第五話 赤月の思い、忘却の空
宿屋の前にいたのは背の低い女だった。髪が短く、稚けない表情でレチュアを見て笑う。服はよくわからない。白っぽいフードと、白い布を体に巻いている。女というには歳が届いていない気がする。見た目はレチュアと同じくらいだった。十六かそのくらいで、本当におかしそうに笑いながら、やっと二人に対して声をだした。やっぱり女とも男ともとれない声だ。
「はぁい〜三十秒以内でしたぁ〜お疲れ様です」
気だるそうな話し方と、笑顔に腹が立って、レチュアは半眼する。
「あのさ、誰?」
「あははぁ〜自己紹介するんですかぁ?? えとですね〜シラっていいます。二十六歳で〜男の子です。あなた達を……殺しにきました」
レチュアは目を見開いた。自分にかけられた死の宣告にではなくて、彼女、いや、彼が男で、しかも二十六って事に!
『詐欺じゃない!!』
緑色の目が闇の中で光る。可愛い顔して二十六の男は小さく首を傾げた。リュークの方を見ている。レチュアもリュークの方を見た。
「どうしたの?」
無愛想な男ではあったが、笑っても決して真剣とは言えなかった表情が変わった。銀色の目がブリ男を見据える。口元には笑みもない。バカにしたような嘲りの思いもない。ただ真剣な目。
「あれぇ〜? 会った事なかったよねぇ〜? 僕、君の生き別れのお兄ちゃんにでも似てた?」
『弟でしょう』
何となく突っ込んでみて、もう一度レチュアはリュークを見上げる。
「で? ……あんた目的はなんだ?」
リュークはやっと普通の表情にもどった。嘲笑に似た笑みを唇に浮かべる。美形がこういう顔をすると本当に恐ろしい。シラは返す様にしてニッコリと笑った。
「えと〜……まずレチュアちゃんねぇ〜、死刑〜! 次はリューク君……ていうか2人とも君とかちゃんつけると呼びにくいねぇ〜で、リューク君も死刑〜!」
可愛い顔してなんて勝手な事を言うのだろう。呆れる位だ。頭の中にインプットされる。
『コイツ嫌い……』
とにかく、相手がこっちを殺しにかかるなら。レチュアは槍、セーレスを意識する。右手にしっくりと馴染む武器を見て、リュークもやっぱり大剣を抱えた。さっきも気付いたが、リュークの持っている大剣はブレートリフという剣だろう。束に結ばれた赤い宝玉と、刃に焼かれた古代文字。世界で一番重い剣。見た目は普通の大剣だが、ぶん回して始めてその異常な重さに気付く。
「へぇ〜対抗すんの? 僕の顔に傷つけるのはやめてほしいなぁ」
シラが指を口元に持っていって一本立てる。詠唱させるまいと思い、レチュアは踏みきった。所がシラがしようとした事はただの詠唱ではなかった。たった一言で、紡がれた音により、相手を縛る術。今ではブルーレスティア大陸の北、桂華帝国の一握りしか使わなくなった、覇術。
「止」
「!?」
レチュアの体が凍りつく。体が動かなくなるだけではなく、表情を作る事も叶わない。何もできなくなる。
「眠」
シラはにっこり笑った。いい事を思いついたぞ〜、と小声で言ってレチュアの方に目を向ける。
『何? 眠い……っ』
「凍氷」
レチュアの体が凍りついた。足元からビキビキと音をたてて、体が氷に閉ざされる。しかもシラはそれを見ながらにっこりと笑い続けている。自分が作った文字の組み合わせが『市民投票』というふざけた技になったのが楽しくてたまらないのだろう。
「……温」
最後に紡いだのはリュークの声だった。
「あれぇ? 覇術ぅ使えるんですかぁ??」
心底驚いたような顔をしてシラは口元に当てていた手を下ろした。本当に意外だったらしくてへぇ〜と間の抜けた声で何回も言う。
「じゃあいいやぁ〜せっかくおもしろかったのになぁ〜清き一票お願いしますねぇ〜?」
「……」
突っ込む気にもなれなくて、リュークは眉根を寄せた。何をしに来たんだ。
「えと〜じゃあ伝言です〜。妹さん、死んでないそうですよ〜やった!」
「……黙れ」
リュークは唇の端を上げた。シラは困った様に笑う。本気で笑うはずはないけど。そしてくるっと後ろを向き、スキップをしようかなと考えて、やめて、帰ってしまった。
「解」
「きゃぁ!!」
いきなり両手両足、思考、全ての機能が戻ってきて、レチュアは前のめりにぶっ倒れた。
まぁ一応一国の大事なお姫様には手を貸さず、リュークはシラが行ってしまった先を見やる。
「あれ!? もういないの!?」
槍の刃先で腕を怪我したのに気付いてレチュアは顔をしかめた。
「ねぇなんだったの??」
リュークはまだ黙っている。無口もここまでくると嫌になってしまう。とにかくなんでか知らないが自由になった手で腕をさすり、流れた血をどうしようかと思う。ハンカチはドレスの中で血だらけになってしまったので一緒に捨てた。
リュークがそっとレチュアの腕に触れる。下ばかりを見ていてリュークが自分の方を見た事に気付かなかったレチュアはハッと思わず構えてしまった。
「治れ」
詠唱なしの、簡単な言霊でリュークはレチュアの血を止める。長めの前髪がさらっと揺れるのを見てレチュアは目をしばたく。どうしてこんなに優しい表情をしているのだろう。今までの彼の態度とは全然変わっていた。ただ根性腐れ二人目と戦った後だからスッキリしているのだろうか? でもどうやら勝負はついていないのでは?
『なんなのよ』
やっぱり見た目は整ったリュークの顔にレチュアは少し参る。黙っていればいいのにと思いながらやっと一言言った。
「ありがとう。何回目だろうね?」
「さぁ?」
優しい表情はもうどっかにいってしまって、リュークはすぐに元の表情に戻る。
「さっきの……知り合い?」
「知るか。覇術を見たのは始めてだな?」
「うん。聞いた事はあるけど、あんな術覚えてれば簡単に人なんて殺せちゃうじゃない、危険過ぎ!」
「あぁ。……覇術は使用者の目を見なければいい。そしたら術にかかる事はない。」
「へぇ」
「……本当に知らなかったんだな。お姫様?」 レチュアは急に不機嫌そうな顔になった。多分バカにされている。と、目を上げるとそうでもなかった。いつものように気だるそうな無愛想顔ではあるが、含んだ笑い方も、嘲るような態度もしていない。
「ねぇ、お願いがあるの。どうしても」
リュークはやっぱりもう一度首を振った。一緒には、行かない。意思表示は明確。少しも揺るがない。
「そういえばお前のドールはなんだ? レクトだけを使役しているのか?」
「え?」
レチュアの目の端に、上弦の月が映る。赤に近いオレンジ色の、人を食ったような月。
「どうして?」
あまりなにも考えずにレチュアは問いかける。その証拠にレチュアの表情はあまり変わらなかった。暗い空の下で、二つの影がゆらりと佇む。
レチュアはレクトを思って笑顔になり、その後もう一人の契約獣を思い出していた。
彼女の名は、マーナ・ベルナ。




