度も目詰まりして苦労したものだ。
それでも思った形にならず、何度も何度も微調整した記憶がある。
そう、「魔術には均整」が必要なのだ。
少しでも「比率」が狂うと上手くいかない。
果たして幽のポンコツ壊れかけ3Dプリンタで、完璧な「怪異」が生まれるだろうか?
「絶対に――どこかに”穴”があるはずだ」
床に落ちた伸縮呪棍に指先が届いた。
幽は震える手でそれを引き寄せ、柄に貼り付けていた安物の護符を一枚、爪で剥がす。
(効かなくていい。――混ぜるだけでいい。大体いつも出力したとき、目詰まりのせいで欠けてたのはこの辺だったはず……)
エラー・モンスターの頭部には、案の定わずかだが「バグ」のように穴が空いていた。
幽は護符を、必死でそこに押し当てた。
ジジッ!
ノイズが一瞬だけ跳ねた。
モンスターの「測定」の線が、ほんのわずか――歪む。「魔術の均整」が、崩れた。
「……今だ、白夜! 琴子! そいつ、『崩れた』ぞ!」
幽の叫びが響く。
ノイズにまみれた怪物の頭部、その“欠けた一点”が、わずかに露出していた。だが、白夜の消去も、琴子の刃も、そのままではまた“上書き”される。
白夜は、静かに息を吐いた。
「番犬さん」
「その呼び方やめなさいよ」
「本来なら、貴方ごと裂いて差し上げたいところですけれど」
白夜は、琴子の握る『朱音』に目を落とす。
「今は幽さまが先ですわ」
琴子の顔が、露骨に歪んだ。
「……アンタの力なんか、借りたくない」
「でしょうね。わたくしも、貴方のような泥臭い執着駄犬と手を組むなど趣味ではありませんの」
「じゃあ黙って見てなさいよ!」
「見ているうちに、幽さまの首が測り尽くされてしまいますわよ?」
その一言で、琴子の喉が詰まった。
白夜は、愉しげに、けれどいつになく冷たく微笑む。
「わたくしの“積層”を、貴方の刃に貸して差し上げますわ。貴方のその醜い執念なら、今だけは器として使えそうですもの」
「……最悪」
「奇遇ですわね。わたくしも、そう思っておりましたの」
琴子は、歯を食いしばったまま『朱音』を握り直す。……その視線の先には、触手に絡め取られた幽がいる。
「……今回だけよ」
「ええ」
「幽を助けるためだけ」
「もちろんですわ」
白夜が、琴子の背後へ回る。黒い樹脂めいた虚無が、ゆっくりと『朱音』の節々へ染み込んでいく。
「終わったら、アンタから殺す」
「善処いたしますわ」
「ふざけんな!」
「ふふ。そうやって怒鳴っているうちは、まだ正気が残っていて結構ですこと」
次の瞬間、琴子の全身に真紅の呪印が走る。
「――行きますわよ、番犬さん」
「言われなくてもよッ!」
琴子は一瞬、嫌悪感に顔を歪めたが、迫りくる怪異の咆哮を聞き、力強く蛇腹剣を握り直した。
「……今回だけよ。これが終わったら、アンタを返品センターに送るから!」
「ふふ、善処いたしますわ。……あの『首』を、わたくし以外が“測定”するなど、許せるはずがありませんわ――『九龍積層』!!」
白夜が琴子の背後から手を重ねる。虚無の黒い樹脂が『朱音』の節々に流れ込み、血色の刃が漆黒の輝きを纏う。琴子の脳内に、今まで「積み重ね」てきた琴子の幽への執着の日々が流れ込んでくる。
琴子の体中に、真紅の呪印が刻まれて輝き出す。
「あああああああ!幽!幽!幽!幽!幽ううううううううううううう!」
祟具――『積層・朱音』。
(……守る。ううん、違う。縛る。離さない。奪わせない)
琴子の眼が真紅に染まる。
「――バラバラになりなさい、このバグ野郎ッ!!」
琴子が叫び、漆黒の蛇腹剣を解き放つ。
空間を削り取りながら増殖する無数の刃が、エラー・モンスターに襲いかかる。
ズバァァッ!!
「やった!?」
だが――。
ジジジジッ!!
モンスターが再生する。
「嘘!? まだ!?」
「……やはり、一度では足りませんわね」
白夜が、琴子の肩に手を置く。
「番犬さん。もう一度、いきますわよ」
「わかってる! ――もう一度!!」
二度目の『九龍積層』。
今度こそ、エラー・モンスターは完全に消滅し――。
幽は地面にどさりと落ちた。
「……ハァ、ハァ……」
琴子が膝をつく。
白夜も、珍しく息を切らしていた。
「……手強い相手でしたわね」
◯
「……琴子。なんだったんだ今の」
「……あ、あはは。ちょっと……激しい運動してただけよ……」
「ふふ、素敵な夕焼けですわね、幽さま」
幽は、二人の温度差に首を傾げたが、意を決して白夜の前に立った。
「いや、そんなわけないだろ。さすがに俺でもわかるよ。琴子、なんださっきの化け物は?なぜ琴子が戦えてたんだ?」
その言葉を聞いていた白夜の瞳から、それまでの「遊び」が消えた。
彼女は幽の「首」――あの完璧な「黄金比」をなぞり、そっと囁いた。
「幽さま……。あなた、不思議に思ったことはございませんの?」
「ん?なんのことだ?」
白夜が、再び幽の鼻先に細い指を這わせる。そのまま、うっとりと。あの、呪われたほどに美しい「黄金比の首」を繰り返すようになぞった。
「どうして、あんな醜い怪異たちが、執拗にあなたを狙うのか。どうして、妖怪の姫であるわたくしが、掟とはいえあなたの元へ現れたのか」
「……俺が、あいつらには『美味そう』に見えるんだろ?」
白夜は、慈悲と絶望が混ざり合ったような、残酷なほど美しい笑みを浮かべた。
「食欲の話ではありませんわ。……幽さま。その完璧な黄金比を描く『首』。古来から美と秩序の象徴とされ、崇めてきたものですわ? 人も……闇も」
「俺の顔が……いや、『首』が黄金比?」
「ええ。みな、その『首』を求めてやってきているのですよ? ふふ……当然わたくしもですわ。十六歳になるまでにその『首』を奪い、世界を優雅に消滅させるのが、わたくしの掟でしたの」
白夜の冷たい指先が、幽の眉間から鼻筋、そして唇までの正中線を愛おしそうになぞる。
「――惚れさせてみよ、と申し上げたのは、わたくしの最後の良心ですわ。わたくしがあなたを愛せば、世界を壊す理由そのものが灰燼となりますものね」
白夜は鈴を転がすように笑った。その笑い声には、どこか慈悲と、圧倒的な絶望が混ざっていた。
「……は? なんで俺の『首』が? どういうこと?」
「幽さまったら、全部種明かししてほしいなんて、野暮ですわね? 怖い怖い番犬さんも睨んでらっしゃるし」
幽が呆然と立ち尽くす中、背後から乾いた声が響いた。
「……とうとう、言っちゃうのね。……白夜」
琴子だった。彼女は折れ曲がった蛇腹剣『朱音』を握りしめ、幽を見ようともせずに地面を睨んでいた。
「琴子……お前、今の話」
「……知ってたわよ。ずっと、アンタが生まれる前から。私たちの家系は、アンタを殺すか、さもなくば、その秘密がバレないように一生守り抜くために、今は存在してるんだから」
琴子が顔を上げる。
その瞳には、涙と、白夜への激しい敵意が混ざり合っていた。
「アンタを『普通』の男の子として生きさせて、いえ、死なせてあげたかった。恋をして、進路に悩んで……そんな、どこにでもある幸せの中で、一生を終えさせてあげたかったのに! ……アンタが、こんなとんでもない”化け物”を呼んじゃうから……ッ!」
夕闇が深くなる。
幽の知らないところで、世界はすでに壊れ始めていた。
◯
「そんな……俺の『首』にそんな意味が」
幽は表情を失い、動かない。いや、動けない。
「……とりあえず……みんな、帰ろうか。ちょっと……あまりにもたくさんのことが起こりすぎて、ちょっと休みたい気分なんだ」
自らの存在そのものが世界の破滅の銃爪だと聞かされたのだ、無理はない。幽は膝の震えを隠すように、ボロボロになったアスファルトの上に立ち尽くしていた。
「幽くん、帰るんでしょ? 私が守ってあげるから、行こっ!」
琴子が必死に笑顔を作り、幽の冷たくなった手を引く。だが、幽の視線はある一点に釘付けになったまま動かなかった。
「……なあ、白夜、琴子。これ……なんだ?」
幽の指さした場所。先程まで、エラー・モンスターがノイズを撒き散らしながら鎮座していた場所だ。
モンスターが消滅した跡には、焼け焦げたような、それでいて精密な「QRコードに似た幾何学模様」が、アスファルトを侵食するように刻まれていた。
「おや……。記録をこちら側に残していきましたか。無作法なこと」
白夜が不快そうに目を細める。幽は、震える手でスマートフォンを取り出そうとして――あまりの恐怖に、それを止めた。
直感した。
これを読み取れば、自分の日常が、跡形もなく書き換えられてしまう気がした。
◯
その頃、幽の自室。 誰もいないはずの暗闇で、3Dプリンタが最後の工程を終え、静かに駆動音を止めた。
トレイの上に完成していたのは、 幽の「首」を完璧に再現した、「白銀に輝く、実体を持たないはずのスペア」だった。
少女の形をしたその「予備」が、暗闇の中でゆっくりと、その銀色の瞳を開いた。




