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祈りの空  作者: 桜野日向
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第四十五話 つまりは胸が逸るから


「何だ、寒いのか……?」


 蹲っているのは一匹の狐だった。人など全く現れないような森の中だったので、狐は思わず警戒心を剥き出しにして唸る。――頭の奥では、彼が人間ではない事くらい分かっていた。

「まだ元気じゃないか」

 男、だった。歳は良く分からない。纏う黒い着物と、その黒さえも目立たなくさせてしまうような黒い雰囲気。ここで死んでしまう事を覚悟して、狐は歯を向けるのをやめた。

 体中に血の痕がこびりつき、その上に容赦なく季節外れの雪が舞う。

寒かった。寒くてたまらなかった。

「お前を助ける、と言ったらどうする?」

 男は今にも霞んでいく命の灯に向かって問いかけた。狐は魔獣で、人間の言葉くらいは分かるものの、人語は話せない。やはり、ここで死んでいく。

「俺に命をやるか?」



 ドンと鈍い音がして、リュークは地面に倒れた。思いっきり腹にぶつかってこられたらたまったもんじゃない。

「……っ」

 クレーダは嫣然と笑う。

「大切な者がかかっているんでしょう? 本気は出さないの?」

 魔力を浴びて、普通の魔獣では考えられないほど強くなったクレーダに、怖いモノなど、一つしかない。ソレは『死』などという可愛らしいモノではない。勿論、目の前にいるリュークでもなかった。

「私なら死んでも手放さないわ。どうして……どうして彼女を手放してしまったの?」

 アーシアをチラリと見る。自分の属性になっているセルフィの加護は、レチュアに解かれてしまっているので、完全に風は吹いていなかった。それでも、クレーダには負ける理由がない。

「でもクソガキに彼女を渡したってしょうがないって知ってる?」

 ニッコリと笑う。今度は本気でぞっとするような笑みだった。

「彼女、どうせ死ぬわよ?」

 リュークは腹を押えて立ちあがる。

 頭の中に憎悪などという感情は蔓延っていなかった。どちらかというと、冷静に物事を見れる。今考えている事は、訓練が足りないな、などという全く関係のない考えだけだった。

 漠然とした意識が、頭の奥でくすぶっている。まず負ける気がしない。

 だが、ケルベロスは呼べない。

 魔法を使っても良いが、実はクレーダにとどめをさせるのが魔法だから、という理由ではない。多分。

『……使えないしな』

 レクトの負担者移転の魔法は、リュークの精神力を確実に蝕んだ。ケルベロスとの契約は成り立っているし、聖霊との魔法契約だって、わけはない。

 ただ、レクトの負担はとんでもなかった。世界の王者が自分の体の中にいる、それだけで立っているのも辛い。

 レチュアは気付かなかったが、彼が何度もケルベロスの背中に突っ伏していたのにもわけがある。

 目は霞むし、頭は痛い。良い事はない。一度倒れたら起き上がるのが億劫になるのだ。だけど、だからといってレクトとの移転契約を破棄する理由にはならなかった。

 レチュアには、『倒れられたら困る』と言った。

 でもソレは自分が倒れる事とどう変わるだろうか? 自分が倒れようが、レチュアが倒れようが、手間は手間。それに戦力から言って、レチュアよりも自分が使い物にならなくなる方が痛い。確かにレチュアは何人もの強力な神と契約している。レクトを始めとして、マーナ・ベルナ(彼女に至ってはドール契約をする神ではないのに)そして、四人の万物を司る神。でも、レチュアよりは多分自分の方が強い。男、女という性別は置いといて。でも。それでも。


 ギュンと、クレーダが加速しながらリュークに近づく。それを交わし、剣をクレーダに向ける。あまり重いと思った事はない愛剣も、今はリュークの手にずっしりと食い込む。

『おい、レクト……お前レチュアが大事ならこういう時くらい出てきたらどうだ?』

 レクトは知っているのだ。自分を召喚したときにかかる契約者の負担は半端ない。だからこそ、レチュアにあまり自分を呼ぶな、と諭した。小さい頃は、レクトが何とかしながらレチュアの負担を軽くしていた。恐らくは、レチュアの親が負担者移転を使っていたか。

「かかっているものが大きいんだろう?」

 リュークはゆっくりと、顔を起こした。そして、一度大きなため息をつく。

「少なくともお前の妹よりは大きいモノね」

 クレーダもニッと笑う。彼女はリュークになんか負けるつもりはない。先ほどからずっと、彼は自分の攻撃を避けてばかりいる。

「俺も、な」

 リュークは苦笑した。アーシアを守る。アーシアだけは絶対に守る。そして。手が空いていなくても、自分がどんなに疲れていようが。

 レチュアを。

 風が一瞬だけ凪いだ。途端、セルフィが消したはずの風を集めて、クレーダが向かってくる。今度の速さは尋常じゃなかった。

「っ!!」

 リュークはクレーダの背に片手を付きたてて、宙で一度回る。そして、持っていた剣を突き刺す。クレーダはとんでもない速さでそれを避け、一度リュークから離れ、体勢を立て直していた。それから、ゆっくりと歯をむく。今の、かわしたように見えた一撃は、少しだけクレーダの背をかすめていたのだ。 守りたいのはアーシア。

 でも。

 困ったように、どこかくすぐったいような感情の先にいるのは。

「おい、女!!!」

 ケルベロスが叫んだ。レチュアを呼ぶ声は、緊迫していた。リュークはハッとして後ろを振り返る。ソレが落ち度だった。

 クレーダの爪がリュークの背中に食いこんできた。

「余所見なんて上等ね」

 にっこりと笑いながら、クレーダはリュークを押し倒した。食いちぎる様に、ぐっと胸倉に噛みついてきた。

「ぐ、……ぁっ……!」

 リュークは天を仰いで、眉根を寄せた。


 ――嘲け笑いたくなる位、自分の中を占領していたコトがあった。

 土足で踏み込んできて、突き放そうが何をしようが、いつも平然としながらまた、近づいてくるお姫様。姫らしい教養はないし、態度が楚々としているわけじゃない。王家に謀反が起きて、彼女は城を追われた。

 父親である王、母親である女王、そして彼女のたった一人残った肉親、本当の妹だって死んでしまった。それでも、彼女は笑うのだ。何事もなかったように笑うのだ。

 たった一度、彼女は自分の傍で泣いた。子供のように声を張り上げて泣いたわけじゃない。悲痛に溢れる吐息を噛み締めて、甘えを許さない、とでもいうように自分を叱咤しながら泣いたのだ。これきりにしよう、と。

 興味を持った事はない。どうでもいい、とさえ思っていた。ただ、願っていないのに、彼女は胸を占領するのだ。当たり前でしょう? と自信たっぷりに微笑んで。

「しょうがないな……」

 自分が置かれている状況をリュークは何とも思っていなかった。痛かろうが、痛くなかろうが、どれだけ怪我をしようと、リュークには負けられない理由がある。

 目の前のドールが、どれだけの固い信念でドール契約をしていたかは知らない。だけど、その位の絆じゃ自分には勝てないのだ。

 血が吹き出す胸を押さえて、よろめきながらも懸命に立ちあがる。そのリュークに、またもやクレーダの体が近づいてくる。

「上等だ、もうお前は許さない」

 無様な姿を見られたから、とリュークは苦笑した。たかがレチュアを心配するケルベロスの声に反応して、真っ赤な血を胸元に飾りつけた自分なんか、恥ずかしくて嫌になる。



 レチュアはどさっと地面に落ちた。強すぎる。鳥の数が半端ない。ケルベロスから落下したのだ。そう高い所からではないにしろ、背中を打ちつければ涙が出るほど痛い。

「……っ」

 受身を取ったにも関わらず、衝撃は重かった。

 ケルベロスがレチュアの方に降りる。

「大丈夫か?」

 チラチラと、ケルベロスは取りの気配を覗いながら、そして自分の主人であるリュークの方も見つめていた。

「……ん」

 うん、と頷こうとしたが出来なかった。

本気で痛い。

「火神オージェ、……加護をっ」

「おい、魔法は……」

 続く言葉はケルベロスには言えなかった。

 レチュアはぽつりと呪文を唱えた。今の自分がそういう事が出来る立場じゃない事くらい分かっている。だが、こちらをリュークに任された。絶対に負けるわけにはいかない。例え何日間も没頭して眠りについても良い。

 今は――今は、アーシアを助ける事が先決で、レチュアはケルベロスと共に、凶鳥達をぶち破るしかないのだ。

「おっす、姫様、何してんだ?」

 明るい表情の火神がレチュアに微笑みかける。何となく感じただけだが、この火の神様はちゃんと自分を気遣っている気がした。なるべく自分に負担がかからないようにしているかもしれない、と考えるのはレチュアの驕りかもしれない。

「鳥さんめっちゃうざったらしいの……焼き払って!」

「おけっ」

 レチュアには今、最優先してしたい事、というものがあった。最優先して考えなければいけない事、それは自分の国の事。さっさと玉座を取り戻して、戦争の気配がする自分の国を救わなくてはいけない。そう、絶対に考えてないといけないのは、愛しい自分の国の事のはずなのに。

『助けなきゃ……っ』

 今は、痛いほどに頭を占領している事に目を向けている。占領して、揺さぶって離さない。それは――。

「主人!!」

 ケルベロスの意識が飛んだ。

「リューク!」

 レチュアまでもその声に反応してしまっている。振りかえる余裕はない、ないはずだったのに。

「余所見か、上等だなぁ?」

 振りかえろうとしたレチュアの背にリュークの手の平が当たった。

「え?」

「凶鳥ごときに苦戦か、あんた女王様になんかなれるのか?」

 いつもの嘲笑、いつもの皮肉った言葉。

「なんで……っ」

 レチュアはリュークの背中ごしに、倒れているクレーダを見つけた。リュークは勝ったのだ。でも、代償は想像していた物よりも大きい。リュークの腹や、腕、様々な個所に赤黒い血がこびりついていた。

「なんで……行ってあげ……な……」

 リュークがクレーダを倒した事に驚いていたわけではない。そこは何とかして絶対に勝つと、信じていたから、そこではない。

 クレーダの向こうにいいる、突っ立ったままおろおろしている、彼女は。アーシアは……。

 大切な妹より先にこちらに歩いて来たリュークの姿に、気が狂いそうな程胸が鳴る。

 ――ケルベロスを?

 私を?

 あなたが、心配しているのは誰?

 どうして、アーシアさんの方へ、行かないのよ、先に。

「何言ってるんだ、弱っちいくせに」

 怪訝そうに眉を上げた後、リュークはふと吹き出していた。

「ったく……何匹倒した? ぼろぼろじゃないか」

 リュークには言われたくない。

「リュークこそ」

 いつでも自分の体は満身創痍。出会ったときからぼろぼろで。でも、絶対にこの男が傍にいれば、何となく大丈夫だと思っていた。

 無駄な感情だと思う。多分今の自分に必要がない感情。

「ん? やっぱり主が死んだら契約は終わるのか」

 リュークは空を見上げる。

 凶鳥たちは、一目散に逃げ帰っていた。火神オージェがつまらなさそうにその背を見送る。レチュアから下された命令は絶対だが、戦意のない敵に向かっていく必要はオージェにはない。それ以上の干渉はしないのだ。「……アーシア」

 リュークの気持ちがレチュアから離れていく。リュークの背中が遠ざかる。レチュアはそれだけでどうしようもない不安な気持ちになってしまった。

「……っ」

 要らない。

 必要ない。

 揺さぶらなくていい、掴まないで欲しい。駆り立てるな、逸らせるな。

 そして。

「待って……っ」

 レチュアはリュークの服の端を掴んだ。

「あ?」

 もしかしたら必死な顔をしていたのかもしれない。だって、どこかに行こうとか、そういう事をしたわけではないのだ。ただ、アーシアの方に近づこうとしたリュークに、レチュアは必死に追いすがっていった。

「どうした?」

 出来れば本当に。気付きたくなかった。やばい、どうしよう。

『……好き……』

 レチュアはリュークを見上げる。こみあげる愛しさは、くすぐったくて、気恥ずかしくて。そして――

『この人が好き……』

 今は、まだ……

 好きになったらダメなのに。

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