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『3Dプリンタから生まれた妖怪姫は世界を壊したい』  作者: 矢行宮 重彦


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20/22

第13章・前編:『妖怪姫は、均整の世界を壊したい』

「気付いたかい?」


 天津甕星は、幽を見て微笑んだ。


「君の好きな、魔法陣だよ」


 幽は、黒史刀を握りしめた。

 怖い。

 綺麗だ。

 気持ち悪い。

 その三つが、同じ場所で震えていた。

 頭上にも、足元にも、壁にも、星があった。

 サーバーラックのランプは星になり、光ファイバーは星と星を結ぶ糸になり、黒い床は夜空を映す水面のように輝いている。

 金色の星々は、ただ散らばっているわけではなかった。


 円。

 三角。

 螺旋。

 立方体。

 正十二面体。


 いくつもの幾何学模様が重なり、回転し、積み上がっている。


 一層。

 二層。

 三層。


 さらにその奥に、見えないはずの層がある。

 積層型立体魔法陣。

 幽が、ノートの端に何度も描いたもの。

 夜中に、意味も分からず線を足し続けたもの。

 朝まで生きたいと願いながら、いつか本当に自分を守ってくれるかもしれないと、恥ずかしいくらい本気で信じたもの。

 それが、ここにあった。

 自分が作るよりもずっと正確に。

 自分が描いたどの図よりも美しく。

 自分が望んだどんな完成形よりも、完璧に。

 その美しさの中に、自分が夜ごと書き足した線があった。

 震える手で描いた円があった。

 朝まで生きたいと願いながら、意味も分からず積み上げた魔法陣があった。

 好きだったものを、勝手に完成させられている。

 その事実に気づいた瞬間、幽は吐き気を覚えた。


「……最悪だな」

「そうかい?」


 天は、少しだけ悲しそうに首を傾げた。


「君は、これを望んでいたはずだ」

「望んでたかもしれない」


 幽は息を吸った。

 眉間が熱い。

 金色の点が、そこからこの魔法陣全体へ呼応している。


「でも、俺が作りたかったんだよ」


 天は微笑んだ。


「未完成のまま?」

「未完成でも」

「歪んだまま?」

「歪んでても」

「何の役にも立たないかもしれないまま?」

「それでも」


 幽は、黒史刀を構えた。


「俺のものだった」


 天の目が、ほんの少し細くなる。

 その瞬間、星々の線が強く光った。

 床に、壁に、天井に、無数の長方形が浮かび上がる。

 短辺と長辺。

 円の半径。

 螺旋の間隔。

 階層の高さ。

 星と星の距離。

 それらすべてが、ひとつの比率へ収束していく。

 幽は、その比率を知っていた。


 黄金比。

 美しいとされる比率。

 人間が、絵画に、建築に、身体に、顔に、勝手に見つけては特別視してきた比率。


 今、その黄金比が、決戦の場そのものを支配していた。

 サーバーラックの間隔も。

 光ファイバーの曲線も。

 星座の螺旋も。

 床に映る魔法陣の半径も。

 すべてが、幽の眉間を中心にして整えられていく。


「君の首は、美しい」


 天が言った。

 その声は、あまりにも優しかった。


「やめろ」

「額から顎へ。顎から喉へ。喉から鎖骨へ。比率が整っている。人間たちはそれを美と呼び、妖怪たちは力と呼び、神は基準と呼ぶ」

「やめろって言ってんだろ」

「君の首級は、世界の中心にふさわしい」


 幽の背筋が凍った。

 星々の線が、幽の顔の輪郭をなぞる。

 眉間の点から、鼻筋へ。

 顎へ。

 首へ。

 その線が、魔法陣の中心へ伸びていく。


「返してくれ」


 天は、かつてと同じ言葉を、同じ優しさで繰り返した。


「君という名の、空き容量を」

「お断りですわ」


 白夜が前に出た。

 その声は、静かだった。

 けれど、部屋の温度が一段下がったような気がした。

 扇子が開く。

 ヒビの入った星形ヘアピンが、金色の星空の中で鈍く光る。


「幽さまの首を、寸法の話にしないでいただけます?」

「姫君」


 天は穏やかに言う。


「君も欲しただろう。彼の首を」

「ええ」


 白夜は否定しなかった。


「欲しましたわ」


 天の周囲に、金色の文字が浮かぶ。

 獲物。

 首級。

 幽さまは、わたくしの――

 世界を壊す者。

 妖怪王の姫。

 災厄。


「嘘ではない」


 天が言う。


「だから、星になる」


 金色の線が、白夜の影から伸びる。

 彼女の言葉。

 彼女の欲望。

 彼女の執着。

 それらを拾い上げ、天の星座へ組み込もうとする。

 白夜は笑った。

 とても美しく。

 とても冷たく。


「確かに、嘘ではございませんわね」


 そして、扇子を閉じた。

 ぱちん、と音が鳴る。


「ですが」


 白夜の声が変わった。

 わずかに低く。

 わずかに古く。

 わずかに、人間の側から遠ざかる。


「星神風情が」


 幽は息を呑んだ。

 白夜の黒髪が、ふわりと広がる。

 星明かりを飲み込むような黒。

 その瞳が、獣のように細くなる。


「わらわの獲物に、勝手に名を打つでない」


 空気が割れた。

 白夜が踏み込む。

 扇子が一閃する。

 金色の星空が、裂けた。

 いや、裂けたように見えた。

 天井の星座が崩れ、壁の星々がばらばらに落ち、床の魔法陣に黒い亀裂が走る。

 世界を壊す妖怪姫。

 その名にふさわしい破壊だった。

 幽は思わず見とれた。

 白夜は、強い。

 美しい。

 恐ろしい。

 やはり彼女は、世界を壊せる。

 しかし。

 壊れた星々は、すぐに動き出した。

 ばらばらになった点が、別の線で結ばれる。

 崩れた円が、より正確な円に置き換えられる。

 歪んだ螺旋が、黄金比に沿って巻き直される。

 破壊されたはずの魔法陣が、より美しい形で再配置されていく。


「壊せないよ」


 天が言った。

 白夜の眉が動く。


「何ですって?」

「君は世界を壊せる」


 天は、白夜を責めるでもなく、誇るでもなく、ただ事実を述べた。


「けれど、それは彼の中にあったものだ」


 白夜の扇子が止まる。


「彼が描いた。彼が願った。彼が信じた。彼が恥じた。彼が消したいと思い、それでも消せなかった」


 金色の星々が、幽の周囲を回る。


「君が壊そうとしているのは、僕ではない。彼の祈りだ」

「……っ」


 白夜の指先が透けた。

 ヒビ入りのヘアピンに、金色の光が絡みつく。

 それでも白夜は、退かなかった。


「祈りを鎖に変えたのは、あなたでしょう」

「祈りは、届いたから星になった」

「届いたものを、所有してよい理由にはなりませんわ」

「所有?」


 天は少しだけ目を伏せた。


「僕は、返してもらうだけだ」


 その言葉に、幽の眉間が焼けた。


「幽くん!」


 琴子が叫んだ。

 左目から血が流れている。

 彼女は幽を見ていない。

 幽の顔は、もうほとんど見えていないのだろう。

 それでも、線を見ている。

 幽を縛る線を。


「線が増えてる!」

「どこだ!」

「全部!」


 琴子は歯を食いしばる。


「金星に救われた。朝まで生きたい。強くなりたい。魔法陣を信じた。黄金比の首級。空き容量。器。全部が繋がってる!」


 星々が幽の影に浮かぶ。

 金星の同胞。

 深淵なる明星。

 真の積層を知る者。

 夜に選ばれし者。

 朝まで生きたい。

 それらは、嘘ではなかった。

 嘘ではないから強い。

 幽は、否定できない。

 金星に救われた。

 それは本当だ。

 朝まで生きたいと祈った。

 それも本当だ。

 強くなりたかった。

 魔法陣を信じたかった。

 自分だけの力がほしかった。

 白夜のような存在に選ばれたかった。

 それらは、全部、幽の中にあった。

 だから苦しい。

 だから逃げられない。


「幽さま」


 白夜が、幽の前に立つ。

 その背中は、まだ美しかった。

 けれど、輪郭がわずかに透けている。


「あなたを、渡しません」

「姫君」


 天が言う。


「君は、彼を欲した」


 金色の文字が、白夜の髪に絡む。


「彼の首を求めた。彼の隣を求めた。彼を失いたくないと願った」

「ええ」


 白夜は歯を食いしばる。


「ええ、そうですわ」

「ならば」


 天は優しく続ける。


「彼が世界の中心になればいい」


 星々が白夜を囲む。


「彼が永遠の中心となれば、君は二度と彼を失わない」


 白夜の瞳が揺れた。

 幽はそれを見た。

 ほんの一瞬だった。

 けれど確かに、白夜は揺れた。

 失いたくない。

 その真実を、天津甕星は拾った。

 欲しい。

 そばにいたい。

 失いたくない。

 それは、白夜の中にある本当の感情だった。

 だからこそ、否定できない。


「違いますわ」


 白夜は言った。


「違う、はずですわ」


 けれど、金色の線は絡み続ける。

 ヘアピンのヒビに光が入り込む。

 白夜の指先が、手首まで透けた。


「白夜!」


 幽が叫んだ。

 白夜は振り返らない。

 それでも、声だけは震えていた。


「幽さま」

「何だよ」

「わたくしは」


 白夜の一人称が戻った。

 それは、妖怪王の姫としてではなく、幽のそばにいた白夜の声だった。


「世界など、いくらでも壊して差し上げます」


 金色の線が、彼女の腕に絡む。


「けれど」


 白夜の肩が震えた。


「あなたがいない世界を壊しても、わたくしは少しも嬉しくありませんの」


 幽の胸の奥が、痛いくらいに熱くなった。

 その言葉は、白夜の祈りだった。

 欲望でも、所有でも、獲物への執着でもない。

 ただ、いてほしいという祈り。

 なのに、その祈りさえ、天は拾おうとする。


「美しいね」


 天が言った。


「誰かを失いたくないという祈りは、とても強い」


 金色の線が、白夜の胸元へ伸びる。

 幽は、考えるより先に動いていた。

 白夜の前へ出る。

 黒史刀を握る手が震えている。

 怖い。

 死ぬほど怖い。

 それでも、白夜が消えるのを見る方が嫌だった。


「白夜に触るな」


 幽は言った。

 天が、幽を見る。


「俺が必要なら」


 白夜が息を呑む。


「幽さま、だめですわ」


 琴子が叫ぶ。


「幽くん、それ言っちゃだめ!」


 銀嶺の声も飛ぶ。


「その発言は、危険です」


 でも、幽は止まれなかった。


「俺を使え」


 その瞬間。

 天が、微笑んだ。


「ありがとう」


 幽の眉間が、焼けた。


「今、君は自分の首を中心に置いた」


 金色の星痕が、眉間から首筋へ降りた。

 顎へ。

 喉へ。

 鎖骨へ。

 肩へ。

 幽の身体が、自分のものではないみたいに硬直する。

 サーバールーム全体の星々が、一斉に幽へ向いた。

 床の魔法陣が回転する。

 天井の螺旋が降りてくる。

 壁の星座が、幽の首を中心に再配置されていく。

 琴子が、悲鳴のように叫んだ。


「幽くんの首を中心に、全部の線が揃ってる!」

「幽が引っ張られているのですの!?」

「違う!」


 琴子の左目から、さらに血が流れた。


「幽くんが引っ張られてるんじゃない! 世界の方が、幽くんを基準に整えられてる!」


 幽は息ができなかった。

 首に、冷たい輪が巻きついている。

 線だ。

 黄金比の線。

 額から顎。

 顎から喉。

 喉から鎖骨。

 幽の首の角度が、世界の寸法にされていく。


「やめ……」


 声が出ない。

 黒史刀を握る手から、力が抜ける。

 落としそうになる。

 白夜が手を伸ばす。

 けれど、金色の線が彼女を阻む。


「壊せばいい」


 天は、白夜に言った。


「君なら壊せる」

「黙りなさい」

「けれど、壊せば彼の祈りごと壊れる」


 白夜の手が止まった。

 琴子が朱音の桐箱を開く。

 赤黒い大百足の影が伸びる。

 だが琴子は、歯を食いしばったまま動けない。


「切れない……!」

「琴子!」

「これ、幽くんの中から出てる! 切ったら、幽くんの“朝まで生きたい”まで裂ける!」


 銀嶺がノイズを走らせる。


「未定義を挿入。保留。分類不能。未回答。あとで考える」


 黒いノイズが、幽の首を縛る線に走った。

 しかし、天は手をかざす。

 ノイズが、黄金比の螺旋へ整えられていく。


「未定義も、位置を与えれば美しくなる」


 天は言った。


「保留にも役割を与えればよい。未完成にも、完成へ向かう線を引けばよい」


 銀嶺の輪郭が、金色に縁取られる。


「訂正します」


 銀嶺は、幽の古いTシャツの裾を握った。


「未定義は、完成待ちではありません」


 ノイズが一瞬だけ跳ねた。

 琴子の赤い左目が、血の光を放つ。

 白夜のヒビ入りヘアピンが、黒く軋む。

 黒史刀の表面を、消えなかった記録が走る。

 それぞれの欠けが、一瞬だけ同じ黒い線として震えた。

 完璧な黄金比の魔法陣に、小さな歪みが走る。

 だが、天津甕星はそれすらも見下ろした。


「君たちは、壊れたまま勝つつもりかい」


 幽は答えようとした。

 けれど、声が出なかった。

 黄金比の線は止まらない。

 首が固定される。

 視界が狭くなる。

 息ができない。

 白夜の声が聞こえる。

 琴子の声が聞こえる。

 銀嶺の声が聞こえる。

 けれど、それらがどんどん遠くなる。

 最後に見えたのは、金色の魔法陣の中心へ置かれようとする、自分の首だった。


 その向こうで、畳の匂いがした。

 窓の外に、明け方の星がひとつだけ光っていた。


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