その25 彼は魔に会いました。
「桜田先輩、さっきの、聞いてもいいですか?」
恥じらうこともなく「トイレ、トイレ」と言いながら先輩が司書室を出て行った後、新開映子が、訪れていた台風一過の静寂を破った。
あ、アレか。『つきあった仲』ってやつ。オレも気になるぞ。
「ああ、最初にそう言ったっけね。先輩がいないけど……、うん、いないほうがいいか。いたら何するかわからないし」
激しく同意。ことあるごとに変身されて、怖い思いするのはもうごめんだ。
と、そこでオレに顔を向け、この世の理不尽対策を授けてくれる。
「しかし、君も随分と気に入られたものだね。まぁ運命と思って諦めてもらうしかないけど」
そんな運命は嫌だぁ。グーされたりパーされかかったり、このままじゃ死んじゃいますよ。
プレッシャーから解放されたのか、桜田先輩の表情はかなりサッパリスッキリしている。先輩にいじられて顔を赤くしていたのが信じられないくらいだ。
「はぁ、そんな悟りの境地には辿り着けませんって」
オレは肩をすくめることで軽く抗議したが、桜田先輩はクックッと笑うことで、それを軽く受け流した。なかなかの高等技術だ。
「まぁ先輩が卒業するまでの我慢ですからね、なんとか頑張ります」
「卒業かぁ。できるのかな、あの人?」
ちょと待てぇ! 危ないのか?
「あの……」
彼女がこらえ切れなくなったかのように口を挟んできた。
「ああ、ごめんごめん。先輩と僕のことだったね。……そうだね、多分君達ももうわかっているだろうけど、僕は先輩が好きだったんだ。でも振られちゃってね」
おお、はっきり言うな。ちょっとかっこいいぞ。
「付き合っていたわけじゃないんですか?」
思っていた以上に彼女が食いつく。この手の話にはあまり興味ないのかと思っていたんだけどな。新しい一面を発見。これはこれで面白い。しかも気のせいか、ちょっと顔を赤らめているように見える。
「つきあった、のは事実だよ」
うーん、この人もかなり変な話し方するな。先輩菌に感染しているのか?
付き合ってからすぐ振られたってことか?
「そのことで最初になんて言ったか覚えているかい?」
最初? 確か……、あ、そうだ『つ』が抜けてるって言ってたな。
「去年の今頃、かな、先輩に告白したんだよ。……そう、ここでね」
おいおい、新開さん? なんでそんに目を輝かせているの?
「え、じゃあ、一度付き合ってからすぐ別れたってことですか?」
矢継ぎ早に質問を繰り出す彼女。珍しく落ち着きがない。いや、普段もそんなに落ち着いているわけではないが。
「いや、だから、そこで君達は誤解しているんだよ」
「誤解、ですか?」
「君達が考えている『つきあった』と先輩の言った『つきあった』では、意味が違うんだよ」
はぁ? なんだそれ?
「恥ずかしながらね、告白した時僕もテンパッててさ、どもっちゃったんだよ。『つっ、付き合ってください』ってね。思い出すだけでも赤面するな」
かわいいじゃねえか、このヤロー! ……あ、失礼しました。
彼女も思わずクスッっと笑っている。くぅ、こっちはもっとかわいい。
「でさ、先輩はどうしたと思う?」
オレ達の答えを待つでもなく桜田先輩が続ける。
「酷いんだよ、持っていたシャーペンでいきなり僕を突き刺してきたんだから」
へっ? 意味がわからん。照れ度マックスになったのか? で、思わず意味不明な行動に出たとか?
「さすがにわけわからなくて『何するんですか?』って聞いたんだよ。そしたら先輩、何て言ったと思う?」
オレ達三人は首をひねるも、あの先輩の異常を突き抜けている行動心理を読むことは出来ない。
「『えっ、だって突っつき合ってくださいって言ったから』だってさ。はぁ、あれは痛かったよ、いろんな意味で」
……?
……?
……!
あー! そうか、そういうことかー!
少し間を置いてようやくその意味を捉えることができた。
どもったセリフ「つっ、つきあってください」を「突っつき合ってください」と解釈?
「つきあった仲」って交際の意味じゃなくて「ど突き合い」のほうだったかー!
たしかに「つきあった仲」では「つ」が二つ足りていない。
うわぁ、先輩ひでぇ! 男の純情をシャーペンで突き刺すとか、普通やるか?
「ね、『つきあった仲』ってのはそういうこと。ホントは君達が思うほうの仲になりたかったんだけどね」
「先輩も……、なんていうか酷いっすね」
「だろう? 同じ振られるにしても、もうちょっとね……。だから寺山君も気を付けたほうがいいよ。ってもう遅いか」
先程の被害のことですか。もう運命と思って諦めることにしました、はい。
なんだ二人とも、そんな顔をして?
両側の二人が少し困ったような、なんとも言い難い表情でオレを見てきた。
そうか、さっき殴られたし、心配してくれてんだな。ちょっと嬉しい。
「今年図書委員にならなかったのは、塚本先輩のことだけじゃなくてそのことも、ですか?」
今度は大原が食い付いている。うーん、恋バナはやっぱり女の子の好物か。
「まぁそうかな。塚本さんのことで顔合せ辛くなったのが一番だけど、それも理由と言えば言えるかもしれない」
「あの……桜田先輩は今でも……その……」
おいおい、どうした、大原? それ聞いちゃうの?
「そうだね。怖いもの見たさっていう人間の根源的な感情には逆らえないみたいだ」
こういう言い回しって、ちょっとかっこいいな。
……そうか、先輩のことまだ好きなんだ。モテるだろうにな、なんで蓼食う虫になるんだか。
うーん……。
少しモヤモヤする。なんでだろうな?
ふと左右から視線を感じた。妙にチクチクする。
いや、だから二人とも? なんでそういう目でオレを見るの? 何もしていないよね、何も言っていないよね?
「ただいまー! あースッキリスッキリ」
先輩、ナイスタイミング! なんですけど、それこっちが恥ずかしくなるからやめて。
「桜田くーん。いない間に私の悪口言ってないでしょうね?」
「当たり前じゃないですか。だいたい何を言ったところで先輩の性悪ぶりには追いつきませんから、悪口にはなりようがありません」
すごいセリフだ。今日一番の悪口だな。
「そ、ありがと」
対してこの返しか。何話してたかはすべてお見通しなんだろうな。というか、そのためのトイレタイムだったってわけだ。
それにしても、この二人の会話ってオシャレ。オレ的にはちょっと憧れるんだよな、こういうの。入り込むのはオレじゃ無理か。会話スキル低いしな。
トイレを済ませたからか、なんだか先輩もゆったりしている。台風が温帯低気圧になったってところか。
「じゃあ……」
うっ!
ダメだ、完全にパブロフっている。
「今日はもうお開きにしましょうか。いつまでも先生にカウンターやらせておくわけにもいかないし」
そうだった。関先生も忙しいかっただろうに、オレ達のわがままに付き合わせてしまったんだった。ちゃんとお礼言わなくちゃな。
司書室を出ると、関先生は気分が悪いのか、こめかみを押さえ険しい顔で俯いていた。顔色も少し悪いようだ。
「どうしたんすか、先生。頭痛っすか? なんなら保健の先生に連絡とりますけど」
オレは慌てて訊ねるが、関先生はその場で手を振りオレの提案を却下する。
「大丈夫よ。心配してくれてありがとうね」
おかしいのは先輩と桜田先輩だ。何も言わないどころか、二人で耳打ちし合ったかと思ったら、桜田先輩はまた司書室に戻ってしまった。先輩はその場で黙り込んだままだ。
「先輩、何してるっすか! 先生が具合悪そうなんすよ。動いてくださいって」
まさか動転しているのか? いや、あの顔はそんなんじゃないな。いや、今はそんなことより先生だ。急病だったりしたら大変だ。やっぱり保健室に行った方がいいんじゃないか?
こういう時、オロオロするしかできないのってダメだよな、くそっ! 彼女達はなぜか先輩に制されて一歩も動かず、一言も発しない。
「寺山くーん、ちょっと落ちついてくれるー」
「落ち着いている場合じゃないっすよ、先輩! 早く保健の先生呼ぶとか……」
「大丈夫!」
オレの狼狽っぷりを一刀両断するかのようにそう言い切ると、先輩は関先生の横に進み出て、どん! と仁王立ちになった。
何が大丈夫なんだ? こんなになっているのに!
「せーんせ! どうでした?」
はぁ、なんだそれ? どうしました、だろ! 何言ってんだ、この人。まずは具合を聞くとかしろよ!
すると関先生は左手でこめかみを揉みながら 先輩に向けて右の手を大きく広げた。
「……クインティプル」
クイン……、なんだって?
「なるほど。おめでとうございます。先生はやっぱりさすがです」
何がさすが? 先輩、そんなことより早く……。
「先生、どうぞ」
と、そこで司書室から出てきた桜田先輩が、おそらく関先生のものであろう湯飲み茶碗を手渡した。関先生は「ありがとう」とそれを受け取り、つがれたお茶を一気に飲み干した。そして大きく一息つくと、司書の先生としては不適切と思われる言葉を、また年齢から鑑みればらしからぬ口調でもらしたのだった。
「あー、確かに酔うわぁ。ヤバイわ、これ」
はぁ? 疑問符が頭の中でコテッと横倒し。何言ってるんです、先生?
「五回転とはすごいです。寺山君も見習いなさい。四回転で満足しているようじゃ、君も一流の図書委員にはなれないわよ」
一流の図書委員って何だぁっ! えっ、五回転?
「ごめんね、寺山君。図書室初の五回転は私が先に頂いたわ」
そこでオレに向かって広げた右手をサムズアップ。
図書室初? は? 何を言って……。
あー、椅子で回ってたのか、もしかして。具合悪そうにしてたのって、それで酔ったから? 右手広げたのって五回転まで行ったってことか?
何やってんだぁー! オレに幼稚園児じゃあるまいしとか言ったの誰だぁ!
おかしいのは先輩だけか思ってたけど、先生もだったか。
「先生、ありがとうございました。合コンも無事終わりましたんで」
代表して先輩がお礼を言うのは、まぁ当然の流れなんだが、合コンって何だぁ!
「そう。うまくまとまった?」
「いえいえ、今日は顔合せ程度ですから」
はぁ? 結構いろんなこと話しましたよね。顔合わせ程度じゃなかったですよね。
「先生!」
ぅお、ビックリした! 二人がそろって先生の前に進み出た。しかも、目をランランと輝かせて。
「ワタシ、二年生になったら図書委員になります。絶対なります」
「私も! その時はよろしくお願いします!」
愕然というのはこういう時に使う言葉だったか?
おかしいだろぉ! どうしてそこでそんなセリフが出てくるんだぁ!
ポン。
ことの成り行きが理解できず、もはや疎外感に包まれ始めたオレの肩を叩いたのは桜田先輩だった。優しそうな顔でウンウンと頷いている。
あ、味方がいた。そうだ、この人なら常識的な判断ができるはず。普通の感覚でモノを言ってくれるだろう。
……オレ、人を見る目ない。
「来年は僕も図書委員になるからさ、その時はよろしく」
お前ら全員アホかー!
なんだ? 先輩が二人に何か耳打ちをしたな。
二人は慌てた様子で手を振った後、チラチラをオレを見てきた。
先輩、二人に何言ったんです? またオレを陥れようとしてるんじゃないでしょうね。
女の子の視線って、浴びたほうは落ち着かなくなるな。何言われたんだ? 普段の妄想があるせいか、堂々とできない自分が悲しい。
どうしたの、なんか顔が赤いよ、あなた達。あれ、また何か言ってる。……あ、頷いた、と思ったら。
「寺山ぁ、今日はありがとう。ワタシ達、先に帰るね」
「寺山君。二年生になったら私も図書委員になるから色々教えてね。じゃ、お先に」
えっ?
二人はオレが返事に戸惑っている間に、脱兎の如く図書室から出て行ってしまった。すぐその後で廊下を走り出した気配と、笑い声を残して。
あれ、何この展開?
「じゃあ、先生、僕も今日はこれで帰ります、また来ますので。先輩、寺山君も、また」
さわやかに退場を宣言して図書室を出て行く桜田先輩。
「あ、はい」
つられてオレは頭を下げた。違う、そうじゃない!
ぽつねん。
「寺山君のおかげかな。来年はいい子が入ってくれそうで助かるわ」
「桜田くんが戻ってくれるのは嬉しいですよね。それにあの二人、かなりの逸材だと思いません?」
「そうそう。面白そうな子達ね。私も気に入ったわ。今から楽しみ。寺山君、あの子達にいつでも遊びにおいでって言っておいてくれる?」
背後の会話は、図書委員の人材確保に対する明るい展望のことなのだが、この二人が話すと世界制服の尖兵を手に入れ、それを喜んでいるようにしか聞こえない。
くそぉ! こんな世紀末な委員なんかやってられるかぁ! 来年は絶対ならないぞぉ!
「さっきは心配してくれて本当にありがとうね、寺山君。君みたいな子が来年も委員になってくれると、すごく嬉しいんだけど」
「大丈夫ですよ、先生。なんたって寺山君ですもの。ね!」
その言葉に恐る恐る振り返ると……。
そこにいたのは先生と先輩ではなくて、どう見ても正体を現した悪魔と魔女。差し込む夕陽に浮かぶ影には角と尻尾が見え隠れ。その隣でとんがり帽子の老婆がイッヒッヒ。並んでニッコリ威圧感。
言うなれば単なる村人に過ぎないオレに抗う術はなし。
なんでこうなるの? 無理ゲーにも程がある。
そうしてオレは身震いすることも出来ず、ただ一言とともに頷いた。
「……はい」




