その14 彼女は任せ過ぎました。
「文芸部」という単語に、これほどの反応を示すとは思っていなかった。やはり何かあったと見るべきだろう。形を変えた眉が如実にそれを物語っている。
嫌なことを思い出させてしまっただろうか? ちょっと罪悪感。
フリーズした先輩は、それでもすぐに元の表情に戻り、何かを諦めたかのような大きな溜息を漏らした。
そして、カウンターから身を乗り出し、大原泉美に顔を近づけ睨みつける。
あれ? 違うな。睨んでいるんじゃない。目を細めているのは、怒っているわけではなさそうだ。口元が……、えっ、笑っているの?
彼女は少し怖がっていたが、先輩のその口元を見ると警戒を解いた。いや覚悟を決めたのだろうか、力が抜けていくのがはっきりわかる。
それを確認したかのように、先輩はワタシに目配せをしながら体を戻した。
「じゃあ、寺山君、カウンターお願いできる?」
そして唐突に寺山芳樹にイレギュラーな役を押し付ける。この「じゃあ」がどんな意味を持つのか彼は理解できないだろう。
「新開さんと大原さんはこっちね」
なんだろうコレ? この間もそうだった。なんとなくわかるというか、とにかく不思議な感覚。言葉にしなくても通じ合う。彼女も同じように受け取ったようだ。顔を見合わせ頷き合う。あれこれと考えていたことが無駄と思えるくらい、先輩がお膳立てを整えていく。
今日ワタシ達がここに来た理由はすべて看破されているようだった。
「先生、こっち使っていいですか? ちょっと女子会やりたいんで」
女子会という言葉に思わずクスッっと笑ってしまう。
やっぱり先輩ってすごいな。会話をすることなくこちらの意図を読み取り、かつ自分の意思をあますところなく伝えてくる。
もっとも、全てが勘違いである可能性も否定はできない。先輩には別の意図があるのかもしれない。
もしかしたら、部屋に入った途端キレられるとか? それは困るけど。
先輩のことを好意的に捉えすぎている嫌いがあるのは自覚している。
さて鬼が出るか蛇が出るか。どちらが出てきても嫌だけどね。
「じゃあ、そういうことだからワタシ達ちょっと女子会してくるね」
虎穴に入らずんば虎児を得ず、とも言うし、どのみち行くしかない。
彼の困惑度はさらに増したようだ。でもごめん、説明している余裕はないの。
「寺山君、ごめんね。ちょっと行ってくる」
彼女もワタシに倣う。この流れにすぐに対応するところはさすがだ。
彼を一人きりにさせてしまうのが少し申し訳ない。後で何か埋め合わせしてあげよう。
そしてワタシは初めて司書室に足を踏み入れた。
一見怖そうなんだけど近所のおばさん的な雰囲気がある、というのが関先生に対するワタシの第一印象だった。挨拶したワタシ達に「いらっしゃい」と歓迎してくれた。
予想に反して司書室は意外と広かった。先生の作業机が二つと、ワタシ達が案内された六人掛けのテーブルが一つ。窓際には閲覧室の予備だろうか、椅子が五個ほど並べられている。それでも通るのに何かが邪魔になるということもない。
「二人とも寺山君のカノジョみたいですよ」
ペットボトルのお茶と紙コップがのったお盆を持ってきた先輩が、ワタシ達を紹介する。
「あら、若いっていいわね」
その紹介は勘弁して欲しかったけれど、思えば似たようなものかとも思う。彼女も似た心境のようだ。
「お茶でいい? と言っても他にはないんだけど」
「あ、すみません。大丈夫です」
「私もお茶で」
ここが先輩の部屋であるかのような錯覚を起こしそう。関先生にはここの使用許可をとっただけで、後は勝手知ったる他人の勝手といった様子だ。冷凍庫を開けては「うーん、アイスはこの間食べちゃったんだっけ」などと言っている。
「ねぇ、二人とも。何か食べたいものとか飲みたいものってある?」
「先輩、あまり気を使わないでください。お茶で十分ですから」
何しに来たのかわからなくなりそう。
「遠慮しなくていいわよー。寺山君に買ってきてもらうだけだし」
それはそれで彼がかわいそうなんですが? ちょっと笑ってしまう。
あれ、本当に彼にお使いさせる気かな? 先輩がドアに向かった。
「そこっ! 聞き耳立てちゃダメ。おとなしく当番してなさい」
彼が女子会の中身を知ろうと不審な行動をとっていたようだ。
「先輩。なんでオレだけここ?」
うーん、当然の疑問よね。でも……。
「あのね、君が入ったら女子会じゃなくなっちゃうでしょ」
先輩の言う通り。女子トークのえげつなさを知ったら、女の子に対する幻想なんて吹き飛ぶよ。これはあんたのためでもあるんだからさ。
「いや、そもそも、なんでいきなり女子会なんです?」
食い下がるわね。とはいえ、ワタシには彼を納得させることはできそうにない。ここは先輩に任せるのが一番だろう。
「若くてかわいい子から栄養わけてもらいたいの」
ぶっ! これにはワタシも彼女も吹き出してしまう。
「いやいや、さすがにそれで納得しろって無理でしょ!」
ああ、これが煙に巻くということなのね。気勢がそがれているのがわかる。彼には有効的な手段のようだ。覚えておこうっと。
「まぁまぁ、ちゃんと生かしたまま帰してあげるから。じゃ、よろしくー」
ちょっと怖いセリフで先輩が部屋に戻る。うーん、飄々とした感じが頼もしい。隣に座っている彼女もワタシにはトンデモ生物なんだけど、やっぱり先輩は別格だ。今日は全部任せちゃおうかしら。
そして先輩が彼女について二度目の紹介をする。
「先生、大原さんは文芸部なんですって」
ピクッ。彼女が一瞬体を震わせるのと同時に先生も同様の反応を示した。
あ、先生も知っているんだ。
「そう、なんだ。……高橋さん、あなたはいいの?」
「ほら、こんなかわいい後輩達が勇気を出して来てくれたんですよ。上級生がそれに応えなくてどうするんです?」
ワタシ達の肩をポンポンと叩きながら先輩が楽しそうに笑う。けれど先生は……。
「高橋さんがそう言うのなら止めないけど……」
大きく息を付きながら険しい顔でワタシ達を見つめてくる。
「あなたたち! よく考えた? 中途半端な気持ちでは許されないことなのよ!」
かなり真剣だ。はっきり言って怖い。第一印象が間違いであったことをワタシは悟った。正直気持ちが揺らぎそうになる。なんて答えよう? そう逡巡した時三回ノックの音がした。そしてドアが開き、見知らぬ顔が覗き込む。
「すみません。高橋……」
その顔を見るや否や、先輩が一オクターブは高い声でその男子の言葉をさえぎった。
「あー、桜田君じゃない! ひっさしぶりー。どうしたの?」
え、誰? 図書委員の人? でも久しぶりって……。
「さぁさ、入って入って」
桜田と呼ばれた男子は少し戸惑ったように、それでもきちんとお辞儀をしてから司書室に入って来た。襟章から二年生だとわかる。
「お伝えしたいことがあって来たんですけど。あ、先生、お久しぶりです」
「いらっしゃい、桜田君。元気?」
「ええ、先生もお元気そうで何よりです」
さすがにこの流れはわからない。
それにしても、この二年生……かわいい。女装させたらかなりの美少女になりそう。髪サラサラだし、肩幅あまりないし、女子からいじられそうなタイプ。失礼極まりないのだけれど、それほどにこの桜田という二年生はパッと見の印象が中性的だった。
「あ、紹介するわね。一年の大原さんと新開さん」
ワタシは紹介に合わせて会釈し、自己紹介をするべきかちょっと迷う。だが、その前に先輩が続けた一言が、この場に新たな緊張をもたらせた。
「大原さんは、何と文芸部」
「えっ?」
桜田先輩が驚いたように彼女を見た。どうして良いかわからなくなったように彼女は俯き「文芸部一年の大原です」と小さく自己紹介をする。
大きく溜息をついた桜田先輩は、彼女以上に困ったような顔で
「タイミング良過ぎましたか?」
と、おそらくワタシ達にはわからない言葉を先輩に向ける。
あ、この人先輩と同類だ。相手の表情や仕草も会話のうちにして、不要な言葉を使わない。
「狙ったんじゃないかって思うくらいにね」
先輩もこの二年生と話すのが楽しそうだ。
「ホント偶然なんですよ。でもまぁ、偶然なんてものは意外とそういうものですしね」
悟ったようなことを言う。見た目とはかけ離れた性格なのかもしれない。
とそこで、パンパンと手を叩きながら、先生が図書室に目をやりながら会話に割り込んできた。
「はい、とりあえずそこまで。高橋さん、寺山君も呼ぶべきね。桜田君が来た以上女子会じゃなくなったんだし、彼を仲間外れにしてはかわいそうだわ」
そして続けざまにワタシ達の肩に手を置き、顔を覗き込んでくる。
「いいわね、二人とも。女の子同士の秘密は違うことになさい。わかった?」
否応無し。ワタシ達は先生の迫力にただ首を縦に振るしか出来なかった。そして先生は司書室を出て彼に言葉を掛ける。
「何やってるの、寺山君?」
「あ、いえ。図書室初の四回転を決めようかと」
何やってんのよ! こっちがちょっと怖い思いをしている時に。
「はぁ、幼稚園児じゃないんだから」
先生も呆れている。
「もういから、あなたも中に入りなさい。桜田君もいるから君の知りたかったこともわかるでしょ」
彼が知りたかったことって? え、もしかして……。
「あ、でもカウンターが……」
その律儀さは今はいらないから。空気読もうね。
「ワタシがやるからいいわ。君はさっさと入りなさい!」
「は、はい。わかりました」
すぐに来ないものだから、促すつもりでドアから顔を出すワタシ。
すると椅子から立ち上がった彼が、いきなり「グェッ」と呻く。何、ゲップ?
「どうしたの、寺山ぁ?」
どうしたんだろう。気分でも悪くなったのかな?
けれど次の一言は、おそらく十人中十人が呆れ果てるであろう。
「椅子でくるくる回っていたら……酔った」
「バカッ!」
ワタシの心配を返せ! いい年して何やってんのよ、もう!
胸を手で押さえながら猫背気味に司書室に入った彼に椅子を勧める。
こんな男のためにアレコレ考えていた苦労は一体……。なんでワタシ、こんなのに惚れているんだろ? 考え直そうかな。
「あんたバカァ?」
彼の横に座りながら、何度目になるかわからないセリフをぶつける。
「ホント、ガキなんだから! 恥ずかしいったらありゃしない!」
ほら、彼女だって笑いをこらえるのに必死じゃん。なんか情けなくなってきたよ。
と、ここで予想外の出来事が。
そんなワタシ達を尻目に桜田先輩がかいがいしく介抱を始めたのだ。
「大丈夫かい? ほら、冷たいお茶」
そう言いながら彼に冷たいお茶を渡す。
え、ちょっと待って。桜田先輩、気が利きすぎでしょ。
そうなると、罵るだけ罵って何もしない自分のほうがよっぽど恥ずかしく思えてきた。
「すみません。ありがとうございます」
彼が素直に礼の言葉を口にする。
あ、失敗したー! ここで優しくしてあげればワタシアピールできたんだったー! 落とすチャンスだったのにー。
うわぁ、最悪! 初対面の二年生、しかも男子に負けたー!
……。
で、先輩? 机に突っ伏して笑い転げているのは、それって彼のことですよね? まさか、女子力アピールに失敗したワタシを笑っているわけじゃないですよね。
あー、その笑い声、どっちかって言うと……。はぁ……、なんでこうなっちゃうのよ?
室内だけじゃなく頭の中でも響き渡るは魔女の笑い声。
「イーヒッヒヒッヒ!」




