第四十六話 『糧』は偽善の心で良い
埃臭い監獄だった。
自慢話をする気はないが、何度か入れられた監獄の中でも、一番酷かったに違いないと、自信を持てる。とにかく、動いたら埃臭すぎてむせてしまう。それだけは回避したい。
リアスは、仰向けになっているままの状態でゆっくりと目を閉じた。
頭二つほど高いところに小さな天窓がある。鉄格子がしっかりとはまっていて、赤ん坊一人だって入らない位狭い。そこから流れてくる空気だって実は清浄な空気じゃないのかもしれない。天窓はあっても、多分窓は開いていない。
リージュ国の獄だ。
栄華を極めた無血の王国の監獄がこんなものだとは思いもしない。何年間、何十年間といった長い年月を放っとかれた監獄ならば納得もいくが、リージュが堕ちてから何ヶ月になるだろう。そこを考えたらやはり、天窓の外の空気はどれだけ汚れているか、どれだけ魔力で汚れているかが分かる。
といったってリアスにはどうでもいいことだった。別に逃げようなんてこれっぽっちも思っていない。ただ気になることはある。ここからでは外の状況が全くわからないのだ。
「きゃっ」
ふと、監獄に似つかわしくない声が響いた、少女の声である。多分リアスよりも幼いだろう声の持ち主は、何人もの足音と共に、監獄へと入ってきた。
「や、やめてください……っ」
「あぁ? お、この女目が見えないらしい?」
女を囲むように野卑た声がする。
「やぁ……っ!」
リアスは眉根を上げた。
重い鎖を引きずって、立ちあがる。足に二つ、手に一つ。そこまでしなくても逃げ出したりしないから外して欲しい。状況にもよるが。
『さて。どうっすかな』
リアスは檻の格子に近づく。鉄格子の隙間に顔を入れようとしたが、殴られた頬があまりに痛かったので、少し離れて外を覗う。ちょうど死角だったらしく、見えない。
さて、ここでリアスはある一つの面白い事をされていた。
彼は今スペルロックをされていない。これはソレアの遊びだった。出れるものなら出ても構わない。ただし。スペルロックがない代わりに、彼が詠唱を一言でも述べたら、絶え難い苦痛を味わう事になる。これがソレアの嫌なところだが、ソレもしっかりと忠告していってくれた。にっこりと、悪気のない、言うなら悪く思える心を持っていないような言い方で。
とにかく少女を助ける。それだけははっきりしていた。いくらどれだけ寝込む事になっても、彼女を助ける事はする。ただ。
『……呼べるかな』
契約をする事ができるだろうか。リアスには自分と契約をしてくれるような魔獣の名が浮かばなかった。ドール契約は聖霊がその場にいないと、結ぶ事が出来ない。異例はあるが、監獄に聖霊もどきだっているはずがあろうか。
精霊も魔獣と同様に人の精神力を食べて大きくなる。牢獄には精神力が強い者はなかなかおらず、彼らは精神力を目当てには牢獄を選ばない。
「じゃあソレアの下僕でいい」
苦笑しながらリアスは黴臭い冷たい床を見やった。静かに目を閉じる。
「誰か、いないか?」
空気が動くような不思議な感覚がした。体が無意識に総毛だって気持ちが悪い。リアスは立っているだけでも辛いのだ。出来るならさっさと面倒事は終わらせたい。
「……お前、新入りかぇ?」
一つの声が聞こえた。足元にくすぶっている小さな黒い点が声をかけてきたのだ。肉眼でかろうじて見えるほどの点は、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。あやうく声をかけてくれなかったら踏み潰すところだった。
「ん、新入り」
牢獄での事だろう、リアスは二日前にここへ入れられた。新入りである。
「娘っ子を助けたい、契約内容はそれかのぉ?」
「おぉ。それ前提。後はそっちの好きなように」
「……見返りは何をくれる? お前さんの精神力は不味そうで食えたもんじゃねぇべ?」
さて、困った。契約というものをした回数は少ないものの、精神力、心以外の物を持って行かれた試しがない。
「何が欲しいか……にもよるかな? 腕とか足なら良いけど先に彼女の安全を確保したい」
でも、実際は好きな物を持っていけばいい、とリアスは思っていた。ここにいたって仕方がない。確かに自分のした事を食い入る、懺悔する無駄な時間はいらないほどあったが。
「なぁに、おめぇさんの要らないもんじゃ、ほれ。行くぞィ?」
一瞬、画面が黒で塗り潰されたような変な感覚が、視界を支配した。無音の闇が襲ってくるような、不思議で奇妙な黒い風が通り過ぎて、リアスはそう驚いてはいない表情のまま目を開ける。
「!?」
でも、目を開けてからは驚いた。
「お、おい大丈夫か!?」
なんと、横に女が寝そべっている。監守達からの横暴の途中の、破れかかっている服を着た少女が、リアスの横で倒れているのだ。
「……ん……っ」
少女は起き上がろうとして、ふと前を覆い隠した。
「やっ、やめてください!」
「は?」
リアスは思わず問い返していた。こら待て、何もしてない。慌てて両腕を上げて、何もしない、と伝える。
「あの……あれ?」
少女は目を上げる。ゆっくりと半身を起こして、リアスの顔を見やった。
先ほどまで見えなかった目が見えるようになっている。全くの闇の中にあった視界が開ける。
リアスはリアスで、彼女が、監獄の外にいた彼女が監獄の中にいる事よりも、その容姿に驚いてしまっていた。少し抜けた茶色の髪は美しい。服はぼろぼろだったが、恐らくは神殿巫女の服だと思う。でも、リアスが見つめたのはソレじゃない。
「目……」
赤い目。燃えるような、と形容するには少し薄いが、その赤い目はまるで……。
リアスはハッとした。そういう風に彼女を驚かせるために言ったのではない。
『レチュア』
そう、彼女に似ているのだ。雰囲気が。リアスは思わず苦笑した。
ごめん、さっきの嘘だ。
『まだ死ねないっての』
死んでも良いかもしれない、と情けないほど切実に思っていた。死んだら償いになるか、贖罪になるか、と神にでも問いかけたら絶対に、『なわけあるか』と返ってきそうで、今の所やめている。生きているほうが何かと罪を贖う機会が待っているかもしれないから、そう。今この状況の様に。
「……?」
少女はその赤い瞳をパチクリとさせながら、リアスを眺めた。なにせいきなりの事である。目の前にいる彼を見て、一体何が起こっているのかが全く分かっていなかった。
「ん〜じゃあ自己紹介でもしますか。俺はリアス・フェルド。天下の大泥棒だ……ってこの(檻の中に入っている)状況で言ったってかっこよくもないな」
ふっと自嘲気味に笑ってやると、動転していた少女も微笑を見せた。思っていたよりも歳は上らしい。リアスと同じか。少し下だとは思うが、態度はなかなか落ちついてきた。
「わ、私はオリヴィア・リチェルといいます」
「ん。では、このなぜか監獄で捕まっている大泥棒のリアス様が、オリヴィア嬢に今のこの状況を話して差し上げましょうか」
にっと笑うと、今度はオリヴィアは声を出して笑ってしまった。変だ。だって、こんな腐った監獄の中で、今会った人に笑っているのだから。
「お……お願いします」
ちょっと目礼すると、リアスも肩をすくめてみせる。でも、そのほんわかした言うなら不似合いな雰囲気は一気に崩れた。リアスの体中にある傷をオリヴィアが見つけたせいである。
「……あ……」
引き裂かれて所々破けてしまっていた服の前を押える事すら忘れて、オリヴィアは身を乗り出す。赤黒い血が何箇所にもわたってこびりついている。なのに、彼ときたら少しとして顔を歪めたりはしないのだ。勿論体を動かす際は、少し庇うような体勢を取るのだけれども。
「大丈夫ですか?」
「? あぁ、大丈夫ですよ」
リアスは苦笑する。どちらかと言えば自分が彼女に大丈夫か、と問いかけたかったのだが。リアスの体は確かに酷いありさまだった。彼が痛そうにしていないのが不思議に思う。
「俺の事情はややこしいから省くな。オリヴィア嬢を救った一匹の魔獣について話すか」
「離点の魔法でしょうか?」
「お、当たりだな」
離点の魔法、つまりは空間移動である。
ドール(魔獣)にはだいたい得意とする魔法というものが一つか二つ備わっている。レチュアのドールは例えに使えないから省くが、リュークのドールであるケルベロス。彼は典型的な『力』である。跳躍力がずば抜け、三つの首がそれぞれとんでもない力を持っている。噛まれたら最後、目を覚ますことは永久にない。(本気だった場合)
他にもクレーダ、彼女の場合は『魔法』。力にこそ富む事はないが、魔法は他より長けている。勿論クレーダは中ボスクラス。力も他の者よりは強かったけれど。
「離点の魔法をかけてくださったのは……」
リアスは足元を覗きこんだ。先ほどまで指の先ほどの影が見えていたのだが、少しも見えない。彼(彼女?)とは、正式な『言葉』による契約をしている。リアスから契約の代償物を貰うまではどこかに行ったりはしないはずだが。
「……ここ……じゃよぉ…………」
微かな声を聞きつけて、オリヴィアは目を開く。
「リアスさん、今?」
「ん?」
オリヴィアは、はっとした。さて、自分は離点の魔法、空間移動で、檻の外から檻の中に来た。ということはつまり、自分の分の座る(もしくわ立つ)場所、が檻の中に必要になってくるわけで……。
「あっ!」
オリヴィアははっとして立ちあがった。座っていた場所の下から、小さな虫ほどの黒っぽい何かが這い出してくる。
「……ははっ、逃げ遅れたよ」
虫は萎びた声を出して、無理に笑ってみた。
「あぁ、その体じゃ逃げ遅れるかもな」
リアスは苦笑する。生きていたら生きていたで、失礼ではあるがちょっと困った。
「あ、の、すみません、助けてくれてありがとうございます」
オリヴィアは屈みこんで虫に挨拶する。虫はぴょこぴょこと跳ねて、上機嫌に言った。
「若いお姉ちゃんの尻に敷かれるんなら、まぁ許せるたい」
どうでもいいけどどこの方言だろう。
「所で、なぁ恩人様。名前を聞いても良いか?」
リアスが問いかけると、虫は飛び跳ねるのをやめた。しばらく考え込む様に黙っていると、オリヴィアが不安そうに虫を覗き込む。良くあんだけ敷いていたのに大丈夫だったなぁ、と感動している部分もあるけど。
「ダメじゃ。人間さな、名前を言ったら最後、全部詠唱文句と名前で魔獣を縛っちまうけんのぉ。わしはまだドール契約はせんぞぃ」
「ん〜……じゃあ虫でいい? 虫って呼んで良い?」
「っな!」
虫は悔しそうに飛び跳ねた。
「だってよ、お嬢さん、この俺達の恩人様に名前を付けてやるとしたら何が良いと思うよ?」
オリヴィアは困った様に黒い影を見つめた。
「何だか……失礼かと思いますけど、下弦様に似ていらっしゃいますね」
ぴくっと影が動いた。リアスはその動きを見逃さない。
「下弦? あぁ、覇神丹下の配下だろ?」
オリヴィアに目線を送りつつも、横でちょこちょこしている黒い影にもちゃんと注意しながら話す。
「えぇ。私、あの……神殿巫女をやっていまして。神殿の護衛の魔獣は下弦様や、上弦様が勤めていたんです」
覇神、『力』の代表者の黒豹、丹下は配下に聖霊を持っている。それが上弦と下弦。
どちらも覇神の配下にも関わらず、どちらかというと『魔法』に長けている。
「下弦ってこんな小さかったっけよ?」
リアスが渋い顔をすると、オリヴィアも渋い顔をし、二人揃って渋い顔を黒い影に向ける。それにはとうとう、彼も怒ったらしく、少しむっとしてみせた。(見えないけど)
「そうじゃ、下弦さな。空間移動につきゃぁわしに適うもんはおらん」
ふんぞりかえったようなポーズをとって(見えないけど)、黒い影――下弦は言った。
「リアスじゃったか。お前覇神様の御恵みを全部ぱぁにしやがって、何さこげな所でしよるんじゃ?」
リアスはニッと笑う。
覇神丹下。昔リアスは彼と契約をしていた。契約をする際にはとんでもない精神力、力。多くの負担がリアスを蝕んでいたはずで。それでもリアスは彼との契約を成功させた。それなのに、彼は今ドールを持っていない。契約は破棄され、剣神とも契約をしていないのだ。
「ん〜まぁ教えてやっても良いけど俺今かなり嫌ぁな状況でして、下弦ちゃん」
「ちゃん付けすな」
「こちらのお嬢さんを監獄の外に出して、そんでもって俺も娑婆の空気を吸いたいなぁ、とか思っているんだけど。どうよ?」
リアスの瞳の色が変わる。レチュアや、オリヴィアとは違う薄い赤。湛える内なる炎は、まだ下弦には分からない。けれども。
「ほぉ、目が変わったのぉ」
下弦は嬉しそうに笑う。そして、リアスを眺めた。満身創痍の青年。明るい表情とは裏腹に憂いを持ってしか世の中を見ることが出来ない。
「……よかろう、わしも貸してしまった手を離す事はせん。さて、どちらが契約をする?」
オリヴィアは自分の知らない間に流れていった空気を読んで、少しだけ首を傾げる。それでも、何となく分かってきたのか、そっと下弦に手を差し出した。
「私が。恩人さん」
にこりと笑うと、下弦も少しだけ微笑んだ(見えないけど)。




