第四十二話 贖罪のためにここにいる 二
父親が死んだのは、謀反があった日の朝だ。父は厳格で、孤高で、無愛想で、にこりともしない。
だが、リージュ国の片腕をしていた位の高い貴族だけあって、政治に人生をかけていた。国王ゲディルの覚えめでたき大臣は、ある朝眠るように死んでいた。
「メイジェス」
自分の姓は父の姓。彼が背負ってきた者は全て自分も背負う。
だが、呼ばれ慣れたクライストという『名』ではなく、メイジェスという『姓』に、体はなかなかついていかなかった。
「聞いていなかったのか」
「……いえ。冬が近いので、一度牢獄を見回ろうかと思っておりました」
「よし。聞いているのだったら良いが、ぼんやりするな。気を引き締めろ」
ロンガ・抜は佳華帝国出身の道士だ。覇術に精通した、老人で、レダの家庭教師をしていた男だ。
狡猾で高慢だと噂されていたが、彼は狡賢いのではなく、頭が良く、世渡りが上手なだけの小物にすぎない。
「水神シロン様の神殿付近でレチュア様に似た女が捕らえられたそうだ。すぐに連行されると聞く。日を改めるが、なるべくすぐにでも独房をあけておいてくれ」
「はい」
父親はゲディルの歳の離れた兄の息子だ。継承権からは遠いが、公爵の位を揺るぎない基盤にしていた。その父は、一年程前のあの日、死んだように眠りについた。
あの日から、父親という後ろ盾をなくしたクライストは、メイジェスという名の力が失われた事をも感じた。今はただレダに気に入られるよう必死になるロンガにいい様に使われている。
もう二十七になるのか、とクライストは遠い目になった。一年がたとうとしている。
謀反を起こしたのはレチュア・フォーガスとその妹シェア・フォーガスだった。彼女達は王であるゲディルとその妻ファルナを殺害し逃亡した。
こじつけには無理があり、最初は誰もがその冗談に怒り狂い反論を唱えたが、新しく王になったレダは時間をかけてゆっくりと、主要幹部を殺して来た。
それどころか、レダは賢く、好戦的ではあるが知識を持っていて、魅力的な顔つきをしていた。それは最高の武器になり、王宮は少しずつレダを支持する者で周りを固め始めたのだ。
今年二十七になったクライスト・メイジェスは、美形ではないが、好感の持てる男だった。目もさめるような白い髪と、悪目立ちする青い目をしている。
控え目だが確固たる意思を持ち、亡き父公爵メイジェスの面影がちらほらと見える。
レダに真っ先に殺されると思われたのは誰でもないクライスト自身だ。父タリハが死んだ朝の空気が、自身の背を震わせてやまないのに、クライストは生き残った。
王宮に留め置かれ、野放しにされている。
長い階段をくだって、クライストは牢獄に通じる廊下にさしかかった。
門番に鍵をもらい、燭台を片手に牢獄に入る。
冬が来た。
底冷えする床は、靴を通しても氷を踏むように冷たく、痛い。
リージュ国は比較的温暖な国だが、冬にさしかかってこの寒さならば、牢獄に繋がれた罪人には堪えるに違いなかった。王宮付きの牢獄は、泥棒やただの犯罪者は普通入らない。一般的に政治犯と呼ばれる爵位を持った貴族や、身分の高い王宮付きの騎士等を収容する独房は、常に小綺麗で、さっぱりとしていた。――以前は。
一年たっただけの独房はカビ臭く、汚い。下水と上水の整備が上手くいっておらず、独特な臭いがこもる。
ガラン、と鉄の音が鳴る。
今独房に入っているのは一人だけだ。――生きている者は。
「君はまた傷がふえてるんだね」
クライストは溜め息をついた。
新入りは彼一人、そして生きているのも彼一人だ。名をリアスという。
「お前も飽きないねぇ、昨日も来てたろ?」 リアスは微笑する。
疲れきった笑顔。顔の端々が切れ、黒ずんだ濁り赤の血が固まり、唇にはりついている。
体中には、まとった服の原形が分からない程の鞭の後があり、痛々しさに思わず目を背けるくらいだった。
「拷問をすべき期間は決まっております。どうしてまだなされるか」
王に対する憤りにしては、なだらかな声音でつぶやく。クライストにとってリアスの存在は、この、唯一独房に入って拷問を受けている男の正体は分からなかった。
「お前達の王にそういう性癖があるんだろうよ」
リアスはくたびれたのか、身体を揺すった後、また床に突っ伏した。
拷問をやめさせるべきは簡単だ。法の力に訴えれば良い。ただし、今時分に法の力というものが働いているのなら。
戦争時は特に法律が甘くなる。様々な場面で、逆に厳しくなったり、法そのものが無くなったりする。いいようにして構わないのが王だ。今のリージュを律しているのは法ではない。そして、ただただレダに媚び入り側に仕えている小者でもない。
「風が吹いているか聞きに来たんだ」
クライストはリアスに問うた。――問う、ように見せかけただけで実際はリアスに言葉を発したわけではないのかもしれない。
「……」
リアスは黙る。
黙り、しばらくして。
「俺がここから出ないのは出られないからだよ」
と、答えた。
「それは……」
どういう意味だろう。
クライストにとってまさにリアスは不思議な男だった。
人から好かれる顔立ちをしている。それは仕草や表情にも現れ、彼の人格を作っている。だが、中身は空虚で、空の杯のようだ。それは、この墓場にも似た牢獄につながれているからではない。
彼には確固たる意思があり、それ以外の事にさして興味がない、だから空なのだ。器である身体をもてあましている。
「随分手入れされていないんだろうなって思ったけど……完璧に出来てるよ」
リアスは多少疲れたのか、肩で息をして、隅の壁によりかかった。クライストが持つランプの光が届きにくい。
「分かるのか?」
「ん……。逃げたい奴は逃げられるけど、あんまりそうしたくない、って思わせる監獄だな」
リアスの例えが難しい。
「つまりお前は居心地が良いと思っているのか?」
「おいおい、そんな事考えてたまるかよ」
それはそうに違いない。
監獄は暗く、狭く、カビ臭い。
「ねぇあんたここに脱獄出来そうな壁が薄い所がないか探しに来たんだろ? ないよ、ここは完璧だ」
「……?」
「そしてあんたはここに掛かる時間を裂いて政治でも何でも、好きな事が出来る時間を俺から与えられた」
「何の事だ?」
荒い呼吸が響く。
話すのも辛いなら肋骨が折れている可能性もある。
「少し時間が出来たなら話をしないか」
今まで十分に話しただろう、と、そう考えなくもない。囚人と話す事は一般的に禁止されていたが、クライストはリアスをただの囚人と感じ取れない。何か別の匂いがする。
「何の話を? 脱獄の荷担なら他を当たって下さい」
「そう急かすなよ」
リアスの表情は見えないが、声は必死ではない。急いていない。
「聞きたい事はいくらもあるが……とりあえずあんたにエサをやる。あんたの親父は老衰で死んだんじゃない」
「!」
リアスの思惑通り、クライストは表情を変えた。食いついたのだ。食いついたクライストにリアスは食いつかない。あくまでゆっくりと話す。
「……どこまで知ってる? 俺は……大体の事情は把握した」
「把握……した?」
「ん。リージュは何かとんでもないもんを背負ってるみたいだな」
ランプを近付け、リアスの表情を見やる。少しも笑っていない、真剣な表情と目が合った。
赤だ。
瞳は金かがった赤で、朱に近い。レチュアの瞳が血に例えられるならリアスの目はなんだろう。
消え入る直前の蝋燭の灯。
「頭良さそう」
声しか聞こえなかったリアスはクライストを初めて見て呟いた。笑い出す前の声。
「クライスト・メイジェスといいます。君は……リアス・フェルド、だったか」
「そう。天下の大泥棒よ」
「前科を知らない、大泥棒にしては名前があがっていなかったのかな」
「……これだから頭が良いやつは」
リアスは吹き出すように笑った。それは魅力的な顔で、それこそがリアスの武器なのだと分かる。引き入れ、引き込む。それは多分天の才に近い。
「メイジェスさんは」
「クライストと言って下さい、まだ慣れない」
「じゃあクライストさん。あんたの親父の話だよ」
★
世の中に、善と悪が存在する事実には必ず誰もが気付いて、どうしていくかは自分次第だ。必ずしも確定する善悪はなく、時と場合と立場によりそれは変わっていく。
だが。
リアスは自身がいっそ美しい程の悪であると知っていた。闇と漆黒を悪の色と仮定するなら、そのあまりにも深い黒が光にすら見えてしまう程の、世界。
「頼む、こいつを……」
リアスは唇を開いた。からからに乾いた唇は、ぱっくりと切れ、乾いた血が付着している。
いつかの思い出の話をする時に、彼には感じる事がいくつか存在した。
その思い出だけがやけに鮮明でこびりついて離れない。ぞっとする程、ひんやりと冷たい世界の中に、リアスがいる。
「こいつを助けてくれ」
これは夢だよ、ほら、起きろ。
リアスは思い出す事を否定しながら、あと少し場面が動けば『彼女』が見れる事も知っている。
もう少し思い出したい。
もう見たくない。
もう少し。
もう少しだけ。
白い腕、しみ一つない柔らかな肌。
置物のように整列されちょこんとついた爪。
これは『彼女』の腕だ。
その先は……
リアスはクライストを見上げた。視界がやんわりと暗く、ほの暖かに明るい。
「父親が死んだのは、闇に殺されたせいだよ」
「闇に?」
闇に。
闇? に。
闇とは……
「黒い闇に」
「リアス、難しい比喩は得意じゃない」
なんの話をしているのだ、とクライストは苛立つ。
「俺はここから出る。絶対に助けたい奴がいるんだ」
「リアス、話す気がなくなったんなら引き止めるんじゃない。それに……俺は甘いのか、罪人の話を聞いてやるなんてな」
苦笑しながら、苛立ちながら、それでもクライストの対応は、早く話を聞きたい、というよりもリアスの話し方に引き込まれているようだった。なんでも良いからまだこの男の話を聞きたいという態度。
ぴちゃん、と牢獄の天井から水が落ち、地について跳ねた。静寂の中に、波紋を与えた音だ。
「で、取引をしないか」
リアスは疲れた顔で笑った。妖艶で甘やかな、哀しい笑顔で。
「取引か、今や形式だけでも武官補佐のこの俺にか」
自嘲した理由はリアスにも分かった。政治をやりあげている官吏はもうこの城にはいない。
「……リアス、一つ聞きたい。お前は何で捕まってるんだ? ここはいきなり入ってきた部外者が入る牢獄じゃあない」
「……」
「普通城にある牢獄は、いくら重罪を犯した者でも入られる者は限られている。無差別に人を殺した連続殺人犯だって、国中の宝庫を荒らした泥棒だって入らないんだよ」
「謀反だ」
「謀反?」
「リージュ国の王を殺害したからだ」
リアスは答えた。
例えるなら、そう。雪が降るより柔らかに。
答えた。
あけましておめでとうございます。今回は随分間を空けた更新になってしまってごめんなさい。
今年もぜひよろしくお願いしますね(^^)




