その8 彼女は機転をきかせます。
ニ時限目が終わったところで、寺山芳樹はいきなり寝る体勢に入った。
ま、デフォルトよね。でもこれにはちょっと不満。彼には休み時間の有効活用を提案したい。コミュニケーションは大事だよ?
だってこのままじゃ負けちゃいそうなんだから……。
昨日の大原泉美との会話を思い出しながら、ワタシは強くそう思う。
「図書委員で高橋って三年の女子知ってる?」
そう切り出されたワタシは、素直に「うん」と返事をした。
あの先輩のことだよね。
最初の嫌な感じを頭から振り払おうとしたけれど、こういうときほど予感は当たるもの。
「それがどうしたの?」
神妙な顔つきで彼女が続ける。
「どういう人?」
「まずはその質問の意図を明らかにしてほしいんだけど」
いくら彼女とはいえ、これはさすがに脈絡がなさすぎだろう。
「うちの部にね、その人の噂話をさんざん触れ回っていた先輩がいたの」
彼女は文芸部に入部していたが、活動内容に不満があるのか先輩達とソリが合わないのか、ユウレイ部員となっていた。ごくたまに部室には行くらしいのだが。
「噂?」
「そう。どちらかというと悪口、誹謗中傷の類だったんだけど」
そして彼女は自分が聞かされたという「噂」を並べ立てた。
『ヒトのカレシを横取りしちゃすぐに捨てる』
『一年の時には何回も補導されて停学にもなった』
『夜の繁華街でふらふらしている』
『援交している』
『麻薬やドラッグをやっている』
『精神病院に入院していた』
『魔女の館という風俗店で働いている』
『魔女アデルの名前でAVにも出ていた』
「なによそれ!」
誹謗中傷を超えて犯罪レベルでしょ!
あまりに酷い内容にワタシは吐き気にも似た感じに襲われた。
「他の先輩に聞いたんだけど逆恨みなんだって」
一年生の時、付き合っていた男子に他の子を好きになったからと振られた。ただこれには注釈と訂正が必要だった。その男子に付き合っているつもりはなく、言うなればその女子が付きまとっていただけ。そして、その男子が好意を寄せていた高橋先輩に恨みを抱くようになった……。
「なによ、入院が必要なのはそっちじゃないの」
すごく気持ち悪い。おぞましいとさえ思う。
「みんなも呆れてた。ちょっと病的でしょ。実際ノイローゼっぽくなってたみたいで、六月くらいから休んでるんだって。もしかしたら学校辞めちゃうかも」
病気だから何をしてもいいというわけではない。自業自得、因果応報。もっとも、その人にも言い分はあるのだろうけれど、ワタシは同情する気にもなれない。
高橋先輩のほうがよっぽど気の毒だ。
「全然知らない人のことをそんな噂話で判断しちゃいけないけど、ほら、火のない所にって言うでしょ。丸々作り話だったならいいんだけど。だから教えてくれる? どういう人だった?」
「自分で行って確かめればよかったんじゃない? 文芸部でしょ。図書室になら部活で行くとかないの?」
教えるのを断るつもりではなく、普段の彼女からは考えられない消極性に疑問をぶつけてみる。すると彼女は溜息をつきながら首を振った。
「うちの部ね、その件で図書室の利用をやめているの。部長がその高橋っていう人に顔向けできないって言ってね。個人的に行くのなら別に構わないんだけど、さすがに行きづらくなっちゃって」
なるほど、なんだか凄く込み入った話になっちゃったわけか。とんだ災難だ。
「寺山君、図書委員でしょ。前からずっと気になっていたの」
真実はともかくそんな話を聞かされた身としては気になって仕方がないと。
けれどワタシにしたって、思えばたった二度、正確には三度しか会っていない。全然知らないと言ってもいいくらい。でも一つだけ……。
そう、たった一つだけ言えることがある。
「ワタシはあの先輩、好きだな」
たぶん彼も。ただしこれは口には出さない。
その答えに納得したのかしなかったのか、彼女はしばらく俯いて考え込んでいたが、顔を上げる時にはすっかり元の表情に戻っていた。
「ごめん。私が悪かった。ホントごめんなさい。その先輩にも失礼だったよね」
こうやって自分の非をすぐに認めることができるのも彼女の美点の一つだ。ワタシは意固地になるタイプ。
「いつものあんたに戻ってくれてワタシゃ嬉しいよ」
「え、そんなに変だった私?」
ちょっとアブナイものを感じたかな。
「寺山がその先輩に取られちゃうとか思った?」
「心配は心配だよ。映子ちゃんだってそうでしょ」
それは否定できない。だから困っている。
これを広めるような部員はさすがにいなかったとみえ、内輪ネタでなんとか収まっているようだったのは幸いだった。
彼には黙っていよう。これが二人で出した結論。
繊細なところがあるし、傷つくかもしれない。これは彼女の意見。
怒り出すことは明白だし、嫌われる可能性だってある。これはワタシの意見。
彼を思いやった彼女に対し、自己チューなワタシ。
正直言うと、負けたような気がしたんだ、この時。
ワタシって恋愛に不向きなのかな?
そういえば、このことを高橋先輩は知っているのかな? いや知らないか。
こんな噂話を立てられたら誰だってもう学校には来たくなくなるだろう。ワタシだったら堪えられない。
あれ、寝たと思ったけど、……なんか様子が変。
「ねえ寺山ぁ。今日はどうしたの?」
するとワタシの問い掛けにゆっくりと顔を向けてきた彼の目に……。
うわっ、何、涙? えっ、どうしたの?
目元からこぼれるそれは、眠気から来たものではないだろう。
見てはいけないものを見てしまったのかも。
「なに、寝不足? やたらと呻いているし昨日何かしたの?」
あ、これ突っ込んじゃいけないやつだ。瞬時にそう判断したワタシは、いつもの調子で聞いてみる。
よし上手いぞワタシ!
聞くと、先輩に言われた書庫室の掃除をやったのだけれど、運び出す荷物が多いは重いはで、今腰が痛くてどうしようもないらしい。
あー、ホントにやったんだ。ご苦労様。
でもワタシだって今日は腹筋が痛いんだよ。理由はちょっと言えないけどさ。
たぶん涙のことを誤魔化すためだろう、そのあとで褒めてくれだの慰めてくれだのうるさかったので、リクエストに答えてあげた。優しいワタシ。
「はいはい、よくできました。えらかったね。いい子いい子」
頭もなでてあげればよかったかな? スキンシップも大事だよね。
「にしても、司書の先生も面白そうな人なんだね。ワタシ、二年になったら図書委員になってみようかな」
その先生にも興味が出てきた。会って話してみたい。
あ、彼の顔がちょっと明るくなってきた。良かったぁ。
「じゃあ私もー」
どこからわいてきた! あんたはいいの!
「またー、オーハラってばいきなり参戦しないでよ」
「だってー、私を放っておいて二人で楽しそうなんだもん。混ぜてよー」
楽しそう? うん、それならよかった。
さっきはどうなることかと一瞬ヒヤってしちゃったけど、彼もいつもの感じに戻っているし、あの涙のことには触れないでおこう。わたしも楽しくなってきちゃったしさ。
そしてワタシはオーハラに小言を言い、オーハラはワタシに文句を垂れる。きっとやかましいって思っているんだろうな彼は。
けれど、背後から聞こえたのは想像もしていなかった言葉で。
「ありがとうな、新開」
ビクッ!
えっ、何! ありがとうって何が? えっ、えっ?
またもや彼に驚かされて体が硬直してしまう。振り向こうにも首がスムーズに回ってくれない。
ようやく後ろを振り返ると、そこには優しそうな目でワタシを見る彼がいて……。
思考回路がショート!
「なになに? どうしたの?」
「なんでもないよ。こっちの話」
すかさず彼が言うのだけれど……。
こっちってどっち? 話って? えっ、したっけ?
「ふーん、じゃあ後で映子ちゃんに詳しく聞くからいいや」
「いやいやいや、ワタシもよくわかんないんだけど?」
うん、ホントわかんない。なにがどうしてどうなった?
オーハラはしつこくやいのやいのと食い下がってくるけど、彼はもう口出しする気がないらしい。
ちょっとぉ、なんとかしてってば。何一人納得したような顔になってんのよ。
と、彼の視線がわずかに動いたのでそれをなぞってみる。
あれ? 入り口にいるのって先輩じゃない?




