第八話 地神との契約
「お兄ちゃん〜ねぇ、買っていかない?」
ユエラ大陸は北の、ここはアレスタ。商業国だという。街には出店がよく並ぶ。たくさんの活気ある声の中にリュークはいた。紺色の髪、銀色の目。目を引くには充分の身長と顔立ち。裏通りに近い場所には表には売っていないものが多々置いてあった。
亜人や、見た事もない種類の魔獣。そしてただの人だって商売の道具として売っている。
リュークは歩調を緩めた。奴隷商を見つけて近寄っていく。
「おい」
ぞんざいな口調で太った商人に問いかけた。
「ここに女はいないか? 十五歳くらいの女だ」
リュークの態度に腹が立ったのか商人は眉を少し上げてそれでも客に対する愛想笑いのままで答えた。
「女の子をお探しでしたら……」
暗い店の中に入っていく。太った体はどれだけ店が繁盛しているかが伺える。
「この子などいかがでしょう?」
商人が連れてきたのは言った通りなるほど十五歳位の女だった。
足枷と手枷とを体につけられ、ボロい服を纏った少女はうつろな目をしている。もう商人に抵抗はしない。諦めたのか、リュークの方を見上げたりもしない。髪の色は金色。少しウエーブがかかった髪は短く切られていた。多分ここで切られたに違いない。もし長かったのなら髪は売られたのだろう。瞳は薄い青で、表情は一切なかった。
「他には?」
「女の子だろ? そうですねぇ……十五歳位の子はこの子だけさ。どうだい? お兄ちゃん、買っていかないかい? きっといい相手になる……」
ガン!
リュークの手が商人の脂ぎった顔の横へ伸びた。殴ったのは壁。だが、殴られた壁には穴ががっぽり空いてしまった。パラ、と石塊が地に落ちる。
「な……なっ」
口をパクパクと力なく開けただけで商人は何も言えなかった。
「悪かった。手がかゆくてな。詫びをしよう。買う。いくらだ?」
リュークはニッと笑った。どこか冷たい笑みは明らかに嘲笑を含んでいる。そしてもう一度ゆっくりと笑む。顔を近づけて。
「いくらだ?」
「ひっ……た、ただいまセール中でございましてっ500Lで……」
リュークはふーんと鼻で答える。
「そっか。あんまり安くないんだな。むしゃくしゃしてきた」
「じゃ、じゃあ300で!」
「人を値切るな、豚が」
すっとリュークは少女の手を掴んだ。手首はそこまで細くなっていない。恐らくは売られてきてまだ間があいていないのだろう。手枷が手首に食い込んでいる。擦れて血が出ているし、汚れている。少女は手を掴まれてもリュークの方は見ない。ぎりぎり、かもしれない。
「おい、お前こいつに手を出したか?」
「だ、出していません!」
「そうか。じゃあいい。もう店は閉めろ。……見つかったら大変だもんなぁ?」
リュークはまたニッと笑った。笑う、というよりは唇の端を上げるだけという感じだ。
「! あの! お客さん!!」
商人は顔の色を変えた。リュークは商人の手に金貨を握らせてやり、少女の手を掴んで店から遠ざかった。
基本的にどこの国も人の売買は禁止されていた。だが、どこにでも裏と表がある。どの王様がそれを止めようとも、必ず歪みができて当たり前のようになっていくのだ。一つ処刑しても次が出てくる。次が、その次が、と永遠に国はよくならない。そういうものだった。戦争は起こっていないと先述したが、紛争なら各地で起こっているし、王が何の理由もなく失脚したりする事だってたくさんあった。
少女はまだ黙っている。さてどうしようと思うが、その場の情に流されたとはいえリュークはそれでいいと考えていた。まだ彼女は大丈夫だと思う。
「口はきけるか?」
少女の手枷を外しながらリュークは問いかける。少女はゆっくり顔を上げた。青い瞳と目が合う。
「あなたはどなたですか?」
「あぁ口はきけたか。お前こそ誰だ?」
静かに、でも強く聞き返す。実際彼女がこういう風にちゃんと喋ってくれる事に少し安堵していたのだが。
「何か目的がございますか?」
リュークはアホらしくなって彼女の枷の変わりに彼女の手に何枚か金貨をのせた。
「ない。じゃあな」
少女はハッと顔を上げた。リュークはもう遠ざかっている。
「あのっ」
追いかけ様として走ろうとすると少女は思いきり転んでしまった。さっきはリュークに支えられてやっと歩いていられたのだが、どうもずっと座っていたせいか上手く走れない。
「……いた……っ」
小気味いい音がしたのでリュークは転んだんだろうな、と考えた。助けるつもりはないし、もう彼女に何かを言われる事もされる義理もないはずだった。もう枷はないのだから後は好きなようにすればいい。所が少女はゆっくりではあるがついてきた。
「まだ何か用事があったか?」
「その場の情であるならもうやめてください」
リュークは足を止める。振りかえって少女を見る。まだ十五歳よりも幼かった。表情は暗いはずなのにどこか気高い。
何を、とは聞き返す気はなかった。そうだ、自分はその場の情で少女を助けた。もう二度とする気はない。
「目が見えないんだろう?」
少女は幽かに驚いたようだった。確かに転んだが、そういう素振りは見せていないはずだった。
「だから買った。騙されて買ってしまった奴が可哀想だろう?」
酷い言葉だった。無意識なのだろうか全く容赦がない。相手はまだほんの小さな少女なのにだ。しょうがない。元がそういう男なのだ。
「つれていって下さい。迷惑でした。私はあなたに助けなど求めていなかった」
少女は毅然として言ってのけた。
「はぁ?」
「……あそこで待っていたのです。私は自分にとって有利な者が現れるのを待っていたのです」
そう来るか。リュークは笑いたくなった。二度目の拾い物はこれまた口がやかましい。ちょっと年齢が低くなったが。
「名前は?」
「……ファルナ」
少女は答えた。
神殿の扉が開いた。リアスが出てくる。
「このくそったれ!!」
悪態をつきながら、だ。レチュアは目を上げた。
「え!? くそったれ!?」
「お前無理だよ。あんな神様がいるとかこの世終わってるって!」
「は?」
リアスはレチュアの近くに浮いていたチョコリを睨んでため息をつく。どうやら契約に失敗したらしい。残念。
「じゃあレチュア様も神殿の中へお入り下さい」
チョコリが可愛らしい声で言う。ここでレチュアは初めて緊張してしまった。リアスでも契約できなかった地神にさてどうやって契約を申しこもう?
「う、うん」
レチュアは一息つく。でももう何かを考えることはやめた。契約ができなかったのならその時に考えればいい。
神殿の美しい白の扉を開く。ゆっくりと足を進める。臆することはなかった。少しもない。
『レクト……マーナ・ベルナ。どうか加護を』
神殿の中には何もなかった。白い壁と白い床と。奥の方に大きな祭壇があるだけだった。祈りに来る者はいないのだろうか、椅子もない。
祭壇の前には花束がおいてあった。誰が置いたかは知らないがたくさん並んでいる。美しい花束は香しい蘭だった。
「契約をしたい」
レチュアは祭壇に向かって言った。声が何重にも重なって響く。外から見れば大きく感じたのに、中に入れば何もないせいか狭いと思った。声はゆっくりと地に落ちる。気高い声だった。
「レチュア・フォーガスさん?」
「あ、はい!」
返ってきた声は少し低めの男の人の温和な声だった。
「こんにちは。今日はいいお天気でしたね」
「え? あと……はい、少し寒かったですけど」
これが地神だろうか? にしてはこう威厳がないと言うか何と言うか。
戸惑いながらも声の主がどこにいるのか探ろうとするが神殿の中にいるはずなのにどこにもいない。
「契約をしたいんですか?」
紳士的な口調で声は尋ねる。レチュアは頷いた。
「そうですか。ではどうして契約をしたいのか述べてみて下さい」
直感した。トップシークレットだらけのリアスはここで躓いたに違いない。ここが頑張り所だ。レチュアは目を閉じる。契約を勝ち取る。――負けない。
まず最初はなんだろう? 一番最初は『約束』セルフィとの約束が最初。次が自分の中から湧き上がる怒りだったんだと思う。玉座を奪い、父や母、宮殿の者達までも殺した怒り。
でもそれは憎悪とは違う方向へ向かっていった。恨みよりも悲しみよりもレチュアの心は冷静に判断する――なぜ謀反が起きたのか――。自分は正妻の長女。そのままでいけば女王になるはずだった。所が側室の息子の誰かに玉座を奪われた。別にそこまで欲しい地位ではなかったけれど、だからと言ってはい、どうぞとは渡せない。
今までの話をレチュアは少しずつ簡単に話した。どこにアークスがいるかは知らなかったが、決して一度も下を向いたりはしなかった。前だけを見る。
「というわけなの。ぜひ力を借りたい」
ふぅと息を吐く。少し神殿内は寒い。窓からは柔らかな陽光が降る。
「私は二人もドールがいる。それでも。無理を承知で言う」
強い声だった。迷いは捨てたから。もうどうしようもなくなって立っていられなくなったけど。でも、それでも。
「へぇ。……そうですか。思っていたよりちゃんとした意志をお持ちなんですね」
ふわ、と肩先に温かいものが触れた。レチュアはあ、と振りかえる。優しい表情と目があった。白い布を纏っただけの姿。長い薄い紫色の髪、それより少し濃い瞳。レチュアを覗きこんでくるのは神様、そう呼ぶに相応しい者だった。
「いいですよ。契約をいたしましょう」
「本当に!?」
はっと顔を上げる。優しい、本当に優しい目と目が合う。レチュアは思わず顔を歪める。張り詰めていた物が切れてしまった。へにゃと体中から力が抜けていくのが分かる。
「はい。そうですね……血を媒介に……あぁ。女の子でしたね」
地神はその整った顔を少し歪めた。
「胸はレクトに取られてしまった」
クス、と笑われてレチュアはハッと胸元を押さえた。レクトがどこに契約の印を残したかなんて言ってないけど。しっかりと胸元にはレクトの契約の印が彫られている。
「……」
アークスはそっとレチュアの髪を上げた。煌びやかな金髪を右手の甲で押し上げて屈んだ。レチュアが止める前に彼は首元にキスをした。
「!?」
レチュアは顔を真っ赤にさせて後退った。
『契約ってこんなだったっけ!!??』
それに気付いてアークスはにっこりと笑う。本当に優しい表情だった。
「契約成立です。私は貴女のドールとなりましょう」
耳の下より少し後ろの方に銀色に近い薄い灰色の契約印が表れる。それが契約の証だった。途切れ途切れになっている古代文字はレチュアからは見えないけど。
「ありがとう!」
「では必要になった時には私をお呼び下さい」
アークスの気配が消える。優しい空気がなくなってまた真っ白いだけの神殿に戻る。レチュアはそっと首の後ろを触ってみる。契約を成功させてしまった。
『やった……っ』
さて外へ出ようとした所、注意してみなければ分からない異変に気付いた。少し騒がしい。音と呼べるものではないはずなのに耳をつく何かの気配。レチュアはさっと神殿を出ようとする。
「!!」
扉を内側から開ければ外には何人もの兵士が立っていた。重苦しい甲冑に身を包んだ兵士の中に一人だけ何も纏っていない男がいた。中年の太った男である。それがこの兵隊の長官とでも言うのだろうか。レチュアはハッと身構える。するとそこに兵士に脇を固められてるリアスを見つけた。
「何ですか?」
聞かなくても分かっている。例えば、お迎え?
「レチュア・フォーガス。リージュ国よりの命令で捕らえる」
「……」
レチュアは下唇を噛んだ。




