第三十八話 願いを胸に
「あっ……あぁっ!」
レチュアは肩口に焼け付くような痛みを覚えて、必死に抵抗した。が、リュークの体はびくともしない。リュークの唇が自分の肩に食いこみ、舌先がなぞっていく。牙、そんなものリュークの体にはなかったはずだが、リリムが憑依したことによって、立派な牙が唇の端から覗いている。
「たぁっ……」
頭がショートした。ぼやんぼやんに回りながら、どこか暗い穴の底へ降りていく感覚。麻酔にも似た痺れるような甘美な痛み。
全神経がリュークの舌が這う肩口に集まって、一つ一つがレチュアに痛みと疼くような何かを伝える。
「仲間になりなさいな……私、あなたのこと好きよ?」
そっと耳元で話してきた声はリュークの声じゃない。不機嫌そうな表情もしていない。
嫌だ。絶対に。嫌だけど。
『あぁ……ほら。私何も出来てない……』
リアスに裏切られてかもしれない、と知った今。リュークに裏切られているかもしれない、と疑っている今。信じきれないくせに、その『信じられない』人がいないと何も出来ない。
――なぜ。
なぜシェアは死んだのか。父は。そして母は。
『……悔しいっ……悔しいよっ……っ』
強くありたいと願うのに、強くなれないのは。どうして、だろうか。
自分は一国のお姫様。
――お前税金搾り取って王国で何してたんだ?――
無知で、暖かいところで暮らしていたお姫様。特技といえばちょっとだけ特殊なドールに気に入られているだけ。ちょっとだけ槍を扱うのが上手いだけ。でもソレは、わざわざ自分でなければいけないことだろうか。
英雄になんてならなくたっていい。たださ。
『認めちゃくれないかなぁ……?』
レチュア、です。レチュア・フォーガス。ただ産まれたのが王家だった、ちょっとラッキーな女です。でもさ。
「……っ!!」
レチュアは思いっきりリリムの頬をぶん殴った。今まで何の抵抗もしてこないレチュアに油断していたのか、すぐにリリムの手の戒めから抜け出せたレチュアはよろよろと倒れこむようにリリムから離れる。
「取り返すのよ! 私を必要としている人が一人でもいるかもしれないでしょ!?」
肩から流れる赤い血を、無駄だと分かって尚左腕で拭って、レチュアは唇を噛んだ。ふらふらする頭を押さえて、懸命に立つ。
「そうでもしなきゃ……」
――私、要らなくない?
この世の中で。必要な人になりたかった。
誰もが誰かを必要として、誰かが誰かに頼っているのに自分だけ。
誰にも頼ってもらえない人間に思えて。
「リューク! 玉座は無理だけど……あんたになら私の側近任せてやっても良いから! そんな下っ端に負けてんじゃないっ! さっきから乗り移られすぎよ?」
レチュアはリリムの方を見た。正確にはリュークを。
「あなた自分の立場わかってる……? あたしに噛まれたんならもうあたしの従者よ?」
ニッコリとリリムは笑ってきた。その独特な低い声がレチュアに近づく。
「どうせなら玉座に座らせる気はないのか?」
――と。声がした。
いつもの嘲笑、いつもの人を人とも思っていないような無愛想な声。
「結婚したいの?」
レチュアは笑う。
「あ? あぁっ!!」
いきなりリュークが叫んだ。否、リュークの中にいるリリムが叫んだ。リュークの体から追い出されようとしている苦痛に、喉をヤる寸前の声があふれ出る。
「夢魔は昼間は力弱いだろ? 失敗したな」
リュークはニッと笑った。そして思いっきり自分の頬を自分で殴り飛ばす。いきなりの衝撃に、リリムは慌ててリュークの体を離れた。
「ケルベロス! 良かったな、不味そうだが、食い物だ」
リュークは嘲るように笑って、自分のドールの名を呼ぶ。ふわりと風が吹いて、ケルベロスがリュークの影から現れる。
倒れていたリリムに向かって走っていき、その頭に思いっきり食らいついた。
レチュアは目元に手をやる。ぐらぐらとする頭を押さえながらリュークを見上げた。
「あんた普段偉そうなんだから、少しは役に立ちなさい」
ニッと笑おうとして、リュークはレチュアの異変に気付いた。肩口から少しずつ紫色の斑点がレチュアの腕や胸にかけて広がっていた。
「おい、もしかして噛まれたのか?」
「……あんたが噛んだんでしょっ」
肩口を押さえて立っているレチュアの顔は土気色だ。リュークは少しだけ慌てたのか、顔色を変えてレチュアの傍に寄ると、自分の唇の端を噛んだ。すぐに血が吹き出てきたのを見て、レチュアの、その血が吹き出す肩に唇を当てた。
「……っ!」
レチュアはびくんと反応した。尋常じゃない痛みが駆け巡る。
「リュークっ痛いっ!!」
慌てて突き放そうとしたが、リュークは思いっきり唇を当ててきた。しばらくして肩の血を吐き出す。
「痛い!!」
レチュアは泣きそうになりながらリュークにしがみついた。何かを握っていないと気が狂いそうな痛みが肩から胸にかけて降り落ちてくる。
貧血になりそうな、血の喪失感と、あるいは。
何度かそうした後、リュークはレチュアのすがりついてきた体に手を回した。抱き合っているような不思議な気分と、頭を支配してやまない痛みとで、レチュアの意識は破壊されつづける。
「リューク……っ」
自惚れた夢を見たい。彼が自分についてきてくれるのは、決して裏切るためじゃなくて、自分を認めたからだ、と信じたい。もしかしたら必要とされているかもしれない、と感じたい。
別に神になんか祈らない。たくさんの人の祈りで埋め尽くされた空は果てなくて。時々自分がどれだけ小さいかを思い知らされてしまうけど。絶対に。神は自分の願いなんか叶えない。人の願いだって叶えない。
なら。
「絶対玉座を取り戻すっ! あんなくそったれどもになんか手渡してたまるかってのっ」
「ん……」
僅かに痛みの引いた肩にもう一度唇を当てて、リュークはレチュアを抱き締めた。
自分の手で。小さいけど。この手の平で。願いなんか叶えてやる。
だからさ。
どうか。傍にいて。
コレは神に言ってるんじゃない。目の前の。あなたに言ってるのよ。




