その14 彼女はセーブしました。
「イーヒッヒッヒッヒー!」
笑われた。やっぱり笑われた。「イ」と「ヒ」から密かに名付けさせてもらった化笑い。
別に先輩のことを化物だと言っているわけじゃなくて……、化物じみているとは思うけど……、ホントそういう意味じゃなくて……、えーとえーと……、うん、これは絶対黙っていよう。
それにしても先輩ったら少しは気を使ってくれてもいいのに。もう恥ずかしいったらありゃしない。
昨日の放課後のことから説明を始めたのだけれど、今朝、彼をヨヨシキと呼んでしまったことを白状するとまず吹き出すし。
不思議だったのは、ここまで来たら掻き捨てちゃうか、とか思ったこと。名前呼んでもらったからかなぁ。変なテンションでどこかのネジが外れちゃったんだろうなぁ。雰囲気に呑まれちゃったって言うか……。話しちゃったんだよねぇ、ひもパン事件。
「なーに映子ちゃん、様子おかしかったのそれが原因?」
泉美が笑うまいとして失敗している。そう聞いてきた後「くぅっくっく!」と腹を抱えてしまった。でもそのくらいならまだ許すよ。問題は先輩よ先輩! どうしてこう……。
「ヒィッヒッヒッヒ!」
机を叩きながらずっと化笑い。収まりそうにない。くぅ、やっぱり話すんじゃなかった。
あれ、関先生? 何で顔を真っ赤にして震えているんです?
「高橋さん、あんまり笑っちゃ、ひ、ひつれいよ……」
先生、それこそ失礼ですよぉ!
はぁ、これは自分に対して言うしかないわね。
『あんた、バカァ?』
はい、バカです。
芳樹くーん、バカ特化したワタシだけど見捨てないでぇ!
ワタシは司書室から見える背中を眺めながら、名前を呼んでくれた時の彼の顔を思い出す。男らしかったなぁ。かっこよかったなぁ。
「わかった、わかったから! 二人とも落ち着いてくれ!」
あ、何? ちょっとかっこいい。表情が引き締まって凛々しいっていうの? こんな口調初めて。
珍しく気圧されてワタシは動きが止まる。泉美も同様にピタッと。
普段ほにゃらーとしてる分、このギャップがたまらない。
本当に名前呼んでくれるのかな? 冗談交じりで始めたアタックだけど応えてくれるなんて……。
あ、深呼吸した。目がすっごく真面目だ。
ちょっとドキドキしてきた。まるで告白の返事待ち。ちょっ、ちょっと待って。心の準備するから。
……。
そして彼は昨日とはまた違った表情でワタシの名を……呼んだ。
「映子」
あ、これ……。
トクン! 彼の優しい声が染み込んで来る。恥ずかしさだけではない何かがじんわりと広がる。油断したら涙が出ちゃいそう。だけどここで泣いちゃダメ。
「はい」
かろうじて返事は出来たけど、これ以上は言葉が出ない。だからワタシは出来得る限りの笑顔でそれに答える。ぎこちなくなっていなかったかしら?
「泉美」
緊張した面持ちで彼の言葉を待っていた泉美が明るくそれに答える。
「はーい」
おそらくワタシと一緒。喜びに震える内心を、高鳴る鼓動を気取られないようにしている。そして今までワタシには見せたことのない表情で彼に微笑み返す。
ずるいなぁ。いくつの顔を持っているのよ。
彼のこの反応は正直予想外ではあった。なんだかんだで逃げるんだろうなぁって思っていた。けれど今は雰囲気が全然違う。少し怖さも感じるこの目、この顔。ヤバイ、ツボった。惚れ直す? 違うな。上書きしてさらに新しいフォルダまで作ったって感じ。うわぁ、何よこれ。
泉美はどうかわからないけど、二人で付き合うっていう選択肢、捨てるには惜しくなってきた。もちろんワタシを選んでほしいけど、それまでの間なら……。
思考が少し危ない方向に向かっているけど、アリだよね。束の間、すでに付き合うことを前提に、その場合どのようなルールを設けるべきかなどと埒もない考えが広がり始めた時、すっと第三の敵が現れた。
ツンツン。
いつのまにか近くにやって来ていた先輩が、彼の袖を引っ張っている。
「ねぇ、私は?」
先輩ってば、いきなり参戦しないでください!
「ずるーい。二人を名前で呼ぶなら私もー」
……。
「私も先輩じゃなくアデルって呼んでぇ」
あ、これ……。いじり? なんとなくわかってきた。先輩っていたずら優先の掻き回し屋さんだ。
さて、彼はどう出るのかな? って、いつものキャラに戻ってる。はぁ、さっきの男っぷりはどこ行ったのよ。先輩には弱いんだなぁホント。でもそれはそれでかわいいけどね。同時にかわいそうでもあるんだけど。
うーん、今日はもう十分だし、後は先輩に加勢しちゃおうかしら?
「そうね、ワタシ達だけというのも不公平よね」
「うん、ここは先輩も一緒がいいねー」
やっぱり泉美も? 気が合うわね。
「高橋さん、いいかしら? ちょっと手伝ってくれる?」
あ、関先生だ。これから面白くなりそうだったのに、残念!
「ちっ!」
先輩、舌打ちはやめましょうよ。
「はーい、今行きます!」
先輩のひと睨みに怯む彼。笑えるなぁ。
「大原さん、新開さん、あなた達もこっちにいらっしゃい。お茶入れるから女子会しましょ」
「「あ、はい!」」
先生にはお礼を言って、何か手伝えることがあるか聞いてみよう。
あれ? ドアを閉めたと思ったら、また向こうに顔出してる。
「あ、それから椅子回転選手権はもう中止ね。記録出しても認定しないから」
「やらないっすよ!」
ふふ、釘を刺されたわね。やるつもりだったでしょ。
「そうそう、私は裕子ね。この年で呼び捨てされるのもなんだから、ヒロちゃんでいいわ」
って先生、何言ってるんですか! ヒロちゃんて……かわいいかもですけど、それはさすがに無理でしょ?
彼も災難。ワタシが言うのもなんだけど。
そして、何やらウズウズしている先輩が、ワタシ達の背中を押しながら椅子に座るよう促してくる。ことの経緯を早く聞きたくて仕方ないといった顔だ。
当初の目的を達して気持ちが大きくなっていたのだろうか、それともこの司書室の独特な雰囲気にあてられたせいなのか、黙っていればよいことまでつい口にしてしまい、「え、どう直したの?」という問いに、これまたついついスカートをめくり、蝶々結びのなくなった修繕跡を見せ付けてしまったワタシ。
笑われるの当たり前でしょぉっ!
あ、ようやく先輩が静かになった。
「あー、新開さんてば強烈過ぎ。勝てないわぁ」
どの口が言うんですか、先輩。
「さっきもすごかったしねぇ。いやいや、新開さんて肉食系というより暴食系?」
「迫れって言ったの先輩じゃないですかぁ。それにあれでもかなりセーブしたんですよ。図書室で押し倒すわけにもいかないし」
ワタシも調子に乗ってるなぁ。でも、あのままだったら抱きついたりはしたかもね。
「ふーん、じゃあ自分の部屋とか寺山君の部屋とかだったら?」
「映子ちゃんだったら間違いなくベッドに引きずり込んでいるわよね」
「ちょっと泉美ってば、やめてよもう。ワタシは精神的な繋がりを重んじるタイプなの。おっぱい揉み放題をちらつかせるあんたと一緒にしないで」
「ひもパンには負けると思うけどなー」
泉美ぃ、あんたとはきっちり話をつけなきゃいけないようね。
「揉み放題?」
高校生の女子トークとしては際どいキーワードに先輩が食い付いてくる。なんだかんだで先輩もおっぱい星人よね。
「そうなんですよ。泉美ったらクラスでもそれ言って大変だったんですから」
あ、先輩が泉美を見てる。うん、視線の先については言及しないでおこう。
あれ、今度は何で自分の掌見てるんです?
「ねーえ、大原さん? 気になったことがあるんだけどちょっと聞いていい?」
「え、何ですかー?」
いきなりお鉢が回ってきたことにドギマギしている泉美。先輩にはまだ緊張が先に立つみたい。当然と言えば当然かな。かくいうワタシも何を言われるか分からなくてドキドキものだし。
でも先輩、何を聞くつもりです? サイズのことですか? でもそれ聞いて怒り狂うのはやめてくださいね。
「ほら、さっき私二人の背中触ったじゃない? その時にあれって思ったんだけど……」
あ、そうだ。早く座れと言わんばかりに背中を押されたっけ。でもそれが?
「新開さんにはあった感触が大原さんにはなかったのよね。もしかして……」
バッ! 先輩のその言葉に泉美が顔を真っ赤にして両手で胸を覆う。
えっ、どういうこと? 先輩、何がもしかしてなんですか? 泉美もそのリアクションは何なの?
……。
あっ!
「やだぁ先輩、誤解ですよー。映子ちゃんもそんな怖い顔しないでー」
「泉美ぃ、あんたまさか……」
ワタシは間髪入れず泉美の胸元に手を伸ばし、ベストの内側に滑り込ませた。この位置であったらあるべきはずの感触がなく、返ってきたのはぷにゅっとした弾力感。
「いやん、映子ちゃんたらエッチー」
「いーずーみー!」
ノーブラって何、ノーブラって! 何考えてんのよぉ!
「あ、ほら。映子ちゃんと一緒。今日体育なかったしー、ハイになってたっていうかー」
ワタシのひもパンを笑った女がそれ言うかぁ!
あ、だから揉み放題とか言ったんだ。はぁ、まったく泉美ったら、油断も隙もあったもんじゃない。反則過ぎでしょ。このままだとどっちが早く既成事実を作るかって話になっちゃうじゃない。やめてよね、もう!
さっきあのまま抱きついちゃえばよかったかな。そしてそのままキス。今考えればアリだったわよね。
あーホント前途多難。泉美のこともそうだけど、なにしろ……。
「「イーヒッヒッヒッヒー!」」
先輩だけじゃなく先生まで化笑い。はぁ……。




