第三十六話 降り続く、遠い世界の気持ち
この事実についてもレチュアは少しだけ考えを持っていた。例えばシラだとか。この前来た美人なお姉さん(クレーダ)だとか。魔獣などの自分を狙っている者というのは一体どこから来ているのだろう、と。
流石に『私はレチュア・フォーガスだよぉ〜ん、捕まえて御覧なさい〜』とか言いながら練り歩いているわけではないのだから、よっぽどの事がない限り、自分を見つける、または捕らえたりすることは出来ないと思う。
そして、この前まで考えていたこと。死んでも口に出したくなかったけど。
リアスが、何らかの形で伝えていた、とか。だが、今回その考えは思いっきり跳ねっ返す。
今現在、自分は茶髪。しかもリアスは近くにいるはずがなくて。では、誰だろう? 今度こそ、リューク?
「もうやだ! もう知らない!!」
「何が」
レチュアは首をぶんぶん振りながら、どうしようもなくなった自分の行き所のない思いをソレにぶつける。横できょとんとしているリュークは置いといて。
いきなり窓ガラスを割って入ってきたのは一人の女。真っ赤な唇、濃い化粧。ボディコンと呼べる、漆黒だが過激な服。背中に生えた真っ黒な羽。魔獣か、アリアか。
「はぁ〜い」
その、彼女が声を発した瞬間、レチュアもリュークも口が半開きになった。リュークに関してその表情は絶対レアだった。
声は。男。
「お、オカマ!!??」
「んまぁ! 失礼な鼻垂れ娘ねぇ」
彼女――彼? はふよふよと宙を浮きながら、部屋に入ってきた。真っ黒な髪と真っ黒な目は、アリアというよりは悪魔。
「リリム?」
リュークは目を細めた。リリムは高等ではないが、結構強い夢魔だ。黒魔術を得意とする美貌の夢魔はニッコリとリュークの方へ近づいた。と。リュークの首筋に思いっきり手を回してきた。
「お、おい!?」
レチュアは慌てて突っ込む。いきなり窓ガラス割ってまで入ってきてそれかよ。
リュークは鬱陶しそうに手を払う。がそれも気にせず夢魔は猫撫で声で甘えるように言ってきた。
「お兄さん……あんた綺麗な顔してるのね〜私綺麗な顔大好きなの!」
嫣然とニッコリ笑って、リリムはなんとリュークの顔に自分の顔を近づけた。レチュアから見ると、ちょうどリュークの背中が見える位置である。
「あぁ!!」
と。リュークが思いっきりリリムをぶん殴った。ひょい、と交わしたリリムは楽しくなさそうにプッと口を膨らませた。
「この鼻垂れがソレア様の意中の人ぉ? 楽しくねぇー」
全く反応なしで、痛みを痛みとも思わないように、リリムは今度はレチュアの方を向いた。思わず身構えるレチュアはよそに、彼女(彼)には敵意とか殺意とかいうものが感じられない。と、リリムはニッコリ笑った。
「やっぱ、この美青年にする!」
何が、とレチュアが問い返す暇がなかった。ふわっと、ぶち壊された窓から風が吹いてきた、と思うとすぐに、その場からリリムが忽然と消えた。
「アレ!?」
目を丸くするレチュアの横に、そっとリュークの手が置かれた。
「え?」
非常事態にしてはさっきから落ち着いた雰囲気の中、リュークはレチュアをぎゅっと抱き寄せた。
「りゅ、えあ!?」
背中を抱え込むように押さえられて、レチュアは一瞬息が詰まりそうになった。リュークの整った顔がすぐ傍にあって、その銀色の瞳が自分を見下ろしてくる。と。そのままその顔がレチュアの服の肩辺りを思いっきり引き剥がした。
「リューク!?」
そのまま倒れこむようにリュークの頭がレチュアの剥き出しになった肩に被さってくる。ざらっとした舌の感触がレチュアの頭を完全にショートさせた。
「ちょ、待ってっ……っ」
ぞくぞくする。くらくらする。違う、違うってば。
「待てっつってんだろ根畜生!?」
レチュアは思いっきりリュークを弾き飛ばした。リュークが後ろにぶっ倒れて、すぐにリリムが姿を表す。リュークは壁で強かに頭を打って、気絶している。
「アレ〜この人にホの字じゃなかったんだ〜?」
リリムはその特徴のある低い声で、ニヤッと笑う。レチュアは顔を真っ赤にさせたまま、必死に首を振った。
「まさか!」
「ふ〜ん。まぁどうでもいいんだけどさ〜そっちの美青年、使い物にならないね」
うふふっとその美しい顔でニッコリ笑って、リリムはレチュアにウインクを送る。ぞわっと鳥肌が立ってレチュアはくらっとした。何て戦いにくい敵だろう。
「……私が相手になるわ。なめないでくれる? ――セーレス!」
レチュアは自分の愛槍の名を呼ぶ。仄かな鈍い銀色の光を帯びたセーレスは、自分の手に収まった。 リリムはレチュアが掴んだ武器にきょとんと首を傾げて、それからもう一度嫣然と笑った。
「だって無理よ。レチュアちゃんは女の子ですもの」
「はぁ?」
ぴゅんと、風が吹き荒れた。真夏のべっとりするクソ蒸し暑い風がレチュアの今は茶色になった髪を撫でていく。その時。確かに悪寒が走った。
ぐいっと、レチュアは自分の右手を掴まれていた。セーレスごと手首に戒めをかけられて、レチュアは身動きが出来ない。一瞬のうちだった。本当に姿が見えなかったのだ。
「知ってた〜?夢魔は、吸血鬼と一緒で、自分の血を相手の体内に送り込むことで相手を自分の従者にしちゃうことが出来るんだよ」
首筋に吐息がかかった。さっきのリュークもこいつに操られていたのだろう。リリムはくすくすとレチュアの耳元で笑う。
「美青年とそういう世界も良いけど……女の子同士で倒錯ってのもいいんじゃない?」
『お前は男だろ!!!???』
レチュアはピンチに陥った。 まずリュークが使えない。いつも偉そうにしている分、実力が伴っているからレチュアも大目に見てやったが、今回は壁に頭を打って寝ている。すこんと。そして、今の自分の状況。セーレスは押さえられている。自分の右手が封じられているから、強力な魔法を生み出すことは不可能。詠唱なし、または印を描く事をしない魔法は、普段の二分の一以下の魔法しか生み出せないのだ。
「へぇ〜やっぱりお姫様じゃん綺麗なおみ足してますね……」
触れられた部分から、ぞわっと悪寒が走った。リリムのすべらかな美しい手が、低い声と共にレチュアの右足をなぞってきたのだ。少し長めのスカートを手と一緒に上に持ち上げられて、捲り上げられる。
「やめ」
「口塞いじゃうわよぉ〜? うるさい子ねぇ。あたしうるさい女嫌いなの。うるさい男なら歓迎するけど」
リュークと張る位の低い声が、耳元で囁きかける。ピンチだった。マジで。口を塞がれてたまるか、とレチュアは自分の左手で、リリムの足を撫でていく手を食い止めた。
「あなた様の方が綺麗な足してると思います〜」
引きつった笑顔を浮かべて、レチュアは振り返った。ニッコリと、営業用スマイルで。
「本当!?」
「は?」
その時思いっきりセーレスを封じ込めていた手が離れた。レチュアから体を離して、リリムは満面の笑みでレチュアの方を向く。本当に、声以外はどこをとっても美しい女性だった。胸は少しうそ臭いような……?
「え?あぁ、はぁ……」
拍子抜けしてレチュアは半眼で笑う。冷や汗がだらだら出ていくばかりだった状況から一変しすぎ。
「嬉しいっ! やっぱりね! 私絶対綺麗なんだってば! 皆本当のことすぎて口にだしゃしないの!!」
「そ、そうですか」
ニッコリと笑うしかなくて、とりあえずレチュアは笑う。
「でもさ〜ソレア様は本当にお美しいのよぉ……綺麗な瞳をしててさぁ、真っ黒なの。月のない闇夜の色」 うっとりとし始めたリリムに、レチュアはどうしてあげたらいいかが分からなかった。思わず半眼しながらしばらく黙る。
「そしてソレア様にはクレーダ様っていう側近がいてね〜あの女もまぁまぁ綺麗なんだけど、仕事に忠実じゃないから嫌いよ〜シラもね」
『アレ?』
今、彼女(彼)は『シラ』と『クレーダ』の名前を出した。レチュアは目を細める。そして、その漆黒の美男子の名前がソレア。
『ソレアが一番悪い奴?』
「でもさ、あたしはやっぱりソレア様の手下であって、無能なクレーダやシラみたいにはやってけないんだよね〜……だから、愛してるけどあたし達。……殺し合わなくちゃいけないの。分かってくれ……ぐふっ」
「は?」
レチュアは目を丸くさせた。恍惚と何か話していたリリムがいきなり前のめりに倒れこんできたからだ。今まで元気にうっとり話していたのにだ。 見ると、リリムの後ろには不機嫌極まりない顔のリュークがいた。
「あ、おはよう」
「…………嫌味か?」
かなり不機嫌そうな顔をしながら、リュークはレチュアを見下ろす。今ではだいぶ稀になったが、一番不機嫌そうな顔だった。こういう表情をしているときは絶対不機嫌だ、とレチュアもちゃんと分かっている。
「いつ起きたの?」
「おみ足辺りから?」
嘲るように言って、リュークは鼻でレチュアを笑った。
「起きてたんなら助けなさいよ親戚!」
「勘弁してくれ。頭が痛かったんだ。力一杯突き飛ばされたお陰でな?」
あ、自分のせいだ、とレチュアは顔を青ざめさせた。失敗だ。しかもリリムが乗り移っている(?)時でも一応自我はあったらしい。そう、考えるとレチュアはいてもたってもいられなくなる位顔が赤くなるのを感じた。リューク(リリム憑き)から抱きすくめられているときの自分の反抗の態度は、全然困っているようではなかった。
『誤解されるわ!』
レチュアはハッとリュークを見上げようとして、ふと考えた。何と、誤解されるのだろう?
「で?」
リュークはそんなレチュアの態度なんか知ったこっちゃない、と偉そうに問いかけてきた。
「え?」
「何もされなかったのか?」
「……おみ足から見てたんでしょ?」
嫌みったらしくレチュアが眉を上げて笑うと、リュークも破顔した。『また笑ってる……っ』
レチュアはリュークの笑った顔に弱い。いつもの無愛想な顔が一変して、本当に心底おかしそうな顔をするのだ。
「とりあえず……この人どうしようか?」
レチュアは仕方無しに自分が無愛想になって、少し火照った顔のまま、完璧に伸びてしまったリリムを見下ろした。
「そっちよりこっちだろ?」
さらっと言いながらも、真剣にリュークの目は宿屋の窓(があった所)を見た。あまり気にしてはいなかったが、自分達の財布の中身がやばい。窓ガラスは結構高かったような、安かったような……。
「それか……こっち?」
リュークはニッと笑った。小首を傾げながら、レチュアはリュークの視線に目をやる。
「!!」
先ほど力一杯引き千切られた肩口は、生肌が露出していた。片方だけ。
「きゃぁ!!!」




