第四十九話 そんな愛しき思いの場合 二
リアスはドコに追いこまれようとも、笑顔だった。作った笑顔に、余裕の表情を貼り付け、誰もが好む雰囲気を纏う、それでも暗い場所にいる人。世界がちっとも明るくない事を知っているから、誰よりも明るくいられる。
人間の一と一を足しても、決して二になるわけではない事を知っている。
「おい、脱走者だ! 追え!!」
しっかり見つかっても笑顔だった。
オリヴィアの細い手を強く握り締めて、長い廊下を走っていく。牢獄はやはり、暗くて、湿っぽい嫌な廊下だった。風は吹かない。窓がないからだ。
監獄の檻を下限の力で酷いありさまにした後は、一瞬呆然として、後は走るだけだった。
「なぁ」
リアスがふと問いかける。
「は、はひぃ……っ!?」
オリヴィアはそれ所ではない。やはり、一応は神官職につく者ではある。走るのが得意ではないのは納得できた。
リアスの身体能力はバカみたいに高い。走るのは速いわ、体柔らかいわ、基礎体力あるわ、でオリヴィアがリアスに追いつけないのはしょうがない。ただ、リアスは考えてしまったのだ。
――今、自分が急いで走っているのは、誰と? 一緒に……?
リアスは苦笑した。 何を考えたのだろうと失笑して。
「もちょっと速く走っちゃう?」
にぃっと笑えば、オリヴィアが泣きそうな顔をした。
そういえば、レチュアに似ている、レチュアに似ていると思っていたが、彼女はこんな顔はしない。いつも笑っている。笑ってくれているけど。
手を引いて走った記憶はない。あったかもしれないけど、手は引いてなかったかもしれない。
レチュアは自分に追いつくくらい速いスピードで走る。手を引かなくてもちゃんと付いて来る。今自分はオリヴィアの手を引いている、という事を忘れて、走っていた。そりゃ、そうだ。彼女が自分に引っ張られて大丈夫なわけがない。
「あの……っ何か……」
言おうとしていませんでしたか、と聞こうとして、オリヴィアは息を止めた。黴臭い臭いを嗅いで走らなければならないのは、かなりきつい。ここが屋外ならまだ良かった。けれど実際は、黴臭い、風もない牢獄の中だ。自分を引っ張る人は、足が極端に早い男。体中傷だらけだが、広い背中をしている。
咽そうになって、オリヴィアはぐっと下を向く。
「あ、大丈夫か?」
リアスが一度歩みを止める。
「はい……」
ゼハゼハ、と肩で息をしながら、オリヴィアは半泣きで答えた。膝に両手の平を当てて、床を眺めながら、必死に空気を吸う。鼻をツンとつく黴の臭いが、現実に引き戻していく。
「いや……どうやって出しぬこうかって考えてたんだけど」
リアスは、悪かった、と言ってオリヴィアの肩に手を当てた。
どうやって、敵達をだしぬこうか。
言ったら返ってくるのは、突飛な考え。彼女には策というものがない。自分がちょっと考えて、とっさに発言した、突飛な考えが、彼女の口からこぼれる。
上手く行くはずがない、と思いながらも、実行に移せばちゃんと成功するのだ。 運が良いか悪いかは推し量れないが、加護がある、とそう思う。
「……はぁはぁ……。下弦、さん、大丈夫ですか?」
「ん……はぁ、はぁ……大丈夫じゃよぉ」
「なんだ、下弦様も息切れっすか〜?」
リアスがくくっと笑うと、小さな黒い点は怒ったように飛び跳ねた。
口調が高齢者じみているがいくつかは定かではない。
「勝算なしに外に出たわけじゃないのよ」
リアスは微笑する。
顔をあげたオリヴィアはきょとんとして小首を傾げた。
「そろそろ来る……かな」
リアスはそう不安に思う事がないらしい。いつもと変わらない飄々とした態度で、笑顔で、立っている。もはやほとんど気力だ。
オリヴィアを守るのは筋違いかもしれない。彼女が助けを求めているか、なんてそれはリアスが勝手に推測するのみ。だが、あの牢獄にいれば確実に助からない。
ここを出てから何とかしよう。困った人を助けるのは嫌いではない。――好きだった、と思う。でももうずいぶん昔のこと過ぎて忘れていた。
「もう少し静かにやらないか」
「ほら来た」
リアスはにやり。
――クライストだ。
「確かに派手にやるから気付く、と聞いたが……」
やり過ぎだろ、と言う彼の堅苦しい挨拶を聞き流す。
「そいうのは後で後で! 今急いでんだからな、案内頼むぜ〜」
「……」
リージュの軍務の式服を着ている男とリアスに何の関係があるか、オリヴィアは知らない。思わず不安気にリアスを見上げたが、やはり安心させる笑顔が返る。
「貴女は……」
レチュアに似ている、とでも思ったのだろうかクライストは瞬時怪訝な顔をする。だがそれも本当に一瞬限りで、リアスに視線を戻し、いつものように掴めないたんたんとした動作で、説明を始める。
「ここをまっすぐにいったら門がある。門には門番がいるから俺が引き受けよう。その間にこっそり逃げてくれ」
「お前は王宮に残るか?」
「……どちらがいい? お前の傷は放っておいて良い傷ではない。お前の助けになるために外に出たほうが賢明か? それとも内情を把握して、確実にお前に伝えたほうが嬉しいか」
リアスはうーん、と考えて肩をすくめた。
「お前が危なくないほうで良い。お前がしたい方で構わない。何にせよ、今この時の救出に感謝してます」
おどけて笑ってみせるが、本当に笑っているか否かなどすぐにばれる。
難しい顔をしたまま、クライストはリアスを見てオリヴィアを見る。
「レチュア様にお会いしたい……とは思っている」
「会ったことは?」
「正式にはない。だが、同じ王宮内にいたのだから見た事はある。父は親しくしていただき、私は父の紹介で一度だけ言葉を交わした事が……」
リアスとクライストとの会話はオリヴィアにはなかなか上手くつかめなかった。リアスは一体なぜリージュ国の内政を知っているのか、も分からない。
「……私も、レチュア様にお会いしました」
だが、オリヴィアはリアスがまさか予想すらしなかった言葉をつぶやいた。
「え」
「話は良く分かりませんが、……亡命中のレチュア様を神殿にて拝見しました」
リアスは唖然とした。
神殿巫女が牢屋に放りこまれる理由がまさか考えもつかなかったが、レチュアに似ている事が関係していたわけである。
「神殿地区に強盗が入り込んだ事がありまして、神殿地区では警備が手薄で、中の人はスペルロックをかけてあり、レチュア様は外に出る事が出来なかったのではないでしょうか」
「神殿巫女だったのですか」
リアスと一緒にいた女は誰だろう、と考えるに至ったが、クライストだってまさか彼女が神殿巫女という位の高い淑女であるとは思い付かなかったはずだ。
「会った、って事はもしかしてオリヴィア、……牢獄に入った理由ってのは?」
「……逃走幇助をさせていただきました」
オリヴィアは微妙な沈黙の後にそう答えた。
布団のふくらみを見て安心する人物がいた。規則正しい寝息を聞いて、あるいは頬を染めた顔色のよい寝顔を見て安心する。
取り戻したアーシアがそばにいる。それだけがリュークの支えになっていた。
精神的にも肉体的にも限界を迎えようとする中で、気力だけで彼は起きている。
「リュークは……後悔とかするの?」
レチュアが怪訝そうに問いかけた。沈黙を恐れたわけではない。
今は少し血の気のない唇がかさかさと割れている。血は出ていないが、体調が良くないのはレチュアも同様だった。
安心して、しばらくして言葉をついた。
「あんたと一緒に行動している事事態、後悔の種なんだけどな?」
口の端だけで笑われれば、レチュアはむかっとくる。でも、むかっとは来ても、それさえも何だか変な感じに思えるから、自分の心は厄介なものだなぁ、と思う。
リュークの話を聞いた。自分には少しだけ分かり辛かったけれど、彼がどれだけ大変な思いをしてきたか。
レチュアは、アーシアの方を眺める。
彼女がどれだけ辛い事をしていたか。分かったつもりだった。
「ソレアは何がしたいんだと思う?」
「さぁ。……別にどうだっていい」
リュークは、あいもかわらず素っ気無い。
「……」
玉座を取って、そして何がしたいのかを聞いたのだ。
レダという人形を繰るだけの小物だったら、それは恐れるべきではない。
「世界征服なんてバカな答えは言わないだろうな」
リュークは腹の底から笑ってやりたかったが、今はむなしく鼻から息がもれただけだった。
「疲れたろ、寝ていて良い。ソイツも起きないだろう」
アーシアの寝台とは離れている、窓からも遠い寝台に寝ているのはクレーダだ。アーシアも彼女も担いでつれてきたリュークには脱帽する。本当に彼は気力だけで起きているのだ。
「私は良いよ。リュークこそ寝た方がいい」
「……」
リュークはレチュアの言葉に肩をすくめて答える。
心配してくれなくても良い、という拒絶か、それとも心配してくれてありがとう、なのかはレチュアには汲めなかったが、それで十分だった。お互いの支えを感じ取れる。
「眠るの、嫌い?」
リュークが寝ているところを想像できないで、レチュアは問いかける。
素っ頓狂な質問に聞こえたか、リュークはくすくすと笑った。彼の笑い方にしては目元にかかる前髪の奥の瞳が優しい雰囲気に見える。
「いいや。寝ていられない、と思う事が多いだけだ」
「私そんなに頼りない?」
「さあ」
レチュアの不安そうな顔が好きなのか、リュークは上機嫌なままもう一度笑った。
「あんたが寝たら次は俺が寝る」
「リュークが先に寝てくれない? そしたら私が次に睡眠をとらせていただくから」
しばらく考えて。
リュークは苦笑した。
「……コイツがまた起きた時、俺が、少しでも顔を見てやりたいんだ」
その時見せたリュークの表情はレチュアが今まで見てきた笑顔の中で一番優しかったかもしれない。
レチュアが絆というものを嫌という程意識しだしたのは最近だ。リュークとアーシアの絆、リュークとレチュア、そしてレチュアとアーシアの絆。
「私はね、眠るべきだと思ってる」
「俺が? お前が?」
「今の話の続きとして考えて、私が」
少し低いが、耳に心地よいレチュアの声だ。太くはないが細くはない。凛とした強さを秘めたような声は、今は何かに迷っていた。
「迷惑をかけないために私は寝ます! でもね、何かあったら叩き起こしてでも私に言ってね」
「俺もか」
「ううん、今の話は私の話だってば」
リュークが寝ていないせいでレチュアにかかる迷惑などたかがしれている。
「……分かった、何しても良いなら起こしてやる」
「! な、何するかだけ教えといてっ」
レチュアをからかってリュークは笑い、レチュアは顔を真っ赤にして慌てた。
「んー……」
ちょうどその時。
クレーダがうっすらと目を、開けた。
小説家になろう秘密基地にて柚猫様より絵をいただいています!
色気のある可愛らしい絵柄ですっかり虜になっちまいました、どうぞご覧下さいませ。




