第三話 思い、果て無き声は
「そんな不味そうな女は食うなよ?」
青年はこんな時でもおかしそうに笑って今度は胸の前で二本、指を立てた。レチュアの背後にいた魔物は弾かれた様に青年の方へ目を向ける。
「契約の元現れよ、三つ首の魔獣……ケルベロス!!」
吹き荒ぶ風がレチュアの長い髪を荒らし、視界をさえぎる。その後うっすら目をあけると、いつの間にか戦いが始まっていた。自分の後ろをとっていたのは猿に似た、でも猿よりもでかい魔獣で、それの前にはさっき青年が召喚した三つ首の犬がいる。血が吹き飛び、風が舞い、咆哮や肉が食いちぎられる音がレチュアの耳元で鳴る。
「ドールを……」
ふとレチュアは印を描こうと思ったが、とまどった。今、ここでドールを召喚していいのだろうか? 自分のドールは……。
『それに今逃げなきゃきっと逃げられないわ……っ』
でも、それでいいのだろうか?
『…………この人少なくとも私を守ってくれたわけでしょう? 町へも送ってくれた。どういう魂胆があるのかは知らないけど』
レチュアはしばらく目を伏せる。
そしてゆっくり目を開いた。逃げられるわけがない。それは自分の信条に反する。そんなの嫌だと思う。
『いいわ。のった。どうせ一度は死を覚悟した身ですもの』
ニッと笑い。
「今、ここに眠る力解き放て……我が望むもの――セーレス!」
レチュアが詠唱すると、一本の槍が手の平にうずまった。しっくり馴染むその感覚は、長年の汗と努力の結晶である。毎日毎日、みんなが止めるのに練習をしてきた。多分きっと、こんな日の為に。
「お兄さん、お手伝いいたしますわ〜」
レチュアが手に武器を持っている事に気付いて青年はふと笑った。すっきりとした表情の、傷だらけのこの女に興味を持ったと言っても過言じゃない。
「……邪魔はするな」
「任せろっての!」
レチュアはザッと地を踏み、飛びあがった。
★
父の名前はゲディル・フォーガス。リージュ国19代国王。歳は四十をいくつか越えた位の若い名君だった。普段は好んで厳しい顔を作っているくせに、実際はそうではない。笑うと急に幼くなる、大好きな父。国を司る者にありがちな人を見下すような態度はなく、リージュをいつも良い方へと向かわせてくれたいい王様だった。
母の名はファルナ。ファルナ・フォーガス。父を影でサポートしてくれていた、美しい人。優しくて、時には厳しくて、絵に描いたような素敵な母親だったと思う。料理音痴だったけど。でも自分の中に一つ、筋道をたてた心根を持っていて、それを倒すような事は絶対にしなかった。強い人だったといっていい。
妹の名はシェア。金髪に薄い赤の瞳をした少女は今どうなっているかレチュアは知らない。優しくて、明るくて。自分を一番に慕っていてくれた可愛い妹。
他にもたくさんの異母兄弟がいたが、宮殿内部のドロドロとした雰囲気のせいであまり話した事はなかった。こうなるとわかっていたならもう少し話しておけば良かったと思う。
「レチュア様! レチュア様!!」
普段と同じ様に朝の鐘がなってすぐ。メイドが起こしに来る。ほとんどレチュアはこの場合布団の中にいない。というかいた試しがない。
「またレチュア様が城下に下りてますよ! 国王! 何とか言って下さいませんか!?」
「やるなぁレチュアも」
「私の子供ですから」
大抵はメイドだけが心配しまくって、他はそんなになかった。レチュアは活発なお姫様。誰もが承知し、納得し、愛していた。から……。
国王の一人娘、一国の姫君、玉座を約束されている姫、は自分の責任と義務を知っている。それを考えての行動で、かろうじて怒られない範囲、それをわきまえている。
レチュアの事を分かっているから、両親は彼女を好きにさせていた。
★
ガツン!
「かったぁ!!(固い)」
レチュアは顔をしかめた。魔獣の背中にぐっさりと突き刺せた槍が抜けない。せっかくの一撃だったがこれではとどめがさせない。
「はい、おいしい所をどうも」
ザン!
青年が最後の一振りで、猿のような奇妙な体をした魔獣の首を切り落とした。どれだけの力があればこの固い体を一発で切り落とせるのだろう?
「ちょ、ちょっとお願いっ! 抜けない〜〜」
レチュアは根畜生とばかりに魔獣の体に右足をつきたて一生懸命槍を抜く。黒い体毛と肌色の体皮をこえ、深々と刺さった槍を抜くのは一苦労だった。
「ふぃ〜」
レチュアはやっとの事で槍を引きぬき、ふと自分のドレスを見やる。
『あぁ……もうクソッタレ……』
返り血と自分の血で、ドレスは真っ赤に染まっている。
でも今はそういう話しをしているわけではない。とりあえず何の血でもかまわないが、ドレスはもうピンク色ではなくなってしまった。青年が興味なさそうに一瞥する。
「金、あんのか?」
「あったら服買ってる」
気に入った服でもなかったが、誰かが一生懸命作ってくれたであろうドレスをこんなにボロボロにしてしまった事には深い反省の念がある。
「あぁそうだ」
とりあえずこんなになってしまったが。
「えと、ありがとう。街まで送ってくれて。声も、ね。これで何とかなった」
少しだけ唇の端を上げる。どこもかしこもボロボロで、疲れまくっていてそれなのに。レチュアの表情はどこか気高さがあった。背筋をしゃんと伸ばして立っている姿にも好感が持てる。青年は別に、と言いたげだったが勿論言わない。その先の言葉を待っている。
「私はレチュア・フォーガス。リージュ国第19代国王、ゲディ……」
「勇者様!」
「………………は?」
後ろから声をかけられて、レチュアは振りかえった。いつの間にか遠巻きに見ていた村の人々がレチュアと青年を囲い、感謝の眼差しで見つめている。小さな子供から老人まで、恐らくは村の人々全員が頭を並べて、二人を歓迎した。
「ここの所魔獣なんてやってこなかったので……ハンター(ここでは魔獣を倒して褒賞を貰う賞金稼ぎの意)を解雇したばかりで」
「お兄さんやお姉さんがいなかったら村は全滅だったさ。ありがとうねぇ」
にこにことした村の人のお礼にレチュアは笑顔で、青年は仏頂面でこたえる。というより今にもその場を去りそうな勢いだった。
「さぁ、村へお入り下さいませ。何もできませんが温かい料理をご馳走致しますわ」
長老らしき女が進み出てレチュアの手を取った。そのドレスの派手さに目を細めて、付け足して言う。
「年頃の娘さんがこんなに服を汚してしまって。レナ、お前の服を貸してあげるんだよ」
「はい、おばあちゃん。勇者様はお名前をお聞きしてもよろしいかしら?」
ギクッとしてレチュアは青年を見上げる。別にどんな反応も返ってこなかったが、青年は低い声で答えた。
「俺はリューク・レスティーナ。こっちは妹のアーシアだ」
『妹?』
まぁそれくらいが妥当ではあったがレチュアは少し納得がいかない。でも青年、リュークのお陰で多分苦手な嘘をついて怪しまれる事はなくなった。
「リューク様にアーシア様、さぁどうぞどうぞ、アーシア様はお食事の前にこちらにいらっしゃってくださいな」
レチュアはリュークを見やる。整った顔は果たして皮肉な笑顔以外を作ったりするのだろうか? それでもとりあえず小さく、お礼を言う。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「? どういたしまして?」
ほら、またどこかバカにした顔だ。レチュアは困ったように笑った。まぁいいか、と。
温かい部屋に通されたのは、お日様の匂いがする長袖のワンピースを着せてもらった後だ。白を基調としたワンピースには、赤いリボンがついている。自分があまり着る事のないタイプの服で少し照れくさかったが、もう何と言うか。血よりマシ。
一番広いこの家は村の集会場なのだろう。私物は置いていなかった。大きなテーブルがあるが、それでもみんなは座れないからそれをよけて、床の上に座っている。何人だろうか? 百人はいると思う。
その中にリュークの姿を見つけるが、せっかくの歓迎会(?)なのに彼の横に行きたくない。どうせ話さないだろうし、かといって話す事といえばアレしかない。勿論こんな所で話し始めたらそれなりの処置はとるつもりである。
「さぁ、主役様はあちらへ」
やっぱりお兄ちゃんの横を指されたか、とちょっとうんざりしながらレチュアはリュークの横へ腰を下ろした。
目の前の小さな机を寄せ集めた大きな机にたくさんのご馳走が並んでいる。丸ごと一匹の鶏と、ムニエル。グラタン。ソテーに果物。まさか宮殿の豪華ディナーに勝つものはなかったが、絶対味はそんなことないはずだ。こんなにいっぱいの人々と一緒に食べる温かい料理、それだけで一番のご馳走に決まっている。
「うわぁ、こんなに?」
レチュアは嬉しかった。でもそこまでの事をしてあげたかどうかは知らない。多分村人のドールがいればそれなりの対処はできただろうに。
「ここの村はお祭りが大好きなの! せっかくどんちゃん騒ぎができる獲物を見つけたら手放しません!」
着替えを貸してくれた村長らしき老婆の孫が、にっこりと笑う。やっぱり料理と同じように温かな笑顔で。
「そっか。じゃあいっぱい食べさせていただきますね」
「はい!」
レチュアはニッコリ笑う。みんなも笑う。温かい光、温かいご馳走。温かい笑顔。
『あぁ、今あなたは何をしていますか?』
レチュアは小さく目を伏せた。
遠くから聞こえる声は、誰の声だろうか。ずっと見守っていてくれるのは誰だろう。傍にいるかな? あなたは――。




