第四十七話 空の青さは忘れても
さて、話はリージュ国内の王宮へと飛ぶ。伝令がリージュの王、レダの横で何事かを告げた。落とした声の中に含まれる思いは、畏怖。わずか十四ほどの少年は、兵士が言ったことを口内で何度か繰り返してからニッコリと笑った。
「ソレア、戦争だ。決まったよ」
後ろに控えていた黒い服装の男に声をかける。無邪気な声が届いて、ソレアと呼ばれた男は少し笑った。
「それは良かったなぁ」
この世界の一番広い国、桂華。海を越えて繁栄した異国にレダは戦争をしかけた。軍艦を桂華内の領土まで進ませて、口火を切った。レダはクスと笑う。
「魔獣戦争、と歴史に残るかもしれないね。あんまりかっこよくないかな……ドール戦争?」
首を振って、ソレアは言った。
「違う。世界大戦の狼煙だ」
黒い瞳が射抜くようにレダを見つめれば、レダだけではなく、そこらに控えていた者達までもがぞっとするほど、冷たい。 謀反が起きて騒然とした王宮を救ったのは、少年だった。その、澄んで、高い声が命令を下す様は美しい。その声が命じる言葉はいつも残酷な物だった。ソレアと、レダ。平和だったリージュに出てきた異分子は、綺麗だった。綺麗であるが故に畏怖と、そしてゾクゾクとするような、恐ろしさを皆に与える。
戦争をする、という。温和なリージュに、冷たい風が吹く。夏も過ぎた秋のはじまりだった。これから来る冬はリージュの向かう先を暗示している様にしか思えない。
「兵は?」
伝令に来た男に聞くと、兵士はこう答えた。
「軍艦が三百、兵士がオーウ港に五万、レイダ港に二万、集まっております」
「七か……」
ソレアは不安そうなレダに向かって言った。心配をする理由がない、と。
桂華帝国は広い。広く、大きく。そして歴史に名高い名君が揃った国である。戦争は幾度もした。ただ、それは文献に残っている限りでは自分の領地内に入って来た者と戦うためのみ。誰もが桂華の王を敬って仕方がない。そして、リージュとも仲の良い国だった。前王ゲディル・フォーガスが倒れる以前は、良くパーティーなどを開いて桂華王をもてなしていた。若い王は、この度の戦の件をどう思ったろうか。
「指揮は僕が取る。……前線に向かおう」
レダはにっと唇の端を上げた後、伝令の兵士に一言、言った。
「ありがとう」
造っていない笑み。たった一言の労いの言葉。それだけで、この幼い王子に力を貸してあげたくなってしまう。レダは自分の使い方が上手かった。口だけではない。態度でも様々な面で皆の信頼を得ようとする。
王に、なりたかったのだ。
正妻の娘は二人。自分は不義の子。王権が舞いこむ可能性など、あるはずがなかった。自分の母、マリアはメイドだった。そして、王であるゲディルを愛していたという。そして過ちが起こった。ゲディルは母を抱き、そして捨てた。レダだけを引きとって、実家に帰るように言ったのだ。罪滅ぼしは、レダの事だけだった。マリアには家族がいた。一人の子供までいたのだ。
母は、泣いただろう。
レダの頭の中では考えられもしない苦しみを味わったに違いなかった。母を助けたい。迎え入れたい。そのために頑張ろう、と思っていた。でも、マリアはそんなレダの思い虚しく、病気で死んだ。美しい盛りだったらしい。レダには頑張ろうと思える術がなくなった。でも、そこに見つけたのだ。一つの。希望を。
「……待っててね……」
母が産んだ、亡き国王ゲディルの子供。自分と、そしてもう一人の双子。
愛しさがこみ上げてきた。暗い王宮に、自分の分身がいてくれたらどんなに心が晴れあがるだろう。
失礼します、とそこへ入ってきたのは、クライスト・メイジェスだった。
長身に、甘めの茶色の髪、神経質そうだが、同時に賢い相貌。
レダは彼が好きだった。父親のクライスト公爵には似ずに、頭が柔らかい。若いせいもあるが、一般的に世渡り上手といわれるタイプの男である。
猫より自分勝手な、犬より愛想の良いレダの、もっとも好む媚び、という物を彼は一切使わない。ただ、いつも落ち着いていて、レダを甘やかさない。
「どうしたの、メイジェス」
「……レダ様もここにおいでですか」
「うん。メイジェス、戦争があることを知っている?」
「薄々感じてはおりました」
その返答も、一大臣の息子だったにしては曖昧で面白い。まず、一国の王を前にして動じない性格が好きだ。すぐに首をはねてきた王に、恐れがない。
「そう。あのね、僕もこの城を離れるんだ、後はよろしく頼むよ」
一瞬、クライストの表情が揺れたのを見るだけで、レダは十分だった。
「どうしたの?」
無表情というわけではないが、表情が硬いクライストを遊ぶのは面白い。
「じゃあよろしくね」
レダは目を閉じる。そして一言言った。
「兵を用意しろ、夕刻までにはオーウの港へ向け、出立する!」
今、クライストは彼にどうこう言える立場にない。ただずるずると甘やかに生き延びられる場所にいて、ただ命を粗末にするでもなく、大事にするでもなく生き長らえ――させられている。
それは王命に近い。
レダが彼を殺さなかった。
クライストには正直王が変わって困る事はない。だが……
「レダ様」
「まだいたのか。下がって良い」
「……分かりました。失礼します」
クライストは言いかけた事をレダに話すのはやめた。そしてただ忠実なだけの部下になって、その場を後にした。
★
同時刻、王宮内、監獄場。
リアスは目を細めた。彼女は神殿巫女だと言った。神殿巫女というものは、普通の者達よりも魔力が高いらしい。でもあんまりだ。詠唱無しの、魔法だけで。
「ボロボロやな」
リアスはもう一度息を吐いた。
下弦の力を借りて、空間移動をしようとしたが、何せここは不の魔力が渦巻く地であった。暴走が起きて、監獄の中はぼろぼろになってしまった。
「ご、ごめんなさい!」
オリヴィアは自分が招き入れた素晴らしい有様に思わず泣きそうになりながら謝り倒した。
「そりゃ良いわ、それよりも、見つかるからさっさ逃げましょ」
リアスがそっと手をオリヴィアに差し出そうとする。ふと、その時になって初めて気がついた。
「そういやぁ、お嬢さん、最初目が見えてないと思ったんだけど、どうしたん?」
「あ……はい。見えてなかったんですけど私にも良くは分かりません」
魔術で、視力は失われていた。破壊、という契約の元に結ばれた魔法で視力が回復する事はない。同様の理由で、実はレチュアの妹のシェアも一生盲目で過ごす事になっていたのだが。
何がきっかけで光を取り戻したのか。
「まぁ、見えてるにこした事はないな」
目が見えていないから、の理由ではなかったから、リアスはそのままオリヴィアの手を取る。オリヴィアは困惑しながらも、その手を取った。
実はこの時だった。シェアや、オリヴィアに魔術をかけたクレーダが倒れたのは。
クレーダは存在維持のほうに魔力を費やしていたので、契約が切れた。だから、オリヴィアの視力は戻ったのである。
「さぁて、下弦様、どっちの道から行ったがいいと思う?」
オリヴィアの肩に乗っている、黒っぽい影に問いかける。下弦と呼ばれた粒は答えた。
「知らん」
「んじゃ、お嬢さんに決めてもらおうかな、どっちがいい?」
オリヴィアはリアスと繋いでいる手を眺めた。自分を助けようとしている彼の、その瞳はどうだろう。自分と同じ赤い瞳は、じっとこちらを見ている。輝いている様だった。
「じゃあ、右で」
「はいよ、右な」
オリヴィアは彼に助けられた事を感謝せずにはいられなかった。
大破してしまった監獄を見て、微妙な顔をしてしまう。神殿巫女がこんな事をしたと思ったらぞっとしないでもない。でもこれだけ清々しい気分になれたのは、リアスが隣りにいるからに他ならない。
「あの、身体は痛くないですか?」
オリヴィアは言いにくそうに問い掛けた。露出した肌が痛々しい。リアスはちっとも痛くないと笑った。
「なんか麻痺して、痛くない」
「……そうですか……」
心配で心配で仕方ないといった顔でしぶしぶ引き下がり、オリヴィアはつけくわえるように言った。
「……赤」
「ん?」
「瞳が赤で、とても珍しい」
リアスは瞳? と首を傾げて、あぁとうなずく。そうだな、と笑顔になる。これは無理したような笑顔ではなかったので、オリヴィアはほっとした。
「オリヴィアの目も赤い」
「はい」
「運命って事にしとくか」
「何が、ですか?」
リアスは複雑そうに、目線を落とす。まともに瞳を見られなかったからだ。
運命、なんてロマンチックな言葉を出しながら、ちっともそんな気分ではないのが見てとれる。
「俺達は運命で出会いました、神様の作った運命」
これ以上ない口説き文句が、白黒の世界よりも侘しい。
「運命ですか」
「そう」
これが運命なら、きっとアレは運命じゃない。
リアスは、偶然にレチュアに会ったのではない。運命には――なれない。
「どうしてそんな顔をするの?」
それはね。
運命も偶然も、『君』との間に訪れなかったからだよ。
皆様、こんにちは。
ずいぶん更新が遅れてしまって申し訳ありません。
いかがでしたでしょうか。
話はゆっくりクライマックスに向かっていますが(向かってないか)ぜひ感想教えて下さいね。




