その17 彼はさされます。
「っ!」
「ん」と「ぎ」を一緒くたにしたような呻き声を桜田先輩がもらした。
なんだ?
歯を食いしばってのけぞっている。先輩はというと、左手で頬杖を付きながらニコニコしている。しかし右手が桜田先輩の背に……。もしかして?
「先輩、痛いです!」
「そりゃそうよ。思い切り叩いたもの。いやぁ、大きな音がするものね」
その悪びれない態度は賞賛に値するな。
桜田先輩が後ろ手で背中を擦りながら、恨めしそうに睨んでいるがどこ吹く風だ。このメンタルの強さは一体どこから来ているんだろう。
そして「やれやれ」と両手を広げ、二、三度首を振るよくあるポーズ。
「それにしても……」
そして一度言葉を切り、大きく息を吐き出した先輩は、十分な溜めの後、情け容赦のない一言を叩き付けた。
「あんたバカァ?」
ぐはっ!
聞き慣れたそのセリフは、新開映子のソレとは比べ物にならない破壊力を持っていた。傍で聞いていたオレの心臓にもグサリと突き刺さった程だ。
直撃を受けた桜田先輩はビクッと体を震わせた後、何も言うことができずにそのまま固まってしまった。石化状態だ。このまま次の攻撃を受けたら確実に崩れ去るだろう。ご愁傷様です。
だが経験による耐性を得ているのか、下唇をかみ締め何とか言葉を搾り出す。
おお、しぶとい。
「まだ、僕のターンだと思うんですが?」
ターン? また訳のわからないリアクションだ。
あ、今のは先輩が交代を命じたってことか? うん、二人の会話が少しだけわかるような気がしてきたぞ。
「そうね。あなたが一年生三人をそのまま騙し通せたなら、続けさせるつもりだったんだけどね」
騙す? あーダメだ、やっぱりわからない。
「でもほら、気付かれちゃっているわよ」
桜田先輩に向けていた右手の人差し指をチッチッと振りながら、その指先だけを折り曲げる。そしてその細い指がさし示しているのは……。
「彼に」
えっ、オレ? ……えー、なんでー?
突然矛先を向けられてもされてもわけがわからない。ちょっと待ってくださいよ。
すると先輩は左手で髪をかき上げると、オレ達三人をかわるがわる見た後でこう言った。
「三人とも落ち着いてくれる? 特に新開さん。そんなにいきり立ってちゃ話にならないわ」
隣で新開映子が小さく「すみません」と体を縮めている。顔も真っ赤だ。破裂寸前まで膨らんだ風船が一気にしぼむのに似ている。アップダウンが激しい彼女。ハラハラするけどそれも魅力だと思う。まぁ。こっちとしては心臓に悪い時が多々あるが。
「ごめんね、大原さん。もう少しだけ待ってくれる?」
「は、はい。こちらこそすみません」
そう声を掛けられると、大原も負けず劣らず小さくなった。胸はでかいままだが、などとオレはまたしても煩悩を全開にする。いやだって、角度的に当然そこにも目が行っちゃうし、そこが縮んだら彼女達にとっても死活問題だろ。
「あのね……」
あれ、見抜かれた? そのトーンがとても怖い。
「おっぱい星人の寺山芳樹君! こんな時までおっぱいのことを考えない!」
フルネームはやめて。それにおっぱい連呼しないで! あー消え去りたい。
あ、隣からなんか視線が突き刺さってくる。そーっと横目で左を窺うと……。
ヒッ! 彼女がすっごい険しい顔してオレを睨んでいる。あ、大原の様子を窺っていただけであってだな。けっしておっぱいに……、すみません、ちょっと見蕩れてました。
「いい感じで頭も冷えたかなと思ったんだけど……。新開さんはもう一度冷やしてくれる? 後で煮るなり焼くなり好きにしていいから」
ニコニコからニヤニヤに変わった先輩の笑顔。またもや「すみません」と焦ったように俯く彼女。
煮られるのも焼かれるのも嫌だー!
ダメだ、生きた心地がしない。先輩、オレ帰っていいですか?
「さてと、寺山君、今の桜田君をどう思った?」
なんだ、いきなり? どうって言われてもな……。
「よくわかんないっすけど、なんで嫌われ役やっているんだろって思ったくらいすよ」
「嫌われ役?」
「だって無理矢理冷たい言い方してるし、大原を怒らせようとしているし」
だよな? わざわざあんな言い方するとか、嫌われようとしていたとしか思えない。なんでかはわからないけど。
そこで目を向けると、桜田先輩は口を開けたまま呆然としている。
「えっ、違ったっすか? もしかして桜田先輩ってあれが「素」ですか?」
あ、オレまたやらかしちゃったか? でもあれが「素」とはどうしても思えないんだよな。
「だそうよ、桜田君」
「はぁっ……」
桜田先輩は大きく息をつくと、ジロッとチラッの中間くらいの目つきでオレを見てくる。なんでここにいる人たちって、こんなに目力が強いんだろう。すみません、勘弁してください。
「なるほどね、先輩がいじめるわけだ」
えー、それどんなわけ?
まったくこの先輩達は通じる日本語を使ってくれないから困る。その自己完結型の会話やめません?
「大原さんも新開さんも、さっきのことは忘れてくれる? 代わりにって言っちゃなんだけど、大原さん、あなたの聞きたいこと、先に済ましてしまいましょうか」
あれこれすっ飛ばした先輩のその言葉に、大原が遠慮がちに答える。
「いいんですか? 桜田先輩は……その、まだ終わっていないみたいですけど」
「いいのいいの。終わるも何も、スタートラインを間違えていたから始まってもいないも同然よ。いいわよね」
肩に手を置かれた桜田先輩は、大きく肩を落とし溜息とともに頷いた。
「すみませんでした。もう少し頭を冷やしますんで、お任せします」
あ、だから先輩、さっき迷ったのか、桜田先輩が暴走しちゃうかも知れないと思って。たぶん表情とか声とかで何か勘付いたんだろうな。
でもモミジの刑はかわいそうな気がしますよ。まだ痛いんじゃないかな? あれはくらいたくないな。
で、結局先輩が主導権握っているし、なんだか嫌な予感しかしないんだが? オレも何かの刑に処せられるような気がする。トイレ行くとか言ってバックレようかな。後で殺されるけど、今殺されるよりはマシだよな。
だいたいさ、先輩にお弁当のお礼を言いに来ただけなのに、なんでこんなことになってんだ?




