第五十話 ナイトはクイーンを捨て駒に
目が覚めても、覚めなくても。一人ぼっちで、一人しかいなくて。そんな風に毎日を過ごしてきたから。だから人が温かいかどうか、なんて分からなかった。
深い木々に覆われた森には光がごく細く届くだけで、視界は暗い。元より色彩を愛でる能力はない。
光がまぶしい。
「……?」
目を覚ましてみれば、覗きこんでくる瞳と目が合った。
「!?」
「あ、おはよ〜。……なんか挨拶するのは変な感じね」
「バカじゃないのか?」
「失礼な人ね。バカじゃあないわよ?」
漫才をしている。
金色の光の中に、金色の髪の毛を見つける。赤い、赤い瞳は、鋭くはないのに眼光が強いせいで少しすくんでしまうようだった。
クレーダが目を覚ましたのだ。レチュアはそれだけでとても喜んだ。
隣のベッドに寝ているアーシアの方は目を覚まさない。疲れがどっと出てきているのか、何かの魔法の副作用なのかは分からないが、誰も起こそうなんては思っていない。
小さな宿屋である。あまり広い、とか豪華だ、なんては思えないが、清潔感がある。そのベッドにクレーダは寝ていた。
「……なんで?」
寝ている、事に不安を、そして不満を覚えた。だって、あの金色の眩しい光は天国か、そうじゃないのなら光り輝いた地獄だと思っていたからである。
金色の光、と確かにクレーダは思っていたが、レチュアの髪の毛は今、染め粉のおかげで淡い栗色だった。では何が光り輝いたのだろう。
「何が?」
「なんで、そんなにバカなんだ、と聞いているんじゃないか?」
リュークが嘲笑を浮かべながらレチュアに突っ込む。レチュアはむっとした。なんでまたこうも意地が悪いのだろう。リュークはレチュアには飽きたように顔をそむけ、今度はクレーダの方に向き直る。
とっさに何か不快なものを感じてクレーダは起きあがろうとしたが、体中に鈍い痛みが現れて、起きるどころか、半身を上げる事すら出来なかった。
「痛いか?」
「……」
容赦なく、それでいて無関心な問いかけ。クレーダは口を開こうとはしない。レチュアは苦笑した。しょうがない、リュークはこういう人。
「私あなたに聞きたい事がたくさんあるのよ」
リュークから覗えた険は彼女にはない。レチュアの表情は至って穏やかだった。それでもクレーダは怖い、と思った。笑っているはずの表情は、笑っていない。口の端を上げているだけの人形めいた笑み。
レチュアはゆっくりとクレーダに手を差し伸べる。そして、髪の毛を掴んだ。
思ったよりもレチュアの手が白くて綺麗ではない事に、クレーダは気をとられていた。
「いっ」
今度こそ、レチュアの顔には笑みはない。
「よくも私の国に戦争なんか持ち込んでくれたわね」
怒っているのだ。
ひしひしと分かるほどの剣幕は、リュークと呼ばれていた男の物とはまったく違う。嘲笑なんかない。蔑んでもいない。レチュアは怒っているのだ。
リュークもそんなレチュアをぼんやりと眺める。
彼女が怒ったところなんて、久しく見ていない。怒っているな、と思う時はあったが、こうも感情を露出している彼女は初めてだ。
「国を取ったのは良いわ。やり方は汚いけれども、大昔からそう。様々な国がいがみ合って、領地を取って、取られて。そうやって歴史を築いてきたの」
レチュアはクレーダの髪の毛を離した。一房捕まれていた髪が、縛る物を無くして、そっと肩にかかる。痛くはなかった。痛くはないけれども。
「でも。リージュは戦争をしない平和な国を作っていった。本当よ、文献を見てみれば良い、興味ないでしょうけど」
とレチュアは目を伏せた。
「……一度戦争が起こると多くの人が死ぬ。それだけじゃなくて多くの人が悲しむ。そしてまた近い内に戦争は起こってしまう」
レチュアが怒っている理由は何だろう、とリュークは思った。
王宮を追われた。父親や母親、大好きだった妹を殺されたレチュア。
彼女は、一体何に憤りを覚えているのだろう。
「ねぇ、戦火の火を見た事はある?」
クレーダは目を細める。レチュアの赤い瞳と目を合わせているとくらくらとした。
「戦火の火って一番恐ろしい。あの『赤』を見るだけで私はきっと身が竦む。自分の竦んでしまった身を守るために人はどうするかを知っている?」
一息、置いた。レチュアは苦笑する。
「……殺し、合うのよ」
何度も何度も、下らない戦争が各地で起こった。国は多くの領地を、民を欲しがり、敗戦国は憎しみを胸に復讐をする。下らない輪廻が何度も繰り返されてきた。そしてリージュはようやくその輪廻を断ち切ったはずだった。
なのに、もう。始まろうとしている。
桂華帝国の王に会った。若い名君は戦が起こったのならなるべくの理解は示している。でも他の国はどうだろう?いつ、どこから攻めこんでくるだろう?
クレーダは目を細めた。
ふ、と口の端を上げる。
「だったら何なの?」
バシン、と音がした。リュークがクレーダの頬を打ったのだ。
「女の子叩くなんて最低です〜」
レチュアが苦笑する。
その彼女の手の平も、クレーダの頬の寸での所で止まっていた。怪我をしている人に向かって、手を上げようとしてしまったのだ。
「っだったら何なの?下らない。戦火ですって?」
――赤い炎を、見たことがある?
「そんな……の……」
クレーダは目を細めた。殴られた頬は痛くない。降りかかって来る言葉も痛くない。
いつか。私は……。
クレーダは、その時、一人森の中にいた。
「死ぬのか……」
じゃり、と石ころを踏む音。落ち葉を踏む音がした。
クレーダは静かにうつらうつらと目を閉じる。
「何で死ぬんだ」
なぜ?
撃たれたから。
人間は忙しい。動物は難しく考えない――考えられない。
死ぬのは運命であり、宿命だ。
なぜ人間は考えるのだろう。
「暗い闇が死なら、安らかなる国だ。……でも明るくて幸福な死は……」
その死は?
「生かしてやろうか」
男が問い掛ける。
クレーダは静かにうなずいた。頷けるようになったと分かったのは自らの身体が、人間になっていたからである。
「あの人に迷惑をかけるくらいなら」
「え? ちょっとダメよ、寝てなさい」
クレーダが寝台から身を起こすのを見て、レチュアは慌ててそれを制した。
肋骨がおれている。安静が必要な状態はいなめない。それでもクレーダはものともせず、飛びすさるように寝台を降りる。
いきなり足に負担がかかれば、クレーダは一度よろけて目を細める。
「死にたいの?」
死にたい、かもしれない。
「……鼻たれ、あんたは甘い」
「鼻たれですって?!」
「…………甘いよお姫様」
窓まで走れる。
私は窓を割って外に出る。
外に出たら走って、走って――逃げる。
クレーダはイメージを固めていく。出来ると思ったら絶対に出来る。
「甘くないわよ」
レチュアは困ったように笑って、クレーダの腕をひねりあげた。
「……あっ」
ぎりぎりと絞られ、筋が本来曲がるべき方ではない方向へ曲がる。切れる、とクレーダは冷や汗を流した。そのくらいレチュアは本気だった。
「戦地で兵隊に行けと命じるのも、断頭台に上げて良いのも私よ」
それが一国の王だ。
「腕なんかなくたって生きて行けるでしょう、罪人さん」
かすれるようにか細い声。彼女はこんな女だったろうか。
「あたしが罪人だというのならあんたはなんだ! 税金で暮らといて勉強せず、のうのうと愛されて……っ」
唇を噛むようにして、血だらけの言葉が吐露される。
クレーダの形相に、レチュアは怯むように瞠目したが、それが怯んだように見えたのなら勘違いだったのだ。
「そうよ、だから私だって腕の一本や二本投げ出す覚悟なのよ」
「は、笑わせるんじゃないよ、第一あんたは腕なんか失ってない!」
「……」
腕は。
レチュアは思わず微笑んだ。そうだとも、彼女は確かに腕こそ失っていない。
「城が落ちたのは誰のせいだ? 玉座を望む者が何で生き延びてる!」
娼婦のような艶やかな姿で、魔物のように口を開いて怒鳴るクレーダに、レチュアはただ黙っていた。
表情こそ変わっていない。怒っていない、嘆いていない。
もう彼女は、主観で、物事を見ていないのだ。
「落城の炎の中でお前は何をしていた! 逃げたんだろう!」
クレーダは、レチュアにどんな感情を向けているのだろうか。
「私は逃げた……」
「それは弱いからだ! 王たる素質がないからだ!」
王たる素質?
そんなもの。
「良き王である事を誰が誉れとするか知ってる?」
レチュアは複雑な顔で呟いた。
「……民よ」
レダじゃダメだ。
ではレチュアなら良いのか? それを選ぶのは民だ。
玉座に座る者は何も掛けずにのうのうと無駄な一日を過ごしたらいけない。掛けるのは命だ。政治に不満を持つ者が殺しにくるまで。
レチュアはぐり、とクレーダの腕をひねった。ガキ、という形容しがたい骨が擦れ曲がる音がした。
「あああああっ!!」
クレーダが叫びうずくまる。冷ややかに見たレチュアは剣神に声をかけた。
痩身の槍が宙に現れるのを見やって、レチュアはそれを掴む。
「シェアのぶんよ。私のぶんはさっきすませた」
リュークが頬を、叩いてくれた。
意識を手放すことはなかったが、クレーダは捻りあげられた腕を抑えて歯噛みする。慈悲と慈愛と、お人よしな性格、破天荒で、無防備で、甘えた。今まで、クレーダは一体誰を見てきていたのだろう。
彼女はただのお姫様なんかではない。
「逃げたければどうぞ、またお手合わせしましょうね。そして覚えておきなさい。私はお前を殺さない。お前に殺す価値がないからだ」
――この人は、誰?
リュークは眠り続けるアーシアを担ぐ。それは労わるようにそっと抱き上げて、レチュアに後から出るように促した。
「宿代は払っておきます。働いて返してね」
くすくす、と悪ガキがするような笑顔をクレーダに向ける。その少女は、以前出会った人ではなかった。気品でも風格でもない。まるで神。
クレーダは一人、目覚めた部屋で取り残される。
後には静寂が残る。
捻られた腕が痛い。
叩かれた頬も鈍い痛みを放っている。
だが、心は空虚だ。
「クレーダさん」
「え」
誰もいなくなった部屋から、声。
甘くて、少し高い少年の声だ。それが誰のものかを知っている。素直に、振り返る。
「……シラ」
「レチュア達がいないですね」
「……ええ」
「逃がしたんですか?」
クレーダは苦笑した。
赤い唇が、弧をかいて、微笑みにゆがむ。
「ええ」
肯定は死。
知っていた。
「死ねよ、役立たず」
クレーダは笑顔のままだ。
壊れかけた人形のような笑顔、で。




