第五十六話 会いたい事こそ罪
二度目の鐘が鳴った時に教会に来たのだから、二人は丸一日寝ていた事になる。
リアスが目覚めたのが朝の二度目の鐘が鳴った後、続いてオリヴィアが目を覚ましたのは、四度目の鐘がなった後だった。
「本当に申し訳ありません、私がリアスさんより長く寝るなんて……っ」
自害でもしそうな程顔を蒼白させて、オリヴィアは何度もリアスに謝った。
「や。良いって良いって、オリヴィア神殿巫女だもんな、体力ないのは当たり前だよなぁ」
丸一日寝ただけでこれだけ回復したリアスの体力は半端のないものだった。もしかするとリアスがドールを持っていないからかもしれない。オリヴィアは下弦と契約を交わし、精神力を自分だけではなく下弦にも与えなくてはならなかったのでより疲れたのか。
下弦は弱っていた。
一般的に魔獣は月日が流れる速度が人間より遥かに遅い。
不老不死はおらず、ただ寿命は永遠に似た程長いが、確実に歳をとる。下弦は見た目から歳は判断出来ないが、覇神の配下にいる魔獣にしては力が弱い。老い、である。力の衰えと反比例して、契約した人間から得ようとする精神力は増える。オリヴィアはその身体に見合っていない体力や気力を奪われているのだろうか。
「あ、やばいお腹鳴りそう」
「……私もお腹空きました」
二人は曖昧に笑って、心地よい冬の朝を楽しんだ。
ところが事件は思わぬところから発生した。つい昼飯まで世話をしてくれていたドレンが、神妙な顔で出て行ってくれ、と懇願してきたのだ。彼の本心ではない事がひしひしと伝わるほどドレンは沈痛な顔つきをしている。
「お金は払います、女性がダメというなら私は出ていって構わないのでリアスさんはもう少しここに置いてもらえませんか」
オリヴィアが必死で抗議しようとするのを、リアスは片手でふとさえぎる。噛み付くように前のめりになっていたオリヴィアはやや不満気にリアスを見上げたが、その時のリアスの顔は穏やかだった。
「いやいや、二日も休ませてくれて本当にありがたい、本当はこれだけじゃ足りないだろうけどお納め下さい」
リアスは深々と礼をして、クライストからもらった路銀の半分を渡した。普通の宿であれば五日六日は泊めてもらえる額の金貨を、ドレンはもらえないと首を振った。
「じゃあ口止め料で良い、教会の修理費に当てても喜捨でも良いから、もらってくれ」
リアスはまだ頼み込もうとしたオリヴィアの手をとって、早々に部屋を出ようと促す。
「では理由をお聞かせ願えませんか」
教会というところは何者も受け入れ、何者も素姓を問わず、神の御手と同じく慈しみに溢れる場所でなくてはならない。女性には少々戒律が関わり厳しくなるが、オリヴィアは教会というものに絶対的なる忠誠心をささげてきた。少なくとも四歳の時から十二年。やや不安を覚えたのだが、オリヴィアの不審は不信にはならなかった。
「今日は身体検査があります。兵役に出すものを選ぶ検査です。教会にいらしていたら何かと困る事になるでしょう」
ドレンは言いにくそうに答えた。
ち、と舌うちして、リアスは渋面になる。だがそれはもちろん教会に対するものではない。
「戦争が始まったか……」
「教会の僧までが戦に駆り出されるなんてどういうつもりなんでしょうか? ドレン様も場合によっては……?」
「私は健康にかけては見習いの中でも優秀でして」
一度苦笑してから、
「勅命であれば仕方ないのかと……ですがリージュで戦争があったのを数えても随分前に数える程度、教会にまで兵を請願されたケースなどありませんでした」
教会は僧が兵役につく事を全面的に禁止している。神の教えを静粛に守る神籍の者が、戦場で人を殺すなど言語両断。だが、最近では王と神殿の力は同等ではなくなっている。王命には逆らえない。
「王が馬鹿なんだ」
リアスは友達の話をするようにけろりと笑った。
「佳華に手を出してリージュが痛い思いをしないわけがない」
「確かに佳華は世界一大きな帝国ですが、レジアラ(国境付近)の戦いでは勝利を納め、オーウ港では佳華軍全滅だったそうです」
オリヴィアもリアスも思わず我が耳を疑った。
「本当に?」
「嘘を言ってどうするんですか」
ドレンは二人の昼食の食器を片付けながら、話を続ける。
「なんでも、ドールを戦場で使役しているそうです。戦争にドールを持ち込むのは……」
前例がない。
リアスはうーん、と考えをめぐらせた。頭がそう良くはないので、長い間考える。
ところが、そう長く平和な時間は流れなかった。
静寂をかき鳴らすように、ドンドン、と荒いノックの音が階下から聞こえた。それは二階の奥の部屋にいたリアス達の耳に入る程大きな音だった。
「しまった、もう来てしまいましたか」
ドレンは頭を押さえて目を細める。頭痛がしたのだ。
「神父様が話をしているはずなので、用意が出来たら裏口から外に出て下さい。……さしてがましいとは思いますが、誰かから逃げているなら国境付近には行かない方が良いでしょう、王都同様検問が厳しくなっています」
「…………」
オリヴィアは心から彼に謝りたい、頭を下げたいと思った。
「お世話に、なりました……」
深く頭を下げ、オリヴィアの何とも言い表せない気持ちが喉で詰まる。
彼は見るからに怪しい二人を決して外に放り出したりしなかったのだ。教会では割と頻繁に救いを求める信者が訪れるのだろうが、それでもこの二人は異様だったに違いない。
「頭をお上げになって下さい、オリヴィア様。……神殿巫女」
「え……」
「貴女様に頭を下げていただく程私は偉くはないのです」
オリヴィアはハッとして顔を上げた。
神殿巫女の数は多くはない。神殿地区の場所から察するとおり、国ではなく大陸単位で巫女見習いが修行し、やっと一握りが神殿巫女になれる。だが、神殿巫女が有名であったり、彼女達のための祭りや大規模な儀式があるわけではないので、巫女の顔と名前が広まる事はよほどでなければない。
それともレチュア逃走幇助で嫌疑をかけられ、王城の牢獄に入れられた巫女の名は風が舞うより早く人々の噂になっているのか。
「ドレン殿」
「オリヴィア様が神殿巫女になられた日に、私はちょうど神殿地区に祈りを捧げに行っておりました」
ドレンは笑う。
「神の寵愛を受け、光り輝くような貴女を見て、私は絶対に神父になりたいと思いました」
誰かが誰かの光でいる。
こと。
誰かが何かに憬れて、そうなりたいと望む。
「本当に感謝します。時間がない、オリヴィア、行こう」
リアスは急かすようにオリヴィアの手をとる。だが、リアスが手を取って歩かなくたって彼女は自力で歩ける事を知っている。――彼女は決して絶対たる守るべき存在ではない。
一体、誰が自分に憬れるだろう。
リアスは心が砕けて粉々になったかと思った。もう何だか随分と機能しているのだろうか、と心配していた感情は確かにあって、こうやって深い絶望に震えている。
「こちらへ」
ドレンは二人を裏口に案内し、託すようにこう言った。
「リージュを頼みますね」
それは出兵する前の一兵士の顔になっていた。本来なら関係ない僧達を兵士の顔にさせるのは戦争である。
「……オリヴィア、行き先が決まった」
「はい」
「俺は、レチュアに会いたい」
「……はい」
「アイツは、今戦場にいる」
「戦場、ですか?」
確信を持った物言いだ。だが、リアスの顔は複雑な表情極まりない。
「ただ……な、おかしいな。会いたいって思ったくせに途端にこれだ」
リアスはかたかたと小刻みに震えていた右手をぼんやり眺める。
会えるわけがない、という否定。会いたいと願う懇願。
レチュアに会って何をしようと思うのか、なぜ会いたいのか。
頭がぐちゃぐちゃになって、ほとほと考えも尽きた。
情けないほど猫背になって、俯いて、震えても会いたいのだ。
「リアスさん……」
「レチュアは恩人だ。……あいつは、俺の光だ」
憧れ、なのかもしれない。
守りたいと想う傍ら、リアスはいつもレチュアに守られてきた。
「ぜひお供させて下さい」
「……ん」
守られるばかりの自分が情けない。でも、今は守らなくてはならない人がいる。
でも本当は。
またしても救われたのは自分なのではないかと思った。
どの面下げて会いに行こう。
右頬でも左頬でも叩いて良い。
お前になら、殺されたって構わない。




