第四十四話 負けられない事情
「いはぁいっ!!」
もんどり打ちながらレチュアは鼻を押える。思いっきり打った。容赦なく打った。リュークもこちらも思い切り前のめりに倒れて、あまりの恥ずかしさ(?)からか、起きあがってこない。ふかふかふわふわのケルベロスの背中に頭を埋めている。
レチュアは鼻を押えたまま前を見る。
誰も、いない。
今来た街道の通り、灰色の石で出来た道が続いているだけだった。
「……? ケルベロス?」
レチュアは、自分を乗せてくれている三首の獣に慌てて問いかける。彼が気配を感じ取ったからには、何かあるはずで、しかも止まった、となると慌てもする。
「主人、そろそろ頭を起こせ」
リュークは突っ伏したままで、かなり不機嫌そうにケルベロスに愚痴った。
「……止まるときは一言言え」
そしてぐっと頭を上げる。凶鳥が大空を飛んでいる事に、はたと気付く。
リュークや、まぁレチュアのような者達が、ドール、または魔獣の気配に気づかない事は稀だ。高いところにいたせいもあるが、あんなに何匹もいる凶鳥に気付かないのはおかしかった。
「うわ……あんなにいっぱい魔獣が群れてる」
レチュアは不思議そうに空を見上げる。ソレも関係するのだろうが、その鳥達は全くといって良いほど気配がなかった。
ドールならドールらしく、例えば誰かから命令を受けた後に『意志』という気配が付きまとうし、ただの魔獣なら同様に獲物を仕留めるための『意志』、様々な感情の気配があっても良いはずだった。少なくとも、あんなにたくさん空を埋め尽くしているのならば。
「何だ? アレは……」
青い空を一部隠すように鳥が空を埋める。気味が悪い光景だった。いきなりスピードを止めた本人であるケルベロスは、自分自身分からない、という顔をしている。止まった理由は、今になってようやっと、凶鳥が空を埋め尽くしている事に気がついたからだった。それで慌てて止まった。リュークの言う通り、一言声をかけてから止まって欲しかったけれども。
基本的に魔獣は、主人である契約者の命令は聞く。ただし、例えば目的地まで走れといわれたのなら、途中で止まれという命令が下るまでは、必ず走り続けるはずなのだ。だが、それをしなかったのは。
レチュアは目を細める。
凶鳥も、ただの鳥も、一匹なら全然気にも止めないが、どうしてもたくさんで群れていると、背中を何とも言えない嫌な予感が撫でていく。
両親を葬られたあの日。城を落とされたあの日に、たくさんの鳥が、自分の愛した城に群がっていたのだ。そして、それだけでは飽き足らず、自分の愛している従者までも殺した。だから群れた鳥はレチュアが苦手とするものだった。
なぜかどこか、血なまぐさい。
思わず閉口しているレチュアを見て、リュークは空を見る。
「止まる程じゃないな」
少しだけ怒ったような、でも冷めた口調でケルベロスに言う。ケルベロスはふと三つの内の一つの首を違う方向へ向けた。
「操者がいる」
「え?」
気持ちが悪くなってきた。
レチュアはケルベロスの背に手を乗せて、無意識の内ではあったが、柔らかい体毛を握り締める。本当に気味が悪い。
「どうした?」
リュークが後ろから声をかける。レチュアの体の変化に少しだけ、注意をしているようだった。ソレが果たして優しさからか、レチュアを気にかけているから、なのかは本人にもレチュアにも分からない。ただ、少しだけ前屈みになったレチュアの背を見てリュークが不信に思っただけだった。
「大丈夫。……それより従者って?」
レチュアの問いかけに、リュークはケルベロスの方を見る。
「かなり大きいな。気配が並じゃない。鳥達は気配を殺しているんじゃない、従者に殺されている。魔法だな」
「鳥たちの長?」
その時、レチュアはハッと目を見開いた。
風が……!
「リューク伏せて!」
レチュアはガバッとリュークの頭を、ケルベロスの背中に毛の上に押しつけた。そして自分も思いっきりしゃがみこむ。
直後、凄まじい風が通りぬけた。レチュアとリュークの髪の毛を巻き上げて、通りすぎる。
「こんにちはぁ」
風の中に混じって聞こえたのは、妖艶な女の声。
「……」
反応しようにも、リュークはケルベロスにしがみついたまま起き上がってきてくれない。レチュアは怒っているかも!? など考えながらゆっくりと顔を上げる。
もう聞きたくもない声の主は。
「クレーダ」
と、彼女の横に一人の少女を見つける。
「……アーシア……」
リュークはゆっくりと起きあがる。目は半眼している。凄まじく怒っているのがレチュアには分かった。でも。クレーダの横にいる少女を見たとき。リュークは表情を変えたのだ。
「お二人さんは仲良く揃ってお散歩かしらぁ?」
ニッと笑って問いかけながら、クレーダはリュークと、そしてレチュアを見る。開いた口が塞がらないレチュアと、半眼した目が開かないリュークは、物凄く不機嫌そうだった。
「ん? あぁ……この子?」
ニッコリと全て分かっているわ、とでも言わんかの笑みでクレーダは笑った。
アーシアはスペルロックをかけられているようだった。
必死にこちらに向かって首を振っているのが見える。クレーダは面白そうに天に向かって腕を伸ばした。と、操っていたのは彼女なのか、鳥達がいっせいにクレーダの元へ降りてきた。その光景は恐ろしい、としか映らない。
「じゃあ、力ずくで奪ってみると良いわ」
リュークはレチュアの肩を引いた。後ろに隠すように、いや、庇うように押して自分が前に出る。ケルベロスが鼻先で、主人であるリュークの腕をつつく。だが、リュークは一つの命令も出さなかった。多分邪魔をするな、に近い意味合いだったと、長年添ってきたケルベロスは思う。
同時にレチュアにもひしひしと伝わってきた。リュークは怒っているのだ。恐らくは出会った時からずっと。光を湛えていない銀色の瞳は冷たい。アーシアの灰色に近い瞳のほうがよっぽど光が溢れているように、レチュアは思う。
と、リュークはレチュアの方に目を向けた。そして中指を立てたのだ。
『!!?? この後に及んで根畜生!?』
すっかり勘違いしたレチュアは目を上げようとしたが、ふと思いとどまった。リュークが中指で指したのは、クレーダの上空にいる、気持ち悪いほどに群れた鳥だった。
オッケー、とレチュアは少しだけ笑う。クレーダを、一応女の人にリュークが手を上げるのは何となく嫌だったけれども、この場合は仕方ない。レチュアはケルベロスに言った。
「鳥さんは私担当なの。……手助けしてくれる?」
「主人の命令がソレなら?」
ケルベロスは低い声を出して、でも面白そうに笑って言った。
「ふーん。私とサシで勝負する気なのかしら」
美しい顔に浮かぶ笑顔は本当に恐ろしいまでに歪んでいた。自分より背の高いリュークに思いきり見下ろすような視線を向ける。アーシアは泣きそうになっていた。自分が死ぬのはかまわない。ただ、兄であるリュークにだけは怪我を負って欲しくない。負けるとは思えないくらい兄は強いと思っている。だけど。その兄を殺してしまうくらい。彼女は強い。
「アーシアちゃん。――ソコニイナサイ」
簡単な言霊で、クレーダはアーシアを縛った。
「その度胸に免じて私に勝ったら彼女は差し上げるわ。まぁ……私の一存ではこの場だけは貴方に返すって意味だけれども」
その言い方ではまるで、彼女以上に強い、者がバックにいる、と言っているようだった。勿論リュークにも、レチュアにも分かっている。バック。レダではない。レダの後ろにいる強力な敵の正体。
「んふ。じゃあ……かかってきなさいな」
ニッコリと笑って、クレーダは長い指を立てた。言われなくてもかかっていくつもりだった。リュークはアーシアにチラと視線を向ける。アーシアは首を振る。どうせ伝わらない。リュークは本気だった。冷めた表情と、少しも熱のこもっていない動作で、クレーダに近づく。でも。アーシアには分かった。熱い、のだ。銀色の瞳は光も、熱も湛えないのに、火傷するくらい熱い感情がなだれ込む。ソレは。
――死の宣告――
祈るようにアーシアは目を瞑る。
「ブレートリフ!」
リュークは、世界一重い剣の名を唇にのせた。右手にずっしりと手応えを感じ、ソレを思いきり掴む。
「貴方確か魔法学院の出よね?」
クレーダは首を傾げる。彼女の質問の意味が分からないので、リュークは無視をする。ぐっと握り締めた大剣で、ブンと素振りする。
「魔法学院の生徒は大人しく魔法で勝負するものじゃないの?」
クレーダはおかしそうに笑った。
ブレートリフは世界で一番重い。故に扱いにくい。そして、破壊力はあるものの、小回りがきかない。振りまわすのには向かず、どちらかというと相手を叩き潰すような剣だと言って良い。リュークの場合、剣などに頼るよりも、自らの魔法で戦った方が何倍も戦いやすいはずだ。
「全力で戦って良いのよ? だって妹さんの命がかかっているんでしょう?」
ニッコリと笑うと、リュークはやっと無視する事を止めた。
「あぁ。魔法じゃとどめがさせないだろう?」
その一言で、クレーダは眉を上げた。
「ふーん。お会いした事は数える程しかないはずなんだけど?」
「一回も見れば十分だ。狐が」
クレーダは眉を寄せたまま目を伏せた。瞳がゆっくりと輝きをます。ギラリと光ったのは、もはや人間のソレではなかった。
「頭が良い人は好きよ。でもね? 私の秘密を知ったからには容赦はしない!!」
瞳が変わっていくのと同時に、クレーダの体にも変化が現れた。そう、リュークが言ったとおりの。狐、に変わったのだ。
びゅん、と風が通りぬけたと思った。瞬間だった。リュークの頬にぱっくりと亀裂が走った。リュークは一瞬の攻撃を交わす事が出来なかった。
「……」
頬を撫でていった風を目で追うことは叶わない。またも、クレーダが操る風がリュークに近寄っていった。
「剣神よ、我が武器をそなたに預ける。万物を切る力を――」
リュークはブレートリフの刃に手を当てた。ふわっと剣を一周回って、風が通り過ぎる。
「気配なんて与えてないわ、良く分かったわね」
狐がゆっくりと風に体毛をなびかせながらリュークに近づく。見事なほどの黒い体毛は美しい、とさえ思うほどだった。リュークはぐっとブレートリフを掴む。世界一と評されるだけはあって、重い。でも、リュークには魔法を使わないわけがある。
「契約したドールにはあんまり魔法は効かないからな」 そして、もう一つ。
この場にはあまりにも風が多すぎた。威力を増した風は、レチュアの剥き出した頬に、足に、赤い華を咲かせていく。
「契約の元、ここに召喚する! セルフィ!」
レチュアは自分の胸の前で二本、指を立てた。
「お呼びでしょうか?」
優しい口調の、美しい女性がレチュアの上空に現れる。彼女はレチュアに一つ、会釈をする。
「風を止めて! い……っ痛いのさっきから」
泣きそうになりながら、レチュアはセルフィに命令を下す。
「承知。どうぞ、お下がり下さい」
セルフィは、自分の配下の風の聖霊に呼びかける。レチュアはもう一度意識を集中させる。今度は剣神に意識を重ねて、自分の愛槍の名を呼ぶ。
「セーレス!」
大分息が上がってきた。さっきからの息苦しい風と、セルフィ――四神である彼女を召喚したので、精神力が下がってきているのだ。多分、あと一回でも発動令を口に出せば、倒れてしまうかもしれない。
「おい、大丈夫か?」
ケルベロスがレチュアの傍に寄る。飛んでいた鳥を片っ端から食い荒らしていた三つの口元は、真っ赤になっている。それよりもレチュアはケルベロスが自分の心配をしている事が嬉しくなった。普通、よっぽどの事がない限り、人様のドールは気遣いなどしない。多分、レチュアがレクトと契約をしているせいもあるが。
「大丈夫。ねぇ、また乗せてって頼んだら怒る?」
「……」
「下からじゃ届かなくて……」
レチュアが困った様に言うのを、聞いてないような表情で、ケルベロスは明後日を向く。でも、レチュアが全部の言葉を言ってしまう前に、一つの首がレチュアの服を噛んだ。
「お前には何度もこの背を許しているな」
苦笑しながらつぶやいた声は、心地良い。
「ありがと」
レチュアはそれは素直に嬉しくて一つ笑い、セーレスを構えなおす。




