第四十八話 そんな愛しき思いの場合
大丈夫か、と心配している。今にも泣き出しそうな顔で。クレーダを。
言わば宿敵だ。お互いをいがみ合った許せない程の相手に違いないのに。
「……お前を殺そうとしていた奴だぞ?」
リュークは苛立ちを露わにした顔で、レチュアに言う。
「でも……生きているのなら死んでほしくない。仕方ない事だ、と諦めるのは嫌よ」
レチュアはむすっとした顔で言ってのけた。さっきから自分の傍を離れないくせに、自分がクレーダの面倒を見ているのが明らかに気に食わないらしい。
自分たちを受け入れてくれた先の宿屋は裏通りにある。今の戦乱中たるリージュ国内で、一人の重傷人、そして困憊状態の少女。そんなただでさえ怪しい二人をつれた二人連れは、何とも印象的な顔立ちをしていた。これでは『自分たちは怪しい者です』と言っているようなものだ。
リュークは、二人部屋の、向かいにいる少女を見やる。隣にいるのは、リュークの妹。アーシア。
「やっと……会えたね」
レチュアは微笑する。クレーダの頭に乗せている、熱くなったタオルを水でもう一度くぐらせながら。
「あぁ」
リュークはそっけなく答えた。
『何よ、あんなにしっかり抱き合ってたくせに』
その態度には慣れたが、レチュアだって面白くない。
リュークの無愛想が治る日は果たしてくるのだろうか。
アーシアは目を見開いた。クレーダが倒れた。自分を連れまわしていた、美人だけどどこか空恐ろしい女が。
「お兄ちゃん……っ」
リュークが駆け寄ってくる。ずっと会いたいと思っていた、でも会えないと思っていた兄。自分の愛しい肉親。
「……っ」
ふわりと、風が吹いた。兄の温かい腕の中に包まれながら、アーシアは目をゆっくりと閉じる。
「……会いたかった…………っ」
レチュアはぶんぶんと首を振った。
『まさか私でも肉親の子にまで焼もちは妬かないわよ!?』
もはや誰に弁解しているのかは分からない。
リュークとアーシアの再会、そのリュークらしからぬ態度と反応を思い出せばレチュアは考えこむしかなかった。
「……疲れちゃったのかな?」
ぐっすりと寝入る少女に目を離せないまま、リュークは頷いた。見た所外傷はない。ただ、本当に疲れているらしかった。美しい銀色の瞳は閉じられている。リュークの灰色の瞳とは違う。それはなぜか。そう、自分の父親は銀色に近い瞳をしていた。レチュアは自分の父親の血を引く、一度しか言葉を交わした事のない腹違いの妹を見つめる。うん、自分にはあんまり似ていない。シェアとも勿論似ていない。リュークとは何となく似ているかもしれない。
「アーシア」
妹。
父が死んだ。母が死んだ。そして、妹のシェアが死んだ。
「……アーシア」
今目の前にいるのは、生きている自分の妹。
何だか不思議な気分だった。いきなり自分の妹が一人増えるなんて。でも、王宮なんてそんなもんだった。レダとも数回顔を合わせただけ。一度話しかけた事があったが、内容はあんまり覚えていないほど下らない内容だったと思う。
ふわ、とレチュアの隣に風が落ちた。
リュークがレチュアの座っている椅子の横に近寄ってきたのだ。そっと回された椅子の背に触れる指が、自分の背中にも当たる。
『……っ』
不謹慎だろうか。『気付いた』途端何もかもが恥ずかしい様に思える。今まで自分はリュークとどんな風に接してきただろう? ドツキ漫才みたいな掛け合いの微妙な雰囲気だったような気がする。今更態度は変えられないが、どんな態度を取れば良いか思い出せない。
可愛く振舞ってみようか?
「どうやってよ?」
「は?」
声に出てしまった。怪訝そうに見下ろしてくるリュークの瞳と目が合う。この人は、何も考えていないような顔をして、絶対に内心嘲笑しながら全部を見透かしてるような気がする。絶対そうだ。
「アーシアさん……がリュークと離れたのはどうして?」
何食わぬ顔で話を反らそうとする。と。反らそうとしたはずだったのに、リュークの一つの行動で、失敗したと思った。
レチュアの髪に触れた。
『!?』
何の前触れも無かった。
「リューク?」
「お前……」
『何!? 私まだカワイコぶりっこはしてないよ!?』
「髪の色戻ってきてるなぁ」
「は?」
今度はレチュアがアホな声を出す番だった。髪? そんなに期待させといて髪の色ですか?
『期待はしてないけどっ!!』
「アーシアか。そうだよな。俺が……俺が傍にいたらもうちょっとまともに守ってたはずだったし……こんなアホな女に捕まったりはしてないな」
いつもの嘲笑。でも、見下ろしてくる顔だけは優しく見えて、これが恋心効果だと思うと腹が立つ。
「アホはリアスだもん」
「それは否定しない」
リュークは苦笑したまま、そっとレチュアの髪から手を離した。
「アーシアは……」
そして、話を紡ぎ出す。初めて人に教える話を。
母親の名前は覚えていない。二人、いた。自分を産んだ母親は早くに死んだ。何でもお産が原因だったらしい。この世界にはドールや、聖霊という者はいるにはいるけれども、病気には適わない。薬というものも少なかったので、お産が原因で死ぬ、という事はそう少なかったわけでもない。自分が四歳か五歳か。本当に全くと言っていいほど覚えてない。とても優しかった気がする。母。
リュークは昔からあまり『良い子』と呼ばれる部類には入っていなかった。というも理由はいくつかある。彼は裕福な家の子供ではなかった。回りから結構ないじめも受けてきた。村では、一番の美少年と言われていた無愛想な少年は、とんでもなく、少女達からモテた。本人は知らない。けれども。小さい頃はまだ良かったが、母親が死んでからは、これまたとんでもなくいじめられた。
「いじめられた、って言葉信じられないんだけど」
レチュアが現実にリュークを引き戻し突っ込む。
「……語弊があったか」
いじめてきた相手をこてんぱんにしていた。から……どちらかと言うと、売られた喧嘩は買う、一匹狼だった。
「過去形でもないよね?」
一匹狼だ。
そんなリュークのドールは幼い頃に父親が契約してくれた弱っちぃ聖霊ではなかった。名前は忘れたが、花の聖霊だったらしい。能力はというと、穏やかにしてくれる? とか、そういう……主人に平穏が訪れます様に云々な聖霊だった。
「何回も突っ込んでごめん。似合わない」
「……あぁ。もうどうでもいい」
名前は覚えてない。自分の契約したドールに『愛称』つまり名前をつけて呼んでやる主人もいるらしい。信じられない、とリュークは思う。だって、自分の昔のドールの『種族名』でさえ覚えられないのだから。
ケルベロスと契約したのは、かなり昔。RHに入学を決めた年より少し前だったと思う。RH、通称レスト・ハルノ第一区魔法学院。ここは世界中から集まってくる手腕の魔法使者、その中でも有数の素質をある者しか入学を受け入れない、マンモス校である。独学で極めた頭と、生まれついての才能だけは持ち合わせていた。ただ、リュークにはお金が無かった。RHに入りたい理由は一つだった。奨学生になる、あるいは手っ取り早く金を稼ぐための資格にする。一つ、金。リュークには金が必要だった。アーシアもろくに食べさせてやれないくらい家計は苦しかった。だから、わざわざ養子縁組までして、他の家の子供として、そいつの力になってやるために入学をした。なのに。
「俺がいくつだったか……十五か? その位にいきなり……沸いてきたように金がたまりだした。いや、たまったんじゃないけどな」
「どうして?」
十五歳の時。母親が倒れた。理由は、過労だった。しばらくして、リュークの義母、アーシアの母親であるマリアは、起き上がれなくなった。その時アーシアは十歳。
レチュアは考えた。あまり頭が良いほうではなかったので、リュークのように『意地悪い』話の仕方では少しずつ考えていかないと、結局は話についていけなくなる。リュークの話し方はいつだってそう。自分で考えろ、俺が分かってりゃそれでいい、だった。
「レダね?」
「そうだ」
レダは、アーシアという『妹』の存在に気付いた。
年と共に芽生える自我と、賢さが、自分の母親は誰か、という考えに及んだのだ。薄々は気付いていたはずだった。自分の母親はレチュアの母親――ファルナじゃない、という事くらい。
「ゲディル・フォーガスは……隠していた不義の子の存在など、隠すのが一番良いと考えていたんだろう。マリアはメイド。メイド風情が産んだ子供など」
リュークは目を細めながらレチュアを見る。思っていた通り、悔しそうに目を伏せている。父親の、愛している父親の、そういう話など聞きたくないのは当たり前だ。
孕む孕ませるという言葉に敏感になる年頃だろうし。
「聞きたくても分からないからなぁ。この話はここまでしか憶測を語れない」
ゲディルはこの世にいない。だから。知らない。そしてマリアももういないのだ。
「……そうしている内にレダは見つけたのね。本当の母親を。マリアさんは」
「みすぼらしい村の、とんでもなく金のない家にいる、とな」
そして、しばらくして、レダの救援虚しくマリアは倒れて死んだ。
「見つけたときには遅かった」
「あぁ。恐らく俺の勘からいけば王位は母親、そしてアーシアのために?」
王宮の隅っこ。光も入らないような、隅の部屋で。彼は何を思い描いて生きてきただろう。王位継承権はあるにはある。ちゃんとあるのに、母親が正妻ではなく、メイドだったから、王位にはつけない。王位につきたかったか。それは多分否だと思う。
レダは。
レダは……。
「アーシアさんに会いたくて話をしたくて……リュークの所に行ったのね? でもアーシアさんは逃げた」
「そうだ。だからクソちび(シラ)に追われる事になった」
「でもどうして? アーシアさんはなんで逃げたの?」
リュークは苦笑した。
「レダがアーシアの父親を殺した。俺の実父だ。置いては行けない、とアーシアが言った。次の日親父は死んだ」
「……っ」
リュークの痛み。その時彼は十七になっていた。RHを首席で卒業。でも、たくさんのお声がかかっていたナイトにも、ハンターにもならず。アーシアを追うためだけに、広い世界へ出た。リュークを守るため。だった。
「アーシアさんが逃げてたらリュークには目が行かないかもしれないからね」
「まぁまだ十二やそこらの言ってみればガキが考えてる事だ」
リュークを殺すから、王宮に来い、そう言われれば彼女はどうすれば良かったのだろう。
「レダはそれだけのために? たったそれだけのためにアーシアさんを?」
「……狂ってたんだ。狂うように焦がれた。もしかしたら『愛をくれるかもしれない』自分の大切な、妹に」
狂うように焦がれた。レダは。
「そしてそこを狙われた」
「……ソレアに、ね?」
でも、とレチュアは話を続ける。
「アーシアさんの母親がマリアさん、父親が私の父様ならリュークとアーシアさんは血が繋がってないんじゃない?」
「……そうだ」
「それなのにアーシアさんはリュークを慕っているの?」
リュークは言いにくそうに考えた。上手く伝える言葉を選ぶ。
「俺も今の今まで知らなかった。アーシアも知らなかったに違いない」
だからアーシアには迷惑をかけた、とリュークがそう言った気がした。
「血に固執してるわけじゃないが、アーシアが知っていればあいつ一人に背負わせる必要はなかったんだが」
「アーシアさんはリュークが好きなのよ、リュークもアーシアさんが好き。だから、ほら。迷惑かける、かけられるってのは本当の兄妹じゃなくてもあるものよ! リュークが落ち込まなくて良い、それは血なんかで簡単にくくれる事じゃないわ」
「……」
レチュアは苦笑した。
下手な慰めなど要らない男だから、きっと内心馬鹿にしているかもしれない。
難しい話をする際に良く人がそうするように、レチュアも眉根を寄せて深く考えた。
王宮内の事件。それに食らいついてきたのは大きな闇。
目を瞑る。
『じゃあリアスも……?』
リアスはどうしているだろうか。生きていて。くれるだろうか。




