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祈りの空  作者: 桜野日向
41/62

祈りの空番外編集〜祈り、ひらひら〜


祈りの空番外編集です。

いくつか話があるのでお暇がありましたらお好きな話をどうぞ(^^)


1『Though the bouquet is not given』


 リアスの孤児院時代の話(割とシリアス)


2『Mr Urashima』


 大好きコメディー(馬鹿ばかり)


3『Am I crazy? Say, my god』


 リューク、レチュア道中。桜野からクリスマスラブラブをプレゼント(割と最近の話?)


4『A supreme ruler』


 レダの若い頃(十歳くらい)の話。若い時からあんな感じです。



――これはある時代ある場所の物語――



『Though the bouquet is not given』



 とある孤児院があった。どこにでもある貧相でみずほらしい孤児院で、それは院というには少し小さい。田舎の村外れ、山のふもとにあるその孤児院は、三十人ほどの子供が一緒に暮らしていた。

「ローズ! ローズ・ハーブルウィン!!」

「はい、先生」

「今日はあなたがお使いの日でしたね。これでその紙に書いているものを買ってきてください」

 厳しそうな顔をした院長はローズに言った。ローズ・ハーブルウィン。それがこの孤児院のお山の大将の名前。

 院長が行ってしまうと、ローズはころりと今までの態度を改めた。

「チェルナ! はい、コレさっさと行ってきなさいよ」

 この院でのいじめの対象は彼女、チェルナだった。名字はない。捨て子に名字がないのは普通なのだが。ローズはそれをいつも自慢していた。私には名字があるのよ、と。どちらにせよ捨てられた子という事実は変わらないのだが。

 チェルナは困ったように慌てて顔を上げた。読み途中の本を閉じてローズを見上げる。

「でも、今日はローズが……」

『あ。泣きそう』

 リアスは目を細めた。言いたいことがあるのならきっぱり言えばいいのに、リアスはそう思っている。まぁ簡単にいえばローズは十二歳、チェルナは自分より一つ下の九歳。体格差もあれば、知恵の差もある。無理なのかもしれないけど。

 リアスはいつもチェルナを気にかけ、なるべくなら助けてやりたいと考えていた。

 でも、ずっと見ていたにも関わらず、リアスは彼女が泣くところなど一度も見たことがなかった。


 リアス・フェルド。彼も時を同じくして、その孤児院に住んでいた。二歳のときに預けられてもう八年になる。まさか実の親がまた自分を引き取りにくる、なんて事は期待していなかったが、だからといって里親が来てくれるのを待つのももう面倒で考えていなかった。その内この院も出て行こうと思っていたのだ。

 リアスはチェルナとは一応友達だったが、内気な彼女はあまり自分からはリアスに近づいたりしなかった。


 ローズに命令を言いつけられ、チェルナは仕方なく読んでいた本――『シンデレラ』という良く出来たお伽話を本棚に直し、ローズが置いていった紙と財布を持って立ち上がる。

「お前もさ、言ったら良かっただろ?」

 何となく隠れていたリアスが本棚の後ろから出てきたので、チェルナはびっくりして目を見開いた。

「あ……いたの?」

「おぉ。あの女うっさいから隠れてた」

 勿論リアスは彼女に喧嘩を売ることくらいできたし、いじめなんて下らない物をやめさせてやるくらいの力があったから隠れる必要はなかった。

 が、彼はいつも思っていた。どうか自分で何かを変えてみてほしい、と。

 ――チェルナはいつも何を待っているのだろう? あのお伽話のように、王子様や、魔女やネズミか何かが自分を助けてくれると思っているのだろうか?

「お前も少しは嫌がれよ」

「リアス君」

 ほら、そんな風に目をうるませて。泣きそうになっても泣きはしないくせに。

 でもチェルナはきっと強い子なんだと思う。だって絶対に泣かない、どんな時も頑張っている姿をいつもリアスは見かけていたから知っている。助けてやる気はいくらでもある。だから、どうか一歩を、と。

「ハッキリ言わんとあいつらはわかんねぇよ」

「……いいの。だって大丈夫だし」

「で? 俺に言いたい事ないの?」

「え?」 本当に分かってない風にチェルナが首を傾げるのでリアスはため息をついた。

「買い物」

「……一緒に来てくれるの……?」

 パッと表情が輝いたのを見てリアスはホッとした。そう。そういう風に楽しそうに笑っている顔が一番素敵だと思うのに。

「ったく。言えっての。頼れっての。ほら、財布かせ。お前絶対落とすから」

 ニッと笑えば、チェルナも顔を少し赤くさせ微笑んだ。 笑った顔が好きなのに。

 彼女はいつだって困ったように泣きそうな顔をして下を向いていた。



「あと何?」

「あと……お砂糖」

 買い物ももう終わりがけで、ちょうど門限である夕焼けの時間になった。日が暮れても戻ってこない悪い子には懲罰がある。リアスなんかそれの常習犯だった。だが今日は隣りにチェルナがいる、彼女にまで夕食抜きを連帯させるつもりはない。

 次第にリアスの足も早くなる。

 帰路を急ぐ二人がすれ違った影が、ふと何かを落とした。ぽさりと音もなく落ちたのは、影の――高貴そうな貴婦人の財布である。貴婦人は気付いた様子がない。

「お、ラッキ……」

 リアスが屈もうとするより先に、チェルナは財布を拾い上げた。

「あの、おばさん!」

 そしてたったとリアスを置いて財布を持っていく。

「コレ、落としました!」

 財布を落としたことにやっと気づいて、婦人はその美しい顔をチェルナに向けた。 フワリといい匂いがして、チェルナはなんだかどきどきとしてしまう。

 なんてきれいな人なんだろう。息をする事を忘れた。

 夕陽を背に受けているからか、顔に影が落ちている。なのに後ろから差す光が綺麗で幻想的で、チェルナはうっとりとその女性に魅入った。

「あら、どうもありがとう、お嬢さん」

 婦人は満面の笑みを惜しむことなくチェルナに向ける。

「お礼をしなくちゃね、えっと……」

 女が拾ってもらった財布に手をかける。だが、チェルナは慌てて首を振った。そして婦人にぺこりとお辞儀をしてすぐにリアスの所へ走っていった。

 その時自分がハンカチを落としたことには気づいていなかった。



「勿体ないなぁ〜」

 リアスがぶすくれる。チェルナはくすくすと笑った。

「リアス君悪党みたい! さっきはネズミさんみたいだったのに」

 リアスは不機嫌そうな顔をした。ネズミってあれかい。シンデレラを助けてやったあのネズミかい。

「あんな話現実に起こるわけないないっしょ」

「だめ! 先、先言ったらだめよ! 今ね、シンデレラは悪いお姉さんに閉じ込められてネズミさんと力を合わせてる途中なんだから!!」

 リアスは目を見開いた。顔を赤らめてチェルナが畳み掛けるように言ってのける。

「は、あはっ、お前なんだよ〜『シンデレラ』読んでしまってないのか?」

 思わず笑い出したリアスにチェルナはハッとして顔をまた赤くさせる。

「そ、そうだよ〜だから言ったらだめだからね!!」

「はいはい、ったくちゃんと言えるじゃん、言いたい事。あの女も黙らせてみようって少し頑張ってみねぇ? いけるって!」

「……だって無理だよ、ローズを敵に回しちゃったら皆が……」

『皆が?』

 リアスはチェルナが言った言葉の意味を考えてみたが、それよりもこっちが気になった。

「俺さ、無理って言葉嫌い」

「……でも」

 リアスはにっこり笑って親指を自分の胸に押し付けた。

「ネズミさんが助けてやるから」

「……っぷ……ネズミさんって自分で言っちゃう??」

「こら! 笑ったらいかんよ、きみ!!」

 少しだけ。ほんの少しだけでいいから勇気を出してほしい。そしたらきっと手を貸すよ。絶対に味方がいないなんて嘘だから。ねぇ頑張って?



 孤児院に二人が帰ってくるとローズが仁王立ちで待っていた。余談ではあるが、ローズは実はリアスが好きで、チェルナがリアスに媚びいって一緒に買い物をしてきたんだと勘違いしての行動である。

「おかえり、リアス君、チェルナ。ねぇチェルナ、話があるの。ちょっと私の部屋にきてくれない?」

 猫撫で声と、猫被った笑顔で、ローズはリアスからチェルナを引き剥がそうとした。

「チェルナ」 リアスが小さく囁いて、チェルナの背を押す。頑張って。

「あ、あのっ」

「? なぁに? チェルナ」

 威圧感のある声がチェルナに襲い掛かる。足が立っていられないくらいふらふらする。

 でもリアスが隣りにいると思うだけでチェルナは少しだけ頑張れると思った。

「……わ、私買い物に行ったわ。でももう行かない。まだ何かあるなら言って? 今ここで」

「なっ」

 チェルナの反抗的な目は始めて見た。ローズはひくり、と眉を上げ、一歩下がる。

「お前、こいつパシルのやめろ。見ててうざい」

 チェルナの倒れそうな体を支え、リアスはローズに言う。そして今度はチェルナにも聞こえないように、ローズの耳元でこう言った。

「――山の大将きどるな。お前は親に捨てられたんだ。……俺たちと一緒だろ?」

 ローズは目を見開いた。顔を真っ赤にさせて下唇をかむ。

「チェルナ、院長ん所行くぞ」

「う、うんっ」 リアスとチェルナが去っていくのを見て、ローズの取り巻き達は少しだけおろおろとしてローズのほうを見た。怒りで震えた体にびくりとなる。

「許さない……っ」

 ローズは叫んだ。

「許さないから!!」



 チェルナいじめは見た目減ったように見えた。だが、それはあくまでもリアスの目線であって、実際ちょっと言ったくらいではいじめがへったりするわけがない、と思う。ローズは半端なく根性悪である。でもリアスは彼女を守ってやると思っていた。


 さて、買い物に行った日から何日かたったある午後。孤児院の生徒達はホールに呼び集められた。ホールと言ってもそう広い敷地ではないが。集会はいつもこのホールで行われる。

「えー皆さん。今日は皆さんに良いお知らせがあります」

 普段は厳しい院長が今日はかなり嬉しそうに微笑んだ。

「ウイング国の貴族の方から里親になりたい、という申し出がございました」

 ワァ、とホール内の子供達がざわめいた。ウイング国は北西にあるかなり金持ちの国で、裕福らしい。そこの貴族ともいえばとんでもない豪邸を持っているに違いない。

「明日の昼間一時間ほど時間をもらいましたので、失礼のないように」

 孤児たちにとって『里親がくる』というのは一大事でお祭り騒ぎである。貰った小遣いや、その日のために仕立てた服でめいいっぱい自分をアピールしなければいけない。 この日だけは年上も年下も、親友も好きな人でさえ敵となる。まぁリアスは置いといて。彼はたいがいこのお祭りには不参加だった。里子に出されたが最後、自由なんてあったもんじゃない、と思っている。

 これは偏見かもしれないが、そう間違ってもいない。里子にされた子供が奴隷として売られることもあるし、一生奴隷のように里親に縛り付けられて生きていかなくてはいけない者もいるのだ。 余談にはなるが、たいてい孤児はドール契約をしていない者が多い。

 親は自分の子供が生まれた際、意味のこもった名前と、子供をある程度の歳まで守ってくれるドールを与える。契約は親の力を通し、子供ではなく親の何かを媒介として行うのだが。孤児は最初からドール契約をしてもらえないか、もしくわ家から子供を追い出す際に契約を終了させられる。これは子供がドールにより親に報復をするのを防ぐためだ。これまた余談であるが、この時リアスにはもうドールがいた。覇神と呼ばれる闘争の神、丹下たんげと呼ばれる黒豹がリアスのドールだった。

 これは異常だ。十かそこらで丹下をドールにするなど無謀。ありえない。これでこの時のリアスがどんなだったか良く分かったね。


 さて、ローズはこれを聞いてニッと笑った。リアスと仲良く話しているチェルナを見ながら隣にいた自分の取り巻きに耳打ちをする。くすくすとローズの周りがざわめく。

「まぁ……そんな事しても無駄でしょうけど」

 ローズのその大きな瞳がぎらぎらと輝いた。



「ねぇリアス君は大きくなったら何になるの?」

 たまたまその日の夜ラウンジで一緒になったチェルナがリアスに問い掛けてきた。明日、里親になるかもしれない人が来るから、ラウンジに生徒はいない。それぞれが色々な思いを胸に自室で何かをしているのだろう。

「ん〜腐ってない人」「え? 何それ?」

 リアスは吹いてきた優しい風に目を細める。風は二人の髪をなでゆっくりと通り過ぎていった。

「じゃチェルナは? お姫様か?」

 ニッと笑えば、チェルナはくすくすと笑うだけだった。『シンデレラ』に憧れているのではなかっただろうか。『シンデレラ』のようにただ奇跡が起こるのを信じて待っている少女、リアスはチェルナにそういう印象を持っていた。

「私は『お母さん』になりたいの」

 にっこりと笑って言いきるチェルナは素敵だった。リアスはこの笑顔が好きだと思う、と同時に一つだけ引っかかっていたことを思い出した。

「お前さ、そういえばどうしてあいつらにハッキリ言うのためらったんだ?」

 チェルナは一瞬目を見開いて、困ったようにため息をつく。

「……私がいじめの対象になれば他は大丈夫でしょう?」

 恥ずかしそうに目を伏せて、チェルナは黙り込んだ。そしてゆっくりと話しを続ける。「偽善者だって言っても良いよ。――……私のこと嫌いになってもかまわない」

 ローズのいじめの対象がチェルナになったのはいつだっただろうか? 確か少し前は他にもたくさんいた気がする。チェルナは内気だが、あまりいじめられたりするような子ではないはずだ。

 じゃあ、つまりは?

 リアスは思わずチェルナの手を引いた。今何かが解けた。あぁ、そうか。

「え?」

 細い手首を自分のほうに引いて、細い体を抱きしめる。

「リ、リアス君??」

 あぁ。そうか。こんな細い体であんなにも重い物を受け止めている。

 あぁ、なんて。あぁ、なんて――。愛しい。と、吹き荒れる。

 リアスはなぜだかどうしよもなくなった。だって気づかなかったのだ。

「悪かった。……ごめん――」

 チェルナは前に言った。『ローズを敵に回したら皆が』と。リアスは無理だと言ったチェルナに腹を立てたのだが、チェルナが無理だと言った理由は考えなかった。

「ごめんな……」

 この思いは恋なんて言えない。でも愛しさは家族の絆のそれ、のように強くリアスの心を駈け抜けた。

「ごめんな……っ」

 笑ってる。笑ってる。泣かない。なんて強い心を持っているのだろう?


 リアスが孤児院の前にローズにいじめられていた子に問い掛けた所、チェルナがかばってローズにたてついた事が分かった。それがきっかけでチェルナはいじめの対象に、そして他の皆はチェルナのお陰で平穏が訪れたという。彼女を除いては。



 さて、次の日がきた。朝から孤児院はざわざわと落ち着きがない。昼になればもしかしたら自分は新しい母親に引き取られるかもしれないのだ。たくさんの希望が皆の心を埋め尽くしていた。その頃リアスは孤児院を出ていた。点呼も何もあったもんじゃないからいいのだが。

 その頃。チェルナにはこういう出来事が彼女に身に起こっていた。

「開けてよ!」

「やぁよ。チェルナなんて引き取ったら貴族のお方が可哀想だわ。だからここにいなさい」

 ローズがチェルナを屋根裏部屋に閉じ込めたのだ。物置として機能している屋根裏は、狭くてカビ臭い。

 殴り付けられて押し込まれ、外側から鍵をかけられれば、チェルナは何も出来ない。

「まぁ、もうこんな時間! 私が来ないことには歓迎会は始まらないわ」

 ローズが高笑いをしながら屋根裏の階段を降りていく。い。

「まぁ、もうこんな時間! 私が来ないことには歓迎会は始まらないわ」

 ローズが高笑いをしながら屋根裏への階段を降りていく。たまたまローズの取り巻きに、猫が屋根裏に行ってしまったから連れてきてほしい、と言われて行った矢先の出来事がこれだったのだ。



 ――『お母さん』になりたいの――



 例えば世の中の理不尽なこと。暗い場所や、病んだ思いを知っている人。目を背けたくなる瘴気や、目を背けてはいけないモノを見て、それでも笑っている人。

 笑顔は人を幸せにする。

 でも、笑ってる貴女は幸せか?



 リアスはうっすらと目を開けた。孤児院の中庭の、今集会があっているホールから遠ざかった場所で昼寝をしていたのだが。そういえば、と思い出したのだ。

 貴族の人だか何だか知らないけど、自分と違ってチェルナは里子になる事を望んでいるだろう。きっと今ごろ楽しく話しをしているのかもしれない。といってももうお開きの時間だが。

『……上手くいけば良いけど』

 里親になる人はどんな人だろう、と思ってリアスはホールへと向かった。

 正面きって行けば絶対見つかるので、窓のほうへ周る。

 人は目を見ればだいたい良い人か悪い人かが分かるという。見極めてやる、などと冗談半分で考えながら、リアスはそっと窓をのぞきこむ。

 たくさんの子供が、真中にいる女性を囲んできゃあきゃあと騒いでいた。何とかして婦人に気に入ってもらおうと皆必死だった。

『アレ?』

 リアスは目を細める。

 輪の中心にいる女性、そういえばどこかで見たことがある顔だ。しかも近い内に。

『あ! 財布のおばさん!』

 この女性、実際おばさんという歳ではなかったが、子供から見ればだいたいはおばさんだ。

『お〜これチェルナけっこういけるんじゃね? ってアレ? チェルナは?』

 そう広くはないホールに全員集まっているとはいえ、中にいるチェルナを見つけられないはずはない。リアスはもう一度目を凝らして眺めてみる。が、やっぱりいない。

「……?」

 まさか、自分以外の人がコレに不参加する、なんて考えていなかった。リアスはくすくす笑う。いい根性してるじゃん、チェルナも……

「なわけないだろ!?」 自分で突っ込んで、リアスは慌ててチェルナの部屋へ向かった。ホールがある棟とは違うのでチェルナの部屋へ行くのは少し遠い。加えて彼女の部屋は三階だった。

「や、便所かもしれないし!」

 リアスは胸元で二本指を上げた。

「えと……なんだっけ? お、俺ん所来い! 丹下!」

 ふわ、と風が吹いて、走るリアスの横に黒い豹が現れた。気高く美しい動きの摩獣はリアスの召喚に応えて、側に現れた。一緒に狭い中庭の道を走る。

「ドールは古語にしか反応しない。詠唱の文句くらい覚えろ」

「でも来てくれたんっしょ! オケオケ!」

 丹下はその金色の瞳でリアスを呆れるように眺め、問い掛けた。

「なんだ?」

「チェルナ! チェルナどこにいるかしらねぇ?」

 走っているリアスの横で丹下はスピードを緩めた。深くため息をついた闘争の神は遠ざかるリアスにもう一度近づき、傷をつけないようにその服を口にくわえた。

「え?」

 ふわ。とリアスの足が床から浮き、その途端外に放り出された。ここは三階である。

「た! たたっ! 落ち!!」

 三階の窓から飛び降りた丹下はふわり、と降り立つ。猫科ってすばらしい。

「や、俺チェルナがどこかって聞いたんだけど!!??」

 全身から汗が吹き出るくらい驚いたリアスは、ぜぇぜぇいいながら丹下のほうを見る。丹下は我知らず、と首をぐっともたげた。リアスもつられて上を見る。

「な、おい!?」

 ちょうど見上げた先にチェルナがいた。そこは屋根裏に通じる窓で、高さはけっこうある。

「り、リアス君!」


 下にいるリアスに気づいてチェルナが慌てて手を振った。

「……私は覇神だ。用途が違う。人探しなどに使うな」

「わ、悪かった。じゃ、アレ降ろしてきてやって」

「主が一日に一度と条件を出したのだろう? 私は知らん。……まぁ頑張れ、王子様」 くす、と鼻で笑って、丹下は風のようにそこから消えた。

「バッキャロー!!!」

 リアスはもう何もない空間に怒鳴る。

 ドール契約を交わす際、丹下とそう約束をした事は覚えている。約束は約束で、なかなか違えられない。

「チェルナ、お前もう集会終わるぞ!? 里親は良いのか?」

「違うの! ローズが!」

 ハッとしてホールのほうを見ればもう終わりがけで、婦人が帰ろうとする姿が見えた。これでは屋根裏まで行くのは間に合わない。第一開けられるかどうかもわからない。

 屋根裏には外側からかける鍵があるが、ローズがそう簡単に渡すなど考えつかない。

「チェルナ! そこに何かあるか!?」

 リアスの言葉を聞いて、チェルナは困ったように屋根裏部屋の中を探しまくる。でもさっきから探しているが、それらしいものは全然ない。

 物置になっている部屋はこういう時のため(?)の物は何一つ置いていなかった。ロープや、それに匹敵する物があれば、多少高いが降りられるかもしれなかったはずだが。

「ないみたい……どうしよう……」

 リアスは下唇を噛んだ。

『せこい女だなっ』

 やっぱりローズがあれしきのことで諦めるはずがなかったのだ。どうせいつまでも(もしくわ死ぬまで?)根に持ってぐちぐちやるタイプなのだ。アレは。

「……よし、チェルナ。飛ぼう! 飛んでみよう!!」

「や、やだ! そんな買い物行こうってくらいの誘い方で!」

 チェルナはその高さに目を晦ます。四階といってもそう高くはなかったが、子供から見れば崖から落ちろと言われたくらい高い。(オーバー)

「無理だよ、……それに私なんか選んでくれないって! もういいよ、また次がある!」

「言ったろ? 俺無理って言葉嫌いなんだって」

 リアスは困ったように笑って両手を伸ばした。「だって、ほら、私、服もぼろぼろでっ……それに……っ」

 チェルナは半ば泣きそうになりながら、心細げにうつむいた。

「……誰でも良いよ」

 ふと、リアスが言葉をもらした。呟くように小さく。

「え?」

「ネズミでも、馬でも鳥でも。魔法使いのばばぁにだってなってやる」

 チェルナが安心するように、幸せになってくれるように、リアスはもう一度笑った。

 両手をチェルナの方に向けて、降りてこいと視線をやる。

「……っ!」

 チェルナは目をつぶる。



 ――何もしないで待ってるの?――



 そしてゆっくりと窓枠に手をかけた。

 ふわと風が吹く。何かを変えたいと思っていた。何かを自分がしてみたい、と思っていた。

 ――『お母さん』になりたいんだ。

 だって自分にはお母さんがいなくて。寂しくて、悲しくて、会いたくてたまらなくて。どうして自分だけ? と何度も思った。

 飛び降りたチェルナの体をリアスがしかと受け止める。軽かった。細い体は風のように軽くて。

 衝撃でよろけて、背中からぐらりと地面に落ちる。腕の中におさまったチェルナにリアスは満面の笑みを向けた。

「よくやった!」

「……はぁ……はぁっ」

 肩で大きく息をついて、チェルナはリアスに目を向ける。リアスはいつものように優しい笑顔で笑っていた。

「……王子様がいいな」

「は?」

 チェルナもにこりと笑う。

「リアス君、王子様がいい」

「……あ……、と……おぉ! 任せろ!」

 リアスも困ったように笑った。そうそう。俺は君のためなら王子様にだってなってやるよ。

「って違う! そういう素敵な時間に大事な時間裂いたらいかんよ! もう帰ってしまう!」

「でも私こんな服で、髪で」

 やっぱり気になるのか、チェルナはぼろぼろもいい所の服を眺める。髪だってまだ梳いてもない。

「いや、そうでもないかもよ? 案外シンデレラはぼろい服でも大丈夫だったはず」

「え? わっ」

 リアスはニッと笑ってチェルナの手を引いた。

 そして玄関のほうへ走る。

 二人が玄関に着いたのはちょうど婦人がローズ率いる軍団に導かれ、迎えに来ていた馬車にのるところだった。ローズは現れた二人に目を見開いた。

「な……!」

 婦人が顔を上げる。

「あら? ……あなた」

 そしてほほ笑んだ。チェルナは慌てて足を一歩下げ、お辞儀をする。

「すみません、遅れましたっ。あ、この前のおば様ですね!」

 ローズはきっと唇を噛む。なんだかいい雰囲気になっている。今からではとても邪魔が出来る状態ではない。

「会いたかったのよ、ハンカチ、落としていったでしょう?」

「あ」

 チェルナがあの買い物に行った日に落としたのは、院のロゴがついている薄いピンク色のハンカチだった。

「ありがとうございます!!」

「いいえ、私こそお財布、ありがとう。今日はもう時間がないのよ、またお話しましょうね」

「は、はい!!」

 婦人はチェルナにもう一度微笑んで、ハンカチを返した。


 それから何日かたって、チェルナはその夫人の元に引き取られていった。リアスが聞く限りでは、院長に来た申し出はチェルナに対する申し出だったらしい。

 それともう一つ。彼女はまだ『シンデレラ』の本を読んでいなたっからしい。でもきっと結末は知っているはずだ。そう、こんな風に彼女も幸せをつかんだ。物語の中のお姫様も……



「って浸っちまったなぁ……」

 リアスはふぅと息をはく。あまりの腹減り具合に、孤児院時代のひもじかった記憶を思いだしていた。

 ふと、リアスの目が少女を見つける。

 金色の髪、ハッとするような赤い瞳の少女。下を向いてぼそぼそと呟いている。その顔は不安気で、つらそうで。

『さって、あの人に飯一緒食ってもらうか』

 リアスはニッと笑った。そしてその少女に近付く。

 あの人も、笑ってくれるようになるかな、と馬鹿みたいな事を考えながら。




『Mr.Urashima』



 昔々、ある所に、リュークという漁師がいました。

「日本の昔話で『リューク』はないんじゃないか?」

 口が果てなく悪く、根性腐れで、無愛想。それでも美形でしたから、何とか人生を送ってこれたのです。

「そういう主人公で話を書いているのはドコの誰だ? おとぎ話のパロディが好きなのか……」

 さて、このお話はリュークと、ある一人の女の子のお話です。

「いいか? 今ここまで読んで下らないと思ったら絶対読まないのが得策だからな?」



 ある日、リュークが浜辺を歩いていると、一匹の人型の亀が砂浜に打ち上げられ、子供達から虐められていました。

「怖っ!」

「何が怖いんだよ。俺だってなんで亀なんか……っ」

 その亀は、立ちあがって、自分で子供達を追い払い、リュークの方を向きました。

「俺はリアスっていうんだ。助かった、ありがとな」

 はにかむように笑って言ったリアスを見て、リュークは複雑そうな顔をしました。

「…………助けた覚えがない……」

 話の都合上この二人で童話を作るなど持っての他なので、それはさておき。リアスは自分についた砂を払いながら、リュークのほうをもう一度見ました。

「助けてくれた礼に竜宮城までつれてってやる」

 竜宮城。それは海の中にある素敵なお城のことでした。なんでも、そこに住めば歳をとらず、いつまでも健康でいられるといわれているのです。亀のリアスはそこへリュークを連れていってくれると言いました。

「断る」

「いいからいいから、ほら俺の背中に乗れって」

 亀が自分を騙すために罠を張ったのではないか、と思いながらも、リュークは仕方無しにリアスの背に乗りました。

「亀のアリアがいたら災難だな……」

「あ〜? 何か言ったか?」

 リュークは無愛想ながらも、少しだけその竜宮城に心惹かれていました。何年も歳を取らずに過ごせる魔法の城。

『……そこを乗っ取るのも悪くはないな』


 さて、リアスは腹に黒いものを秘めたリュークを背に乗せて、海まで這っていきました。

 内心根畜生です。ジャンケンに負けたからとはいえ、亀の役なんてリアスは許せません。

「海の中で呼吸ができると思っているのか?」

 リュークは偉そうに問いかけました。

「それが大丈夫なんだな〜!」

 リアスが一歩一歩海に入っていくと、リュークは初めて怖くなってきました。

 所がどうでしょう。海の中に入ってもリュークは呼吸が出来ます。

「おい、クソ男。お前何したんだ?」「お前の方がクソ男だろう? ったく……ちゃんとシナリオ通り進めろってんだ」

 ぶつぶつ言いながらも、リアスはすいすい泳いでいきます。しばらく泳いでいくと、黄金に光る大きな城が見えてきました。

「おい、まだ十mも泳いでないんだが?」

「バカ! セットに金かかるからしょうがないんだよ! こういう事バラさせるな!」

 黄金の城を見て、リュークは心踊りました。

『さて。宝を持って地上に行くか、ここを乗っ取るかどっちかだな……』

 魚達が自然と集まり、リュークを歓迎します。

「おい、お前寄ってきた魚殴り倒すことないだろ!!??」



 さて、城の中に入ると、美しい魚達が歓迎会を開く、と言って来ました。

「鯛や平目の踊りは勘弁させてもらう」

「演目をばらすな!!!」

 皆が皆、リュークを歓迎し、口々にようこそ、と言います。美しい人魚が現れて、リュークに酒を薦めました。

「お兄さん、かっこいいわねぇ……今夜わたしの部屋に来ない?」

「クレーダ!!」

 リアスもリュークの傍に座り、どんどん運ばれてくる酒と食べ物を食べます。その間もリュークはたくさんの人魚から酒を薦められました。所がどうでしょう。なかなか潰れません。これには酌をしていた人魚も困ってしまいました。

「さぁて、リューク、お待ちかね。竜宮には乙姫様って言う綺麗な姫さんがいるんだ」

 リアスがそっとリュークに囁きました。

「……レチュアだったら問答無用で帰らせてもらう」

「ちょっと! なんでよ!!」

 そこへ現れたのは、太陽のような微笑を浮かべた少女でした。美しく、威厳があり、リュークは感嘆し、ため息をつきました。

「……やっぱりお前か……」

「ってそっちのため息かよ!」

 乙姫レチュア。リアスは乙姫をリュークに紹介しました。

「果てなく無理がある名前だな、日本昔話?」

 リュークは嬉しそうに笑いました。

「っく。で、ではリューク。リアスを助けてくれたお礼です。私が踊りを見せて差し上げましょう」

「助けてない……」


 リュークは竜宮城で長い間楽しい時間を過ごしました。でも、気になっていたのは、地上に残していた自分の家です。誰かに物を取られたりはしていないでしょうか。『上の(地上)物と……こっちか……どっちが金になるかというと、こちらだな。さて、この大荷物どうやって地上に運ぼうか』

 そんな時、リュークはある考えを思いつきました。やっぱり自分がここの竜宮の主になってしまえばいいのです。そうするには。

「おい、レチュア」

 リュークはレチュアに迫り始めました。

「え? えぇ!?」

「お前、良く見ると可愛いなぁ、男はいるのか?」

 リアスは慌ててリュークを止めます。しかし、男に免疫のないレチュアはたったそれだけの事でぽやーっとなっているのです。

「俺の女にならないか?」

 その時点で、レチュアははっとして顔を上げた。

「さては、あなた竜宮を乗っ取るつもりね!?」

「あぁ」

「せ、せめて否定しなさい!!」

 というわけで、リュークは竜宮城に居座ることに決定しました。(どういうわけですか?)これは昔々のお話……



『Am I crazy? Say, my god』



 それは、喉の乾きが絶えない時の感覚に似ている。飲んでも飲んでも、足りない、乾いて仕方がない。

 そんな乾きは、ついえる事がない。

 ふらつきと頭痛がしきりに身体を揺すり、唯一はっきりとした乾きだけが中心にある。

 ――想像出来るか、弱音は吐くなよ?



「リューク! ちょっとリューク!」

 朝から無駄にテンションが高い。甲高い甘えた声だったら殴っているが、彼女の声は少し低い、耳に心地悪くはない。

「なんだ。どうした」

 体調が悪いなどレチュアに伝えたくはない。リュークは普段の無愛想に拍車をかけた無愛想でレチュアに言葉を返す。

「これ欲しい!」

 ――ふざけるな、と思わなくもない。

 リュークはひくりと片眉を上げた。天真爛漫とは褒め言葉なのか、彼女はまさしく突拍子のない気分屋で、朝の露店に並んだ品物を指差した。

 普通、リュークの方が歩調が早い。だが今日はあまりに体調が悪く、レチュアに先を行かせる事を許してしまっていた。

 何にそんなに心踊っているのか、店が大好きなレチュアは、露店に興味を示してわくわくと品物を眺めている。

 レチュアの隣りまで拷問にも近い苦痛に絶えながら歩いていけば、彼女が何を見つけたのかが分かった。

「…………それを何にするんだ……」

「飾るんじゃないかな?」

「どこに」

「宿とか……」

 決して愛くるしくはないが、女性が好みそうな人形を指す。でもうさん臭い。

「ヒラン国から伝わる魔除けだよ、宿屋に飾ったって良いし、小さいからお嬢さん首にかけても良いだろ」

 店の主人は客を逃すまいと必死なのが伝わった。

 怪しい店の雰囲気だが、置いてあるものは占いに使うような物なのだろう、カードや水晶玉、レチュアが気に入ったような人形もある。

 金髪の巻き毛で、赤い瞳をした白い肌の人形。

 誰かに似ていますか。

 リュークは微妙な顔をした。

「買うのか」

「はい、買います!」

 レチュアはにいっと笑顔になる。

 この女先日、似運びの日雇いの仕事をしている。懐が暖かくなったと思ったらこれだ。

 女王を約束されていた女だがそう使い込む癖もなく、服も質素で(丈夫なら安くて構わない)装飾品といえば彼女が耳につけている赤い血朱珊瑚の耳飾り程度――それは妹にもらったものらしい。

 だからつまりレチュアが欲しいなんていうのは珍しく、そう金額がかさむものでもない。リュークも買えば良いだろう程度に考えた。

 それよりもさっさと宿に行きたくて、リュークはレチュアがそれを包んでもらうのを静かに見ていた。

「お嬢さん可愛いからオマケしてあげよう、代金端数はいらないよ」

「本当に? ありがとう!」

 黙っていればな。

 彼女との買い物は嫌いではない。金遣いが派手ではないし、彼女が欲しがる必要最低限以外の欲しい物なんて道中これまでに初めてだった。

「良かったな、良い魔除けがあって」

 魔除けというものをそもそも信じていない。レチュアに寄って来ているのかさえ分からない。なぜ欲しがったのだろう。

「リュークごめんね、きついでしょ? さ、宿屋探そう〜」

 レチュアがまたもふらふらと先に行くのを、緩慢な足取りで見失わない程度に追いながら、リュークはまた乾きと気怠い疲労感を感じていた。

 歩いていく事に不安はない。

 立ち止まる事の方が怖い。

 だが、なぜだか今日はいつもより気力が湧かない。

「もう少し落ち着いて歩け」

「えー? なんてー??」

 レチュアの歩幅は多分普段と何も変わらない。

 ならなぜ足がこうも動かないのだろう。

「……アイツか……」

 リュークは眉根を寄せた。

 ただ何となく生き、何となく毎日を過ごす、それがこれだけ辛い。

 レチュアの重荷を想像してうんざりしてしまう。良く笑っていられるな、と尊敬する。

 リュークには精神力があまりない。それは魔力や実力が高いという意味ではなく、確固たる意志と感情がないからだ。流れるようにふわふわとただ生を貪っていたリュークが、今こんなにも身体に負担が来たのは、目的が出来たからだろうか。

 遠い遠い親戚。

 血のつながりのない姫。

 彼女のために何かしてやろうという目的。

 それは面倒で重荷で、下らなくてらしくない。

 でも案外それをしてる自分が嫌じゃない。

 変な、感覚。

 芽生えている感情の名前。

「リューク遅いーっどうした、どうしたっ疲れたかね?」

 先を行く背中しかなかなか見ないレチュアは急に慌てたのかリュークの元へ戻ってきた。

「宿屋まではレチュア列車がお連れしますよー」

 レチュアはいたずらっぽく笑んだ。

「なに? おいっ」

 背中にレチュアが回ったと思ったら、彼女の二本の手がリュークを押して来た。

 そのままリュークを急かすようにレチュアがリュークを押して後ろから走る。

「ガキか」

「お客さ〜ん、背中こってますね〜」

「運転手はそんな性的いやがらせはしない」

『私セクハラ!?』

 しばらくレチュアのされるがままになる。したいように出来てレチュアはご機嫌だ。

「リューク重いー」

「じゃあお前の上には乗れないな」

「……えっ?」

 レチュアの反応が分かって、リュークは笑いたくなった。きっと赤くなって怒るか困るかしているに違いない。

「リュークも今のは性的いやがらせです!」

「想像したか」

「ばっ、馬鹿じゃないのっ!」

 ますます赤くなるレチュアを見てリュークは面白くて仕方がなくなった。

「おい、速度が落ちたぞ」

「リューク元気になってんじゃん!」

「は? 呆れたから笑ってしまった」

「呆れないでよーっ楽しく行こうぜえ〜」

 レチュアが笑うのが理解出来なくて、同時に面白くて、リュークも少しだけ気分が軽くなったような気がした。

「……」

 好き、だろうかと思った。

 気分が軽くなるのはレチュアのお陰、でも気分が悪くなったのもレチュアのせい。

 だが、レチュアに回されるとは思わない。自身の世界を回しているのは依然として自分だ。だけど……。



「リュークリューク、はい」

 宿屋について、レチュアはリュークの部屋に遊びに来た。夕食の献立でも聞いたか、面白い本でも見つけたか、頬が高揚している。

 部屋には入るなと何度言おうが彼女は聞かない。一回痛い目に遭わせてやらないと分からないのだろうか。……と考えてやめる。一国の姫に手を出すリスクに彼女は見合わない。

 すぐに真っ赤になる。そういう事をすればレチュアは冗談には取らないだろう。冗談じゃない。

 ――冗談じゃない?

「はい、リューク!」

「はい?」

 レチュアはリボンを巻いた先ほどの人形をリュークに渡した。

「……なんだこれは」

「やだリュークさっきのおじさんの話聞いてなかったの? これは魔除けだってば」

「違う、お前が買ったんだろう、なんで俺に渡すんだ」

「プレゼントだよ! えっと……さっきのお店リボンがなかったから持ってたリボンつけて包装したの」

 リュークは上手く理解出来なくて、またも眉根を寄せるはめになった。

「なんで魔除け?」

「や、これ私に似てたから! リューク私が大好きだろうってね」

「ふざけんな」

「あ、すみません。ふざけてました。……っていうか……違うの。リュークこの頃疲れてるから……何かあげたくて」

「は?」

「私のせいでしょ、やっぱり……魔除けじゃなくてお守りとかなんでも良かったんだけど……」

 分からなくて、とか細い声でレチュアの語尾が消える。

「お前も疲れてるだろ」

「私は良いわよ、リュークがいれば頑張れるわ」

 レチュアはにいっと笑う。

 笑ったあとリュークを見上げ、何かを待つような仕草を向ける。

「……なんだ」

「リボン解いちゃって解いちゃって」

「…………」

 人形を貰った事は生憎一度もない。だからその人形がどういうタイプの大きさ的には普通サイズなのか小さいのかも分からない。かろうじて女の人形だという事は分かったが。

 中に綿が入っているのか、柔らかい。

 リュークは赤いリボンを解き、頭についた金鎖をつまみあげた。

「く、首から人形をさげさせるつもりか!?」

「あ、それはリュークの好みで!」

 信じられない。

 二十歳にもなって人形か。

 魔除けだそうで。

 それにレチュアが重い荷物を(小麦粉の荷下ろしだったらしい)運んで、やっと貰った金だ。

 信じられない。

 一国の姫が、力仕事だ。

 信じられないのは――


「……首からさげなくて良いなら」

 リュークは微妙な顔をした。人形などもらって嬉しいか? 嬉しい……のだろうか。

「レチュア様」

「は?」

 リュークはレチュアの足下に跪く。自嘲したい気持ちになっても別に構わなかった。

「勿体ない物、ありがとうございます」

 彼女の手を取って、甲に口づける。

「なっ! りゅ、リューク?!」

「大事に致します」

 ほら、真っ赤になった。

 リュークはくくっと笑った。

 キスしたらどうなるだろう、と面白半分で考えながら、そんな事してどうなるだろうとも思う。

 唇を寄せたら嫌悪感を示すだろうか、舌を入れたら泣き出すだろうか。

 何をしたら自分に幻滅するだろう、この女は。なにせ信じられないお人好しである。どこまでを許すかを試して、それで遊ぶのは子供のやる事だ。

「ちょっとリューク、ひ、跪かないでよーっなんか調子狂うからっ!」

「……」

 可愛いと思ったのは多分目の錯覚だ。だから手を出すのはたまたまどうかしていたから。

 リュークはレチュアに言われた通り立ち上がって、レチュアの手を取ったまま彼女を引き寄せた。

 耳元に唇を寄せる。

「リュークっ」

「……少なくとも……」

 これは好意か、暇潰しか。

 時々分からなくなるけれど、どちらかといえば。

「あんたは魔物やアヤカシの類いじゃあなかったみたいだな」

「なっ……! なんですってー!!??」


 ――コイツの事は嫌いじゃない。




『A supreme ruler』



 世界は誰のものかと聞かれたら、僕はその答えを出す事が出来なかった。



「レダ様はお頭がよろしい」

 壮年の家庭教師は、温厚な顔に笑みなのか何なのか分からない微妙な表情をつけて、レダを褒めた。地理の授業の最中の事である。

「別に。でも知らない事を知るのは楽しい。ガンダガはなぜ家庭教師に?」

 七十を迎える間際の老人――ガンダガは、将来有望な若者に知識を与える事をおしまない。レダが質問すれば答えるし、レダが興味があるのなら事柄をともに調べるのも好んだ。

「リージュは比較的穏やかで温厚な国で、留学が簡単に出来ました。幸い私の父は爵位を持っておりましたゆえ金持ちで、私が留学する事に反対はしませんでした」

 留学して戻る学生に、国家試験は甘い。親が貴族ならそれだけ良い所に就労する事を許され、基本学がない小者でも、爵位の高い貴族の子なら思慮の措置を与えられる。

 リージュは平和で政治が安定していたので、他のように賢くない者までをも宮殿には置かなかったが。

「どこに留学したんだ」

「さて。わたくしはどうやら放浪癖がございまして、柱華(けいか)の帝王学、武学、商売も学びにアレスタやドロープにも行きました」

「商売をしたかったの?」

 いえまさか、と朗らかにガンダガは笑う。

「商売はどの学問より奥が深い」

「足し算や引き算が出来たら良いんじゃなかったの?」

「ははっ、それはそうですが……物価の流れを読み、為替を把握して、いかに安く輸入して、高く売り付けるか。それには商売敵もいて、考えて考えてそして必死に商売をするのに……」

 ガンダガは苦笑する。

「生まれたその日から商売を見てきた根っからの商人には勝てないんですよ、彼らは金の流れを肌で感じ、天才で商いをする」

「だってそうだよ、ガンダガは商人になるべき人じゃない」

「そう。私は貴族に生まれた貴族です。何をしなくても爵位号をいただけるラッキーな男だ。……家が貧乏だったならば息子の代で貧乏でなくなる事はない。商人の家の子は商人の子」

 最初は楽しそうに話していたガンダガの表情が変わっていくのを、レダは不思議に思っていた。

 何を言わんとしているのかが分からない。

「貴方は」

「ん?」

「貴方にも可能性がなく、ラッキーかと聞かれたらとてもではないが答えられないでしょう」

 ぼんやりと聞いていた耳が、ガンダガの言葉の意味を解釈して頭にいれるのにずいぶんと時間がたった。貴方には可能性がなく――貴方とは僕だろうか。ラッキーかと聞かれたら――ラッキー? 僕が幸運なわけがない。それは……よく分かっているよ。


「同情や憐憫を感じる?」


 ひんやりとした机に頬をつけ、レダは瞳だけをうつろに上げてガンダガを見た。

 うろたえるわけでもなく、ガンダガは肩をすくめた。


「ねぇガンダガ、世界は誰のものなの?」


 何でも知っているのなら、教えて。 

 世界は。



 ――僕のものになる?



「レダや、お前の家庭教師が辞職を望んできたのだが……何があった」

 廊下で王にすれ違った時、王は久しぶりに声をかけてきた。

「別に……何も。私の素行についてガンダガは何かおっしゃいましたでしょうか?」

「いや、やめるのは全て自分のせいだと言葉を重ねていたようだが……」

「では個人的な理由があったのでしょう」

 レダは一礼して、そのまま真っ直ぐに廊下を渡る。

 王が何かを言いかけてやめた。レダは最初から彼に望む事はなく、それ以上の無駄な会話をしたくなかった。



 ――世界が欲しいのではなかった。僕が欲しかったのは……

 可哀相な可哀相な、僕の可愛い妹――



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