その35 彼は呻きます。
「あら、昨日はちゃんとお持ち帰りした?」
図書室に入るなり、またしても先輩の毒針が飛んできた。まったくこの人は……。
「んなこと出来るわけないでしょ!」
オレとしてはカキンと弾き返したつもりだったのだが……。
く、やられた。狙いはオレではなかったようだ。
毒針を受けた美少女二人がドドドッ! という擬音が聞こえるくらいの勢いでカウンターに向かって突進した。
困った。クールダウンしていた二人にまた火が付いた。
「先輩、聞いてください! 昨日あれからどうなったと思います? 芳樹君たらお持ち帰りしてくれるどころか、ワタシ達を置いてけぼりにしてさっさと帰っちゃったんですよ。女の子に恥をかかせるなんて酷くありません? 先輩からも何か言ってやってください!」
映子がカウンターを乗り越えんばかりにして直訴する。よくそこまで矢継ぎ早に言葉が出るものだと感心するが、いやいや、それは心外ですよ。恥をかかせるつもりなんて毛頭なかったです、はい。
「そうだそうだー」
続いてアジテーター泉美が口角を指で引っ張り、オレに向かって「イーッだ!」攻撃。
いやいや、それは逆にかわいいから。
うーん、それにしてもこうなったらオレの手に負える二人ではない。
落ち着いたと思って安心してたのに余計なこと言いやがって、この魔女め!
昨日は本当にまいった。本当に家までついてこようとするもんだから、なだめてすかしてもうわやや。ここまで徹底的にくるとは思っていなかった。どこまでを冗談の範疇にしていたんだろ?
家に着いたら「あ、ごめーん。用事思い出したから帰る」とか言い出すパターンが可能性としては一番濃厚だったか? さすがにこの二人だって家に上がり込む気はなかっただろうしな。
で、オレが「あれ、上がっていかないの」とか言ったら「何言ってんの。お持ち帰りなんて冗談に決まっているでしょ」と返されてだな、さらに「このスケベ!」とトドメを刺されるわけだ。うん、悲しい。
数十分先の自分にそんなミジメな思いをさせたくなかったオレは、懸命に説得を試みて一人で帰ることにした。
実際はふくれっ面がさらにふくれるのを見て、こりゃ無理と早々に尻尾を巻いて逃げ帰ったというのが正解なのだが。
こうしてオレはスキル「脱兎」を獲得した。これはこれで情けないが。
でもなぁ、オレん家誰もいないから、二人がもし本当に上がり込んできたら……、うん、抑えきれない。スケベを通り越した生物に変身するな。その自信がオレにはある!
ま、そんな感じですったもんだして、今日は朝からそのことでチクチクネチネチと責められて、逆ハリネズミ状態なオレ。一度男子トイレに逃げ込んだくらい。女の子って怖い。
おまけに昼休みには「今日の下着おニューなの。ちょっとセクシー系だよ。見せたげるね」と映子が耳打ちの格好をとりながら周りに聞こえるように言うし、「汗かいちゃったから帰って一緒にシャワー浴びよ」などと泉美が大声でのたまったものだからさぁ大変。ヤロー達の敵意はむき出しになるし、女子の黄色い声が耳を突き抜けるしで、もうギブアップアップ。
この「下着とシャワー」発言は本当にヤバイ。男子の目に宿る敵意は殺意にパワーアップ。ハブられるどころかいつか階段から突き落とされるかも。背後を警戒しなくちゃいけない高校生活なんて送りたくないんだがなぁ。
「あらあら、据え膳食わぬはって言葉もあるのにねぇ」
やめて、これ以上煽らないで!
「で、先生のところには行った?」
おっといきなりか。
映子の請願をフフッと笑顔でスルーし、なおも畳み掛けようと意気上がる二人を手で制しながら、先輩が突然話題を変えてきた。
強引過ぎる閑話休題だが、これこそが今日の本題とも言うべきで、さすがの二人も不満顔ながらひとまずは矛を収めてくれた。
ただ「覚えておきなさいよ」と言わんばかりに睨まれたが。
そう、さっきまでオレは職員室にいた。バスケ部顧問の峰岸先生から呼び出しを受けたからだ。
開口一番「どうだ、バスケ部に入らないか?」で始まった話は、先輩が膝のことを話してくれていたおかげでスムーズに進み、先生の知り合いの医者に一度診てもらうことになった。まずケガの度合いを調べるということで、スケジュールを調整してくれるそうだ。今後のことはそれ次第、入部の件もとりあえずは保留にしておいてくれるということで今日の話は終わった。
そして廊下で待っていてくれた二人と一緒に図書室に来たわけなんだが、気を使ってくれたのか何かを聞かれることもなかった。他愛のないおしゃべりをしながら楽しそうにしていたものだから、機嫌も直ったのかと油断してしまった。女の子ってよく分からない。
「じゃあ手術するかどうかはまだわからないと言うことね」
「そうっすね。一度ちゃんと診てもらってからっす。ただ前に診てもらった医者には手術しないと治らないって言われているんで、多分……」
「バスケはどうするの? それからじゃレギュラーは難しいでしょ」
リハビリにどの程度の期間が必要になるかはわからない。それでも……。
「経過次第ですけどね、でもたとえ試合に出れなくてもバスケは好きっすから」
そう、保留にはしてもらったが、オレの気持ちは既に固まっていた。
何かが晴れたような、止まっていた時間が動き出したようなそんな気がする。
「そう、自分で納得しているのならそれでいいわ。余計なお世話だったわね、ごめんなさい」
うぉっ何だ、謝ってくるなんてどうしたんだ? ちょっと戸惑ってしまう。
「いえ、そんなことないです。先輩には本当に感謝しています。ありがとうございました」
これは掛値なしの本音だ。それゆえか口調も丁寧になってしまう。
先輩がいなかったら、オレはいつまでも膝を抱えて拗ねるガキのままだったろう。
「ま、何にしろ良かったわ。これで寺山君は引きこもりにならずに済むというわけね」
こうなってみると、先輩がことある毎に言う「引きこもり」というのは、案外的を射ていたと自分でも思う。ん、寺山君?
「だから引きこもってないすよ。って呼び捨てはやめにしてくれたんすか?」
何だろう、それはそれでむず痒い。
「お姉さんの役目はもう終わったからね。元々気分的なものでもあったし。なーに、そのまま芳樹って呼んでほしかった? 私は別に構わないのよ」
おっと、気まぐれの期間限定呼び捨てキャンペーンだったのか。でもなぁ、たった二、三日だったけどオレも慣れちゃったしそのままでもいいんだけどな。
しかしお姉さん? 年上って意味合いだよな多分。もし先輩が本当の姉だったらと思うと……、あっダメだ、寒気がしてきた。
「いえ、先輩にお任せしますよ。オレはどっちでも」
ちょっと寂しい気もするが元に戻るだけだしな。
「じゃあ、よっくん? うーん、よっちゃんのほうがかわいいかな?」
それはやめてください。
「さて二人とも、そういうことで寺山君は自分の殻から一歩踏み出したわ。これに免じて昨日の件は水に流してあげたら?」
昨日散々煽ってオレを窮地に追い込んだ張本人が、よくもまぁ……。
でも一歩か、確かに。
「だいたいね、セックスなんて今すぐしなくちゃいけないってものじゃないでしょ。まだ高校生なんだし、しばらくは三人とも一人エッチで済ませておくことね」
だからぁ、そういうことを平気で口にする神経が分からないんですってば!
はぁ、この人が姉だったら、オレ絶対女嫌いになっていたな。
「先輩がそう言うなら……」
「ちょっとざんねーん」
あ、オレがいくら言っても聞いてくれなかったのに、どうして先輩には素直なの? ちょっと酷くないそれ。
「あ、でもその気になったら声掛けてね。ワタシはいつでも持ち帰りOKだから」
こらこら映子さん? かわいい顔して何てこと言うんです。だいたい、あなたその手の話嫌いだったでしょ。何でそんなエロキャラになっちゃったんです?
「おっぱいだったらいつでもいいよー。今日もノーブラだしー」
泉美さん? つけてないと垂れますよ。ケアはちゃんとしましょ。形が崩れたらもったいないじゃないですか。
……。
だぁー、これじゃ昨日と全然変わんねえー!
ん、なんだ?
二人ぼ雰囲気が少し……。どことなく落ち着きがなくなって、さっきまでのキレというか剣呑さが消えている。
なんだろ、少し俯き気味にモジモジしている? ……あ、トイレか? いや、そんな感じじゃないな。
うーん、女の子の心理状態を読み取るなんて芸当、オレには無理。表情や態度がコロコロ変わるし、激ムズのテストより厄介だ。
助けを求めるようにしてカウンター内に眼を向けると、なぜかニコニコ顔の先輩がチッチッと指を振って映子と泉美を順繰りに指差した。二人の方を向けということのようだ。
「あのね……」
映子がおずおずといった感じで口を開いたので、あわてて二人に向き直る。
「ほら、また上から目線って言われちゃうかもしれないけど、ワタシなりに心配していたの、ケガのこと。だからまたバスケやる気になってくれてとても嬉しい。結局ワタシは何の役にも立てなかったけど」
そう言うと映子は顔を赤くしてまた俯いてしまった。入れ替わるようにして今度は泉美が進み出る。
「芳樹君、今とってもいい顔してる。私も心配してたんだ。でももう大丈夫だね。本当に嬉しい」
一瞬別人かと思うほどにはっきりとした口調がオレを驚かせる。
映子のしおらしさ、泉美の凛々しさ。その両方にオレが戸惑っていると、「ほらほら」と泉美に手を取られた映子も再び顔を上げた。
そして二人は「だから」と声をそろえた後、紅潮した頬を隠すことなくオレに向かってこう言ったのだった。
「「応援するね!」」
……。
二人ともずるくない、それ? そんな顔でそんなこと言われたら……。
涙出ちゃうだろ!
オレは今、カウンターに突っ伏しながら「うーうー」と呻いている。
もし誰かが本を借りようと思っても、こんなアブナイ奴が当番じゃその気も失せて帰るだろう。
だが、今日も図書室は通常営業だ。誰も来ていない。ま、だからこそ呻いているわけだが。
はぁ……。
何なのよあれ? 反則を通り越して犯罪に近いだろ。無理矢理当てはめるなら……、傷害罪か? 心臓撃ち抜かれたし。いや窃盗罪も適用できるか? 心を盗まれたよ、どうしてくれんの?
二人の言葉に一瞬にして目頭が熱くなるのを感じたオレは、あわてて目を強くつむり俯くも、こみ上げてくる何かまでは抑えることが出来なかった。歯を食いしばったがそれも徒労に終わり、また三人の前で嗚咽をもらすこととなった。涙が自分の上履きに零れ落ちたのを感じたが、もうなす術もない。
鼻をすすりながら顔を上げたのは、二分か三分か経った後だろうか。
そしてオレは深呼吸を一回した後、言うべき言葉を言うべき相手に伝えようと口を開いたのだが、余韻が残っていたせいか「あ……がと……」となってしまい、カッコ悪いことこの上ない。
だが、ここで追い討ちとも言うべきは「「うん!」」と二人のこのうえなく優しい笑顔。ハンパない攻撃力だった。チュドーン、ヒュルルルーと心の中で吹き飛ぶ自分の姿が浮かんでしまった。
で、結局
「じゃあ、カウンターは泣き虫よっちゃんに任せて、私たちは女子会しましょ」
と先輩からまた新しい呼び名を授かって、オレはまたしても一人取り残されることとなった。
「先輩、さすがにそれは……」
呼び捨てのほうが何倍かマシだと弱々しい抗議をしたが、当然聞き入れてもらえるはずもなくそれどころか
「べそかきよっくんとどっちがいい?」
などとニヤつかれてしまって、もう完全に戦意喪失、意気消沈。
くそぉ、本当に泣いちゃうぞ! いやさっき泣いちゃったけどさ。はぁ……。
司書室からは三人の笑い声が聞こえてくる。随分と楽しそうだ。一体何を話しているのやら。
……。
ま、オレとしては、二人がこれ以上先輩に毒されないことを祈るばかり。二人があの「イーヒッヒッ!」という笑い声を発することさえなければ、それでいいよもう……。




